5コマ目
「ただいま」
帰宅の挨拶をしながら、雄人は居間へ入った。それと同時に、彼の右肩に乗ったままであったチュン子の姿が露わになる。チュン子は彼の肩から離れ、蓋のない飼育箱の中に自ら入っていった。居間には誰もおらず、電灯も消えていた。彼は居間から出て、その隣にある此亜の部屋の扉をそっと開く。明かりは消えていたが、カーテンの隙間から洩れている日の光で中の様子が窺える。この暑いのに、此亜は薄手の夏用布団を被って眠っていた。それを確認した雄人はそっと扉を閉じた。
――昨日は寝るのが遅かったし、今朝は真壁に電話するために起きるのが早かったんだから仕方ないか。よし、俺もひと眠りしよう。
雄人は自室に戻って制服から普段着に着替える。起きた時にすぐ出かけられるように、寝間着にはならない。
時間はまだ六時過ぎ。
今の時期、つまり七月半ばともなれば、この時間帯でもまだ外は明るい。如何にカーテンを閉めても明かりがもれるのは仕方がない。しかし彼も此亜と同じように眠気が貯まっていた。 余光とも呼べないほどに明るい光の中で、雄人は眠りについた。
◇
カチッ……カチッ……。
真っ暗な室内に秒針の音だけが響く。
「たはっ!」
部屋の主である雄人は、状態を起こしながら目を覚ますという、漫画のような起床方法を見せる。
ベッドから降り、完全に起き上がった彼は手探りでスイッチを探し、電気をつける。ちかちかと二、三度光が点滅した後、室内に人工の明かりが灯される。
「今は……うわっ、もうこんな時間かよ!?」
雄人の目に飛び込んできたのは十一時四十分という時刻を示す目覚まし時計。彼は机の上に置かれた、蓋のない小瓶をポケットに入れて部屋を後にし、階段を駆け降りた。
そして、此亜の眠る部屋の扉をノックしながら声を掛ける。
「此亜、起きろ! もう夜だぞ!」
部屋の中から返事はない。仕方なく雄人は部屋の扉を開け、灯りをつけてから改めて声を掛けようとする。
「おい、此亜。そろそろ起き……」
そこまで言いかけた所で、雄人の身体が硬直する。身体からは嫌な汗が吹き出し、目は見開かれ、手は僅かに震えている。
雄人は後悔する。
何故、夕方に帰ったときに彼女のことをちゃんと確認しなかったのか。
どうしてそのまま寝かせといてやろうなどと甘いことを思ったのか。
自分がもう少し用心深い人間だったなら、こんなことにはならなかったのに。
部屋の主である少女は――下着姿で眠っていた。
「此亜!!」
「はひぃ!?」
雄人の怒声に、少女は驚いて飛び起きる。何が起こったのか理解できない少女は、目をぱちくりさせて雄人の顔を見た。
「あ、雄」
「あ、雄 じゃねぇ! お前、服は!? いつも言ってるだろうが! 風邪をひくからその寝方は止めろ、って!!」
「だってだって、肌に冷たい布団カバーの生地が当たって気持ちいいんだもん……」
子どものように駄々を言う此亜だが、雄人は聞く耳を持たない。
「だって、じゃない! そんなのは寝始めだけだろうが。大体、朝は日本人の朝食がどうこう言ってた奴が、そんな欧米チックな寝方しやがって……。そんな寝方するぐらいなら、布団を被らずパジャマ着た方がまだましだ。結局、布団もベッドの下に落ちてるし」
「うう、ごめんなさぁい。雄ったら父さんみたいだよ」
「小太郎さんがいない時は俺がお前の保護者なんだから、当然だろ。ほら、もういいから支度しろ」
「支度?」
「髪切り」
「ああ!」
雄人の言葉でやるべきことを思い出した少女は急いでベッドから飛び降りる。
「今何時!?」
「もうすぐ日付が変わるな」
「どうして、もっと早く起こしてくれないの!?」
「俺も寝過ごしたんだよ。それは素直に悪かった」
「うっ、私の方こそ……折角起こしてくれたのに文句言ってゴメン。自分で勝手に寝てたのに」
勢いだけで不条理に息巻いてしまったことに気づき、此亜はうなだれる。
「いいよ、別に。いくら女の子でも、お前はいつもすぐに謝り過ぎだ。俺より寝不足だったはずだし、いつも朝起こしてくれてるんだから、こんなことで謝るな。というか今夜はこのまま寝ててもいいぞ? 起しちまった俺が言うのもなんだけどさ。もう実は風邪引いてるかもしれないし。俺一人でもあいつぐらいは……」
「ううん、行く! 絶対行く!! 今日は迷惑かけないようにするから、連れてって!」
「別に迷惑とかそういうつもりで言ったんじゃないけど……。まあ、行くって言うんなら分かったよ。じゃあ、俺は下で待ってるから。服着たら降りてこい。準備は俺が持っていくから」
「了解!」
ビシッと、敬礼のポーズを(下着姿のまま)とった少女を部屋に残し、雄人は居間の扉を開けた。すると、明かりをつけるよりも早く、チュン子が飼育箱の中から飛び出してきて、彼の右肩に止まった。
「チュン子。戻ってきて早速で悪いんだけど、頼むぞ。相手は分かってるよな?」
「チチッ!」
雄人の言葉に、チュン子は力強く敬礼のポーズを取った。
「雄、お待たせ!」
「早っ!!」
雄人は、僅か数秒の内に服を着て、きちんと角も隠して部屋から現れた此亜に驚く。此亜は、雄人が肩に乗せている存在に驚く。
「あっ、もしかしてチュン子!?」
此亜のその言葉に反応した送り雀が、雄人の肩から離れて、今度は此亜が伸ばした彼女の右手の甲に止まった。
「えへへっ。チュン子だ、チュン子だ」
「チュン、チュン。チチッ」
此亜はひとしきりチュン子と戯れてから、ようやく意識を雄人に向ける。
「チュン子、帰ってきてたんだね」
「ああ。っていうか、今回は俺が直接連れ帰ってきたんだ。まだ七日経ってないから、一晩だけの一時帰還だけどな」
「へぇ」
「とにかく、これであいつを見つけるのは相当楽になるだろ」
「それはそうだけど……ゴメンね、チュン子。折角帰ってきたのに。お仕事で時間をつぶさせちゃって。それでも、お願いできる?」
「チチッ!」
チュン子は再び、力強く敬礼した。
「よっしゃ。じゃあ、行こうぜ」
「うん!」
「チュン!」