第11話
雪解けの季節が過ぎ、短い夏が来て、また泥濘の秋が訪れた。 季節が一巡する間に、第13強制労働収容所は、奇妙な「黄金時代」を迎えていた。
私の支配下で、収容所は皮肉にも模範的な効率性を取り戻していた。 ボリソフ大尉の名義で行われる陸軍との裏取引は常態化し、燃料と食料は潤沢になった。私はゾーヤたちを使って労働力の適材適所配置を行い、無意味なしばき上げを禁止したことで、死亡率は劇的に低下し、生産ノルマは(書類の改竄なしで)達成されるようになった。
ボリソフは、もはや私が作成した書類にサインをするだけの自動人形と化していた。彼は昼間から執務室でウォッカを煽り、窓の外の雪景色を虚ろな目で見つめている。彼の中の理想主義は死に絶え、残ったのは自己嫌悪と、私への依存心だけだった。
私は、暖かく快適な所長室で、本物のコーヒーを飲みながら、首都から届く新聞(もちろん、検閲済みのプロパガンダ紙だ)に目を通していた。
「……教授。これを見て」
私は新聞を、部屋の隅で書類整理を手伝っていた教授に投げ渡した。彼は以前よりも肉付きが良くなり、新しい眼鏡をかけている。
教授は一面トップ記事の見出しを読み上げた。 「『我が軍、南部国境にて敵の卑劣な挑発を粉砕。戦略的撤退を完了』……フン、典型的な大本営発表だな。実際は『惨敗して遁走中』というところか」
「ええ。行間を読めばわかるわ。補給線が寸断され、前線の士気は崩壊状態。……アレクセイの仕業ね」
私は冷笑した。あの理想主義者の坊ちゃんは、軍事のイロハも知らないくせに、総司令官気取りで現場に口を出しているのだろう。
「それに、この記事。『反革命的将校団の陰謀を摘発。人民の敵を粛清』……。エレナがまた魔女狩りを始めたようだな。負け戦の責任を現場の指揮官に押し付けている」
教授が呆れたように首を振る。 「優秀な軍人を殺し、イエスマンばかりを周囲に置く。国を滅ぼす標準的な手順だ」
「素晴らしいわ。彼らは私の期待を裏切らない」
私は立ち上がり、窓の外の雪景色を見下ろした。 この極北の「王国」での生活は悪くなかった。だが、ここは狭すぎる。私の野心を満たすには、器が小さすぎるのだ。
「機は熟したわね。……そろそろ、中央が悲鳴を上げる頃よ」
私の予言は、最初の雪が降り始めた頃に現実となった。
その日、収容所に到着したのは、いつもの補給トラックではなく、武装した装甲車の列だった。 先導車から降り立ったのは、首都の軍管区司令部の制服を着た大佐だった。彼の顔には、隠しきれない疲労と焦燥が張り付いていた。
ボリソフ大尉は、突然の来訪者に恐れをなして執務室に引きこもってしまった。 私は代わりに、管理棟の玄関で大佐を出迎えた。囚人服ではなく、ボリソフから巻き上げた上質なウールのコートを羽織って。
「……あなたが、カテリーナ・ヴォルコヴァか」
大佐は私をじっと見つめた。彼とは面識がなかったが、その目には、かつての父の部下たちと同じ、冷徹な実務家の光が宿っていた。彼らは、アレクセイやエレナのような夢想家とは人種が違う。
「はい、大佐同志。第13収容所事務局長、カテリーナです」
私は「囚人」という肩書きを省略した。大佐もそれを指摘しなかった。
「単刀直入に言おう。首都は危機的状況だ。戦線は崩壊しつつあり、国内では食料不足による暴動が頻発している。……アレクセイ書記長とエレナ同志の『理想的な指導』は、機能不全に陥っている」
大佐は苦々しげに吐き捨てた。彼ら軍部や旧体制派の官僚たちにとって、現在の政権は悪夢でしかないのだろう。
「我々には、秩序が必要だ。奇麗事ではない、鉄の秩序が。暴動を鎮圧し、補給線を確保し、国内の『不純分子』――それはエレナが言うような魔女ではなく、本当の扇動者やスパイだ――を排除できる、冷酷な実務家が」
大佐の視線が、私の目を射抜いた。
「君の父上は、それを成し遂げていた。……君にも、その血が流れていると聞いている」
私は静かに微笑んだ。彼らが何を求めているか、完全に理解した。 彼らは私を助けに来たのではない。私に助けを求めているのだ。
「……条件があります、大佐」
「言ってみろ」
「私と、私の指名する数名の者への完全な恩赦。そして、父の名誉回復。……それと」
私は一呼吸置き、最も重要な要求を口にした。
「国家治安人民委員部(N.K.G.B)の再編と指揮権を、私に一任していただきます。アレクセイ書記長の直轄ではなく、軍事評議会直属の独立部隊として」
それは、事実上の「私兵」を認めろという要求だった。 大佐は一瞬躊躇したが、すぐに頷いた。背に腹は代えられないのだ。
「……よかろう。軍事評議会は君の要求を呑む準備がある。今すぐ、首都へ発ってもらいたい」
交渉成立。
私は振り返り、管理棟の奥に隠れているボリソフに別れの挨拶もせず、教授を呼んだ。 「教授、荷物をまとめて。首都へ行くわよ」
「……やれやれ。ついに地獄の釜の蓋が開いたか」 教授は肩をすくめたが、その目には久しぶりに生気が戻っていた。
私は装甲車に乗り込む前、一度だけ振り返り、雪に埋もれた収容所を見渡した。 この一年で、私は多くを学んだ。人の操り方、恐怖の使い方、そして、システムという怪物の飼い慣らし方。
ここは私の学校であり、揺り籠だった。 だが、もう卒業の時間だ。
「……待っていなさい、アレクセイ、エレナ」
装甲車の重い扉が閉まる。エンジンの振動が体に伝わる。 私は懐から、一本の錆びた縫い針を取り出し、指先で転がした。
「貴方たちが散らかしたオモチャを、私が片付けてあげる。……私のやり方でね」
車列は雪煙を上げ、首都ツェントログラードへと向けて動き出した。 氷の女王の帰還。それは、首都を焼き尽くす粛清の嵐の幕開けでもあった。




