6 身の置きどころ
「……ねぇ、これやっぱり派手すぎない?」
ドレッシングルーム、と呼ばれる一室に押し込まれた恵は、部屋の壁に貼り付けられた巨大な鏡を前に気恥ずかしそうな顔で肩を竦めた。
「とても良くお似合いですわ、メグミ様。ねぇ、ロザリー?」
アリアは満足そうに一つ頷いて、傍らに立つもう一人のメイドに同意を求めた。
「……まあ、高級品ですから。ドレスも、装飾品も。」
つん、とそっぽを向いて、赤毛の少女が応える。
「……馬子にも衣装、ってかー……」
「こ、こらロザリー!無礼でしょう!」
苦笑いを零した恵と、顔色一つ変えないロザリーを見比べて、アリアは慌てたように声を上げる。
「申し訳御座いませんメグミ様!ロザリーはまだ侍女として日が浅いものですから……!!」
「あ、ああいや、だいじょぶです……ええと、ロザリーちゃん?だっけ?」
声を掛けられて、ロザリーがちらりと恵に視線をやる。
「何か?」
「……ええと、私何かした?」
怒ってる?と顔を覗き込むようにして問い掛けると、大袈裟な程にロザリーの体が後ろへ下がる。
「……えっ?」
「何も、御座いませんので!お気になさらなくて結構ですわ!」
思い切り真横に顔を背けて、僅かに声が走る。
「えっ、え、でも……」
「メグミ様、ロザリーは誰に対してもああなのです。私の方からきつく言っておきますので、どうぞお許し下さいまし。」
「……そう、なんだ。うん、それなら良いけど……」
気まずそうに眉を下げて、恵は鏡に向き直った。
「……んで、これでもうおめかしは終わりだよね?」
「はい、今日はまだ公務などがある訳では無いですから。」
公務、と鸚鵡返しに呟く恵に笑顔を向けて、アリアが続けて口を開く。
「正式に皇妃となられた暁には部外の者と顔を合わせる機会が多く御座います。」
そのような時にはもっと正式な格好が云々、と続く話は右から左。
ふーん、へぇ、と気の無い返事をしながら恵は肩を落とす。
皇妃、と言われても実感などがあるわけでもない。
まずはお友達からとは言わずとも、せめて恋人から始めたいものだと改めて思い直す。
「……うん、次に皇帝さんに会った時言おう。」
一人決意を新たにすると、少し間を置いて扉をノックする音が聞こえた。
「あら、ナツメさんかしら。ロザリー、出てくれる?」
「はい、今出ます。」
くるりと踵を返して、ロザリーが扉へと向かう。
「恵、着替え終わってるー?ってあれ、すみません!」
扉の前に居たのは棗だった。
てっきりアリアが扉を開けたものだと勘違いをしていた彼女は、眼前で何故か顔を引き攣らせている赤毛の少女と至近距離で顔を合わせる。
「ひ、」
「え?」
「いやぁぁぁ!男ぉぉぉぉ!!」
ロザリーが悲鳴を上げた。
「えっ、ちょ……ぶっ!!」
「来ないでぇぇ!やだ、あっち行ってよぉぉぉ!!」
呆然とした棗の顔面目掛けて、布の塊が投げつけられる。
尚もぼすんぼすんと音を立てて体に当たるドレスやクッションを受けながら、棗は目を白黒させた。
「な、えっ、いや、男って……わああ!」
「嫌、あっち行ってよ馬鹿ぁ……!!」
部屋の中ほどまで後退りしたロザリーが両手で頭上に掲げているのは、木の椅子だった。
小さいものではあるが、全力で投げてこられてはただでは済まないだろうことは解りきっている。
「待っ、落ち着い……それは、それは無理だから!当たり所によっては死ぬから!!」
「あ、っち、い……けぇぇ!!」
ぶん、と風を切る音。
咄嗟に身を縮めて目を瞑る棗の肩に、誰かの手が乗せられた。
「……ディーノ?」
「はい、ディーノです。……怪我は?」
柔和な微笑みを浮かべて小首を傾げている青年の片手には、小さな椅子の脚。
「……ありがと、大丈夫です。」
「それは良かった。……アリア、ロザリーを下がらせた方が良いんじゃないかな。」
「……そうね。メグミ様、申し訳ありませんが少々お待ち頂けますか?」
ぽかん、とした表情のまま頷いた恵に一礼して、アリアはロザリーに歩み寄った。
椅子を投げた所で気が抜けてしまったのか、ロザリーはその場に座り込んで泣いている。
「うぇ、っく、ふぇぇ……」
「ロザリー、立てる?顔を洗いに行きましょう、髪も直さないとグチャグチャだわ。」
「……ありぁ、さぁん……」
アリアに縋り付くようにして何とか立ち上がり、ロザリーはふらふらと歩き出す。
「ディーノ、退けてあげて。」
「ああ、失礼。」
ディーノは頷くと、棗の肩を押して扉の前から退いた。
「ナツメさん、ごめんなさいね。……説明は、ディーノから聞いてくださる?」
「え?……あ、ああ!はい、あの、何かすみません……」
理由がさっぱり解らないなりに、自身が何かしたからあれだけ取り乱したのだろう、と棗は気まずい思いを募らせた。
アリアとロザリーが廊下の先へと消えて行った後、棗と恵は呆然としたまま顔を見合わせた。
「……ディーノ、結局あの子何であんなテンパってたの?」
「その、てんぱ?って言うのがよく解らないですけど。ええと、あの人男性恐怖症なんですよ。」
「だんせーきょうふしょー。」
恵が首を傾げて鸚鵡返しをする様子に、ディーノは苦笑いで頷きを返す。
「はい。特に初対面の男性に弱いらしくて、あんな風に取り乱してしまうんです。僕も初めて顔を合わせた時には痛い目に合わされました。」
「……男性、恐怖症?」
今度は棗の鸚鵡返しだ。
「……ええ、男性恐怖症。」
「……私が攻撃されたんだけど?」
「勘違いしたんでしょうね。」
しれ、と返された言葉に棗は苦い顔を隠そうともしない。
「……そうだ、ロザリーの騒ぎですっかりすっ飛んだけど、棗!」
「はいよ。」
「……髪、切ったんだねぇ……」
しみじみ、と恵が呟いた。
来い来い、と手招きされるがまま、棗は恵の傍へ歩み寄る。
化粧台の椅子に座ったままの恵と視線を合わせるようにしゃがみ込み、棗は笑った。
「サッパリしたよー、似合う?」
「似合う似合う。ちょーイケメン。」
いひひ、といたずらっ子の様な笑顔で、恵は棗の髪を撫でる。
「服もかっこいいねぇ、ディーノさんとお揃いだ。」
「制服なんだからお揃いとかそういうアレじゃないでしょうが……恵も、似合ってる。可愛い。」
「……えへへ、棗が言うならホントだね。ありがと。」
二人で顔を突き合わせて笑い合うと、背後で小さく咳払いをされる。
「……ええと。何か?」
「……傍から見るとちょっとアレですので、お控えになった方がよろしいかと。」
ディーノが苦々しい顔で呟いた。
「ああ、そっか……すみません。」
「うー、こっちの世界って厳しくない?プリクラ撮ってもアウトじゃん、これなら。」
「ぷり……?」
きょとんと目を丸めるディーノに「何でもない!」と舌を出して、恵は頬を膨らませた。
「……あー、恵。今の内に言っておくけども。」
「うん?なーに、棗。」
すく、と立ち上がって、棗は頬を掻く。
そのままちらりと気まずそうに目線を鏡の方へとずらしながら、呟いた。
「多分ね、こうやって気軽に会話出来るのってもうあんまり無いと思うんだ。」
「……え?」
ぱちくり、と恵は目を瞬いた。
戸惑いを隠そうともせず、視線をさ迷わせる。
「恵は皇妃になるでしょ?私は侍女……いや侍従?になるんだし、身分的にさ。もうこんな風にタメで喋るのも無理だと思う。」
「……でも、棗は私の友達だよ?私、棗の親友だよね?」
「……友達なのは変わらない、つもりだけど。それ以前に、気軽に顔合わせる機会も無くなると思うよ。皇妃サマ付きの侍女にでもならないと、」
「やだ!」
立ち上がって、棗を睨み上げる。
「やだやだやだ!それなら私、巫女なんてやめる!知らない!皇妃なんてならない!!」
「恵……」
「皇帝さんと結婚なんてしない!棗が傍に居てくれないならこんなドレス着ない!!」
目尻に涙を浮かせて、恵は叫んだ。
「……だ、そうです。如何致しましょうか、陛下。」
「……」
こっそり入ってきたつもりだろうが、鏡に映ってバレバレでございます、お二方。
棗と恵はひっそりと、来客からの死角である腰の辺りで親指を立てた。
棗が頬を掻いたのが、「私に合わせろ」の合図だったもようです(笑)