第一話 初めてのヴァーチャル・ダイブ
俺は、勉強が嫌いではない。
特別に好きかと問われれば答えは否だが、運動が特段苦手な俺が、努力をすれば必ず成果が出る勉強に力を入れるのは必然と言えた。
「――なあ、『試験』どうだった?」
学校の休み時間。
次の時限の予習をしていると、隣の席に数人の男女が集まり雑談を始めた。
今は高校二年の五月。学年が上がり、クラスメイトが変わった。
未だ親しい友人はクラス内には居ないが、それでもクラスメイトの顔と名前はある程度覚えた。
挨拶はする。ちょっとした雑談もする。だけど一緒に遊びに行く、ということはない。というくらいの距離感。
あまり人付き合いが良いとはお世辞にも言えない俺だが、それでもやはり友人は欲しい。
だがまあ、まだ二年生になったばかり。仲良くなる機会なんてこの先まだまだあるだろう……などと考えながら、彼らの他愛ない話をBGMに予習を続けていた。
「あーアレ。ぜんっぜんダメ! 難しすぎるでしょ!」
「カンペ不可だもんねー」
ふむ? 試験の話だろうか。
五月に入ったばかりで中間テストにもまだ早いし、何処かの塾の模擬試験か何かだろうか。――というか、カンペが出来ないのは当たり前だろう。
「でも合格するとパラメータ上昇すげえって話だぜ?」
あれ?
「だよな。それに新しい術の組み合わせも出来るようになるし!」
「うーん、早く初級から脱出したいわね」
「あたしもー」
むむ、『術』? 『組み合わせ』?
試験の話をしているんじゃなかったのか? と、視線は教科書とノートを往復しつつ内心で首を傾げる。
「まあまあ。手っ取り早くステ上げ出来る試験も良いけどさ、地道に迷宮や依頼で上げて行こうぜ?」
「だねー」
「馬鹿にはそれがお似合いか」
「言うなよ。ゲームでまで勉強なんて出来るかっての」
「現実でも勉強しない人がなんか言ってるー」
なんだ。ゲームの話か。
ゲーム、特に電子ゲームなどは全くやらない俺にはついていけない話だった。
トランプやボードゲームのような、一時的に遊ぶタイプのものならまだしも、電子ゲームはそのほとんどが多くの時間を消費する。
浪費とは言わない。それが友人とのコミュニケーションをとる手段としても便利なものだとは理解しているからだ。
――ただ。
学校の勉強をする時間すら削ってまでやるべきことかと問われたら、俺ならば否と断ずる。
コミュニケーション能力を育むというのは否定はしない。それは将来就職した時にも有効だ。
学校で養う能力は大きく分けて三つ。すなわち、『勉強』、『運動』、『コミュニケーション能力』だと俺は考えている。
しかし、学生身分での優先順位としては、やはり『勉強』が最上に来るだろう。
天才ではない平凡な学生でしかない俺が……もっと言えば運動能力が極端に低く、更に人付き合いの苦手な俺が、最も重点を置くべきはやはり勉強しかないと言えるだろう。
「くぅ~! でもあの試験に受かってれば今頃……!」
「今更でしょ」
「だけどあんな試験、よほど心身入れ込んでる奴しか解けねぇよなぁ」
「それか、すっごく頭の良い人か……」
『頭の良い人……』
何だ? 隣から複数の視線を感じる。
途中から聞いて無かったがゲームの話で盛り上がっていたのではなかったのか。
「…………ふむ」
「洋太?」
「なあなあ、真鍋」
「?」
俺の隣の席に座る男子生徒、確か水島洋太だったか。
サッカー少年の様な細身だがやや引き締まったような体格、短めの茶髪、人懐っこい悪ガキのような笑みの、クラスにいくつか存在する仲良し集団のリーダー的ポジションを担う一人、といった印象の人物だ。
予習を続ける俺を覗きこむように彼はいきなり声をかけてきた。
「何か?」
「ははっ。お前ってさ、いっつも勉強してるじゃん?」
たいして仲良くない俺に対してすら『お前』呼ばわり。
それでも不快に思わないのは、やはり水島のコミュ力が高いが故か。
「そうだな」
「ゲームとかって、しないのか?」
いきなり。本当にいきなりの質問。
さっきまで水島と話していた者たちも「あちゃー」「何やってんだよおい」という顔をしている。
「…………」
水島の言っているゲームとは、十中八九『電子ゲーム』のことだろう。
テレビ、パソコン、専用機器などを使用して行うゲーム。
今どきの子供若者ならば、電子ゲームの一つや二つ、十や二十は軽くしているかもしれない。
だがしかし、俺はそれらをあまりしたことがなかった。
――というのも。
実はうちの両親は大のゲーム好きで、古今東西様々なゲームが家にある。
幼い頃は、親に勧められるままに俺もやっていたのだが……。
物心付いて、ゲームに大袈裟に一喜一憂する両親の姿(40過ぎのおっさんおばさん)を目の当たりにして――――つまるところ、白けてしまったのだ。
『なんでこの人たち、ここまで遊びに入れ込むことが出来るの?』と。
それ以来、俺はゲームというものに興味を示すことはなかった。
「いや、今はやってないな」
「今? 昔はやってたのか?」
「あ、ああ。本当に小さい頃だけど……」
何だ? 何故、水島はこんなにも突っ込んでくるんだ?
彼が何を考えているのかよく分からない。
「じゃあ、特にゲームが嫌いってわけじゃないんだよな?」
嫌い……ではない、と思う。好きでもないが。
両親のせいでちょっと忌避感を感じてはいるが、そのせいで同級生との話が合うことも無く、人付き合いが若干苦手になってしまった。それだけだ。
「……そう、だな。嫌いじゃない」
俺の答えを聞いた水島は嬉しそうに笑った。
「だったらさ、今オレたちがやってるゲーム……一緒にやらねぇか?」
「――は?」
『はぁ!?』
突然の、水島の提案。
それに疑問符を投げたのは俺だけではなかった。
◆○★△
放課後。
帰宅部である俺は、一人帰路に着いていた。
――ゲームか……。
頭に残るは水島の言葉。
あの後、正確にはお昼休みに、もう少し詳しい説明を受けた。
曰く。
水島と仲間の四人は、最近正式サービスが開始されたネットゲームをプレイしている。
そのネットゲームは、いま話題の『VR技術』をふんだんに使った最新のゲームである。
プレイするには専用ハード『ライドダイヴァー』が必要。
ゲームの名前は『Magic Laws Online』。通称『MLO』。異世界の魔術学園にて魔法を学び、世界の謎を解き明かすことを目的としている……らしい。
その魔術学園で勉強する――つまりは自分の能力値を上げたり、学園から出される依頼を達成して学園での評価を上げることで様々な魔法が扱えるようになるのだが、手っ取り早く評価を得るための方法があり、それが――『魔術試験』だという。
かなり難しい試験らしく、単なる遊び気分でやっているプレイヤーでは解けない問題が多いらしい。それに今どきのネットゲームには珍しく、プレイ中はネットブラウザを立ち上げて攻略サイトを見る、ということは出来ないという。
――だからこそ。
「プレイヤーの頭の良さが必要、か」
そしてそれ故に、水島も俺に声をかけてきた。
自分で言うのも何だが、一年時のテストでは常に学年で五位以内には入っていた。
素行も悪くはなく、先生方の覚えも良い。優等生とはよく言われる。
……まあその代わり、運動は壊滅的なのだが。
今回、水島が声をかけてきたのも、『勉強だけは出来る優等生な』俺の能力が、MLOの試験で活かせないかと思ったからだそうだ。
「…………」
同級生から呼ばれる『優等生』という言葉には何処か侮蔑や揶揄を感じる。
そういうイメージを俺自身が作り上げているのだから文句を言うのは筋違いだが、それでもムッと思うこともある。
――だけど。
『一緒にゲーム、やらないか?』
水島の、あの純粋な笑顔を思い出した。
俺は、今、恐らく岐路に差し掛かっているのだろう。
『優等生としての俺』をからかっているだけなのか。それとも『クラスメイトとしての俺』を純粋に遊びに誘ってくれているのか。
色々あって捻くれた自分としては、前者が強烈に存在感を示している。
しかし、友達が欲しいと思う俺としては、後者を受け入れたいと考えている。
どうする。どうするんだ俺。
『――へへ、実は話しかけるタイミングを探してたんだよな。ほら、隣の席だってのに今までたいして話しなかったし――――』
「………………」
◆○★△
その日の夜。
両親と俺、家族三人の夕食時。
「…………ねえ。父さん、母さん」
「もぐもぐ。んー?」
「どうしたの?」
ウチの親は共に公務員だ。
父は市役所務めで、母は保育園の保母をしている。
だから基本的に夕方六、七時には家に帰ってきて夕飯となる。
「…………マジックロウズ・オンラインって、知ってる?」
俺は昼間に聞いたネットゲームについて訊いてみた。
仕事から帰った後は、二人して遅くまでゲームをやっている生粋のゲーマーである両親ならば何か知っていると思ったからだ。
「ほう? ほうほうほう」
「あらあら、まあまあ」
「……なに」
「いや、まさか勉強スキーのお前からMLOの名が出るとは思わんかったぞ」
勉強スキーて……。
「そうよねぇ。小学生にあがる頃くらいからめっきりやらなくなったナオから、だものねぇ」
言いたいことは多々あるが、やはり知っていたか。
話題のゲームらしいし、この人たちならばむしろ知っていて当然か。
「二人もやってるの?」
「いやぁ、おれらもプレイしてみたいとは思ってるんだけどなぁ」
「久々の期待の新作だし、二人で纏まった時間がとれたら……って話してるんだけどね」
「ちょいとおれの方が時間とれなくてな、お母さんには待ってもらってるんだ」
「纏まった時間……? このあいだの日曜も二人でゲームしてたよね?」
「バッカお前、社会人の纏まった時間つったら――」
「一ヶ月単位に決まってるじゃない」
馬鹿はあんたらのほうじゃないのか?
「秋くらいになったら有給使って遊び倒そうってことでな、今は攻略サイト見て勉強中だ(キリッ)」
そこで親指立ててドヤ顔するのはやめてくれ。
息子として悲しくなる。割とマジで。
「しかしどうした尚武。最近は勉強一筋で、誘ってもツレなかったお前が」
「そうよねぇ。どんな心境の変化なの?」
「…………」
言うべきか。言わざるべきか。
ゲームをするためには両親の協力が必須だ。なぜなら専用ハードは学生の俺の小遣いでは買えないほど高価。つまり買ってもらうしかないわけで。
しかし、理由を言うのも躊躇われる。
だって――――。
「…………………………クラスメイトに、誘われたから……」
「――――ほう。ほうほうほうほうほほほほーう」
「あら。あらあらまあまあままままあ」
ほら。すっごいニヤニヤしてくるし!
「そうかぁ、休日も自室で勉強しかしていない尚武が友達から誘われてなぁ………
………ふむ。しかしそういうことなら――」
父はいまだニヤけた顔のまま胸を叩いた。
「息子のために、父として一肌脱ごうじゃっ、あ~りませんか!」
「うふふふふふ♪」
その全開の笑顔に、正直俺は不安を隠せなかった。
◆○★△
「『こんなこともあろうかと!』……くぅっ、このセリフがリアルで言える日がこようとは!」
「あらアナタ、ノリノリね。ちょっとうらやましいわ」
「――ちょっと待って。これって……」
夕食後。
案内されたのは父の書斎…………とは名ばかりのゲームコレクションの物置だった。
そこにあったのは、まだ封を開けていない新品の『ライドダイヴァー』。
そして、MLOのパッケージ。
「って、もう既に買ってあったの!?」
「いや~」
「お父さん、気だけは早いからねー。ほら、ちゃんと三人分あるのよ?」
ドヤ顔で頭を掻く父とニコニコ顔でパッケージを見せてくる母。
というか、どうして俺の分まで。
息子として、どう反応すればいいのか分からない……。
「まあしかし、お前がやりたいというのならコレを使うがいいじゃない?」
「何で疑問系……」
「ほらほら二人とも。最初はセッティングしなきゃなんだからね」
『はーい』
そして始まったMLOの前準備。
包装を剥がしたライドダイヴァーは黒いチョーカーの形をしていた。
首に付けて、小さな丸ボタンを押すと起動状態となる。
この状態になるとPCとの無線通信が出来てネット設定などはPC画面で行う。
「出来た?」
「うん」
「じゃあ後は『仮想接続』するだけね」
「えと、チョーカーのボタンをダブルクリックしてから二十秒以内に『バーチャルコネクト』と発言する……か」
「ベッドに寝てからね。MLOはインストールしてあるから、準備できたらゲームスタートしちゃっていいわよ」
「わ、わかった。ありがと」
「ふむ、今は……もうすぐ八時か。明日も学校だし、風呂も入ってないんだから、取り敢えずは十時…………十一時…………いや、十二時までには帰ってくるんだぞ?」
「なんで延びたの」
「……いや、だって、おれだったら初めてのゲームなら完徹は普通だし……でも親として次の日が学校の息子に徹夜しろよと言うのもアレだし……でも十時までって短過ぎるだろ? だから十一時にしようとしたんだけど、もしおれだったら~とか考えるともっとやりたいし!? でもおれ親だし! だからギリギリの境界線で十二時と……っ」
「その気持ち、よく分かるわぁ~アナタ」
苦悶の表情を浮かべる父と、うんうんと頷く母。
その二人に白い眼を向けながら俺は断言した。
「いや。普通に十時までにするから」
「なんでだよ!? そこは期待に応えて完徹だろ!?」
父の悲痛な叫びは無視。
俺はPCの前のリラックスチェアから立ち上がり、両親に振り返った。
なんだかんだ言いつつも、親たちは俺の我が儘を聞いてくれた形である。
つまり――――まあなんだ。とりあえず、感謝しなければならないわけで。
「じゃあ後は自分の部屋でやるよ。……その、手伝ってくれて、ありがと」
ボソっと言った俺の言葉に対し二人は最初、キョトンとした顔をして次の瞬間。
「お、おおおおおおお……!」
「?」
「うおおおおおおおおおおお、息子のツンデレ来た――――!!」
「うふふふっ。わたしたちの育て方は間違っていなかったんですねっ♪」
「…………」
俺は興奮している両親を無視して部屋を出た。
◆○★△
パタン。自室に入りドアを閉めた。
カチリ。ついでに侵入者(両親)を警戒して鍵も掛けておく。
「ふぅ」
そしてベッドに横たわって一息。
さて、これでMLOをプレイする準備は出来た。
後は仮想接続とやらをするだけだ。
「……」
天井を見ながらしばし過去に意識を飛ばした。
思えば小学生に上がってすぐぐらいか、俺がゲームというものをしなくなったのは……。
あの頃は反抗期に入ったばかりだったから兎角ゲームと名の付くものは忌避していた。
それが理由でゲーム嫌いのがり勉と呼ばれるようになった俺が、まさか最新のゲームをやろうとするなんてな。しかもクラスメイトの誘いで。
「…………はは」
なんだか、ずっと張っていた何かが緩んだような気がして、思わず乾いた笑いが出た。
――行くか。
カチカチッ、とチョーカーのボタンを押す。
ベッドの上でもぞもぞと姿勢を調節してリラックスできる状態に。
そして一息いれてから、20秒ギリギリで俺は口を開いた。
「……『仮想接続』開始」
俺の視界が、徐々に暗くなっていった。
◆○★△
真っ暗。眼を瞑ったように一面黒一色。
次の瞬間、ライドダイヴァーのロゴと製品バージョンがパァッと現れたかと思うと、直ぐに黒地に蛍光緑の線でいくつもの方形を作ってるデジタルチックな空間に切り替わる。
【Personal Space】
個人用空間か。
たしか説明書には、この空間で様々な設定を行うと載ってたな。
ゲーム内で動き回る自分の分身――【仮想体】の設定はPCで既に完了している。身長体重体型は現実と同じ。まあ顔は黒髪のイケメンになっているのだが……。
視線を彷徨わせると、横にインストールゲーム一覧があった。
今はMLOしかないのでそれを選択――視線でカーソルを合わせて指で触れるイメージ――をする。
MLOのキューブ型アイコンが弾けてそのまま光の渦となり俺を飲み込んだ。
【 --†-†-- Magic Laws Online --†-†-- 】
そして、世界が現れた。
惑星が丸く見えるくらいまでの高さの大気圏から見下ろしているような位置。
眼下には大陸が見える。しかし、その形状は世界地図のどの大陸にも当てはまらない。
「魔法の世界マギカズマゴリアにようこそー♪」
突然、変な女の子が目の前に落ちてきた。
十代前半な見た目の彼女は、変てこりんな格好をしていた。
ネコ耳付きの半ばで折れたとんがり帽子に襟を立てたマント、現代風にアレンジしたようなミニスカ魔女のコスプレ……?
金髪碧眼の彼女は、箒に跨りながら俺の前を笑顔でプカプカと浮いていた。
「はじめましてー♪ アタシはマスコットキャラの【チーシャ】よ。よろしくねー♪」
そういえば、MLOのパッケージにも彼女のイラストがあったな。
ナビゲートインターフェースのようなものなのだろう。
「まずはなにより、あなたのお名前を教えてね?」
言い終わると同時に手元にキーボードが現れた。
俺はあらかじめ決めておいた名前を入力する。
「――【カラムス】くん、ね」
カラムスは俺の名前である尚武をもじった名前だ。
敬称が君付けなのは、アバター設定で性別を男に、年齢を実年齢の16にしたからだろう。
「あらためてよろしくねー♪ それじゃ、ちょっとだけ説明の時間をもらうよー?」
チーシャと名乗るネコ耳魔法少女は「ちょ~いメタ的発言入るよ?」と前置きしてから、真面目な顔をして人差し指をピンと立てた。
「――さて。このMLOは異世界体験型シミュレーションRPGなのね。キミにはこれからマギカズマゴリアの世界で魔術学園に入学してもらうわけだけどー……学校であるからには当然の如く『授業』があるわけ。あたりまえだけど5分や10分じゃあ授業は終わらないわ、一応30分間ね♪」
現実の学校の授業よりは短いけど、それでもゲームをしている時間と考えれば30分間を授業で拘束されるのは結構辛い。
「な・の・でっ! MLOでは『知覚速度10倍』設定を必須としているのっ♪」
――知覚速度設定。
新型仮想没入端末ライドダイヴァーでは、仮想空間で感じる時間を、現実よりも加速させることが可能となったらしい。
基本的には個人用空間にて使う機能なのだが、一部のソフトにも仕様とされていることも多い。
その理由としては、かねてよりVRで提唱されていた《知覚時間加速の可能性が開花した》ことと、単純に《仮想世界に入り浸るには現実の時間が足りない》という二つの要因が合わさったこと。
ただ、従来のゲームによくある3D酔いのような症状も出る者もいるので、そこは合う合わないがあるらしい。
「――RPGであるからには、もちろんダンジョンや未知のフィールドも多く存在しているんだけどぉ……最初からそういう場所に行くことは出来ないの♪」
それにしても知覚速度10倍は破格だ。あまりゲームにアンテナを立てていなかった俺が知っている有名所でも、確か2倍か3倍が限界だったはずだ。
ライドダイヴァーの端末自体には機能自体は備わっているが、管理制御側が相応のスペックとシステムを整えなければ大人数参加型の仮想世界では使えないというのだ。
「他のRPGと違って、このMLOには基本的に『魔術師クラス』しかいないの。そして、キミが入学するのは魔術『学園』。――つまり、魔術師であるのに魔術も使えない今のキミはあえていうのなら某有名RPGのスライム以下の存在! だからまず、学園の授業でしっかりと魔術を覚えていかないといけないの♪ 冒険はそのあとねっ」
しかし。
重要な説明を受けているという自覚はあるのだが、箒に跨って自分の周りをクルクルと回られるのはなんとも落ち着かないというか、虫にまとわりつかれている気分になるな。
「そ~んなわけで! このMLOは色々と時間がかかるの! だから『知覚速度10倍』設定にしているという理由もあるの♪」
……なるほど。
確かに、とりあえず敵を倒してレベルを上げて~みたいなテンプレなRPGではないみたいだし、時間が掛かりそうだということは理解できた。
異世界の魔術学園に入学するという、最初に言っていた通り、むしろそういったシチュエーションを体験するシミュレーションゲームにRPGの要素を組み合わせたと言ったほうが正しいのかもしれないな。
そう考えるとやはりこのMLOを楽しむには膨大な時間が必要だということが分かる。なんせ人生をもう一つ平行で追加するのと同義なのだ。
だとすると知覚速度10倍設定はむしろ当然の処置、運営がプレイヤー側のニーズに十分に応えてくれたと見るべきか。
「――さて、魔術については実際に学園で学んでもらうとして……」
今までクルクルと回っていたチーシャが、ピタッと俺の目の前で停止する。
そして人差し指を俺に突きつけてきて、
「ひとつ。入学者全員に質問をしています」
突然、口調を変えてきた。
「【問い】あなたにとって、魔法とは、魔術とは何ですか?」
「…………」
唐突な問い。
これに対して、俺が感じたことは【不自然さ】だった。
日常会話で話題の切り替えにいきなり質問を投げられることはある。しかし、これとは根本的に本質が違うと思われる。
チーシャは言った。「入学者全員に質問している」と。
そして極度に明るい最初の話し方とは打って変った事務的ともいえる声音。
これらから解ることは、この質問は決して無意味なものでは無いということ。
ゲームに対してどのように関わってくるのかは分からないが、それでも適当な返答はしないほうがいいだろう。
「…………」
「…………」
チーシャは無言で俺の答えを待っている。
回答がなければ先へは進めないようだ。
――では、問いの内容である『魔法、魔術とは?』について思考しよう。
MLO自体の情報は手に入れられなかったが、魔法などのキーワードは水島たちから聞いていたので、帰宅途中にスマホでググってみた。
総合して簡潔に一言で表すならば。
――魔法とは、人の手によって起こされる奇跡。
――魔術とは、現代科学とは異なった理を用いる技術。
ただし、その全ては架空のものであり、扱われている作品によってもその詳細は様々。一概にこうだ、とは言えないものみたいだ。
故に。
この問いでは一般的な魔法や魔術の定義を訊いているわけではない。
恐らく一番重要だと思われるのは「あなたにとって」という文言だろう。
一般的な答えを訊いているわけではないのなら、この質問に正解はない。
よりユニークな、もしくはより直感的な回答がもっとも出題者の意図に沿った回答だろう。
……だが、昨今のゲームに慣れていない俺としては、どういったものがユニークなのかは分からない。ユニークさを考えるあまり趣向を凝らし過ぎても、支離滅裂な答えになってしまってはマイナスになることもある。
――となると、残るは『直感』か。
俺にとって、魔法や魔術とは何か?
まさか、こんな非現実的な空想を真面目に考えることになろうとは。
俺はチーシャに返答すべく口を開いた。
「俺にとって魔法とは、魔術とは…………『未知』だ」
「未知、ですかぁ?」
「身近ではなかったから、というのが一番の理由だが、俺は魔法とか魔術について全く知らないし、それが何かなんて分からない」
「それはまた、なんとも投げやりな答えですねー」
「投げやり? それは違う」
「うにゅ?」
「確かに俺にとってそれらは全くの未知だ。――だが、だからこそその未知を学び、理解していくために学園に通うのだろう?」
「……」
「未知。だからこそ湧き上がる探究心であり、それを満たすための冒険心を促す。俺にとって未知とは知的好奇心を増幅加速充実させてくれる心の燃料のようなものだ!」
「ぽかーん」
おっといけない。
親の遺伝か、何故か説明をしていると熱い口調になってきてしまう。
ただ、正直に自分の考えを答えたことは確かだ。
「……ふふっ」
しばしポカンとしてたチーシャは急に笑い出した。
「にゃはは、なるほろなるほろ~♪ そうなんだね~」
「……?」
「りょうかいだよー♪ キミは間違いなく魔術師のたまご。まさに魔術学園に相応しい子だね♪」
チーシャがバッと両手を広げる。同時に光が弾けた。
――魔法?
「んではでは! いきなりだけどもろもろの説明は以上として! とゆーわけでっ、さっそく魔術学園へと送っちゃうよー♪」
ちょ、ホントいきなりっ!?
と思う間もなく俺の体が光に包まれる。
視界が白で埋まっていく中、小さく声が聞こえた気がした。
「――世界の秘密を、解き明かしてね?」