第14話
首都の夜は、長いナイフの夜となった。
私が赤の城塞を後にして一時間も経たないうちに、ゾーヤ率いる武装隊が輸送局長公邸に突入した。 報告によれば、エレナの元愛人である「詩人局長」は、市民が飢えている最中に、横流しした高級ワインで泥酔し、愛人たちと乱交パーティーに興じていたという。 ゾーヤは彼を全裸のまま引きずり出し、そのだらしない腹に銃口を突きつけて「サボタージュの自白」を強要した。彼は詩的な抵抗を示すこともなく、泣きわめきながら全てを認めた。
一方、私は中央総局の作戦司令室で、首都の物流網を「修理」していた。
「……第4トラック車庫の配車係が動かない? 理由は?」 私が問うと、教授が受話器を片手に答えた。 「『労働時間外であり、組合の規定により云々』だそうです。エレナ同志が導入した『労働者の権利』を盾にしています」
私は冷たく言い放った。 「その配車係を即刻銃殺しなさい。罪状は『革命遂行妨害』。次の係員に、死体を跨いで配車作業をさせなさい。……動かなければ、そいつも撃て」
教授はニヤリと笑い、受話器に向かって指示を復唱した。 「聞こえたな? 復唱は不要。実行せよ」
私は地図上の重要拠点を次々と指差し、軍用トラックの徴発と、武装兵による輸送ルートの警備を命じた。 抵抗する者は容赦なく排除した。彼らは「反革命分子」だからではない。私の効率的なシステムにおける「バグ」だからだ。
その夜、首都の闇の中を、赤い星のマークをつけた軍用トラックの車列が、銃を持った兵士たちに守られて疾走した。 郊外の倉庫で腐りかけていた小麦粉が、次々と製パン工場へと運び込まれる。工場では、叩き起こされた労働者たちが、銃口を背中に感じながらフル稼働でパンを焼き続けた。
それは、恐怖によって駆動する、完璧な物流システムだった。 エレナが説く「愛と理想」では動かせなかった歯車が、私の「暴力と恐怖」によって、軋みを上げながらも力強く回転を始めたのだ。
翌朝。 赤の城塞の書記長執務室の窓から、アレクセイは信じられない光景を見下ろしていた。
革命広場に面した国営食料品店の前に、長蛇の列ができている。だが、昨日のような殺気立った暴動の気配はない。 人々は、焼きたての黒パンの塊を手に、安堵の表情で家路についているのだ。
「……信じられない。たった一晩で、本当にパンを届けたのか」 アレクセイが、ガラスに額を押し付けるようにして呟いた。
私は彼の背後で、静かにコーヒーを飲んでいた。一睡もしていないが、私の精神は冴え渡っていた。
「約束通りです、書記長様。……多少、手荒な真似はいたしましたが」
「手荒な真似!? あなたがやったのは虐殺よ!」
部屋の隅で、エレナがヒステリックに叫んだ。彼女は昨夜、私が輸送局長を逮捕し、その部下数名を「サボタージュ」の罪で処刑したことを知っていた。
「何の罪もない同志たちを、裁判もなしに処刑するなんて! これは大粛清時代への回帰よ! 私の理想とする人道的な社会主義とは相容れないわ!」
私はカップをソーサーに戻し、ゆっくりとエレナに向き直った。
「エレナ同志。貴女の『人道的な配慮』の結果が、昨日の暴動寸前の首都です。……彼らはパンを求めていた。私はそれを与えた。市民にとって、どちらが『正義』でしょうか?」
「そ、それは……! でも、プロセスが間違っているわ! 恐怖で人を支配しても、真の共産主義社会は……」
「理想論は結構ですが、現実を見なさい」 私は窓の外を指差した。
「彼らは今、腹を満たし、党への信頼を取り戻しつつある。……誰のおかげで?」
エレナは言葉に詰まり、唇を噛み締めた。彼女は認めたくないのだ。自分の美しい理想が、私の醜い現実に敗北したことを。
アレクセイが振り返った。その目には、私への恐怖と、それ以上の「依存心」が宿っていた。 「……ありがとう、カテリーナ。君のおかげで、首都は救われた」
「礼には及びません、アレクセイ様。私はただ、錆びついた機械に油を差しただけです」
私は懐から、一枚の書類を取り出した。昨夜、ゾーヤが「詩人局長」から取った自白調書だ。
「ところで書記長様。輸送局長の自白によれば、彼が横領した物資の一部が、エレナ同志の主催する『芸術家支援団体』に流れていたようですわ」
アレクセイの顔が凍りついた。彼は調書をひったくり、震える手で目を通した。
「なっ……デタラメよ! 捏造だわ!」 エレナが悲鳴を上げた。「私は知らなかった! 彼が勝手にやったことよ!」
私は冷ややかに微笑んだ。 「ええ、そうかもしれません。ですが、貴女が任命した責任者が、貴女の名前を使って私腹を肥やしていた。……これは重大な監督責任かと。市民が知れば、どう思うでしょうか? 自分たちが飢えている時に、指導者の取り巻きが贅沢三昧をしていたと知れば」
アレクセイが、疑いの目でエレナを見た。 「……エレナ。君は、本当に知らなかったのか?」
「ア、アレクセイ、私を疑うの!? 私はただ、芸術を保護しようと……!」
「その『保護』の資金が、市民のパンを奪って捻出されていたのなら、それは犯罪だ!」 アレクセイが初めて、エレナに対して声を荒らげた。
エレナは愕然とし、そして私を睨みつけた。その目には、もはや聖女の仮面はない。ただの嫉妬と憎悪に狂った女の目だ。
「……この毒婦が! よくもアレクセイをたぶらかしたわね!」
私は優雅に肩をすくめた。 「私は事実を報告しただけです。……さて、書記長様。食料危機は一時的に回避しましたが、まだ問題は山積みです。軍需工場の生産遅延、地方の反乱分子……」
私はアレクセイに一歩近づき、耳元で囁いた。
「私にお任せください。全て、綺麗に片付けて差し上げます。……かつて父がそうしたように」
アレクセイは、縋るように何度も頷いた。彼はもう、私の「毒」なしでは生きていけない。
私は二人を残し、執務室を後にした。 背後で、二人の言い争う声が聞こえてくる。かつては愛を囁き合っていた二人が、今や互いに責任をなすりつけ合っている。
廊下に出ると、教授が待っていた。 「……首尾は?」
「上々よ。飼い主の首輪は付け替えたわ」
私は窓の外、配給の列に並ぶ市民たちを見下ろした。彼らは知らない。今日のパンが、一人の女の復讐劇の小道具に過ぎないことを。
「さあ、次は軍部ね。前線の英雄気取りたちにも、少し『現実』を教えてあげないと」
私は黒い革手袋をはめ直し、次の獲物が待つ場所へと歩き出した。 首都の冬はまだ始まったばかりだ。




