黄金リンゴ
「そろそろ時間だな」
カーテンの隙間から、エメラルドグリーンの光が差し込んでくる。俺は欠伸を噛み殺しながら、リビングのソファから身を起こした。
昨日は久々の戦闘で少し疲れた。おかげでよく眠れたのでいいが、俺はそもそも戦乱の世から逃げてここに来たのだ。なんだか本末転倒な気がする。
でも、困っている人ひとりくらいなら助けるし、この飛空艇の安全保障については追々考えればいいだろう。
「おはよう、セレスティア。今、どの辺だ?」
「現在は『ポイントA』を通過中と、窓に書いてあります。ですが、これはいったい……」
寝間着姿の元・聖女、セレスティアが窓枠に張り付くようにして外を見下ろしている。 白湯を淹れると、俺もその横に並んだ。
眼下に広がっていたのは、雲海ではない。一面の緑だ。視界の端から端までを埋め尽くす、圧倒的な巨大樹の樹冠がそこにはあった。要するに、世界樹の枝葉が、山のカルデラのように円形に広がっているのだ。おかげで、飛空艇を停めやすい。
「――『世界樹ユグドラシル』。大陸の魔力の源にして、神々が住まうとされる聖域。まさか、その頂上を飛んでいくなんて……」
「聖域だか何だか知らないけど、俺たちにとってはただの『巨大果樹園』だね」
俺は【蔵造り】の異能で飛空艇の形を操作する。床下のハッチが開き、数本のマニピュレータが音もなく伸びていった。
「見てな。この飛空艇は三日かけて世界を一周する『巡回軌道』に乗ってる。一日目の朝は、ちょうどここを通るんだよ」
シュパッ、と軽い音が響く。アームの先端が、世界樹の遥か高みに実る、黄金色に輝く果実をもぎ取った。地上の人間なら一生に一度拝めるかどうかの秘宝、『世界樹の雫』だ。
「と、取っちゃいましたよ!? あれ一粒で、死人が生き返るレベルの国宝級アイテムですよね!?」
「大げさだな。ただの金ぴかリンゴだよ? ヨーグルトに入れると美味いんだ。あ、ただし甘みが濃厚すぎるから、そのまま食べるのはキツイかもね」
俺が指を振ると、回収された果実は、キッチンのカゴへと投げ込まれた。
「ほら、エレノア。いつものお願い! たまには働いて」
「うーん」
寝ぼけながらもエレノアは短剣を抜き放ち、コタツから斬撃を飛ばした。
黄金リンゴは、瞬く間にきれいに皮を剥かれ、一口サイズにカットされた。さすが元剣聖なだけある。しかし、いつまでコタツから出ないつもりなんだ?
エレノア俺は黄金リンゴをガラスの器に盛り、テーブルへと運んだ。
「ほら、食べるよセレスティア。追っ手を撒いて疲れてるだろ? 滋養強壮にはこれが一番だ」
「神話の果実を……朝食のデザートに……?」
セシリアは震える手でフォークを握り、恐る恐る黄金の果肉を口に運んだ。瞬間、彼女の瞳がパァッと輝く。
「んんっ……! 甘い……! 体中の魔力が満ちていくようです……!」
「だろ? 気に入ってもらえたようで良かった。ほら、エレノアも、こっち来て食べなよ」
「うーん、ここまで運んできて」
「横着しすぎだろ。ま、いいか。残りは全部セレスティアにあげるから」
「くっ、意地が悪いな。クロード」
エレノアは観念して立ち上がり、テーブルについた。
「じゃ、全員揃ったし、改めて食前の挨拶と行くか!」
早速フォークを並べ、俺も食卓につく。
「いただきます!」
「オルド様の慧眼により、今日もこうして永らえています。命を繋いでいただき、ありがとうございます。いただきます」
「聖使徒ルーライ様のお導きに感謝いたします。潤沢にして豊饒なる神の恵みに感謝します。いただきます」
三者三様の挨拶だな。
なんか俺だけめっちゃ無礼みたいになってないか? まぁ、信じてもいない神への感謝など、述べる気にはならないが。
俺は極上の果実を齧りながら、眼下に過ぎ去っていく世界樹を見送った。地上では戦争だの信仰だので血が流れているが、この空の上では、神話さえもただの「食材」に過ぎない。
これぞ、絶対安全圏から送る、最高のぬくぬく生活。数年前の俺では想像もできなかった贅沢だ。
などと悦に浸っていると、悲しげな表情を浮かべるセレスティアが目に入った。
「セレスティア、やっぱりまだ気持ちの整理がつかない?」
「いえ、そんなことは。吹っ切れているのは事実です。ただ、私だけがこんな平穏な生活を送っていていいのかな、と」
そういうことか。ま、この飛空艇に招かれた人にとっては、通過儀礼みたいなものだ。俺も最初はそういうこと考えたし。
「今まで苦労してきた分、こうして安穏生活送っても責められないと思うけどなぁ。実際、命を捨てて戦争を終わらせようとまで思い詰めてたんでしょ? 少しは、というか、大いに楽しむ権利があると思うけど」
「でも、この果実を分け与えれば、多くの戦災孤児を救うことができます」
「身を削ってまですることじゃないね。セレスティアが望んでも、俺はそういう慈善活動許さないから」
なんたってこの飛空艇の主は俺なんだからな。
「しかし!」
「キリがないよ、元聖女様。もともと下界の権力者どもの勝手な都合で始まった戦争だ。その補償は奴らがするべきだ」
珍しくエレノアがまともなことを言った。まぁこいつも皇国の最終兵器としてさんざん利用され、苦労してきたしな。
「そうですか……私は養ってもらっている身なので従いますが……まだよく分かりません。なぜクロードさんほどの力があって、戦争を止め、民を救うためにそれを使わないのか」
逆になんで見ず知らずの他人のためにそこまでしなくちゃいけないんだよ。とは思ったが、敢えて言う必要はないだろう。今のセレスティアには時間が必要だ。慈悲の象徴として今まで生きてきたんだからな。
「ま、そのうち分かるさ」
俺はそんな呑気な誤魔化し方をし、食器を片付けた。




