魔王と騎士
とにかく無事に家に着いた。今はまだ真夜中。魔王城はここからかなり距離があったが、転移魔法で帰ってきたし、それ程時間は経っていない。
レイモンドは夕食をすませると入浴し自室に戻る。それから陽がのぼるまで出てくることはなかった。
マナも同じく寝室に引っ込み、読書に耽ったり、フェルに魔法やこの世界について教わったりしていた。
だから今夜も同様、いつも通り部屋にいて、マナが外出した事など気づいていないと思っていた。玄関扉のノブに手をかける。
「ーー一体、どこに行っていた?」
「!」
扉を開けると薄闇の中、レイモンドが立っていた。元来際立つ整った美貌の青年だが、表情を失くし硬質的な声音は、何か凄味を感じた。
「レイ、さん?」
「……」
無言になったレイモンドが手にした剣を抜いた。ひぃとマナは動揺し、掠れた声をだし後ずさった。
「お前は何者だッ!」
剣をこちらに向け、レイモンドが怒気を発する。真っ直ぐ接近してきたが、そのまま脇を素早い動きですり抜けていった。
え、と拍子抜けして振り向くと、漆黒の長衣を着た男にレイモンドが剣を向けていた。
(! あれは)
フェルがマナの服を引いて止めた。
「いけません。あれは魔王です!きっと僕たちの後を追ってきたんでしょう」
「うそでしょ」
漆黒の男ーー魔王もレイモンドに向かって右手を翳した。そこから巨大な炎が出現した。こんな規模の炎は今まで見たことがない。
炎は渦を巻き竜の形となり、レイモンドの剣とぶつかり合う。剣に氷系の魔法で強化したのだろう、彼も魔王の攻撃を避けることなく受け止めていた。
だが相手が相手なだけに倒すことは容易ではない。
「……邪魔だな。お前に用はない。私はそこの娘に用がある」
「!」
魔王の攻撃を受け止めることで手一杯のレイモンドと違い、魔王は飄々としていた。
魔王の呟いた言葉は想像通りで、マナは覚悟し一歩前に出た。このまま二人の戦いを黙ってみているわけにはいかない。
「魔王様、用があるのは私ですよね。でしたらその炎をおさめてください。あとレイさんも剣をおろしてください。お願いします」
「しかし」
マナはさらに前へ出た。
「大丈夫だから、レイさんお願い」
「……わかった。だからそれ以上進んではダメだ」
魔王の襲来に物怖じしないマナの姿をみて、レイモンドは驚いた。彼女は魔力が多少ある程度の魔の森に住む普通の娘だ。
ただどこかで思ってもいた。結界があっても魔物の脅威から逃れられているのだから、もしかしたら只者ではないのだと。
立ち止まるマナの前に魔王が現れる。僅かな距離にもかかわらず転移魔法を使ったのだ。濃密な魔の気配がさらに濃くなる。
魔王が感情の読めない目を向けた。
「お前は何者だ。何の目的があって私の寝所へ侵入し、私を目覚めさせた?」
「目的、ですか? あー、それはその……」
返答に窮した。ただの興味本位で魔王城へ行ったと答えても良いのだろうか。さらにあの記憶から抹消したい、恥ずかしい呪いの解呪。
早く話せと魔王が苛立つが、口ごもるマナをみて結局魔王が話し始めた。
「お前は私にかけられた忌まわしい呪詛を祓った。私でもどうにもならなかったあれほど強力な呪詛を人間のお前がな。これは非常に不本意で腹立たしい事だが、仕方がないので一つだけお前の願いを聞いてやろう。さぁ、早くいえ」
最後の方は棒読みだった。相当人間に助けられた事実が受け入れられないらしい。だったら別に来なくていいし、言わなくていいのにとマナは思ったが黙っておく。
さらに魔王は「光栄に思え」とふんと宣った。
(私だってあれは不本意で腹立たしかったのに!)
呪詛を解いた礼をすることで帳消し、貸し借りなしにしたいのだ、きっと。
隣ではレイモンドが殺気を抑えることなく、魔王を睨んでいた。とりあえず早々にお帰りいただかねば再び争いが始まる。マナは首を横に振った。
「何も願いはありません。今の生活で十分なので。ですから帰ってください」
「お前」
「目が覚めて良かったですね。あれは事故です。忘れてください」
「……」
自分からの施しを断るなど想定していなかったかったのか、魔王は呆気にとられていた。
側近らしき灰色髪の男が背後から魔王に寄り、耳打ちし始めた。
うむ、と側近の言葉に頷いた魔王はマナに向き直る。
「貧しきものよ。即座に望みが思い浮かばないのであろう。時間をおいてまた来る。それまでに何がよいか考えておけ」
想像力の欠如を嘆き同情したのか、憐れむような眼差しを向けてくる。「ではまた来る」といいおき、側近と共に消えていった。
「……なんだったの、あれ」
「マナ、少しいいか」
「レイさん」
魔王達が消えるのを呆然とみやり呟いた。もうすぐ夜明けだ。睡眠不足で怠くて、どっと疲れが押し寄せてくる。いい加減休もうと踵を返すと、にっこり怪しい笑みを浮かべたレイモンドがすぐそこにいた。
魔王が去り、レイモンドに沢山問い詰められた。彼はひどく怒っていたので、しゅんと項垂れ反省する。
「ごめんなさい」
「まったくあんな危険な場所に一人で行くなんてどうかしてる。魔法が使えるといってもあくまで君は普通の人間なんだ。こうして無事に帰ってきた事だって奇跡なんだぞ」
怒りをおさえずレイモンドは注意してくる。そしてマナの体の状態をみる魔法をかけた。傷や異常箇所の有無を確認してくれる。
「どこも怪我はないようだが、本当に大丈夫か?」
「はい。……ごめんなさい」
レイモンドには、気分転換したくなって夜散歩をしているうち、魔王城に偶然たどり着いてしまい、慌てて逃げ帰ってきた、ということにしている。
勿論、フェルと口裏を合わせた上で。
ただレイモンドはマナが夜中家を出ていく気配に気づいていて、その時は庭にでも行ったのだろうと思っていた。
だがいつまで経っても一向に戻ってこないため、庭に探しに行ったが、姿がないので、何か起きたのかと森を探しに行こうとしていた所だったらしい。
「ここは魔物が棲む森だ。夜は魔物が活性化する時間なんだ。君は自覚が足りない、何かあったらどうする。もしまた夜中に一人で行こうとするなら、その時は君の居場所を確認できる魔道具を無理矢理にでもつけるからな」
「ええっ」
「ダメだ。それが嫌なら、もうこんな事をするな」
普段と違う威圧する物言いにマナはショックを受けた。そしてそんな魔道具がこの世界に存在する事にも驚いた。
まるで向こうに存在するGPSのようだ。
青くなったマナをみて、レイモンドは「冗談だ。それが嫌なら大人しくしている事だ」と言って苦笑し、自室に戻っていった。
「はぁ、」
ほうっと息をつく。やがて眉を寄せた。
魔法で位置を把握する、そんな権限はいくらレイモンドにだってない。なんとも複雑な顔になっているとフェルが姿をみせた。この妖精は魔王が現れてから今までうまく消えていたのだ。基本、面倒事には関わりたくないのだろう。
「彼は心配していたんですよ」
「わかってる」
珍しくレイモンドを擁護していることに驚くが、特に追及しようとは思わなかった。
もうすぐ夜明けだ。これからの事を考えると少し憂鬱ではあるが、そろそろ眠った方がいい。欠伸をし、マナも自室に戻った。
「マナ、起きてください」
「うぅ、おはよう。フェル」
昨夜眠りにつくのが遅かったので、今朝はいつもよりゆっくりめに起きた。階段を降りていくと鼻腔をくすぐる美味しそうな匂いがしてきた。
居間に続く入口をのぞくと、向こうの台所でレイモンドがフライパンに火をかけ玉子を焼いていた。
騎士の彼が台所に立つ姿を想像してなくて、マナは驚いた。
(それにいつもなら森の探索で朝早く出るのに、今日はまだいるなんて……)
「おはよう。いつもマナに作ってもらって悪いからな。今日は俺も久々にやってみたんだが、どうかな?」
マナがいることに気づいていたのだろう、レイモンドが振り向き笑いかけた。早くおいでと呼ばれ、席についたマナは早速食べてみる。
「どう?」
「美味しい! 味も焼き具合も丁度良いし、完璧です」
パンも焦げてなく、うまく表面が焼けている。サラダやスープも美味しかった。
マナが美味しそうに食べているのをみて、エプロン姿のレイモンドがカップにミルクを注いでくれる。
「それは良かった。嬉しいよ」
誉められて満更でもないのか、レイモンドが柔らかく笑った。
見目がよく、どこか品の良い仕草にふと見惚れそうになった。場所や服装が違えば、裕福な家の給仕か執事としても通用しそうな感じである。
そういえばこの人、本職は騎士だったなとマナは顔をあげた。
「レイさんて騎士でしょう? そういう方でも料理できるんですね、ちょっと意外でした」
「そうかな、そんな事はないよ。騎士は訓練で夜営がある。簡単な料理をするのは訓練の一つなんだ。まぁ最近は城や屯所で食事をとることが多いかな。昔は自炊もしてたし」
「夜営ですか。騎士の方は大変なんですね」
魔物や外敵から国を守るため、騎士達は日々訓練を行い、要請があれば各地へ赴き任務にあたる。
「魔物の出現する所はここだけじゃない。王都から離れた辺境の村や国境付近の砦に現れたりする。その場合、各地にいる領主直属の兵が討伐するんだ。それでも手が足りない時は俺達に要請が入る」
彼の場合、ここから少し南にある村に魔物が多数出没したため、国から調査要請を受けてやってきた。その延長が今だ。
「調査はいつまで続けるんですか?」
「それについてだけど、もうそろそろ現状報告をしに一度戻るつもりだ。それから上に指示をあおぐ」
「そうですか」
レイモンドがこの家に来てから一ヶ月以上経つ。フェルとの生活は慣れてきたし楽しいが、やはり同族の人間との会話や交流がなくなるのは一抹の寂しさを覚える。
「本当は連絡魔法を使えば簡単に報告できるんだが、この森は魔力が強すぎてバランスが悪く、外部との接続がうまくいかない。困ったものだ」
「そうなんですね」
「それはそうと、一人は寂しいだろう。マナも一緒に森を出るか?」
「えっ?」
沈んだ感情がそのまま顔に出ていたのだろうか。レイモンドの眼差しが優しい。
「……」
気持ちが揺れた。この森と家しか知らない。できれば外の世界を実際に見てみたいという願望もあった。
ーーでも、
「ありがとうございます。でも私は今の生活が気に入ってて、ここを離れるつもりはないんです。勿論、家主と約束したというのもありますが……」
(……まぁ、女神様とだけど)
「約束か。でもいくら魔物を寄せ付けない結界があるとはいえ、君のような若い娘一人に任せるなど納得いかない。申し訳ないが、俺はその主とやらの人間性を疑う」
「おや、何を言っているんですか。マナ一人ではありません。僕もいますよ」
これまで大人しくテーブルの上でミルクを飲んでいたフェルが二人の会話に割って入った。
レイモンドがフェルをみた。なんとも言えない微妙な空気が漂う。二人の仲は相変わらずだ。
「だから貴方は自分の務めを優先してください。心配しなくても大丈夫です。彼女のそばには僕がいますから」
「……」
レイモンドの眉間の皺が深まった。フェルの言葉は彼の気持ちを苛立たせてしまう。マナは内心ハラハラしながら顔をあげた。
「とにかくレイさんは早く騎士団に報告に行ってください。皆きっと心配してるはずです」
「……わかった。だが戻るのはもう少し様子をみてからにする」
レイモンドは渋々頷いた。
それからさらに二週間が経った。
魔王はあれ以来全く姿を現すことはなく、森は相変わらず平和で穏やかだった。今もまだレイモンドはマナを一人置いていくことに難色を示したが、早く戻るよう、つど説得した。
そんなわけでようやくレイモンドが森を去る日がやってきた。
「マナ、色々ありがとう」
「いえ、レイさんも気をつけて。あ、それとこれ、よかったらどうぞ」
身支度を終えたレイモンドが外に出る。マナはあらかじめ用意していた荷物を渡した。
「これは?」
「簡単な物しか作ってないんですけど、お弁当です。あとこれ、お守り。守護の魔道具です、最近こういうの作るのハマっちゃって」
はは、とマナは頭をかいて笑ったが、レイモンドに驚かれた。
「君は魔道具も作れるのか。魔力量がかなりあると思っていたが、こんな事もできるんだな」
魔道具を作るのは高度な知識技術が必要で、魔力量もだが物質に魔法効果を移行させる技術がいる。
今回作ったのは守護の力を込めた剣と翼の意匠に鎖がついたブローチだ。我ながら素晴らしい出来に仕上がったと思う。
すごいなと感心し、早速上着につけてくれた。
「ありがとうマナ。じゃあ行ってくる」
こうしてレイモンド・マーシュリーは帰っていった。