聖女誘拐
【巌の聖女】は、1000年続く伝統ある地位だ。地位であり、職務であり、偶像。ルーライ教会の礎にして頂点。信仰の要にして正義の象徴――だった。
今や教会は三つの派閥に分裂し、大陸の各国もそれぞれの派閥を奉じて戦争を始めた。
平和と正義を説いた始祖ルーライの教えは地に堕ち、踏みにじられ、戦争の大義に利用されている。
「お飾りの私には、何も止められなかった……」
【巌の聖女】セレスティアは、古城でそう嘆くしかなかった。戦火に呑まれた総本山を抜け出してきたので、法衣は泥と血に塗れている。美しい金髪も煤に汚れ、麗しいと評された顔にも疲労が色濃く滲んでいた。
何度神に祈ったことだろう。始祖ルーライ様に助けを願ったのも一度や二度ではない。ルーライ様の教えは愛と平和だと説いても、皆聞く耳を持たなくなった。
「いっそ、この命で以て戦争を止められないかしら……」
自らの高すぎる地位を利用する方法は、それしか思いつかなかった。
【それは困る。君にはもっと人生を謳歌する権利がある】
どこからともなく、荘厳な声が聞こえた。
「まさか! ルーライ様? 私の祈りが届いたのですね!」
そうとしか思えない。周りには誰もいないし、警護の者の声とも違う。ルーライ様に祈りが届いたのだ。
すると、古城の窓を突き破り、階段が突き出してきた。上からは、神の使いと思わしき人影が降りてくる。
「これは、天国への階段……!?」
「違うからね? 勘違いしないように」
東方風の黒衣に身を包んだ青年は、困ったように笑いながら、そんな言葉を投げかけてきた。
「俺はクロード。この飛空艇アイオロスの主だ。残念ながら神でもルーライ様でもない。ご期待に沿えず申し訳ない」
よく見ると、巨大な飛行艇から長大な階段が伸び、この部屋の窓を突き破っていた。
「しかしこの古城……【巌の聖女】を護るにしては、手薄な警備と不利な陣取りだとは思わないかい?」
「今は戦争でそれどころではないんです」
「ハハ、知ってるさ。おかげで俺の住む東方まで戦火が伝播してきたからね。要するに、君は捨て石にされたんじゃないかってことだ」
「そんなはずは……」
とは言ってみたものの、心当たりはある。
確かに警備兵は少ないし、この城も激戦地に近い。そもそも、1000年の間繁栄した総本山が簡単に陥落した時点で、何かがおかしかった。
そうか。自分は囮として捨てられたのだ。やはり私は、死ぬことで偶像となる運命だったのかもしれない。
「【巌の聖女】が死ねば、教会は完全に瓦解する。戦争の大義が欲しいものにとって君は垂涎ものだ。教会の無くなった跡に新しい国を建ててもよし。聖女を殺した罪をなすりつけて敵国を攻めるもよし、だ」
偶像にすらなれないということか。
「ですよね……私はもう、殉教者にすらなれない」
「殉教者かぁ。やめとけやめとけ。死んだ後の栄誉なんて無いのと同じ。そんなことより、生きているうちにこの世を存分に楽しまないかい?」
クロードは、そう言って手を差し伸べてきた。
どのみち死ぬなら、楽しんでから。
私にはそれが、瑞々しい信仰に思えた。幼少の頃から聖女として育てられた私には、無かった発想だ。
私は、気付くとクロードの手を取っていた。それが、第二の人生の始まりだった。




