6コマ目
二人と一羽は夜の外へと出向く。
只でさえ夜となると人通りが殆どない地域。しかも今は、夜道で人の髪を切る変質者が現れているという異常事態。この時間帯に外にいるのは、その変質者を捕えようと張り込んでいる警察官たちぐらいであった。
外に出た瞬間、チュン子は先頭を切って飛行を始める。雄人と此亜は警察官に見つからないようにそれを追う。時に身を屈め、時に遠回りをしながら。しかし空を飛ぶチュン子を見失うこともないように。
そのまましばらく経って、突然チュン子の動きが止まる。いや、正確には空中で止まっている訳だから当然その小さな翼は羽ばたかせたままであるが。
その場所は、昨日とは違う小学校のグラウンド。いや、グラウンドというには少し小さいかもしれない。正しくは校庭というべきだろう。
「ここにいるのか? あいつは」
「チュン!」
チュン子は雄人達の方に振り返って頷く。
「ねえ、それで……ここのどこにいるの?」
「チチッ」
チュン子が鳴き声を出しながら顔を向けた方向は、校舎のすぐそばに植えられたエノキの大木。夜の闇の中、生い茂る葉がざわざわと揺れている。注視すると、葉と葉の間に、枝ではない、何らかの生命体の一部が見える。たとえば脚。たとえば腕。当然、雄人と此亜もそれに気がつく。
「ふぅん。あれか……」
呟いて、雄人は木にゆっくりと近づいていく。そして、
ドンッ! と、まるでノックをするかのように、木に軽い裏拳打ちを決める。
木は大きく揺れ、幾枚もの葉とともに、異形の怪物が降ってきた。鳥類を思わせる顔、ハサミになった両手。紛れもなく、昨夜二人が取り逃がした妖怪であった。
「ビンゴだな」
「うん。さっすがチュン子だよね!」
二人の言葉に、チュン子は照れたように翼で頭を擦る仕草を見せる。
一方、木から落ちてきた妖怪は何が起きたのか分からないという様子で、きょろきょろと辺りを見渡す。……まだ眠っていたのだろうか? やがてその目が男女二人組を捕えた瞬間、慌ててまた木を登り始めた。両手のハサミは閉じられ、ピッケルのように利用している。
「また登っても同じことだって分からないのかね?」
「まあ、理性のあるような妖怪じゃないもんね」
「ったく」
それだけ言って、雄人は、妖怪の登っている木に向かって駆け出した。駆けながら、ポケットから小瓶を取り出し、振り返らずに此亜へ向かってそれを投げる。此亜はそれを、両手で何とか落とさないようにキャッチする。
「段取りは昨日と同じ。でも今日は金棒出すなよ?」
「分かってるよぉ!」
明らかにむくれている此亜の声色に、雄人は微かに笑みを溢す。そして目的の木の前に辿り着いた彼は、その大木を駆け登り始めた。まるでそこだけ引力のベクトルが変わってしまったかのように、彼は木の側面を駆けていた。
登り切る直前の妖怪に追いついた雄人は、猿のように身軽なそれを木から引き剥がし、地面へと落とした。妖怪は真っ直ぐに落下し、地面に辿り着いた時には幾らかの砂塵をあげた。そして、落ちた時の格好のままで動かなくなった。
――やばいな、高すぎたのか?
木から飛び降りながら、雄人はそんなことを思っていた。
彼は、決して地面に妖怪を投げつけたわけではない。ただその首根っこを掴んで木から引き剥がし、その後に、掴んでいた手を放しただけである。しかしただ落ちただけにしても、人間ならば無事では済まない高さではある。
さっき落ちた時は何ともなかったようだが、今回も同じとは限らない。打ち所が悪かったという場合もある。もしもこれで、この妖怪が死んでいたのなら此亜への示しがつかない。彼はそんな心配をしたが、それは杞憂に終わる。
地面に辿り着いた雄人の手が、その妖怪の身体に僅かに触れた瞬間、妖怪は激しくのた打ち回り始めた。
「死んだふりって……。てんとう虫かよ」
擬死という、あまりにも古典的な防御行動に呆れながらも、雄人は妖怪の身体をその場に固定したまま放さない。
自分の倍近くある大きさの身体を持つ人間に圧し掛かられ、後ろ手に掴まれている妖怪にとって、自由が利く部位は今や頭と脚だけ。その二つの部位をバタバタと動かして必死の抵抗を見せている。
いつの間にかそこに近づいてきていた此亜が、彼女の小さな掌にも乗るサイズの小瓶の口を妖怪の額に押し当てたまま、目を閉じ、呪文を唱え始める。
「開闢の後、国創りの末、高天原に住まう神々よ。あいなし妖魔封じ得し、降魔の神通をこの器に与え給え。幣は妖血、契は一年」
此亜が唱え終えると、妖怪の額に小さな傷が生じる。そこから緑色の飛沫が上がり、此亜の押し当てている瓶の口を濡らした。すると妖怪は、瞬く間にその瓶の中へと吸い込まれていく。全身が吸い込まれた後、それまで存在しなかった瓶の蓋が現れた。瓶の中には小さくなった髪切りが入っていた。
「あっけなかったなあ、これで終わりか」
空手となった雄人はゆっくりと立ち上がり、服やジーパンに付着した砂粒を払いながらそう言った。
「お疲れ、雄」
「そんなに疲れちゃいないけどな。瓶貸せよ、俺が持っとくから」
「あ、うん。ありがと」
此亜から瓶を受け取った雄人は、緑の液体を指で拭ってから、それをポケットに入れた。神に通ずる力による封印は、そう易々と破れるものではないが、何事も絶対ではない。此亜の危険を最低限のものにするために、雄人は自分で瓶を持つ。
元々、出かける時にまだ此亜が眠っているようならば、彼女を置いてチュン子だけを連れて行くという考えも彼にはあった。真壁茜のことがなければ実際にそうしていただろう。
「うんじゃ、帰るか」
「うん、そだね」
「チチッ!」
仕事を終えた二人と一羽は事務所へと帰って行く。チュン子を見失わない様に急いでいた『行き』と違い、悠々と歩きながら。但し、持ち物を改められるようなことがあれば面倒なことになる瓶があるので、警察官には見つからないように。
雄人の腕を掴みながら彼にひっついて歩く此亜は、コソコソと耳打ちをする。
「なんか、スパイみたいだね」
「せめて探偵にしとけよ、そこは」
一応、小太郎さんの助手みたいなもんなんだから。と、雄人は付け足した。