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鉄の薔薇は凍土に咲く 〜人民の敵とされた令嬢は、粛清の嵐を越えて独裁者の椅子に座る〜  作者: ぱる子


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第12話

 首都への帰還の旅は、奇妙な静寂の中で進んだ。 装甲車の分厚い窓ガラス越しに見る景色は、南下するにつれてモノクロームの凍土から、泥と雪が混じり合う荒涼とした平原へと変わっていった。


 私は車内で、教授と向かい合って座っていた。彼は膝の上に広げた首都の地図と、軍部が提供した最新の組織図に没頭している。 「ひどいものだな」教授が嘆息した。「国家治安人民委員部(N.K.G.B)の主要ポストは、エレナが送り込んだ『革命青年同盟』上がりの素人ばかりだ。尋問のイロハも知らん連中が、精神論だけでスパイ狩りをしている」


「好都合じゃない。プロがいないなら、私たちが入り込む隙間はいくらでもある」


 私は揺れる車内で、軍部が用意した新しい制服の袖に腕を通した。仕立ての良い黒のウール。襟元には、大佐相当官を示す新しい階級章。かつて父が着ていたものと同じ、国家の暴力装置の象徴。 袖を通した瞬間、背筋が自然と伸びた。囚人番号492番は死んだ。カテリーナ・ヴォルコヴァが帰ってきたのだ。


 数日後、車列は首都ツェントログラードの郊外に達した。 一年ぶりに見る首都は、私が記憶している「赤い帝都」とは様変わりしていた。


 大通りには、配給を求める市民の長蛇の列ができていた。彼らの顔には疲労と諦めが張り付いている。壁にはアレクセイとエレナの笑顔を描いた巨大なプロパガンダ・ポスターが貼られていたが、風雨に晒されて剥がれかけ、その下から古いスローガンが覗いていた。「すべての権力を理想主義者へ!」という文字が、泥にまみれて泣いているように見えた。


「パンと平和を約束した結果がこれか」 私が呟くと、同乗していた軍の大佐が苦虫を噛み潰したような顔で頷いた。 「前線では弾薬が不足し、後方ではパンが不足している。だが、中央委員会では毎日、エレナ同志が『反革命的サボタージュ』を糾弾する演説をしているだけだ」


 車列は、市の中心部にある巨大な石造りの建物――国家治安人民委員部本部庁舎の前で停止した。 一年前、私はここの裏口から家畜のように運び出された。 今日、私は正面玄関から、新たな主人として足を踏み入れる。


 玄関ホールは、淀んだ空気に満ちていた。床は泥で汚れ、受付の兵士たちはだらしなく制服を着崩し、タバコを吸いながら雑談に興じていた。かつての鉄の規律は見る影もない。


 私の姿――黒い制服に身を包み、装甲車から降り立った女――を認めた瞬間、彼らの動きが凍りついた。私の顔を知っている古参兵が、幽霊でも見たように青ざめ、新兵たちは私の階級章を見て慌てて直立不動の姿勢をとった。


「……き、貴官は、何者だ!」 受付の若い将校が、震える声で尋問しようとした。


 私は彼を無視し、まっすぐにエレベーターへと向かった。教授と、私の「親衛隊」として連れてきたゾーヤたち――彼女たちも新しい制服に身を包み、以前よりも凶悪な面構えになっている――が無言で後に続く。


「待て! ここは許可なき者の立ち入りを……!」


 将校が私の肩に手をかけようとした瞬間、ゾーヤが動いた。彼女は流れるような動作で将校の手首を掴み、逆にねじり上げ、床に押さえつけた。


「ギャアッ!」


 悲鳴がホールに響き渡る。他の兵士たちが銃に手をかけようとするが、ゾーヤの部下たちが一斉に短機関銃を構え、それを牽制した。


 私は足を止め、床に転がる将校を冷ややかに見下ろした。


「……私の顔を忘れたの? それとも、エレナ同志の教育が足りないのかしら」


 私がゆっくりと名前を告げると、ホールの空気が一瞬で真空になったかのように静まり返った。カテリーナ・ヴォルコヴァ。「先代の亡霊」。


「軍事評議会の決定により、本日付で私がこの組織の指揮を執る。……掃除の時間よ。無能者は直ちに荷物をまとめて出て行きなさい。五分以内に視界から消えない者は、地下の独房へ案内するわ」


 私の言葉は、絶対的な命令として響いた。兵士たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。


 私はエレベーターに乗り込み、最上階へと向かった。 長官執務室。かつて父が座っていた場所。


 ドアを開けると、そこにはエレナが任命した「長官代行」――革命青年同盟出身の、神経質そうな細面の男――が、書類の山に埋もれて頭を抱えていた。 彼は私を見ると、椅子から転げ落ちるように立ち上がった。


「な、何だ君は! 勝手に入ってきて……!」


 私は無言で彼に近づき、軍事評議会の辞令を胸に押し付けた。 男はそれを読み、顔面蒼白になった。「ば、馬鹿な! アレクセイ書記長の承認を経ていないじゃないか! これはクーデターだ!」


「いいえ。これは『業務効率化』よ。……どきなさい。そこはあなたの席じゃない」


 男は抵抗しようとしたが、背後に立つゾーヤたちの殺気に気圧され、震えながら部屋を逃げ出した。


 私はゆっくりと、主のいなくなった大きな革張りの椅子に座った。革の感触、インクと古いタバコの匂い。すべてが懐かしかった。 私はデスクの引き出しを開けた。そこには、父が愛用していた銀のライターがそのまま残されていた。


 私はライターを手に取り、冷たい金属の感触を確かめた。 「……ただいま、お父様」


 私は教授を呼び寄せた。 「教授、すぐに人事ファイルを精査して。使える人間と、エレナのスパイを色分けするの。ゾーヤ、あなたは建物の警備を掌握。ネズミ一匹、私の許可なく出入りさせるな」


 二人がそれぞれの任務に向かうと、私は受話器を取り、赤の城塞(政府中枢)への直通回線をつないだ。


 呼び出し音が三回鳴り、聞き覚えのある、少し神経質な男の声が出た。 アレクセイだ。


「……はい、書記長室」


 私は深く息を吸い、一年間、一度も出すことのなかった、甘く、従順な「令嬢」の声色を作った。


「……お久しぶりでございます、アレクセイ様。カテリーナでございます」


 受話器の向こうで、息を呑む音がした。長い沈黙。そして、震える声が響いた。


「カ、カテリーナ……? 生きていたのか?」


「はい。党のご慈悲により、更生を果たし、戻ってまいりました。……貴方様をお助けするために」


 私は窓の外、灰色の空の下に広がる首都の街並みを見下ろしながら、蛇のように冷たく微笑んだ。


 さあ、第二幕の始まりよ。 私の愛しい操り人形たち。

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