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鉄の薔薇は凍土に咲く 〜人民の敵とされた令嬢は、粛清の嵐を越えて独裁者の椅子に座る〜  作者: ぱる子


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第5話

 針と糸。そして一日一切れの余分なパン。 このささやかな「資本」が、私の運命を劇的に変えることはなかったが、死の淵から半歩だけ後退させてくれたことは確かだった。


 私は余分なパンを、夜中に少しずつ、誰にも気づかれないように食べた。胃が痙攣するほどの空腹が和らぎ、思考の霧が晴れていく。 そして針と糸。私は労働の合間や夜の闇の中で、自分のコートの破れ目を繕うだけでなく、隣のベッドの元医師の女――アンナという名だった――の靴下を直してやった。彼女は涙を流して感謝し、次の日の配給スープから、具の多い部分をこっそり分けてくれた。


 小さな、しかし確実な経済圏が私の周囲に生まれつつあった。 だが、それは同時に、ハイエナたちの嗅覚を刺激することでもあった。


 ある吹雪の夜。労働から戻り、凍えきった体でスープを啜っている時だった。 バラックの空気が変わった。ゾーヤが、子分たちを引き連れて私の前に立ったのだ。彼女の視線は、私の懐――そこに隠したパンの端――に釘付けになっていた。


「おい、お嬢ちゃん。最近、顔色がいいじゃないか」


 ゾーヤがニヤリと笑う。その前歯は数本欠けている。 私はスプーンを止め、ゆっくりと顔を上げた。


「以前よりは、この環境に適応できたようですわ」


「適応? ハッ! 笑わせるね。お前みたいなのが、誰の助けもなく生き延びられる場所じゃないんだよ」 彼女が一歩近づく。腐った魚と安いタバコの臭いが鼻をつく。 「隠してるモンを出しな。看守の誰にケツを振った? それとも盗んだか? どっちにしろ、ここでの稼ぎはアタシを通すのがルールだ」


 周囲の囚人たちが息を呑む。誰も私と目を合わせようとしない。見せしめの時間が始まったのだ。


 私は冷静だった。この瞬間が来ることは予測していた。 父の教え。『敵が攻撃を仕掛けてきた時こそが、最大の好機だ。相手は攻撃に集中し、防御が疎かになっている』


 私は懐に手を入れた。ゾーヤが勝利を確信して笑みを深める。 だが、私が取り出したのはパンではなかった。


 錆びた縫い針だ。 私はそれを、親指と人差し指の間に、先端がわずかに出るように挟み込んだ。国家治安人民委員部の尋問官が使う、最も地味で、最も陰湿な技術。


「……何だそれは?」


 ゾーヤが怪訝な顔をした瞬間、私は立ち上がり、彼女の胸倉を掴んだ。 予想外の反撃に、彼女が怯む。その隙を見逃さず、私は針を挟んだ右手を、彼女の左手の甲に突き立てた。


「ギャアアアアッ!」


 野獣のような悲鳴がバラックに響き渡る。針の先端は、神経が集中する骨と肉の間に深く食い込んだはずだ。致命傷ではないが、想像を絶する激痛が走る。


 彼女の子分たちが動き出そうとする。私はゾーヤの手を掴んだまま、さらに深く針をねじ込みながら、彼女の耳元で囁いた。怒鳴る必要はない。凍りつくような静けさこそが、恐怖を伝播させる。


「動かないで。……動けば、この針が血管の中で折れるわよ」


 ゾーヤが脂汗を流しながら硬直する。子分たちも足を止めた。


「いいこと、ゾーヤ。私は貴女の餌じゃない。貴女と同じ、ここに堕ちた獣よ」 私は声を低くした。 「勘違いしないで。私は貴女の地位を奪うつもりはない。この程度の群れのボスなんて、興味がないの」


 これは嘘だ。いずれ奪う。だが今は、彼女を安心させつつ、恐怖を植え付けなければならない。


「だけど、私の領域テリトリーを侵すなら話は別。……私には、看守の中に協力者がいる。誰だと思う? セミョーン伍長? それともイワノフ所長のお気に入り?」


 ハッタリだ。セミョーン伍長はただの取引相手に過ぎない。だが、疑心暗鬼は最強の武器になる。


「今度私に手を出したら、貴女の寝床から『盗まれた所長のウォッカ』が見つかるかもしれないわね。そうしたら、貴女は懲罰房カールツェル行き。あの氷の独房で、一週間生き延びられるかしら?」


 ゾーヤの顔から血の気が引いた。懲罰房の恐怖は、ブラトヌイにとっても絶対的なものだ。


「……わ、わかった。離せ! クソアマ!」


 私はゆっくりと針を抜いた。ゾーヤは手を抑えてうずくまり、憎悪のこもった目で私を睨みつけたが、それ以上飛びかかってくる気力は失せていた。


「賢い選択ね。……これからは、お互い不可侵条約と行きましょう」


 私は悠然と自分のベッドに戻り、冷え切ったスープの残りを飲み干した。 バラックの視線が変わった。恐怖と、そして微かな畏怖。 あのお嬢様は、ただの獲物ではない。毒を持った蛇だ。そう認識されたのだ。


 その夜、隣のアンナが震える声で話しかけてきた。 「カテリーナ……あなた、一体何者なの? 本当に、ただの学生だったの?」


 私は暗闇の中で、口の中の血の味を確かめながら答えた。


「……ええ。ただ、少し教育熱心な父親を持っていただけよ」


 私は懐の針に触れた。冷たい金属の感触が、今の私にとって唯一の確かな味方だった。 第一関門は突破した。バラック内での安全は確保された。 次は、外だ。この収容所を支配する、もっと大きな力学に食い込まなければならない。


 私は目を閉じ、セミョーン伍長の顔を思い浮かべた。あの無能で、小欲な男。 彼をどう飼い慣らし、どう太らせ、そしてどう食い破るか。 凍てつく夜、私の脳内では、冷徹な計算式が組み上がり始めていた。

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