第十二話 渾沌なる大王
「な、ん……ッ!?」
「ウソ!?」
「ほぇぇぇ」
突然の出来事に身構える俺たち。
俺たち三人の居る床の、両隣の石畳が砕ける音と共に落ちた。その場所に底も見えない大穴が出来る。
「きゃああ!!」
「ハルナ!?」
遠くなる悲鳴に次いで支援部隊の一人が名前を叫んだ。
顔を向けると、悲壮な顔をした数人が突然出来た穴の底を覗いていた。
それで俺たちも気付く。仲間が、大穴に落ちてしまったのだ。
「確認しなさい!」
「まだ死んでは……あ! 今、保健室に送還されました!」
「穴の底に墜落した? いえ、強制的に送還されたようね……」
その髪と同じ金色の眉を歪めてエーリカが呟く。
基本的に学生が保健室に送還されるのは、体力ゲージがゼロになると送還されるかどうかの選択肢が出て、それのYESを選ぶことでなるのだが、先ほど落ちた少女は体力ゲージがゼロになるのと保健室送還とのタイムラグがほとんど無かった。つまり予想できるのは、ある程度の深さまで落ちてしまうと、強制的に保健室送りになってしまう、というものだ。流石に検証することは今は出来ないが、そう考えて問題ないだろう。
――それよりも……。
周りを見渡すと、【王座の間】は虫食いのように床がなくなっていた。床の全体の約3分の2ほどは大穴となり、残りの3分の1は断崖絶壁の上にある細道のようになっている。
よく見れば、それは正円の穴ではなく、床に敷き詰められた正方形の石畳毎に綺麗に落ちている。まるでクリアまであと数手のマインスイーパーのようだ。
恐らく原因はあの黒い光。大王の右手が光ったあの時に同時に光った石畳だけが落ちる……というカラクリなのではないだろうか。知っていれば対処は簡単だが、初見ではかなり厳しいだろう。
「――各自、態勢を立て直しなさい!」
しかし、まだ俺たちは天に見放されてはいないようだ。
多くの床が崩落したというのに、【魔法少女連盟】の面々はほとんどその数を減らしていなかった。被害は10人にも満たないように見える。それはあの一瞬の出来事からしたら奇跡とも言えた。
「てッ、やぁぁぁあああ!!」
「な、の、らァァァァァ!!」
「終焉を、迎えなさい……!」
「みんな頑張って~」
そしてこの場面で気になるボスはと言えば、どうやら今は七火たち、恐らく幹部の者たちが4人だけで応戦していた。
――否。そうするしかない状況だった。
斑に開いた大穴のせいでボスへ至る道は真っ直ぐ前進とはいかなくなった。だが巨人なる大王はその身体からは想像もつかないほどに身軽で、大穴を飛び越えてくる。うかつに近付いて一撃でも受ければ大穴に落ちてしまうかもしれない。トップギルドの流石の精鋭と言えど、この状況でボスの動きに付いて行けたのは幹部連中だけだったのだ。他のメンバーは一旦前線から離れ、態勢を整えている。
「わたくしたちも行きますわよ!」
『はい!』
『了解!』
俺たち支援部隊も援護のために前に進んだ。
◆○★△
「――――ふんッ!!」
三度となる大小の拳の衝突。
威力は互角。故に相殺。互いに一瞬だけ硬直し、そして同時に再び動き出す。
最前衛を担う七火は背後の仲間を守るため、大王の巨体から繰り出される攻撃を全て一人で受け止めていた。彼女には、それが出来る。相手の攻撃手段が肉弾戦だったのは幸いだ。たぶん呪文主体ではこうはいかなかった。大王の攻撃を受けられるのは右手のみ。故に自分の土俵という条件は有り難い。その条件であれば勝てないまでも――自分は負けない。
「でぁいッ!!」
撃突。
連波のように押し寄せる巨岩が如き敵の攻撃に対し、加速させた右拳を合わせる。
合わせる。合わせる。合わせる。合わせる。合わせる。
――否。
逆に言えば、合わせることしか出来ない。反撃に出られない。
それは信頼する仲間が背中を守っていても同じだった。
「とりあえず時間を稼ぐのら!」
半径30メートルはある大穴を挟んで大王と正反対の場所に居る小柄な少女が叫ぶ。
オレンジ色の長髪を右サイドで結いだ三つの尻尾、両肩を大胆に出したフリルたっぷりのミニスカドレスを纏い、腰からは一対の翼を模した大きなリボンを垂らしている。小さいその手に構える武器は上端がCの字のようになっている金属製の長杖だ。気の強そうな琥珀の瞳と自信を表す笑みを見せる口端はしかし、彼女の幼さをこれでもかと強調していた。
ともすれば、小学生にも見えるこの少女こそが、MLO二大ギルドと呼ばれる【魔法少女連盟】の盟主――【なのら】である。
頭側の三尾を後ろへと流し、少女は火炎の砲撃を腰だめに放つ。
大焔の火柱は大王に直進して装飾に彩られた長袍の肩を穿ったが、まるで小虫がぶつかったかと言わんばかりに鬱陶しそうに身をよじるのみ。事象が消え去った後には穴はおろか焦げ跡すらない。当然、ボスの体力ゲージも雀の涙ほども減ってはいなかった。
流石のなのらも単身でレイドボスにまともに攻撃を通せる、などとは考えていない。宣言通りの時間稼ぎ。ギルドメンバーが安定して戦闘が出来る状態になるまでの間を。
「フフフフフ……了解。こういう展開は割と好みよ……
【汝、会得すべし
人より塔を作れ
腐を去らしめよ
直ちに実を作れ
然らば汝、富まん
死を失え
個と無とより
かく魔女は説く
菜と葉を作れ
茲に於いて成就せん
即ち救は逸にして
都は令に他ならず
これを魔女の苦句となす】――――【〈滅焔〉】」
桃色のゴスロリドレスを纏う背の高い少女が歌を紡ぐような詠唱を囁いた直後、彼女の正面に淡い紅色の光で描かれた直径1メートルほどの円が現れる。円内には正三角形が描かれていた――『魔法陣』だ。
同時、魔法陣から黒い炎が噴出した。黒炎は渦を巻き、螺旋を描いて大蛇のように大王を飲み込まんとする。そのギラギラとした煌めきと轟音すら漏れるうねりの速さは黒炎の密度の濃さ――ひいては火力の高さを物語っている。
対して古城の大王は初めて防御らしい姿勢を取った。己の体を庇うように大炎の黒蛇へと左手を差し出したのだ。
「フフフフフ……喰らい憑きなさい」
次の瞬間、大王の左腕が炎上した。否、炎に取り憑かれた。
黒炎の事象は未だ消えず、絶えず左腕に纏わりつきその身を焦がす。
「――って、長いよ!? みー、だから『始動キー』長いってぇ! せっかく呪文が短いのに意味ないでしょ! さすがにボス戦なら短くしてるって信じてたのに!!」
「…………フフフフフ、フッ。我が前世の助言にただ従っているだけのこと。悔い改める気は一切――無い」
巨腕を捌きながら文句を叫ぶ七火に向け、ゴスロリの長身少女――【魔法少女連盟】幹部の一人【無未】は右手を一文字に払って、そう吐き捨てた。
「あらあら。七火ちゃん怪我しちゃってるわよ?」
戦場についぞ似つかわしくない明るく暢気な声音が届く。
太い一本の長い三つ編みを肩から前に回した女性が七火の後方にちょこんと立っていた。
膝上までを隠すオーバーニーソと肉感的な体のラインが分かるぴっちりとしたタイトスカートに挟まれた肌色の絶対領域が眩しい。
シンプルな意匠の半袖のシャツは自己主張の強い二つの膨らみを窮屈そうに覆っている。
そして両手を包む薄生地の手袋。小さい靴。頭に乗る帽子。
彼女の装束はその全てが白かった。見紛うことなきナース服。
穏やかで、麗らかで、優し気で、ちょっと天然なその雰囲気。
彼女に理想の看護師を見る者も少なくは無い。
「あら? あの子たちもまだなのね……いいわ、ちょっと待っててね? ――【そんなあなたを癒しちゃう】【お水さん、みんなを癒してちょうだい】♪」
にっこりニコニコ両手を広げ、白衣の天使は癒しを振り撒く。
キラキラとした小さい光が無数に宙を舞った。
それは輝く水滴。恵みの雨のように、朝焼けに沁みる霧のように。
最前線の七火を始め、後方に居る仲間たちにも降り注ぎ包み込む。
光る雫は、少女たちの体力ゲージを問答無用に癒した。
「サンキュ、りーちゃん!」
「ふふ。頑張ってね~」
天使の微笑みを浮かべる彼女――【魔法少女連盟】幹部の一人【菜璃】は小さく手を振った。
恐らく、カラムスがこの場に居ればその頭を悩ませただろう。
無未、そして菜璃。
彼女らの詠った呪文は彼の考察した呪文の法則とは明らかに違っている。
しかし、彼女らは問題無く扱っていた。それは未知なる強力なタグを持っているからに他ならない。
一般学生……いや、ギルドの精鋭と比較しても突出した能力を誇る幹部たち。彼女たち一人一人がMLOの世界ではトップクラスの魔術師なのだ。
――だがやはり、それでも足りない。
「ガッ……くぅ!!」
現状は七火の脅威的な身体能力と異常ともいえる右拳でボスの攻撃一切を防いでいるに他ならない。
けれど、それにも限界はある。トッププレイヤーの幹部たちといえど、やはりレイドボスに数人だけで挑むには圧倒的に攻撃力に難があった。
前衛を一人で担う七火に掛かる負担の大きさに比例して、当然の如く彼女の疲労は加速度的に蓄積していく。
仮想世界であるMLOには肉体的疲労は無いが、その分が脳に直接来る。切迫した極度の集中状態の連続に七火はこめかみがピリピリとする痛みを感じていた。
脳の疲れは、体に影響する。
「あっ……!」
タイミングは合っていた。
ただ、拳に速度が乗っていなかった。
初めて七火は大王の巨腕殴撃を相殺出来なかった。胴体は辛うじて拳から避けたが、右手は体が持っていかれそうになるほど強烈に弾かれた。
七火の体勢が崩れる。前衛が、崩れた。
『――儵と為らんや、忽と為らんや――』
己の攻撃の慣性に乗って、そのまま巨人は前に歩を進める。
「やっば!」
声を上げる七火。
しかし時すでに遅し。
彼女の横には巨木が如き脚が降り立った。
――前衛を抜かれた!
ボスの狙いは後衛陣だ。なのらや無未の強力な火力でガンガン憎悪値を蓄積していたのだからそれは当然の結果といえる。
七火は直ぐにでも追ってボスと後衛との間に入りたい。
しかしそれは叶わない。体勢を直している間に大王はもう一歩踏み出している。
大王は身長30メートルはある巨人だ。無論、歩幅もそれに比例して大きい。
七火が体勢を整えた時点での大王との距離は約10メートル。
更に直後、大王が――跳んだ。
「「「!?」」」
ボスの特殊能力で出来た大穴を、その超々重量級の巨体が有り得ないほどの身軽さで跳び越えたのだ。大穴は幅20メートルほどの横長に切り落とされた崖だ。流石に跳び越えるのは七火の身体能力でも無理だし、大穴を回り込むのにも時間がかかり過ぎる。七火は完全に置き去りにされた形となった。
「きゃっ!」
菜璃の傍に恐怖の大王が轟音と共に着地する。
立ち上がる瞬間、冠から垂れる玉飾りの隙間から赤く光る瞳が覗いた。
その瞳が、白衣の少女を射抜く。
「……あらあらぁ」
菜璃は支援特化型の魔術師だ。しかも遠距離攻撃ならともかく、至近距離でレイドボスを相手に出来るような運動神経は持ち合わせていない。どころか、生来ののんびり気性もあって運動音痴レベルですらある。
『――眼無し、耳無し、鼻無し、口無し――』
距離を取ろうとするが、大王は既に腕を振り被っていた。
その手には、いつのまにか闇色の単剣が。
「菜璃!」
「させるかっ、なのらぁぁぁぁ!!!」
「瞋恚の炎に焼かれなさい……!」
七火が走るが距離は遠い。なのらの砲撃、無未の炎撃がそれぞれ大王に直撃するが、僅かに体力ゲージを削るのみ。大王の行動は微塵たりとも阻害出来ていない。
『――無貌、故に無面目――』
無慈悲なる一閃が菜璃に降りかかった。
「……!?」
「撃てェ――――!!!」
漆黒の巨剣が菜璃を捉える直前。
数十に及ぶ様々な属性の攻撃魔術が、怒涛の如く大王の横っ面に降り注いだ。
大穴の混乱から立ち直り、再編成を終えた【魔法少女連盟】のギルドメンバーたちだった。
かなりの魔力を注ぎ込んだのか、一つ一つが強烈な威力を持つ。それでもレイドボスには微々たるものではあるが、流石に数が数だ。さしもの大王もその衝撃に押され体を傾けた。
「すみません遅くなりました!」
「よーし、やってやるッスよー!」
「まあまあ」
「ですわですわ!」
重武装の前衛部隊がボスの前に雪崩れ込む。危機一髪だった菜璃は後衛部隊に囲まれて安堵を息を吐いている。
「おまたせっ!」
同時、大穴を回り込んでいた七火も合流。
【魔法少女連盟】のメンバーがようやく再集結した。
「よぉ~し!」
中央に盟主なのらが陣取り、杖を掲げる。
「みんなのチカラ、見せつけてやるのらぁぁぁぁ!!!」
『おー!!』
第3ラウンドが、始まった。
◆○★△
レイドボスである渾沌大王は、MLOに数多に存在する他のボスたちの多分に漏れず、体力ゲージの残量によって行動パターンや攻撃方法などが変化する。体力ゲージが8割を切った時、今まで肉弾攻撃のみだった大王はその手から単剣を生み出した。中国の時代劇などに出てきそうな両刃の片手用直剣を演武の動きで振り回す。それは一見攻撃の射程が変わったようにしか思えず、【魔法少女連盟】の面々も特に対応は変えなかった。
しかし、剣を振って五合を過ぎ、大王が再び上段に構えた時。
片手で扱っていた単剣を両手で掴んだと思った直後、単剣が上下に伸びた。
柄は長くなり石突が膨らみ、そして剣先は複雑にうねり左右に三日月が生まれる。
黒い単剣は、『戟』と呼ばれる長柄の武器に変化した。まるで影を捏ねるようにして。
大王が振るう武器は、数合の打ち合いの度にその形を変えていった。戟から三節棍に、そして護手鉤、双刀、圏、鞭、矛、青龍刀と変異し、その都度攻撃パターンすら変更してくる。
ふくよかだった大王のシルエットも、次第に筋骨隆々のそれに変異していた。
当然、それに比例して攻撃も苛烈さを増していく。
「うぉああああああ!!!」
「なっ、のっ、らぁぁぁぁぁぁ!!!」
「薪尽火滅を受け入れなさい……!」
「お怪我~、どなたかお怪我はありませんか~?」
だが、彼女たちは耐えていた。
幹部4人を筆頭に、攻撃、防御、回復と、全てギリギリの所でどうにか均衡を保っていた。疲弊は勿論あるが、ボスの体力ゲージも着実に減ってきている。
――だからこそ、皆の心に常に不安は付き纏っていた。
もう直ぐだ。
あと少しで、大王の体力ゲージは三分の一を切る。
半分を切った時点では特に劇的な変化は無かったが、ボスの行動パターンが切替わるポイントが絶対にある。それは言葉にせずともその場にいる誰もが確信していた。
そして――――
『――耳目にして無、鼻口にして無――』
三度、大王に変化が現れた。
予想はしていたことだが、それでも戦場に動揺が走る。
大王の動きが止まり、おもむろに己を抱きしめて俯いた。
「……!?」
「みんな下がって! 何をしてくるか分からないよ!」
七火が後方に向けて叫ぶ。その指示に動揺しつつも部隊全体が後退した。
直後。
『――腕脚にして陸、鵬翼にして…………陸――』
ボコリボコリボコリッ、と沸騰したお湯のように大王の背中が爆発的に膨張した。
大きくなった背中に押されるように大王が前向きに傾いていく。
その動きに合わせて、正面の【魔法少女連盟】の皆も後ずさりした。
『――ギギギィィギギィギ…………ゴガァアッッッ――』
そして大王の頭が地に着く、という瞬間。
膨れ上がっていた背中がドンッ!! と破裂した。
直後に白い花弁が開いた――かと錯覚してしまうような光景。
しかし、実際は違う。大王の両肩からは間接が二つほど多い二本の裸腕がにゅるりと伸長した。まるで死人のもののように青白い腕だ。大王本体の体格からすれば細長い印象を持つ。しかし、大王自身が身長30メートルの巨人だ。関節が3つある細長い両腕は、左右に伸ばせば大王の身長に匹敵するほど。まるで白い大蛇が肩上から二匹くっ付いているようにも見える。
同時、背中からは白い翼が三対現れた。天使の翼……というよりも、どちらかというと昆虫や蜘蛛の足のように見える細く長い六枚の翼だ。
白い二本の腕と六枚の翼、それらが背中から伸びるようにして現れたため、花開いたように見えたのだ。
ボトリ、と大王の頭に乗っていた冠が落ちた。
同時にバサリと長い黒髪が零れ落ちる。垂れ下がる。下がる。下がる。
顔も首も黒髪に覆われてしまう。黒髪が、大王の躰を浸食していった。豪奢な衣服は長い黒髪に塗れ、もはや外見は獣のそれ。全身を漆に浸したかのように、ぬらりと光る黒き毛皮、白き六翼の巨獣。
薄暗い王座の間にその漆黒の体はぼやけ、肩から伸びた二本の裸腕と白い翼だけがはっきりとした輪郭を見せていた。
――間違うことなき、化け物。
「フフフフフ、成程。『四凶・渾沌』……色々と混ざっているけど、全身の長い毛と顔無し、そして6本の脚と6枚の翼は伝承通り。つまり――」
「――ここからが本番ってことだよね!」
無未の言葉を引き継ぐようにして、意気揚々と七火は吠えた。
セリフを奪われた桃衣の少女がフッと苦笑したのは疲労ゆえの強がりか、それとも本気で余裕と思っているのか。
ボスの体力ゲージの残り、あと三分の一。ラストスパート。
しかし、それは敵にとっても同じだった。
『――ギギ……ギ――』
渾沌大王の攻撃は更にその脅威を増していく。
「ちょっ……!?」
「飛ん、だ!?」
「まあまあ!」
「ですのっ、ですのっ」
ばさり、ばさりと大きく六枚の翼を羽搏かせた直後、尻から持ち上がるように大王が宙に飛び――浮いていく。
体格が体格だからか、やはりその超々重量級の躰では自由自在に飛び回るということはなく、ただ40メートルほど宙に浮いただけに留まった。
『――あはぁ。ふひっ、ふひヒヒヒぃ――』
六翼の黒獣が嗤う。顔も無いのに嗤う。
「笑った!?」
「気持ち悪い……っ」
嗤いながら、爪も指も毛で覆われた四肢の先端を眼下のプレイヤーたちに向ける。
直後、豪雨が彼女たちを襲った。肌打つそれは雨粒――ではなく、肌刺す漆黒の毛針。大王の全身から飛ばされる髪針に少女たちはガリガリと体力ゲージを削った。
通り雨的にすぐに止んだが、依然として上空に佇む黒き巨獣。次に何をしてくるにしても、全てが脅威と成り得る。
「あ……これ、やっばい」
いち早く、七火がそれの危険性に気付いた。
まず、敵が上空に居るために七火自身が戦闘に関われない。しかしこれは七火だけではなく、壁部隊の全員に当て嵌まる。大王はもはや前衛の壁を越えて後衛に直接攻撃出来る。制空権を独占されてしまった影響は絶大だ。
「撃てー! 撃ち落とせ――ッ!」
『おおおおおおおおおおおおお!!』
【魔法少女連盟】の面々は上空の的を撃ち落とすことに躍起になっていた。その心情も理解できる。得体の知れない黒くて羽が生えていて毛深い不気味な敵が自分の頭上に居るのだ。早く視界から消したいと思うのも当然の心理。
だがしかし、こと現状においては既に下策と言わざるを得ない。相手は既に上空へ昇ってしまったのだ。
身長30メートルの渾沌大王はプレイヤーが人形に見えるほどの巨体。それが40メートル以上の上空に浮いている状態。それを撃ち落とせばどうなるか。
「よし! 落ちてくるよー!」
「やった!」
「って、え? あれ……こっちに落ちてこない?」
「……うそん」
「ちょっ。に、逃げてぇぇぇ!!」
「あああやっぱりぃ~~~!!」
「まあまあ!」
「ですわですわ!」
当然、自分たち目掛けて落ちてくる。
しかも、正面の面積だけで既に彼女らのほとんどを押し潰すことの出来るほどの巨大な身体を持つ大王だ。いくら回避しようとしても今からでは恐らく半分の者は超々重量プレスの直撃を喰らうだろう。
それが分かっているからこそ、なのらを含む十数名は必死に攻撃を加えて大王の落下軌道をズラそうとした。されど、大王自身も絶好の攻撃チャンスだとでも言うように翼を動かしてなのらたちの攻撃に流されないように軌道を修正している。火炎、水流、豪風、岩塊に撃たれながらも、大王は此方に向けて真っ直ぐに落下を続けながら肩の白い腕を振り被った。
地上40からの落下加速+全長30メートルの超々重量+振り被りからの殴撃。
現実的に考えれば馬鹿げた量の運動エネルギー=超絶な破壊力。それに加え広範囲ときている。七火の有り得ない威力を見せる右拳でさえ、大王の通常殴撃と互角だったのだから、これが直撃すれば果たして何人が一撃死になってしまうのか。
『――ヒャハ。クヒくひゃっハァ~ァ~ァッッ!!――』
癇に障る嗤い声が空から降ってくる。
確実なる死が、近付いて来る。
「止ま、らない……!」
「どうしよう、もう避けられ――」
「うがあああ! 邪魔なのらぁぁぁ!!!」
「あらあら」
「まあまあ」
「ですわですわっ」
誰もが頭上を見上げていた。
隕石にも似た脅威が降ってくるのに必死に抗いながら。
互いの距離は残り約10メートル。重力加速はすでにかなりのものになっている。
「ッ!!」
そして死を悟った。
攻撃の手を休めないまま、誰もがそれを覚悟した。
現在MLOでは体力ゲージがゼロになったら復活の手段は無い。蘇生に関する魔術や薬がまだ開発されていないからだ。
つまり保健室送りは確実。それはレイド戦失敗を意味する。
そもそもレイド戦自体が初挑戦なのだ。普通なら通常のボスでさえ数回の挑戦は当たり前。一回目で勝つほうが珍しい。
でも。だけど。それでも。
勝ちたかった。皆で勝利の喜びを分かち合いたかった。
【魔法少女連盟】は元々とある女学園に通う7人の生徒が立ち上げたギルドだ。それは仮想世界でクラブ活動をしているようなものだった。
想像以上のリアルな世界での冒険は、実際に命を掛けているような気持ちにさせる。それらは彼女たちの絆を確実に深めていった。次第にギルドメンバーも増えていき、MLOにおいて『二大ギルド』と呼ばれるまでになった。
全員が女性、且つ全員がMLOにハマったという共通の趣味があり、そして幹部たちの絶大なカリスマもあって、今まで特に人間関係のトラブルも無く楽しく活動してきた。
そんな彼女たちがひとつの区切りとしてやってみようと思い立ったのが、未だ誰もクリア出来ていない【大王古城跡】のレイドクエスト攻略。
実行は上位プレイヤーのみになってしまったが、それに至るまでの準備はギルドメンバー全員の総力をあげて行っていた。地道にダンジョンのマップを開拓し、レベル上げや装備の充実に勤める。本当ならギルドメンバー全員で実行したかったのだが、とある情報が入ったために作戦の日時を急遽繰り上げたのだ。
一回目の挑戦で勝てるなんて思ってはいなかった。
……いや嘘だ。本当は少し軽く考えていたのかもしれない。MLO最高峰のプレイヤーである幹部たちが居ればあるいは――そう思ってしまっていたのだ。甘く見ていた。極論、油断をしていた。
だから此処で負けるのは当たり前だったのだ。仕方ない。当然の結果だと。
――嗚呼、だけれど。
『――ギギアガアガァァアアァッッ――』
暴威が落下してくる。少女らを飲み込まんとして。
それを見た七火の心にも漸く諦観が生まれた。化物の照準は後衛部隊。対してハチマキの少女の眼前には前衛部隊が逆に壁となっていて落下地点に移動できずにいた。
アレが直撃すれば後衛部隊半壊はほぼ確実。それは火力が半減することを意味し、同時にボスを倒すための攻撃力が不足する、つまり――――敗北が確定するということも意味していた。
「くそっ……勝ちたかったなぁ」
ギルドメンバー全員の心情を、七火は呟いた。
――――しかし。
ドゥガアアァア――――ンッッッッッ!!!!
黒い獣の側頭部の虚空が、百合の花の形に開くように爆発した。
『!!?』
爆炎に押された礫が散らばる。指向性の爆発だ。獣の頭を横殴りにした爆風はその落下軌道をズラし、少女たちの居る場所から外れた位置――『あの大穴』へと落ちて行く。
【魔法少女連盟】のメンバーたちの間に駆け巡る驚愕。次いで疑問。
――ば……く、はつ? 『爆発』だって?
その事象は、未だ現状のMLOではほとんど確認されていないもの。
火属性中級でもその文言は使えず、上級にあるのではと予想されるだけ。
契約魔術においてすら、強力な攻撃魔術はまだまだ確認されていない。
類する事象としては、爆発ではなく『破裂』や『弾ける』といった効果範囲の小さいものだけだ。
だからこそ、落下してくる巨獣を退けたあの強力な爆発に関して皆が思った。
……有り得ない、と。
新タグ登場か、はたまた新契約魔術か。どちらにしても未確認の魔術に違いないと。
次に、誰が? と疑問が生まれる。1人が探すように周囲を見渡すと、伝播するように何人もが首を振って視線を動かした。
そして、直ぐに1ヶ所に視線が集まった。
七火、なのら、無未、菜璃ら幹部も同様に。
彼女らが見た先には、1人の人物。
黒髪に少し厳しい印象を受ける黒の瞳。整ってはいるが、美形揃いのVRMMOでは別段珍しくもない顔。
身長は170センチほどの痩躯。高くもなく小さくもなく。
外国の学生服を模した紺を基調とした服装に同色のローブを着こみ、鉛色の胸当てと腰に大きめなポーチ。肩にかけた革製ショルダーバッグ。これらもMLOではよくある装備に過ぎない。
そして左手に持った『白紙の魔導書』と、掌を突き出した右手。
本当に何処にでもいるような容姿。それでも皆の眼は引き付けられるように集まった。
何より、明確な攻撃意思を宿した顔付きが、その場に居た全員の眼に印象付いた。
この場において、唯一の男子。
この場において、誰よりもレベルの低い学生。
急遽参加することになり、後方支援部隊に配属された少年――――【カラムス】が、そこに居た。
次回、ちょっと難しい説明が入ります。