7コマ目
事務所に着いた雄人は、二階のとある一室、要するに居間の窓から明かりが洩れているのに気がつく。
「小太郎さんはもう帰ってるみたいだな」
「そうみたいだね。丁度良かったんじゃない?」
「だな」
二人は階段を上がり、居間の扉を開ける。
室内では小太郎が、テーブルの手前でネクタイを外しているところであった。椅子には彼のスーツが掛けられており、彼の足下には白地と黒地、二種類の紙袋が置かれていた。
「ただいま、父さん。帰ってたんだ」
「お帰り。私も今しがた帰ってきたところだけどね。おや、チュン子か?」
「うん。とりあえず、今日だけの一時帰還だけど」
「チチッ!」
チュン子は小太郎に向って敬礼した。
「父さん、お土産は?」
「おいおい、遊びに行ってたわけじゃないんだぞ? ……まあ、あるんだけどな」
そう言って、小太郎は足下の紙袋の内、白地の物を持ち上げて此亜へ渡す。
此亜は早速、その中にあった箱を取り出した。箱の包みに大きく印刷されている『銘菓 五玉みたらし団子』の文字を見た瞬間、彼女の顔が綻ぶ。
「わあ『おみた』だ! 父さん、ありがと!」
紙袋の中に入っていた小太郎のお土産は此亜の大好物。ご満悦の彼女はそれを持って卓袱台の前に座り、早速その箱の包みを丁寧に破いて中身を取り出す。取り外された紙の包みが卓袱台の上に転がった。
「京都まで行ってたんですか?」
包みに『京都市左京区下鴨』の住所が印字されていることに気が付いた雄人が訊ねる。
「ああ、表の仕事でね。あと、他にもちょっと用事があったから帰りが遅くなったんだ」
「そうだったんですか」
「それで、今日はどうだった? 例の妖怪は捕まえられたのかい?」
「はい。ちょっと待って下さい」
雄人は右手でズボンのポケットを探り、髪切りを封じた瓶を取り出した。そしてそれを小太郎に手渡す。
「確かに。ご苦労様」
小太郎は雄人から瓶を受け取り、労いの言葉を二人に掛けた。
雄人は「ありがとうございます」と答えるが、此亜は団子を食べるのに夢中で、まるで聞いていない。いつの間にか角も見えるようになっている。右の口元には蜜がべったりと付いており、グロスを塗りたくったようにてらてらと光っていた。
「ったく、しょうがねーな。もうちょっと落ち着いて食えよ」
幼子のように団子を頬張る此亜に呆れながら、雄人はテーブルの上のウエットティッシュを一枚取って、卓袱台の前に座る彼女に近付いた。そのまま彼女の前にしゃがみ込み、眼前にまで迫ってその口元に付着した蜜を拭き取る。拭き取られている間、此亜は紅潮した顔で黙っていた。
「あ、ありがと。えへへ。雄人も一緒に食べようよ。私、お茶入れてくるから。あ、父さんもどう?」
「いや、父さんはいいよ。もうあっちで食べてきたから。それは二人で食べればいい」
「そう? 分かった」
それを聞いてから、此亜は手に持っていた串に刺さった団子の最後の一つを口に含んで立ち上がり、その串をゴミ箱に捨てて、台所の方へ歩き出した。
「ところで、明日も朝から出掛けるよ」
「またあ? 今度は一体どこに?」
瞬間湯沸かし器に水を汲ながら、此亜は小太郎に訊ねる。
「養魔園だ。もう瓶が溜まり過ぎで、保管箱もいっぱいになってしまったからな。明日この髪切りも一緒に、全部まとめて持って行く」
「ここんところ立て続けでしたからね。今までの分も含めてそんなに貯まってましたか?」
「ああ、私が捕えたものも合わせると二ダースほどな」
「それはまた……」
「随分溜まってたんだね」
湯沸かし器のボタンを押しながら此亜が感嘆する。
「それから……、折角行くんだから、しばらくあっちで泊まってくるつもりだ。その間のことは雄人、お前に頼む。事務所のことも、勿論、此亜のこともな」
「分かりました。任せて下さい」
「もう少し娘の方も頼ってよ」
「だったらもう少し頼らせてくれ」
ゴミ箱の中の、蜜で汚れたウエットティッシュを見つめながら、小太郎は溜息混じりにそう零した。
「ちぇー……」
「とにかく、私はもう寝るよ。明日は今日ほど早くに家を出るわけじゃないが、少し疲れてしまった。お休み、二人とも」
「お休みなさい、小太郎さん」
「お休み、父さん」
小太郎はスーツとネクタイを持って部屋から出ていった。
バタン
カチッ
小太郎が扉を閉じた音と、湯沸かし器が一仕事終えた音が同時に鳴った。
此亜は食器棚から湯呑みを二つ取り出し、沸かした熱湯をそれぞれに注ぎ込む。次に小さめの匙を棚の下の引き出しから取り出し、和紙で装飾された長筒を開けた。筒の中身は緑色の粉末。彼女は取り出した匙でその粉を掬って、二つの湯呑みに等量入れた。そしてそれを匙でかき混ぜる。粉末が溶け込む。此亜は、二つの湯呑みと一つの小皿を盆に乗せて運んだ。
「お待たせ。じゃあ、食べよっか。チュン子もおいでよ、小皿に盛ってあげる。お茶は流石に飲まないよね? 水が欲しかったら、飼育箱のタンクから飲んでね」
運んできた物を卓袱台に置き、此亜はテレビをつけながら言った。
テレビからは、バラエティ番組に出演するタレントたちの声が流れていた。