4コマ目
「これで終わり……と」
環状に並んだ、大小十六の墓。その中で最も大きい墓の前で死者への冥福を祈り終えた雄人は、目を開けて呟いた。
彼はズボンのポケットから取り出した携帯電話で時間を確認する。
「まだ五時前か……。時間もあるし、いつも通り親父に会っていくか」
左端の墓の横に置きっ放しにしていた通学カバンを持ち上げ、最後に全ての墓に対して一度に頭を下げてから、彼は里を後にした。
箒山には吉備津の隠れ里の他にもう一か所、強力な結界に囲まれている場所がある。もっとも、そっちの結界は、あくまで人に見つからないようにするのが目的のもので、『鬼返し』のような攻撃的なものではない。
その結界の中心は高さ六〇メートルを超すクロマツの巨木。
その松の根元に今まさに横たわっている身長四メートル超の巨大な男。
銀色の頭髪の間からは二本の角が伸びている。
明らかに人外のモノ。
その男こそ国守雄人の育ての親。
そして現代にもその名を強く残す伝説の鬼、酒呑童子である。
多頭の竜と異種族が交わった時にのみ生まれ、今や世界に数人しかいない『竜生鬼』の一柱。それが彼である。小太郎のようにヒトの集合無意識(集合〝的〟無意識に非ず)から生まれた『妖怪鬼』ではなく、宇治の橋姫のようにヒトが何らかの原因で変化して成った『変化鬼』でもない。同じ鬼であっても出生が違う。
「親父、寝てるのか?」
「ん、んん……」
その巨体を転がせて、酒呑童子は雄人の方に顔を向ける。
「おお、雄人か。今起きた。どっこらよ、っと」
酒呑童子は上体を起こし、胡坐をかいた。雄人も彼に向かい合う形で同じ姿勢を取る。
「で、どうした? つい四日前に来たばかりだろう?」
「墓参りのついでに寄ったんだよ」
「ああ、そうか。お前を拾ったあの日から丸十九年という訳か。早いもんだな」
「そうだな……」
雄人と酒呑童子は、この十九年間を振り返ってみた。
今から十九年前のこの日、吉備津の里は滅び、たった一人の赤ん坊だけが生き残った。言わずもがな、その赤ん坊こそが国守雄人である。吉備津の里が燃えていることに気づいた酒呑童子が駆けつけた時、既に里に犯人の姿はなく、至る所に人の死体が転がっていた。しかし、そんな中にたった一人、瀕死ながらもまだ死に至っていない赤ん坊がいた。生まれてまだ一年も経っていないと思われる赤ん坊。酒呑童子はその赤子に自分の命の欠片を与え、生かした。その後、酒呑童子はその赤ん坊を育てることに決め、国守雄人という名前を与えた。
赤ん坊はすくすくと成長した。
ある日、酒呑童子の部下、小太郎が連れてきた彼の娘が雄人の最初の友達となった。言わずもがな、此亜のことである。
「しっかし、今考えても無茶苦茶だよな。最低でも三つは歳の離れてる此亜と俺を同時に小学校に入れるなんてさ」
「ガハハハ、確かにそうかもな。でも、最初から見知った相手がいた方が学校にも馴染みやすかっただろ? 特にお前なんざ、人間社会に降りること自体が初めてだったんだから」
「まあ、そりゃそうだけどな」
雄人が酒呑童子に拾われて幾年かが経過した頃、酒呑童子と小太郎は、雄人を人間社会に馴染ませることを計画した。山から動くことが出来ない酒呑童子の元でいつまでも暮らさせるのは不憫だと、酒呑童子自身が考えたからである。
しかしそのためにはまず、戸籍が必要である。だが、雄人の誕生日は誰にも分からない。とりあえず、此亜と同じ年、同じ日を彼の誕生日として、偽の戸籍を作成することになった。
だが、此亜が生まれたのは雄人が拾われてから三年後のことである。では何故、雄人を此亜と同じ誕生日としたかというと、二人を同時に小学校に入学させるためであった。
「俺は直接見てないから知らんけどな、小太郎の奴が言っていたぞ? 入学式で一人だけ明らかに浮いている男の子がいた、って」
酒呑童子はクッ、クッと笑いながら言った。
「そりゃそうだろうよ。中学の入学式の時も散々在校生に間違われたんだぞ? 俺に道を聞く奴が三人もいたな」
「今初めて聞いたが、そいつは傑作だ!」
今度は大口を開け、酒呑童子は豪快に笑った。
ひとしきり笑って、笑い終わってから、真剣な顔で言った。
「しかしな、問題なのはむしろこれからだ。ちゃんと『引き際』を考えておかないとな」
「そう……なんだよな」
引き際。
それは、国守雄人が表の社会から去る際のことである。
酒呑童子という鬼に命の欠片を与えられることで生きながらえた人間、国守雄人。彼は単に生きながらえただけでなく、鬼の寿命までも手に入れてしまった。
成長速度は人間とほぼ同じ。しかし老化速度は人間の百分の一以下という、鬼の寿命を。
何年も何十年も年を取らない人間などいるはずもない。雄人はいつか、社会的に自分自身を抹殺しなければならなかった。
茨木小太郎が、それを繰り返してきたように。
「まあ、あと五、六年ぐらいは誤魔化せるだろうよ。しかしそれを過ぎると流石に周りもおかしさに気がつき始めるぞ? それまでに心を決めることだな。すまなかった。他にお前を助ける方法が取れなかった儂の責任でもあるんだよな、これは。恨み事があるのなら素直に受け止めよう」
酒呑童子は真剣な顔つきのまま、真っ直ぐに雄人の顔を見る。雄人はそんな彼を見て、ふっ、と笑って言う。
「何言ってんだよ。親父がいなけりゃ俺はその時死んでたんじゃないか。感謝はしても恨み事なんてあるわけないだろ」
「そう言ってくれると助かる」
硬くなっていた表情を柔らかくし、鬼は微笑した。
国守雄人に残された猶予。
彼が普通の人間として暮らせる猶予は残り少ない。自分自身を社会的に抹殺した後は、当然、もう友人たちと会うことは出来なくなる。少なくとも、彼らの友人である国守雄人としては。
「…………」
ドンッ!
「うわっ! な、なんだよ親父!?」
俯き、これからのことを考えていた雄人は、酒呑童子に突然肩を叩かれて、慌てて顔を上げた。
「何をしんみりしてやがるんだ! なにも、一人で生きていくわけじゃあるまいに。お前には儂も小太郎も、それに此亜ちゃんもいるだろ?」
「……えっ?」
雄人は思い出す。幼なじみである、鬼の少女のことを。
――此亜……。そうだ。此亜にも当然、真壁や他の友達と別れなきゃならない日が来るんだ。その時、そしてそれから、誰があいつの側にいてやれるんだ? ……そんなの、俺しかいないじゃないか。だったら、自分の別れを悲しんでる暇なんてないんだ。
決意によって、雄人は俄然元気を取り戻す。
「親父、ありがとう」
「あん? なんか良く分からんが、どういたしまして」
「じゃあ、もう今日は帰るわ……あ! 大事なこと忘れてた」
突然、雄人が声を上げる。
「チュン子を一旦連れて帰りたいんだけど」
「チュン子を? 何でだ?」
「いや、実はさ。昨日、髪切りって妖怪を取り逃がしちまってさ。今日も探しに行かなくちゃならないんだよ」
「なるほど、そういうことだったら……おい、チュン子!」
酒呑童子は空を向いてそう叫んだ。すると、どこからともなく一匹の小鳥が飛んできた。普通の人間が見ればちょっと変わったスズメにしか見えない小鳥、鳥類に明るい人間が見ればアオジにしか見えない小鳥が。
「ようチュン子、元気してたか?」
「チチチッ。チュン、チュン」
チュン子と呼ばれた小鳥は雄人の肩に止まり、愛らしい仕草で彼に擦りつく。
送り雀――妖怪変化の気配を探ることに長ける妖鳥。
チュン子は、此亜が赤ん坊の頃からペット(兼『対妖怪変化用防犯アラーム』)として飼っている送り雀である。箒山で生まれたチュン子は、雄人にとっては、同郷者とも言える存在である。
送り雀は、定期的に山の精気を吸わなければ生きていられない。酒呑童子の提案で、月に六日間だけ、彼がチュン子をこの山で預かっているのだ。
「まだ四日しか経ってないけど、大丈夫だよな?」
「心配ないだろう。そもそも月に三日ぐらいでも十分なはずだ。色んな不測の事態に備える意味合いも込めて、その倍に設定してる日数だからな。六日っていうのは」
「それなら、いいんだけど。とにかく、助かるよ。チュン子がいればすぐに見つけられるな」
「それにしても、髪切りか。儂も昔何匹か遭ったことがあるが、あんなのに逃げられたのか?」
「まあ、色々あったんだよ。色々」
此亜の失敗を、本人のいない所で話すというのも気が引けた雄人は、曖昧に誤魔化した。
「ふぅむ……。まあ、深く追求するのはやめておこう。じゃあ、今度こそ頑張れよ」
「ああ。じゃあな、今度来る時は此亜も連れてくるよ」
「おう、その時を楽しみにしているぞ」
雄人は今度こそ育ての親に背を向けて帰ろうとする。しかし、その背中に再び酒呑童子の声が掛けられる。
「ん? おい、雄人」
「なんだよ?」
「制服の脇腹ん所……それ、焦げてるんじゃねえか?」
「へ?」
雄人は自らの左右の脇腹を確認する。酒呑童子の指摘通り、彼の制服であるカッターシャツの右脇腹部分に、焦げた様な小さな穴が開いていた。
「何だろ? 昨日アイロンあてた時に焦がしてたのかな?」
それすらも、分からないことを考えるのを煩わしがった、雄人の『都合のいい解釈』であった。
「おいおい、気をつけろよ。火事になったらどうする気だ?」
「これからは気をつけるって。じゃあな」
雄人は酒呑童子に背を向け、肩にチュン子を乗せたまま山を降りて行った。