魔種の穴と邪神
ナトリ村の外れには魔力を失い死を間近に、廃人と化した者たちを処分する巨大な穴があった。
それはエリザが部下に命じ作らせた人工の穴だ。光のない暗い穴底をのぞくと、ピチャピチャと液体のはねる音がし、何かが蠢いているのがわかる。
その正体はエリザが作った魔種の成長したもの。魔種は人、動物、魔物の血肉や魔力を糧とし成長する。
だが一定期間、餌を与えず放っておくと枯れて死滅し、一方で成長し花を咲かせれば、その果実は滋養強壮効果のある妙薬へ転じ、高値で取引されていた。
今日もいつものように部下達が地下牢の生き絶えた人間達を穴底へ放り投げる。落下するとすぐに穴底からビシャッと潰れる音がした。
エリザも部下も表情一つ乱すことはない。見慣れた光景だ。部下達は仕事をやり終え下がっていった。
人が誰もいなくなったのを見届けた後、エリザはローブの内側からそっと小瓶を取り出した。
蓋を開け呪文を唱える。今はもう知る者のない、彼女の故郷に古くから伝わる古代魔術だ。それは邪神を崇め召喚するための呪文で、故郷が滅びた今、もう知る者はエリザしかいなかった。
聖魔術も古代魔術から分岐させ、使いやすく簡素化したものだ。
だが邪神召喚は他と違い、多大な犠牲を必要とする。術式を完成させるには人々がもつ、苦痛、悔恨、恐怖の念が必要で、それらを小瓶に集めなくてはならなかった。
王都から遠く離れたこの村を占拠した真の目的はこれである。
(邪神を復活させ、この国を滅ぼす。そして私は邪神の妻となり、神の一員となるのよ!)
ゆくゆくはヘイデン王国のみならず、大陸すべてを支配する。それがエリザの野望だ。
すでに周辺の村や魔物は狩りつくした。魔力がほしい。あとは王都周辺に範囲を広げるか。そう思案していたところで、背後に不穏な気配を感じ振り向いた。
そしてあり得ないものでも見たように目を大きく開いた。
「お前!なぜ死んでいない!」
「悪いがこうみえてしぶとくてな。ここでお前には死んでもらう!」
血の気のない顔のレイモンドが、剣をかまえ立ちふさがった。
エリザは驚いていた。放っておけば自然に命尽きる、それほど充分な魔力を吸い上げたはずだ。
混乱し隙をつかれ、エリザの動きが一歩遅くなる。そこをレイモンドは見逃さなかった。
俊敏な動きで彼女の懐に入り切りつける。切っ先がエリザの右腕をとらえ血が吹き出した。カランと手から杖が落ちる。
さらにたたみかけるように剣を振り下ろす瞬間、レイモンドはぐうっと苦悶の表情となり、胸の辺りをおさえ膝をついた。玉の汗が滲む。
そんな彼をエリザがしてやったりと見下ろした。
「残念だったな。隙をついたつもりだろうが、隷属の刻印は有効だ。それがある限り、お前は永遠に私の所有物だ。なんと愚かで憐れな男だろう」
「……黙れ!お前を村から排除し、村人達を解放する!」
「ふ、村人か。奴らはもうそれほど残っておらんがな」
「……!」
胸の痛みをこらえ、エリザの間合いに入り一閃するが、突然レイモンドの脳内にブブブと羽虫の飛ぶ音が響いた。それは隷属の証をもつ者が主に反意をみせた時に現れる状態で苦痛を伴うものであった。
隷属の証による妨害反応を強引に振り払い、エリザを穴へ追い詰めていく。
(よし、あと少しだ!)
狙いは魔種の穴へエリザを落とすこと。魔種は何でも喰らう。エリザすらも落ちれば、魔種は嬉々とし喰らうはずだ。
レイモンドの意図に気付き始めたのか、これまで余裕だったエリザの顔が急に曇った。背にある穴を横目でみて、忌々しげに舌打ちした。
「私を魔種に喰わせようなどと、そううまくはいかんぞ」
地に落ちた杖は無視し、腕から流れる血を掬い上げたエリザは、指先で何もない空間に魔方陣を描きだした。
光る魔方陣から幾つもの触手が現れ、レイモンドを縛り上げる。そのまま魔種の穴へ飛ばした。
「なっ!?」
「喰われるのはお前だ!」
レイモンドは穴底に落ちていった。
面倒な存在が消え、地面に落ちた杖を拾おうとしたところで、騒がしく怒鳴る声に気づいた。馬のいななき、蹄や鋼がぶつかり合う音も聞こえてくる。
どんどん近づく音と不穏な気配は彼女の周囲を取り囲む。やがて見えてきたのは、数百はあろうという大規模な騎士団の姿だった。
彼らはエリザを囲んで止まった。
「なっ、なぜだ。外に助けを求める事ができないよう、あれの動きを封じておいたはずなのに!」
流石のエリザも屈強な騎士達を前にして怖じ気づいたのか、蒼白な顔になり後ずさった。
「こ、こんなはず……こんなはずではッ。……ん、なんだ、これは?」
足元から微量の魔力が不自然に流れている。地面から発せられたそれに、エリザは目をおとした。
◇◇◇
「……これは一体どういうことだ」
穴底へ真っ逆さまに落ちたレイモンドは想定した衝撃がまったくないことに驚いた。眼下は養分をたっぷりもらい成長した巨大な花がいくつも咲いている。花は蜜を滴らせ、レイモンドはその異様な光景に冷たい汗を垂らした。
「ああもう、そこで呆けてないで、さっさとこっちを手伝ってくださいよ!」
「え? お前はマナのところにいた妖精?この下が浮いてるのはーー魔方陣か」
聞き覚えのある声に顔をあげると、妖精がいた。うまく花が届かない高さに浮かんでいる。浮遊魔法だ。だがこれは魔力を一気に消費する。
「不本意ですが、あなたを助けて差し上げます。マナに頼まれましたから。でもさすがに二人分となると魔力が足りませんから、分けてください」
フェルの言葉に我に返ったレイモンドは慌てて魔方陣に触れ、魔力を送った。
「感謝する。危うくあの花に喰われる所だった。だが早く地上に戻ってあの魔女を倒さないと」
「それは、できません」
「? なぜだ」
浮遊魔法ならもう少し魔力を込めれば、もっと上にあがるはずだ。フェルの返答にレイモンドは怪訝そうに眉を寄せた。
「今はあなたがいると邪魔なんです。だから動くのはもう少し待ってください。これは彼女がここにいても良いかを見極める大事な試験なんです」
「試験?なにを言っているんだ」
「あなたが理解する必要はありません。とにかくここでのあなたは無力に等しい。黙って魔力を送り続けてください」
「……くそっ」
『彼女』とはおそらくマナのこと。試験とはどういう意味なのか。この妖精は何かを見透かし物事をみている。マナに対しても、なにか理由があり試している。
なにを考えているのか読めない妖精を胡乱げに見ながら、レイモンドは魔方陣にひたすら魔力を送り続けた。