2 麦色
すっかり固まってしまった恵の膝をあやすようにぽんぽんと叩きながら、棗は更なる情報を入手しようと口を開いた。
「それで、恵はその【鏡の巫女】として、貴方の花嫁として呼ばれたのは解りました。」
でも、と続けた言葉は男の…レオルディアの視線で止められる。
「貴様の言いたいことは解る。」
「……そうですか。お答えは頂けるんでしょうね?」
ち、と舌打ちされた。どれだけ嫌われているのか。
「今、それが説明できる者を呼んでいる。来るまで待て。」
「……畏まりました。」
「……メグミ。」
打って変わって優しい声で、レオルディアは恵の名を呼んだ。
「ひゃいっ!?」
びくりと大袈裟なほどに飛び上がる。
「聞いての通り、貴女は私の花嫁となる為にこの世界へやってきた。」
「えっ、いや、でもあの、私……そんなの、聞いてないし……」
そりゃそうだ、と棗は一人ごちる。
「それについては大変申し訳ないと思っている。本来ならば貴女のご父母に了承を経てからと言うのが慣例だろう。しかし、貴女は運命に選ばれた巫女だ。遥か遠く離れた世界より私の運命に交わるべき花嫁として選ばれた存在なのだ。どうかその運命を受け入れ、私を受け入れて欲しい。」
いつの間にか恵の手はレオルディアの手に包まれている。翡翠色の目は切なげに顰められ、ブロンドの髪が揺れるたびに甘い匂いが漂う。
所詮は日本の女子高生。イケメンには弱い。
あっという間に耳まで真っ赤になってしどろもどろする恵を尻目に、棗は居心地悪そうに身を揺らした。
「で、でも!私、こっちの世界の事とか貴方のこととか何にも知らないし、お母さんもお父さんもきっと心配してるし……」
「非常に心苦しいが、貴女はもう此方の世界に来てしまっている。帰ることは叶わないし、私も貴女を帰すつもりは無い。」
許してくれ、と囁かれて恵の目が丸くなる。
「え、帰れないの?」
「……帰る術は無い。」
きょとん、とした顔のまま、恵は棗を見た。
「……異世界トリップってジャンルは色々読んだ事はあるけど、あんまりあっさり帰れるような話ってのは聞かないかな。大抵帰れなかったと思うよ。」
「えええええええええええええええええ!!?」
「だっ、だってさぁ!こ、こんなアッサリこっち連れてこられて、だったら、アッサリ帰れるんだ、って思っ……思うでしょ!!」
えぐえぐ、と泣きながら恵は棗にしがみ付いた。
「うーん、そうだねぇ。」
「なつっ、なつめだってさぁ!全然、落ち込んで、ないしっ!混乱とか、してないっ、し!」
「一時期ハマッて似たような展開の話読み漁ってたからねぇ。そんなもんかなーって。」
「元の世界に未練は無いのかーっ!!」
ぴぃ、と本格的に泣き出す恵をあやすように背中をぽんぽん叩いてやっていると、泣き声の合間に扉をノックする音が響いた。
「入れ。」
レオルディアの声から一拍遅れて、静かに扉が開いていく。
「失礼します。神官長アーノルド=カリファ、参りまして御座います。」
柔らかな声の持ち主は入り口で一度膝を折り、立ち上がって歩みを進めた。
「レオルディア陛下、其方の方が?」
青い瞳が微笑を湛えて恵を見やる。
「ああ、巫女だ。今は少し……取り乱している。」
「そのようですね。……もう一方、彼女が例の?」
「鼠だ。」
そろそろ受け流すのも嫌になってきたなぁ、と溜息。
「恐らく、召喚の際に巻き込まれてしまったのでしょう。原因は調べてみないと解りませんが、此方の不手際で申し訳ないことをしました。」
深々と頭を下げられて、棗は慌てる。
「いえっ、あの、そんな!恵が一人でこっちに来ることを思えば、全然……」
「ほんとだよ!これで私一人でこっち来ることになってたら舌噛んで死ぬ!!」
そこまで言うか、とレオルディアが顔をしかめた。
「……余程、信頼の深いお二人なのですね。」
アーノルドがそう問うと、恵は顔を上げてはっきりと頷いた。
「棗は私の一番大事な人だもん。小さい頃なんか本気で棗のお嫁さんになるつもりだったくらいなんだから!」
部屋が沈黙に包まれる。
「……陛下、剣を抜くのはおやめ下さい。」
「わああ違うんです!それはこの子が私を男だと勘違いしてたから!今は全然そんなこれっぽちもそういう関係じゃないです!」
先程の冷たい刀身の感覚を思い出して棗が声を張り上げる。
もしかして自分が嫌われている原因は恵との関係を疑われているからじゃないのか、と棗は頭を抱えたくなった。
「アーノルド、鼠を牢へ。刑は追って決める。」
「陛下、お待ち下さい。」
「待たぬ。異物は必要無いだろう。面倒なだけだ、排除するに限る。」
「承服しかねます、陛下。」
「何故だ!」
張り上げた声に、二人の少女は身を縮こまらせた。
「……どのような因果か図りかねますが、彼女達は異世界より此方に召喚された身です。此方で徒にその身を傷付けて、何の災厄があるかも解りませぬ。」
「それは巫女の話であろう。」
「……麦色の方を斬れば、巫女殿の心が傷付きます。」
「……っ」
翡翠色の目が、棗を睨む。
「忌々しい。」
レオルディアはそう吐き捨てて、踵を返した。
「陛下、」
「貴様に任せる。巫女の意思も合わせて対処しろ。……執務に戻る。」
「畏まりて御座います。」
荒く踵を床に打ち付けて、レオルディアは部屋を後にした。
「……助かった、かなぁ。」
ふ、と息を吐いて棗はソファの背もたれに身を預ける。
「棗……私達どうなるの?何であの人、あんなに棗を嫌うの?」
「ええと……説明めんどくさい。」
「またそれかぁ……」
がっくりと肩を落とした恵に小さく笑ってみせ、棗は額に浮いた汗を袖で拭う。
この短時間に2度も命の危機に見舞われているのだ、いくら冷静に対応しようとしても限度と言うものがある。
「御無礼をお許し下さい、麦色の方。陛下は巫女殿と円満な関係を結びたい気持ちが逸る余りに周りが見えて居らぬようです。」
「……ええと、私のことで良いのかな。アーノルド様、でしたっけ。あの、お気になさらないで下さい。異物なのは確かのようですし、未来の花嫁にこれだけべったりされてる相手が気に入らないのは理解してます。」
「どうぞ、アーノルドとお呼び下さい。麦色の方。」
「……では、私のことも棗と。」
「ナツメ、ですね。畏まりました。」
それでは、とアーノルドは柔和な笑みを浮かべて言った。
「お二人の部屋に、とりあえずご案内致しましょう。」
お疲れでしょうから、まずはお休み下さい。
そう付け足されて初めて、二人は自分達が酷く疲労していることにようやく気付いた。