3コマ目
帰宅するためのものとは逆方向の道を歩き、雄人は『箒山』へと向かった。
山を登り始めて三十分もしない内に目的の場所に着いた。彼の生まれ故郷に。
多くの家は完全に焼けてしまい、今や跡形もなくなってしまっている。僅かに形を残す少数の家屋も、嘗ての面影よりも、むしろ破壊の爪痕を見せつけるかの如く凄惨な姿をしていた。
吉備津一族――その昔、悪鬼狩りとして名を馳せた退魔の眷族。陰陽師の一派から発展した一族。
ある時生まれた、後の〝鬼の王〟とその仲間たちの活躍によって、人に仇なす悪鬼そのものが殆どいなくなってからというもの、吉備津一族は表舞台から去り、結界を敷いたこの隠れ里で細々と生き続けていた。
そうしてとりあえずは存在し続けていたこの一族の居場所は、雄人がまだ赤ん坊だった時『何か』によって滅ぼされた。彼一人を残し、一族の人間全てが死に絶えたという。
雄人も瀕死の状態ではあったものの、彼を拾った男に命の欠片を貰うことで生き延びた。その後、彼はその男に育てられることになる。そしてその男が、雄人にとっての『親父』となった。
「いつ見ても殺風景だな、ここは」
それは、性質の悪い皮肉とも取れる言葉であった。雄人が今見ているのは、いうなれば本当に『殺された里』の風景なのだから。
それでも彼の生まれた地には違いない。雄人は、木の枝やら石やらで作った墓全てに手を合わせて回る。里にあった全ての屍が、彼の親父の手によってそれぞれ埋葬されている。
この墓のどれかが、彼の本当の両親のものであるはずだ。もしかしたら祖父母のものもあるかもしれない。兄弟のものもあるのかもしれないが、雄人に兄弟がいたかどうかすら、今となっては分からない。
最後の墓、列状に並んだ墓の中で最も右端にある墓に手を合わせ、この場所を去ろうとした雄人の目に飛び込んできたのは、彼をじっと見つめる、見知らぬ、橙色の髪の少女であった。
「は?」
思わず雄人の口から小さな声が漏れた。
この里には結界が張ってある。といっても、鬼の侵入を防ぐための専用である『鬼返し』の空間結界、そして『隔絶』の領域結界。その残滓に過ぎないものだが。
それでも、力のない鬼が入ろうとするとその身を弾かれるし(此亜がその例の一つだ)、普通の人間なら、この場所を見つけることすら不可能。
ならば、今彼の目の前にいる彼女は、それ相応の力を持つ妖怪変化の類か、或いは普通ではない人間か、ということになる。当然、雄人にもそれは分かっていた。
「やあ、坊主」
少女はやけに馴れ馴れしい口調で雄人に話し掛けてきた。もし彼女が人間ならば、見た目で判断すると雄人より少し年下といったところであろう。
それなのに、彼女は雄人を坊主だと呼ぶ。
正体不明の少女の登場に、雄人は臨戦態勢に入った。
「へぇ……」
雄人が臨戦態勢に入ったのを見て、少女は口元を歪ませてにやりと笑う。
そして、
「!!」
一瞬で、彼女は青い火球を三つ創り出し、それを雄人に向けて放った。間一髪で反応した雄人は、後方へと跳ぶことでなんとかそれをかわす。目標を失った三つの火球は地面にぶつかり、消滅した。
あらゆる可燃物を燃やす現世の炎ではない。燃やせと命じられた物質だけを燃やし尽くす疑似生命的な炎。明らかに、術によって創られたものであった。
「てめえ、いきなり何すんだ! なんでこんなことを!」
雄人は先ほどと変わらない場所で立ち尽くしたままの少女を睨みつけて叫んだ。すると彼女は急に高笑いを始める。
「ハッハハハハハハハッ! いきなり、だって? 何故、だって? 災厄なんてものはいきなり訳も分からずやってくるもんだろ? 常に備え万端で戦えるものだと思っていたのか? 自覚がなければ敵はいないとでも思っていたのか? お前みたいな奴ばかりだから、吉備津はあんなにあっさり滅びたんだ」
「なっ!?」
それは雄人にとって、目の前に突然見知らぬ少女が現れたことよりも、その少女に突然火球を投げつけられたことよりも衝撃的な言葉であった。彼女の言葉の裏にあるものが、容易に想像出来たからである。つまり、この少女こそが吉備津を滅ぼした張本人であるということが。
この少女が人間ならば、確かに年齢的には矛盾が生じる。といっても、もし彼女が見た目が若いというだけなら、完全な矛盾にはならない。しかし、幾ら多めに見積もっても四歳や五歳の幼子が、仮にも高名な退魔の一族の住む里を滅ぼしたとは考えにくい。
しかし、この少女が人間であるという保証はどこにもない。それに、もし仮に彼女が人間であったとしても、雄人と同じような境遇の人間ならば幾らでも説明はつくのだ。
つまり彼女が『人外の寿命を持つ人間』ならば。
「ほらよっ!」
「うっ!」
再び火球が、今度は二つ、雄人を挟み込むように放たれる。ぶつかる直前に上へ飛び跳ねることで何とかこれもかわすが、その後も火球は次々に飛んでくる。雄人はそれを避けるために動き回るだけで精一杯であった。
「どうしたんだ? 見せてみろよ、最後の吉備津の力ってヤツを! ハッハハハハ!」
「くそっ! ふざけやがって!!」
「っ!?」
覚悟を決めた雄人は、多少身や服が焼けることを承知で特攻を仕掛ける。それほど離れていた訳ではない二人の距離、雄人のその行動を予測していなかった女の怯み。その二つが幸いし、雄人は、脇腹を掠った火球で、僅かに制服を焦がしただけで、彼女に手が届く間合いにまで接近した。そして、その顎に強烈な殴打を浴びせる。
「うっ……、くっ!」
ボゴォッ! と、骨が砕ける音が響き、少女はよろめく。
並の人間ならば頭部ごと吹き飛ばせるだけの威力を秘めた雄人の殴打。しかし彼女は倒れることなく、足を踏ん張って、立ったままで耐えている。
雄人は続けて第二打を撃ち込もうとするが、少女はカッと目を見開いたかと思うと、雄人が突き出した腕を両手で掴み、彼を持ち上げた。そしてそのまま、ハンマー投げの要領で投げ飛ばす。
「っ痛!」
顔面から地面に叩きつけられた雄人は苦痛に顔を歪ませるが、それも一瞬。すぐさま立ち上がり、少女を見る。彼女は口元から血を流し、辛うじてその場に踏み止まって、雄人を睨みつけている。
そして叫んだ。
「どうなってるんだ、アンタは……。何だ、その馬鹿力は!? 吉備津は術主体の戦闘スタイルじゃないのか!」
「知るか。俺は吉備津としての修行なんてしたことはねぇんだよ。俺の師は親父だけだ」
「……なるほど、そうか。彼の御高名なる親父殿からの直伝というわけか。ハハハハッ。アタシでは確かに分が悪いかもしれないね。真っ当な手段では。流石に先ほどの一撃を、もう一度喰らってもまだ笑っていられる自信はない。ハハハハハハッ」
『だから今は笑おう』と、そうとでも言いたげな様子で、彼女は笑う。
しかしその笑いはさっきまでのような、他人を馬鹿にしたような笑いではない。乾いた笑いであった。
「お前、親父のことまで知ってるのか?」
「寝惚けたことを言うなよ、小僧。アンタのことを知っているということは、当然、アンタの言う『親父』が誰を指すものなのかも知っているということだ。そしてアンタが『親父』と呼ぶ男のことを知らぬ者など、この業界にいるはずもない」
「業界、か。お前、本当に何者なんだ? 人か? 妖怪か? 変化か?」
「どっちでもいいだろう、そんなこと。返答次第で態度を変える気か? だとしたらとんだ種族差別だな。……まあ、別にアタシとしてはその質問にぐらい答えてやってもいいんだが、少なくとも、今答えたところで無駄になるんでね」
少女はそう言って、両手で自分の顔を叩き、気合いを入れる素振りを見せる。それを見た雄人は身構え、攻撃に備える。
こいつには勝てる。雄人は確信していた。油断さえしなければ苦戦するような相手でもないだろう、と。それでも万一ということがある。最後にとっておきの技を残している可能性もある。だからこそ、彼女から一切目を離さず、その動向を見守る。下手な特攻もしない。
しかし、少女の最後の技は、雄人の予想を超えていた。
しばらく目を閉じ、一言何かを呟いたと、彼女の体は、爆散した。
「なあっ!?」
予想外の出来事で、唖然とする雄人。しかし、それがいけなかった。彼はすぐさまその場を離れるべきだったのだ。爆散した少女の体はやがて黒い霧となって辺りを覆った。
「しまっ……!」
気が付いた時にはもう手遅れ。黒い霧は雄人の体内に侵入し、彼はそのままその場で倒れ込んだ。