鼻
オレの名前は「曰野 三和」。26歳で予備校の講師をやっている。現在過去未来がともに穏やかであるように、という意味が込められている。
まだ、家族が健在だったころ、オレの家はキツネやタヌキ、イノシシが出るような山奥にあった。父方の祖母は信心深い人で、雷が鳴れば「くわばら、くわばら・・・」と唱えていた。「まんじゅろっく、まんじゅろっく・・・」と唱えていたのは地震のときだっただろうか。玄関に線香を立てて何かを唱えていたこともあったが、それはいつのときだったのだろうか。
あるとき「金を盗まれた!」と騒いだことがあった。その頃、既に母さんは入院していたので、家には父と祖母と三人で暮らしていた。そして、その犯人はオレなのだと言う。
「いい加減にしろ! 三和が盗るはず ないだろう?」
どんなに父が話しても、興奮状態の祖母には声が届かない。
「布団の下に置いておいた金が無くなった!
盗ったのは三和しかいない!
わたしの10円をどこにやった?」
祖母の「痴ほう症」の始まりだった。
朝作った鍋いっぱいのおかずが夜にはすべて無くなっている。しまったはずのものが全て出されている。置いておいた手紙は全てどこかへ消えている。お風呂のお湯は全部使い切ってしまう。オレの部屋は元々祖母が使っていた部屋だったから、オレがいない間に入っていた形跡があった。
それから家族会議があって、祖母は伯母の家に預けられることになった。すでに、祖母との生活にはうんざりしていたから、ちょっと気が楽になった。
明日の昼には祖母はこの家を出ていく。父親からも、顔を会わせなくていい、と言われていたから、オレはちょっと夜更かしして、今週提出予定の学習提案表を作成していた。ふいに、パソコンを打つ音とは違った音が聞こえてきた。
なんだ?この音・・・足音・・・?
こちらに・・・向かってくる・・・?
オレの部屋の入り口は襖だから防御力はまったくない。しかも、先日、ばあちゃんに破かれたままなのである。いや、まだ聞こえてくる足音がばあちゃんだとは決まっていないし、当然ながらばあちゃんの戦闘力は高くない。ただ話が通じないし、話したくない。だから、盗人扱いをされたあの日から一切関わらないようにしていたのに・・・。
「はっ・・・」
・・・終わった・・・そこにいる・・・!
身構えた次の瞬間、破かれた襖に「ずぼっ」と何かが挟まった・・・!
は・・・鼻!?
いや・・・よく声を上げなかったな、オレ・・・
人間、本当に驚くと声が出ないものなんだな・・・
「へっ、へっ・・・」
犯人は飼い犬の「ぷう」だった。
いつもは外にいるのに、帰って来た父が話し相手として家に入れたみたいだ。こたつで寝てしまった父を置いて、「ぷう」は茶の間のドアを開け、台所を通ってオレの部屋に辿り着いたようだ。
心臓壊れるかと思った・・・!
安心して眠りにつく。翌朝、目覚まし時計の音で起きると、オレのガラケーの画面はぐちゃぐちゃに壊され、使い物にならなくなっていた。画面には白いものが1本突き刺さっている。とりあえずベッドの下でいびきをかいて寝ている「ぷう」の口をそっと開けてみると、右上の歯が1本無くなっていた・・・。




