第十六話 進級試験(実技)
「67点。失格」
「うぞぉ――――んっ!?」
ロア女史が言い放つ試験結果に被さるように、フィリップの絶叫が教室内に響いた。確かに終始厳しい顔付きをしていたフィリップだが、まさか本当に落ちてしまうとは。
グハッ……ガクリ、と血を吐く演技をして彼は机に突っ伏した。
「次。02番、緋奈」
ロア女史は屍と化したフィリップを無視し、淡々と結果発表を続ける。
「は、はい」
「――――75点、失格」
「はわぁぁぁやっぱりぃ~~……」
魂の抜け出そうな溜息を吐きながら同じように緋奈がぐでぇ~と机に突っ伏した。俺の隣に屍がもう一人増えた。
「初っ端から連続失格とか」
「……っ……っ(あわわわ)」
「記述の採点が予想よりも厳しいのか……?」
いきなりの脱落者続出にガルガロたちも俺も不安が過る。
「次。――03番、カラムス」
いよいよ俺の番だ。試験勉強も十分にしたし解答欄も全て埋めた。現状の最善はつくしたつもりだ。
自信はある。……たぶん。
ロア女史が此方を向いて口を開いた。
「――――113点。フッ、合格だ。おめでとう」
「え」
「おおおおおお!? スッゴ! っていうか、100点越えとかどんだけー!?」
「流石の安定感」
「あははっ、おめでとー!」
「…………!(パチパチパチ)」
「2問だけケアレスミスがあったが、いくつかの記述問題で加点があった。そのためこの点数となった、というわけだ」
うーん、やはり満点とはいかなかったか。何処をどう間違ったのか知りたいが、試験用紙は貰えないのが決まりなので仕方ない。
――だけど。
受かった。合格した。正直、素直に嬉しい。
やはり記述問題は時間を掛けてでも最適解を模索した方が加点が狙えるな。
「次。04番……ガルガロ」
「……」
「おーちーろっ、おーちーろっ」
「2人だけなのは寂しいよねぇ。あはは……」
「黙れ失格者ども」
「がふぁっ」
「あぅぅ」
突っ伏しながら呪いを吐く2人を一蹴。
ガロガロは姿勢を正して結果を待つ。
そして……
「――――98点。合格。此方もやはり加点がいくつかあったな」
無事、2人目の合格者が出た。
「……ふむ」
「おめでとう、ガルガロ」
「ぐわあああ! あ~もう、おめでとっ」
「あはは~……お~め~で~と~」
「…………!!(パチパチパチパチ)」
心なしかガルガロのいつもの無表情にも何処か機嫌の良さが滲み出ていた。
「次。05番、ロロ美」
「…………!」
そして俺的に一番結果が気になる人物――ロロ美の番が来た。
飯倉の件で緋菜同様にネカマを疑ったこともあるが、もろもろの仕草や小動物的な雰囲気から、その線は限りなく無いだろうなと思い始めている。
ただ、あまり言葉を話さないためその真意とか実際の年齢とかの判別がしにくい。まあ、アバターの見た目通りに小学生ということはないだろうが……そこら辺も含めて彼女の試験結果はかなり気になる。
「――――おめでとう」
『?』
なんかいきなり祝いの言葉が出た。
おめでとう、というからにはもしかして合格なのか?
ロア女史はにやにやと笑いながら言葉を続ける。
「進級試験初の全問正解だ。点数は132点。加点込みでも過去最高点だな」
『おおー!』
感嘆の声が教室内に響いた。
まさかの全問正解とは。普段のロロ美は若干言葉足らずで、積極的に前へ出るのを躊躇う恥かしがり屋という印象で、小学生ほどではないにしろ俺よりは年下かもと思っていたが……。あの問題は全て、深いところまで読み解かないと加点は狙えないと感じた。それを、全問正解しながらも30点以上加点をしてしまうとは。
かなり頭は良いと思う。それも理解力や回転が速いという意味で。
もしかしたら、本当は俺よりも年上とか……?
「あはは! ロロみん、おめでとー!」
「全問正解とか凄すぎだろ!」
「驚いた。おめでとう」
「ああ、本当に凄い」
「…………っっっ(てれてれ)」
うーむ。顔を赤くしてツインテールをふるふるさせている様子からは、やはり見た目通り小さな女の子というようにしか見えないんだけどな。
「――では最後。06番、桔梗」
「はい」
凛とした澄んだ返事が耳に入る。
そうだ。点数が気になる人物はまだ居たんだ。
偶然にも顔見知りとなった謎のメイドさん。清楚で落ち着いた雰囲気からは何処か余裕も感じられる。
俺以外の4人も、メイドさんの様子をそわそわと落ち着かない様子で伺っていた。
「点数は――」
『……』
「――92点。合格だ」
『おおおお……』
俺だけではなく、他の面々からも思わず声が漏れた。
合格点ギリギリだが、それでも普通にクリアしている。
「おめでとーメイドさん!」
「あはは。おめでとうございますっ」
「おめでとう」
「…………!(わふー)」
「あ、お、おめでとう、ございます」
話したことも無いはずのフィリップたちがお祝いの言葉をメイドさんに向けた。慌てて俺もそれに続く。
「ふふ、ありがとうございます」
同じく俺たちのことほとんど見ず知らずのはずなのに、彼女は即座にメイドフル・スマイルにて優雅に一礼した。――このメイド出来る!
「……さて」
騒ぐ俺たちを諌めるが如くロア女史が小さく咳をした。
「早速だが、合格者たちには次の『実技試験』を受けて貰う。試験会場まで案内するからワタシの後に付いてこい。失格者たちは残念ながら此処で終了だ。また次回頑張れ」
「では合格者は付いてこい」と言ってロア女史は早々に教室を出ようとする。
俺たちは一瞬だけ顔を見合わせ、脱落組2人の微妙な笑顔に送り出される形でロア女史を追った。
◆○★△
進級試験には『筆記の部』と『実技の部』がある。
筆記試験を無事に合格すると、その直後に実技試験を受けることになる。
内容は、試験監督の造り出したゴーレムを単身撃破すること。試験監督によってゴーレムも多種多様に変わるらしく、今回はロア女史がゴーレムを作るということになる。
ちなみに、攻略サイトでは実技試験の推奨レベルは25以上とされていた。メイドさんは分からないが俺たちの平均は10レベル。かなり厳しい戦いになることは、以前のルーン洞窟第5エリアでの一件から見ても簡単に想像できる。
「――というわけなんだが……ふむ」
ロア女史に案内されて来たのは学園城上部、実技棟。城壁と空に囲まれた屋上庭園のような場所だった。庭園の中央には30メートル四方に盛り上がった土肌の試合場。その前で、俺たち受験者は実技試験についての説明を受けていた。
「本来ならば個人戦なんだが、受験者が複数名の場合はPT戦も可としてる。無論、PTの人数が多ければ多いほどゴーレムも強くなるが……ま、それは連携次第でどうにでもなるだろ。――で、どうするんだ?」
『……!』
攻略サイトにはなかった情報をポンと出された俺たちは戸惑った。
――PT戦として実技試験を受けられる?
それはとても魅力的な提案だ。難易度が多少高くなろうが、戦闘時の役割分担が出来るだけでも合格率はグンと上がると思う。
俺はガルガロとロロ美に声をかけた。
「どうする? 俺としては、できればPT戦で受けたいんだけど」
「同感。僕に異論は無い」
「ロロ美は?」
「…………っ!(おっけー!)」
2人の同意は得られた。
「よし、それじゃ……」
「待て。あのメイドも一応誘おうか?」
「…………!(こくこく)」
忘れてた。
あのメイドさん――桔梗といったか。今は俺たちの斜め後方で静かに佇んでロア女史の説明を聞いていた。彼女も今回の合格者の1人だ。見知っている俺たち3人でPTを組み、見知らぬ彼女だけ1人で試験を受けて貰うというもの少し居心地が悪い。ガルガロたちも組むことに抵抗が無いみたいだし、誘うだけ誘ってみるのも良いかもしれない。
「じゃ、頼む」
「…………(こくん)」
「え、俺?」
「知り合いだと聞いたが?」
「…………(こくこくん)」
確かに言ったけども。
それに知り合いと言っても通りすがり的に少し説明を聞いただけなんだけど。
「何か私に御用でしょうか?」
間誤付いてたらメイドさんの方から話しかけてきた。
「あ、えーと。俺たちはPT戦を希望しようと思うんだけど、もしよかったら一緒に戦いませんか?」
「まあ」
俺の提案に、手で口元を上品におさえながら少し驚いたような声を上げるメイドさん。数秒なにかを考えるそぶりをしてから、此方に向かって極上の笑顔を見せてきた。
「喜んで、そのご提案をお受けさせて頂きます」
◆○★△
「【ワタシは理を唱える】【生成陣『土人形』起動――、造形陣『巨大化』重層起動――、造形陣『剛腕』重層起動――、錬成陣『土変鉄』重層起動――、錬成陣『錬鋼』重層起動――、構築陣『従脳付与』重層起動――――生まれろ、『鍛鋼巨兵』】!!」
ロア女史の突き出した掌の先、土肌の試合場に光り輝く巨大な円が幾重にも重なって現れた。
すぐさま円の中心の土が盛り上がり人型を形作る。次いで大人ほどの身長の土人形はその身を震わせながら巨大化、目測の体長約5mの巨人と化した。
土の巨人は次々に変化を加えていく。両腕が異様に肥大化し、土の身体が鉄に変化し、鉛色の肌は光沢を増した。
30m四方の広いリングが、相撲の土俵くらいにしか見えなくなるほどの鋼鉄の巨人が、俺たちの前に現れた。
「こいつが、お前たちの相手だ。10分やる。作戦でもなんでも話し合ってみろ」
「――と言われたが……」
俺たちはゴーレムの前で腕組み仁王立ちして待っているロア女史から十分に離れて作戦会議を始めた。
「まずは自己紹介と戦闘スタイルの確認か」
「ああ、PT戦での役割分担を決めないといけない」
「…………(こくこくっ)」
「そうですね。では、私から」
言うなり、ふわりとメイド服のスカートの両端をつまみ上げながら頭を下げる桔梗さん。その演劇めいた貞淑な仕草に、思わずその場にいた全員が息を呑んだ。
「改めまして、桔梗と申します。レベルは10、儀式用短剣の二刀流で、接近戦主体の魔法戦士です」
儀式用短剣の二刀流というのは初めて聞いたな。基本的にはウィントたちと同じ戦闘スタイルということだろうか。
「あ、あと」
桔梗さんは思い出したように、にっこりと今日一番良い笑顔で言った。
「現在、理想のご主人様を絶賛探し中の突撃野良メイドをしています」
『…………』
俺たち絶句。
一瞬でさっきまで感じていた貞淑さや清楚さが霧散した。
「今まで何度も主願望の方はいらっしゃいましたが……やはりどの御方も自称ばかりで本物は居りませんでした。そもそも主とは仕える側がその資質に惚れ、始めて主従という関係が成り立つもの。何もない状態からいきなり主になりたいと仰られる方ではそもそも――」
いきなり愚痴(?)が始まった。しかも結構長めの。
最初とは180度印象が変わってしまった。この人、もしかしたら変態かもしれない。
「ですので――」
「済まないが自己紹介の途中だ」
早々にガルガロが止めた。正しい判断だ。
俺たちに与えられた時間は10分と短い。このままじゃ作戦会議も出来ない。
「あ……それは申し訳ありません。気にせず、続きをお願い致します」
打って変り、彼女は物静かなメイドへと変貌した。
愚痴を垂れ流していた先ほどとは別人のようだ。
「時間がない。次は僕がいこう。名はガルガロ、レベルは11、後衛主体の魔術師だ」
簡潔に時間重視の自己紹介をするガルガロ。
彼は俺と同じタイプのようだ。まあ、まだ自分の戦闘スタイルが確率していないプレイヤーは自然とそのスタイルになるのだが。
ガルガロは無言で視線を俺に向けてきた。次は俺が言え、ということらしい。
「えと、名前はカラムス、レベルは13、タイプはガルガロと同じ。よろしく」
最後、この場で最も小さな少女に視線が集まった。
「…………ロロ美、です。9レベル。後衛、です。召喚魔術、使えます」
「へえ」
「ほう」
俺とガルガロが関心の声を漏らした。
召喚魔術は契約魔術の上位だと認識している。契約魔術は俺も一応使えるが、戦力にならなそうなので言わなかった。
しかし、戦闘スタイルを訊いているところで言ったということは、既に召喚魔術を自分のスタイルとして確立させているのかもしれない。
「召喚魔術か。今回の戦いで使えそうか?」
他人がどういった魔術を使うかを訊くのはマナーが悪いとされている。
同じタグを持っていて呪文さえ知っていれば他人が考えた呪文でさえ使える、というシステム的性質上、秘匿が良しとされている気質がMLOにはあるからだ。なのでガルガロはそれとなく内容を聞かないように質問したのだろう。
「…………(ふるふる)」
――しかも使えないのか!
期待していた分、ロロ美の否定はダメージがデカい。
「…………召喚、できるの、幽霊、だから」
眉を八の字にして申し訳なく言うロロ美。
「幽霊……アストラル系の召喚魔術。つまり――『死霊魔術師』か」
魔術師は、自身が扱える魔術の系統から更に細分化でき、その種類によって呼び方が変わる。獣系の召喚術師なら『獣使い』、精霊系なら『精霊術師』など。この辺りは他のゲームにもよくある設定らしい。
――しかし召喚魔術、しかも幽霊か。
契約出来た経緯が知りたいが、それを訊くのはいくらロロ美(身内のような仲間)でもマナー違反というものだろう。
「死霊魔術師というと、攻撃手段は精神汚染系だな。生物には効くが無生物には全く効かんらしいな」
「…………(うんうん)」
ガルガロの解説にロロ美が「そ-なんだよねー」というように深く頷いた。
無生物に効かないということは、今回の討伐対象であるあの魔法生物には効果薄か。
「普通に4属性は使えるよな?」
「…………(こくこく)」
ならいいか。
これで一応各々の自己紹介は終わらせたことになる。
「次は作戦だな」
俺たち4人は仁王立ちしているロア女史の後ろ、ロートアイアン・ゴーレムを見た。
「デカいな」
「それに固そうだ」
「生半可な攻撃は効きそうにありませんね」
「…………(こくこく)」
「両腕が異様に太い。単純な物理攻撃力は桁違いだろうな。前衛はキツイぞ」
この中で唯一の前衛、桔梗さんを見ながらガルガロが言う。
「問題ありません」
対して桔梗さんは毅然とした態度で返した。
「ダメージを与えるのは厳しいと思いますが、引き付けるだけであれば。あの巨体ですし、速度も速くないでしょう」
ロングスカートのメイド服を着た桔梗さんからは想像が付かないが、相当にフットワークに自信があるのかもしれない。
「前衛1、後衛3のバランス悪いPTだからな。メイドさんには悪いが」
「ええ、粉骨砕身で臨みます」
静かな笑みで頷いたのを見て、進行役のガルガロが話を進める。
「作戦としてはセオリー通りに戦うしかないが……」
何か案はあるか? と俺たちを見渡す。
「…………(ふるふる)」
「特にありません」
「カラムス、何かあるか?」
「……」
実は、やってみたいことはある。
これは俺1人では出来ないことだ。正確には、俺1人の魔力では出来ないこと。
だけど、この4人の魔力全てを使えば可能かもしれない。
「あるのか」
しかし、これは言わば実験のようなもの。試験の合否に関わる重要な局面でそれを提案するのは如何なものか。
成功すれば倒せる可能性は高い。だが確実に成功するかと言われれば答えは否だ。
「ある……けど、賭けの要素が強い。それも、勝率はかなり低いと思う」
「いや、あるなら話してくれ。どちらにしろ僕たちは全員がレベルが25どころか15にも満たない。博打でもしなければアレに勝てるとも思えないしな」
「同意致します」
「…………(こくこく)」
ガルガロ、桔梗さん、ロロ美は乗り気なようだ。
こうなったら、俺も覚悟を決めるしかないか……。
「……分かった。作戦の概要を説明する――――」
◆○★△
「おーい! 10分経ったぞ! 始めるからリングに上がれ!」
説明を終えたのとほぼ同時。
ロア女史からお呼びがかかった俺たち4人は、意を決してリングへと足を掛けた。
見上げるほどの巨体を晒すロートアイアン・ゴーレムとの距離は約20メートルほど。ロア女史はリングから降りている。
「じゃあみんな、手筈通りに」
「了解」
「…………!(こくん)」
「承りました」
俺の言葉に3人が頷き、各々の武器を取り出す。
ガルガロは長いマントを翻し儀式用短剣を構え、ロロ美は金属製の細長いステッキを。桔梗さんは一瞬だけスカートの中に手を入れたかと思ったら、いつのまにか両手に短剣を携えていた。
俺も白紙の魔導書を左手に抱えて敵を睨んだ。
「準備は良さそうだな。では――――進級試験・実技の部、始めっ!!」
ロア女史の合図で試合が始まった。
「――ツ!」
同時、跳び出したのは黒白の弾丸――桔梗さんだ。
両の短剣を逆手に持ち、全力疾走でゴーレムに接近する。
「突撃型野良メイド・桔梗……推して参ります! 全ては、まだ見ぬ【ご主人様の御為に】……【ルーン・氷】! ――ハァッ!!」
敵愾心を煽るルーンを発動しながら、すれ違い様に一閃。ゴーレムの足に擦るような一撃を入れた。
それを見たロア女史はリング外から叫ぶ。
「迎撃しろ! ロートアイアン・ゴーレム!!」
『ゴ―――ゥ!』
雄叫びを上げながら、大小の鋼製の円柱が積み重なったような体躯が軋んだ。
振りかぶった強大な右腕が風を唸らせて己の正面を薙ぎ払う。
「フッ……!」
しかし、その動き辛そうなメイド服とは裏腹に、桔梗さんの動きは俊敏なそれ。紙一重で滑らかに避ける様には、激しい戦闘であるのに何故か優雅という言葉が浮かんでくる。
「【馬の耳に念仏】――」
取り敢えず前線は大丈夫のようだ。
ならば、後衛も準備を始めよう。
「――【風よ集え、試合場を覆え。廻り巡り循環し、六十分間、上空にて吹き荒れろ】」
ガルガロの呪文で、周囲の風が集まってくる。
これで『器』が出来た。元々屋外で風の属性値が高い場所とはいえ、広範囲に威力強化も上乗せして、しかも1時間も持続させるというのはかなりの魔力を消費させたはずだ。しばらくガルガロには休憩していて貰おう。
「【我、魔の法を紡ぐ】――」
「…………【其は常闇より出でしモノ】――」
ここからが大変だ。どれだけ時間が掛かるか分からない。
「――【掌前の虚空に生じし水の玉よ、眼に映る敵へ飛べ】っ!!」
「――【杖先の虚空に生じし水の玉よ、眼に映る敵へ飛べ】……!」
俺とロロ美は、ロートアイアン・ゴーレムに向けて水球を放った。
人の頭より二回りほど大きな水の玉がゴーレムの硬質な体に当たり、その身を僅かに濡らした。普通の人であれば半身がずぶ濡れになる水量だが、相手は全長5mの鉄の巨人だ。効果も微々たるもの。
――まだだ。まだまだ全然足りない。
俺とロロ美は再び水球を打ち出した。
「む……鋼鉄の身体に向けて水属性単体の攻撃だと?」
こちらの攻撃を不信に思ったのかロア女史が怪訝な声を漏らした。
確かに、鉄のゴーレムに向けて水属性初級単体の攻撃なんて、水鉄砲を浴びせているようなものだ。その真意を疑うのも分かる。
「もしや…………酸化――錆を狙ってんだとしたら考え違いにもほどがあるぞ。最初の錬成陣で錆びないように変質化させたからな。つまり、ワタシのゴーレムはその程度の水属性魔術では錆びん!」
『ゴ――――ゥッ!!』
俺たちの考えを看破したと思ったんだろう。ロア女史の一喝は伝播し、ゴーレムが咆哮を上げた。
――確かに錆も考えてはいたが……。
「ロロ美、このまま続けていてくれ」
「…………!(こくん)」
水球攻撃維持を指示して、俺は休憩していたガルガロの方を向いた。
「ガルガロ」
「まだ全快じゃないけど、いける」
ガルガロが頷く。
こういう時、魔力を即時回復させる手段が無いのは痛い。
「じゃあ桔梗さんの援護を」
「出来るだけ水属性で、だったな」
「ああ、今は。逐次指示を出すから……頼む」
「了解した」
ガルガロはその短い碧髪を一回だけ掻き上げると、いつもの無表情のまま前線を駆けていった。
「さて、――【我、魔の法を紡ぐ】」
前線では黒髪ロングのメイドさん――桔梗さんがゴーレムの強烈な攻撃を短剣二本と体捌きを組み合わせて危なげなく受け流しつつ、回避を続けて囮役をこなしている。そこに中距離からのガルガロの援護が入る。指示通り水属性の魔術を行使してくれていた。水属性に【付与】を用いると『濡れる』という状態から『耐火』や『潤滑』などといった特性を持たせられる。ガルガロをこれを巧く使い適確に桔梗さんを援護していた。
一方、ロロ美は先ほどから遠距離で水球攻撃を続けてくれている。もうかなりゴーレムはずぶ濡れ、その周りにも水溜まりが幾つも出来ている。
――次の段階へ入ろう。
「【掌前の虚空に生じし火の玉よ、眼に映る敵へ飛べ】!」
俺は火球をゴーレムに向けて放った。
幾度となく水球を受けて濡れた金属製の身体にぶつかり、ジュワァァァッと水蒸気を上げる。
「今度は火属性……? そうかなるほど、急冷と急加熱を繰り返すと脆くなるという鉄の性質を利用するつもりか! フフ、よく勉強している……」
ロア女史が腕を組み、醒めた笑みを浮かべた。
俺はそれに目もくれず火球を何度も撃ち続ける。ロロ美の放つ水球も相まって、辺りは水蒸気で白く霞んでいっている。
「――だが、ワタシの強化した傀儡に、その程度の火力が効くわけないだろう!!」
彼女の言う通り、何度も水球と火球を交互にぶつけてはいるが、鋼の身を持つ巨人はまるで異にも返さないようだ。頭上に浮かぶ体力ゲージもほんの数ドットしか減っていない。
此方の後衛陣は既に体内魔力の三分の一を費やしたというのに。
――いや、想定通りだ。
レベル帯が二回りも違う敵に、何の強化もしていない攻撃魔術を幾ら打ち続けてもダメージなんて見込めるはずもない。それは皆分かっている。
だけど、まだ続ける。続ける必要がある。
「だいぶ水蒸気が濃くなってきたな。もはや霧だ。…………ふむ、次はゴーレムの創造主であるワタシの視界を眩ます気か? だとしたら中々によく練られた作戦だ。二段三段と策が用意してあるという訳だ」
徐々に、そして着実にゴーレムの周囲が真っ白に染まってきた。
頃合いか。作戦の段階を一つ進めるとしよう。
「桔梗さん、火を! ガルガロは風に変更! ロロ美は継続だ!」
「かしこまりました」
「了解」
「…………!(がってん!)」
俺の指示に従い、各自が属性魔術を行使する。
「今度は風で霧を操るつもりか。フフフ、これほどまでよく練られた『場の属性値』を利用した作戦も珍しい。開始前のあの短い10分間でよくやる――――だが、悪いな。ワタシのゴーレムを前にしては、やはりその程度だ!!」
『ゴォ――――ウッッ!!』
吠えるゴーレムがその巨大な両碗を水平に伸ばしたと思ったら、ガコンッと何かが外れる音がした。
「拙い。――離れろメイド!」
「え……キャッ――!?」
急発生した鉛色の竜巻。
後方に居た俺からはそう見えた。
ゴーレムの腰から上が突如、独楽のように高速で旋回したのだ。
ガルガロの呼び掛けは間に合わず、桔梗さんはリング端にまで吹き飛ばされてしまった。
「桔梗さん!!」
「…………っ!(あわわわ)」
慌てて駆け寄ろうとする俺とロロ美。
しかし――
「も、問題……ありま、せん……っ」
桔梗さんはよろめきながらも直ぐに立ち上がった。
体力ゲージを見るが、半分ちょい削られている。すぐさま回復させなくては。
しかし、あの強烈な一撃を受けてにしてはダメージ量が少ない気もする。
俺はポーションを取り出して呪文を唱えた。
「――【掌中の薬液よ、眼に映る味方へ飛び、其の身に浸み込め】」
「んっ……ふぅ。有難う御座います。咄嗟に後ろに跳んで衝撃を殺さなければ一撃で死んでいたかもしれませんね。次は気を付けなければ」
あの一瞬でそんな超反応をしたのかこのメイドさん。反射神経が半端ないな。
成り行きでPTを組んだけど、本当に何者なんだろうか。
「カラムス様、私は前線へ戻ります」
「え? ああ、はい、お願いします……」
俺の間の抜けた返事に、ニコリと一瞬笑みを浮かべた桔梗さんは、次の瞬間には凛々しい顔付きに変貌して再びゴーレムへと駆けていった。
――凄い。単純に凄い。
なんだろう。見た目はただの楚々としたメイドさんなのに、駆ける様は何処か歴戦の戦士を思い浮かべてしまうと言えばいいのか。
「――カラムス!」
「!?」
ガルガロからの一喝。
その声で、今が戦闘の真っ只中ということを思い出した。まったくもってゴメンナサイ。
次いで視線を上に向ける。
――よし。
俺が呆けていた間にもガルガロとロロ美は仕事をしてくれていたらしい。準備は着実に進んでいた。
もう一度、ゴメンナサイ。俺もすぐに自分の仕事に戻ります。
「【我、魔の法を紡ぐ】――」
ロロ美は先ほどから一定の間隔で水球を放っていた。絶えず連続ではないのは、自分の魔素変換力――魔力回復速度を考慮してのペース配分なのだろう。その甲斐あってゴーレムは元よりその足元も雨が降った跡のようになっていた。
前線に戻った桔梗さんはさっそく火球での攻撃を加えている。火属性を付与した短剣ではなく、あくまで俺の意図を汲み取って火球をぶつける攻撃を近距離から続けていく。ゴーレムの濡れた体躯が、至る所に水溜まりの出来た地面が、彼女の火球を受けて水蒸気を噴き散らす。
「【馬の耳に念仏】【風よ、我が正面へ四方より集え、乱れ乱れて巻き上がれ】」
霧と化した水蒸気がガルガロの操る風で舞い上がった。風の扱いはデリケートな作業だ。風が強すぎれば霧が晴れてしまうし、弱すぎたり風を起こす場所を間違えればそもそも霧を制御することは出来ない。だからこそ、理路整然とした几帳面な性格の彼を風の担当とした。それは間違っていなかったと思う。一度の呪文での細かい微調整は出来ないので、風を生じさせる場所を都度変えることで霧をコントロールしていた。
「ふん! いくらワタシの眼を眩まそうとしてもゴーレムは半自律型に造ってあるから操作が出来なくなるということはない! そしてゴーレムにはそもそも眼は無い……霧を作るなど無意味なことをしたな!」
俺たちのしてきたことは無駄だと、ロア女史が叫ぶ。
錆も効かず、急冷急加熱も効かず、濃霧の目暗ましも効かない。
ただ魔力を消費しただけ。そう言われても仕方がない。
――だけど。
まだ、可能性は残っている。一発逆転の最後の希望が。
「――【掌前の虚空に集いし風よ、眼に映る敵へ、砂を巻き上げ乱れ飛べ】!」
さあ、作戦をもう一段階進めるとしよう。