森に迷い込んだ騎士
男を二階にある空き部屋のベッドに寝かせて、傷の手当てに使う清潔な布や薬を準備していると、フェルが慌てて飛んできた。
「待ってください、マナ。あなたは女神様由来の力が得意でしょう。たぶん回復魔法が使えるはずです」
「えっ、」
「傷を負った者がいなかったので教えられませんでしたが、今ならきっと大丈夫です」
フェルに促され、やり方を教わり回復魔法を使ってみる。魔法はイメージが大切で傷のない健康な体を頭の中に思い描く。寝台に横たわる男の腹部に手で触れ、力を込めると光が放たれ、あっという間に傷が修復されていく。それを目の当たりにし、思わず感嘆の声をもらした。
「……すごい」
「ええ僕も。近くにいただけなのに、体が軽くなりました」
回復魔法の波動をフェルも浴び、嬉しそうにしている。
「回復魔法はすごいのね」
「はい。本当は習得するのが難しい魔法なのですが、すんなりマナが使えた事に驚きました」
これは傷や体力を回復させる魔法で他に魔力を回復させるものもあるらしい。魔力回復については今のマナには危険なので、まだ教えられないとフェルに言われた。
傷が治ったためか、これまで苦しそうにしていた男の表情が幾分和らいでいた。それを確認し、ほっと安堵の息をはき、マナとフェルは部屋を出る。
「魔力量と魔の森に入れた事から推測するとあの男は魔術師かもしれません。彼がここに入った理由も気になります。あと女神様とあなたの関係ですが、当分の間、彼には秘密にしておきましょう」
「うん、わかった」
この森はたまに魔力保持者が魔の力に引き寄せられて、迷い込むことはあるが、マナ達の家周辺へは女神の結界があるので簡単には入れない。
「遭難だけなら構いませんが、邪な意思を抱いて入ることはできない。そういう森なんです」
「? 不思議な力があるのね」
なんだかんだで外はもう暗い。台所で夕食を作っていると二階から物音が聞こえた。きっと寝台で寝ていた彼が目覚めたのだ。料理を中断し顔をあげ扉をみると、一階におりてきた彼がこちらを見ていた。
目覚めて二階からおりてくるまで、足音がほとんどしなかった。早さもマナの予想と違った。
マナを緊張させるものはそれだけはでない。
それは男の容姿。金髪、青緑色の瞳。長身で均整のとれた体、美しい容貌。
意識なく倒れていた状態だったので、あの時はしっかり見ることができなかったが、とにかくかなり見目が良かった。
「……」
向こうもマナと同じく戸惑っているようで、こちらを見つめたまま呆然としていた。先に声を発したのはマナだった。
「よかった。目が覚めたんですね」
「……あ、ああ。あの、俺は、どうしてここに?」
「そこの森で倒れていたんですよ。あそこは魔物も出るし、危ないので私の家にあなたを運んだんです。……その、体は平気ですか?」
「倒れた? あ、嘘だろ。傷が……ない」
怪我を負った事などすっかり頭から抜け落ちていたのか、彼は思い出したように慌てて腹の辺りを触り始めた。
彼が確認し終わったのを見届け、「良かったですね」とマナは木製のマグカップをカウンターに置いた。中身は蜂蜜入りホットミルクだ。
「とうぞ、甘くて美味しいし、落ち着きますよ」
自分用のもいれたのでカップを両手に持ち、ホットミルクを口にする。そんなマナの様子を見て大丈夫と思ったのか、彼も椅子に座った。
◇◇◇
「物干し台、完成したよ。ついでに洗濯物も干しておくから」
「わ、ありがとう。レイさん」
あれから一週間経った。
男は今もマナの家にいる。あれ以降だいぶ落ち着いたのか、彼は自分の事を話してくれた。名はレイモンド・マーシュリー。南方にあるヘイデン王国で騎士をしているという。
魔の森には魔物調査で派遣されて来たのだが、探索中、魔草に接触し捕らわれ、魔力を吸われ動けなくなってしまった。
「ある程度、魔草は剣で斬り消滅させることができたんだが、やはり魔の森に生息するものは力が強い。思ったより魔力を吸われたみたいで、いつの間にか意識がなくなって……気がついたら君の家だった」
敷布を干し、その時のことを思い出したのか、レイが渋い顔になる。
「ありがとう。君が助けてくれなければ、今頃俺は……」
「いえ、気にしないでください。それにしてもレイさんが元気になって良かった」
体調が回復したレイモンドには、魔物の森に娘一人で住むのは危険だと何度も言われた。
マナはこの家を事情があり、人から頼まれ管理していると苦しい説明をしたが、果たして信じてくれたかはわからない。
羽根をゆらし空から舞い降りたフェルがマナの肩に乗った。それをみたレイモンドが怪訝な表情を浮かべた。
「……妖精、か」
「多少魔力のあるものなら、僕の姿が見える。あなたも回復したのだから、もうそろそろ帰ったらどうです?」
マナに向けるものとは別の明らかに冷たい態度をみて、困惑する。レイモンドが来てからというもの、フェルは万事この調子だ。
「わかってる。だが彼女も魔法が使えるとはいえ、普通の娘だ。こんな危険な地に一人でいるのはよくない」
「一人ではないです。僕がいます。だから大丈夫です」
「小さき妖精が。何を根拠にそう言ってーー」
言い方からして、レイモンドはあまりフェルにというか、妖精に対して良い感情を抱いていない。その事をマナは最近知った。
「あ、あの、二人共そろそろご飯にしましょうか!」
二人の間から醸し出される剣呑な空気を感じ、マナは割って入った。
騎士は民を守る。役割の一つだと聞かされた。レイモンドが心配しているのはわかる。だがこのままでは女神が用意した家を出ていく事になる。それはまずい。
この家には強力な結界が張ってあるので、魔物が襲ってくることはないと彼に説明した。
「結界? それなら前の家主は魔術師か。それか魔術師に依頼し結界を張ったか」
「さ、さぁ、そこまではちょっと私にもわからないというか……」
家主は何者なのか問われ、適当に濁す。これ以上の追及は勘弁してほしい。レイモンドはかなり怪しんでいるのだ。
「アップルパイ、焼けたかな。ちょっと見てきます!」
居間でランチ中、追及を避けるため、台所のオーブンに向かった。オーブンは鉄製の魔道具で魔力に反応し起動する便利道具だ。
フェルもそばにいて一緒にパイの焼き具合を見つめる。そしてそっと耳打ちした。
「マナ、あの男が発する魔力は変です。一刻も早くここから追い出した方がいいと思います」
「変? レイさんの前だと冷たくなるのはそのせい?」
「人間達は僕ら種族を差別対象にしています。あの目を見ればわかる。だから僕も同じようにしたまでです」
この世界で妖精と人間は非常に険悪な関係で、それはリトルアニアの神話で今も語り継がれている。
「人間王と妖精姫の悲恋が書かれている本が図書室に保管されてます。明日、場所を教えますね」
フェルはそう言い、にこりと笑った。
レイモンドの魔物調査はまだ終わっていない。結局、彼はこの家を拠点にして調査を続けることとなった。太陽がのぼるとすぐ彼は家を出る。その間にマナは図書室で書物を読んだ。
女神が用意した図書室はあらゆる世界の本がずらりと並ぶ。さらにマナがいた世界の本も。それらは不思議で、日をおうごとに新しい書物が増えていく。
「ーー不思議ね」
今日も欲しかった新刊が書棚にあり、手に取った。まぁ、退屈せずには済みそうである。
窓際にはフェルが気持ち良さそうに眠っていた。なんとも平和。
だが結界から向こうは、魔物が蠢き、魔王がいる。そのようなこと、誰が想像できるだろう。
「女神様に頼まれたことだけど、本当にこんなんで良いのかな」
すると背後で扉を叩く音がした。
「ただいま」
魔物調査から戻ってきたレイモンドだ。本を閉じ棚に戻したマナは少しだけ扉を開ける。
「お帰りなさい。森はどうでしたか?」
マナはそのままするりと部屋から出て扉を閉めた。この部屋は書斎のようなもので、レイモンドには入らないよう伝えてある。ここにある書物や魔道具はとても貴重な物だからだ。
念のため魔法でマナとフェル以外には普通の書斎にしか見えないようにしている。
「それじゃあ、お茶にしましょうか」
本当はお茶を飲むだけが目的ではない。マナはこの森の話を聞きたかった。ついでに森の奥にいる魔王のことも知りたい。
(今度レイさんが探索する時、私も連れていってもらおうか。それとも私とフェルだけで夜に森を探索してみようかな)
そんな事を考え、トレイに茶器をのせる。ハーブティと焼菓子を運んだ。
「お待たせしました。どうぞ」
「ありがとう」
カップをテーブルに置いた。レイモンドは真剣な顔つきで広げた地図に印と文字を書き込んでいる。この世界で使われる文字言語は理解できるようになった。あっという間だったのは、きっと女神の力によるものだ。