女神代理のひきこもごも
事故に遭った。橋から落ちて私、陽宮マナは死んだ。そう思ったのに、目を開けるとそこは何も無い真っ白な世界だった。
足元は柔らかく大きな綿毛が集まってできた雲上のよう。そして目の前には白くひらひら揺れる衣を纏った天女と見紛う程の美しい女性が立っていた。
橋から落ちた衝撃で川に、いや地に力なく座り込んでいた私は挙動不審におどおどと美しい女性を見上げた。
「……あ、あの?」
「そなたはたった今死んだ。ここは天界じゃ」
この場所はどこか訊ねようとした瞬間、ひらりと袖を口元にあて女性が告げた。
ーー陽宮マナは死んだ。
その言葉に動揺する。
「待ってください。それなら私は今、幽霊なんですか?」
「まぁそういう事になるな」
「そんな……」
私は最後の記憶を辿る。そう唯一覚えているのは水の中でもがき苦しんだ記憶だ。
(私、誰かに突き落とされた?……ううん、ダメ、覚えてない)
あの時の記憶は曖昧だ。
「すまなかったな。そなたがここに来る直前助けてやることも可能だったが、急務でな。強引だがこの手段しかなかった。どうしてもそなたの力が必要だったのだ」
女性は語り始めた。彼女は女神メルディアーナ。リトルアニアという世界を守護する創造神がうち一人で、すべての生きとし生けるものを見守っている。
そう、見守っている。基本的には見ているのみ。それゆえ下界で何が起きようとも手は出さない。
「だがそう悠長に見ていられない事態になったのだ。とうとう魔物の王が生まれてしまっての」
「まもののおう、ですか?」
現代日本て生きてきたマナには縁遠い言葉だった。理解できても幽霊くらいだろう。
「放っておけば下界は闇に覆われ、魔王に破壊しつくされる。都合良い事に勇者と呼べる者もほぼ同時に現れたが、今代の魔王は200年前の者より遥かに強い。恐らく大地は戦争が起こり荒れるであろう」
「……あの、もしかしてなんてすけど」
女神メルディアーナの話を聞いている途中、私は軽く手を上げ質問した。
「創造神の一人たる女神様は魔王、勇者、ありとあらゆる生命を生んだんですよね。それなら女神様の力でどうにかできるんじゃないですか?」
マナの提案に女神は憂いを帯びた顔をした。
「その通りじゃ。だが本当の所、私は『魔王と勇者』という機能を構築し世界に根付かせるだけの役目をおっただけで直接干渉はできぬのだ。それにこれは通常であれば問題なく機能するのだが、今回は少々異常事態が発生してしまったようで、それを修正したい」
女神の話によると地を闇で荒廃させずに魔王と勇者がうまく共存できるよう世界の流れを操作したいらしい。
「そのためにはそなたが私の身代わりとなって、リトルアニアに降りてほしい。女神代行者となり、しばらくの間、そこで生きてもらえぬか」
そのように話し、女神は申し訳ないとマナに頭をさげた。
創造神はメルディアーナ含め三人。他の二人については今現在行方不明。天界から神がいなくなるのは色々まずいそうで、本来ならメルディアーナ自身が地に降りたかったが、それは諦め、代わりに自分と最も相性の良い人間、陽宮マナを選定し呼び寄せた。
「そなたは地に降り、ただそこに留まってもらえればよい。案内人として私の使徒もつける。人の身に収まる程度だが女神の力も与えよう」
「居るだけ。それはつまり何もしなくて良いって意味ですか?」
女神はうむと頷いた。
「そうじゃ。そなたが魔王の棲む地にいるだけで闇の揺らぎが安定する。魔王のもつ闇の力が増すことも抑制され、人間と魔物それぞれの領域も維持される」
(魔王。今この人、魔王の土地に私が住むって口にしたような……!?)
「あ、あのっ、待ってください。私、そこに行って危なくないですか?」
魔王もいる、それは魔物だっている筈だ。しかもマナの乏しい知識、想像でも魔物のいる所は森や廃墟、人の寄り付かない場所に決まっている。そんな怖い所に住むなんて。それらが頭に浮かびマナは慌てふためいた。
そんなマナにメルディアーナはそれはもう麗しい笑みを返してきた。
「大丈夫だ、なんとかなる。勿論慣れるまで気苦労はあるが、そなたにとって快適な住居を用意する。とにかくそなたが降りなければ下界は崩壊する。他の二神が戻れば、そなたを元の世界に戻そう。それまでの辛抱じゃ」
「ええぇーー」
そんな事情でマナは少しの間だからとメルディアーナに言いくるめられ、リトルアニアと呼ぶ地に降りる事となった。
マナが降りた地域は魔王が支配する領域で人間が暮らす地とちょうど分けられていた。その境に女神が用意した家が建っていた。それはこじんまりした木造二階建ての家で屋根上に可愛らしい風見鶏が付けられていて庭もあり、塀もあった。
「へぇ、いきなり女神様が変な事いってきて、本当に住む所は平気かなと心配だったけど、意外ときちんとしてるのね」
ほっと胸を撫で下ろし、家を眺めていると、服の裾を誰かが引っ張る感触がし振り向いた。だが誰もいない。
「……?」
「もっと下です。ここ、こっち!」
低い位置から高く透き通った声がする。何だろうと目線を下げると小さい人がいた。
水色の髪に瞳、ワンピースのような白い服に腰ひもをつけている。その子の背には虹色に輝く美しい羽根が二枚あった。
これは妖精だろうか、マナは人知れずドキドキした。
その子はパタパタと羽根を使い浮かび、マナの肩にちょんと舞い降りた。
「はじめまして、僕は女神様にお仕えしている妖精でフェルとお呼びください。女神様に頼まれ、代行者様の家を用意しておいたのですが、いかがですか?」
目を輝かせ感想を求めてくるフェルをマナは率直に褒めた。
「すごいね。あなたが一人で作ったの?」
「ええと、正確にいうと一人ではないです。本当は僕は水の力しか使えませんから。でも女神様が一日だけ僕に特別な力を授けてくださったので、上手く魔法で作る事ができました」
質問に真摯に答えてくれようとする姿勢に好感がもてた。彼は真面目で良い妖精だ。
「代行者様はこの地に来たばかりで何もわからないでしょうから、ここにいる間は僕が誠心誠意お仕えし色々お助けします。どうかよろしくお願いしますね」
「うん、こちらこそよろしくね。でも私の名前は代行者様じゃなくてマナよ。これからはそう呼んでね」
「マナ。素敵な名ですね。リトルアニアでその言葉は『力の結晶』という意味なんです」
「へぇ」
こうして女神の使徒フェルとマナの生活が始まった。
家の中は木造で簡素だが綺麗に掃除が行き届いており、マナが暮らすには広く感じた。台所は広く設計されていて対面カウンター様式になっている。
二階は部屋が三つあり、各々ベッド、クローゼットがあった。マナ用の部屋にはリトルアニアで着用する衣服が幾つもあり、ある程度生活するに困らない物も揃っていた。
「これを見てください、マナ」
肩上に座したフェルがカウンターに置いてある水晶のネックレスを指差した。
「綺麗ね。これは?」
「女神様の力を制御する神具です。食べ物や生活に必要な物はこれで自由に顕現させる事ができます。どうしてもと言う時は僕が人間の姿に変化して近隣の町に行って手に入れて来ますね」
そういってフェルは瞬く間に茶髪の少年姿になった。彼はこの世界や家の事などとても詳しく教えてくれる。
「あとマナ自身も練習すれば魔法が使えるんですよ」
「えっ、そうなの?例えばどういうの?」
「そうですね。試しに使ってみましょうか」
家の中で魔法を使うのはまだ慣れてないから、何かあると危険と言われ、二人は家から離れ森に入った。マナが着てきた服はこの世界の物とは明らかに違い、目立つため、クローゼット内の衣服に着替えてきた。この日は茶色の半袖ブラウス、ベストにスカートだ。
「ここはマナの家を境に南は人間の地、北は魔物と魔王のいる地に分かれています。謂わばあの家は互いの領域を区切る境界線なんです。ここらもそうですが、あの辺りは魔の森と呼ばれています」
「境界。その意味がいまいちわからないのよね。女神様は私がそこにいれば安定すると言ってたけど」
「ええ。マナは女神様の力を内包しています。あなたがいると魔物と人間は穏やかになる。互いの領域を侵犯する意識が働かなくなるんです」
「……ふぅん」
得意気に説明するフェルをみてもそれが本当なのかいまいち現実味がない。ちょっと疑わしかった。
森を進んでいくと開けた場所にたどり着いた。ここにしましょうとフェルがマナを呼ぶ。
「マナには女神様の聖紋が刻まれています。普通の人間とは違い、女神属性の力を行使できる。これは非常に稀有な力です」
「せいもん?」
「体のどこかに刻まれているはずです。人間や魔物が目にすると面倒なので、なるべく目立たない所にしたと女神様は仰っていましたが」
「……体?」
ちょっと待ってねとマナは草むらの影に隠れ、あちこち体を確認し始める。するとあった、だがそこはーー
「ああ、見つかったんですね。どこですか?」
なぜか固まるマナをよそにフェルが覗き込もうとした。ばばっと服を元に戻す。
「? どうしましたか」
「あった。あるけど見せられない」
聖紋は左腿内側にある。不思議な模様だった。おそらくこれの事だろう。
(どうしよう。こんな変な所にあるなんて)
スカートを整え終えるとフェルがにこりと笑った。
「心配いりません。聖紋は誰かに見せるものではありませんから。それにその箇所なら滅多に見られる事はないでしょう」
平然というフェルは妖精。人間の恥じらいや心情はあまりよくわからないようだ。
「万が一、聖紋を見られるとまずいとかある?」
「いえ、女神様の力をもつ人間は希少でほとんど存在しないです。ですから聖紋をみても普通の人間には判別できません。ですが稀に勘の鋭い者がいます。……例えば勇者や魔王、あと聖魔術を扱う者がそうです」
聖魔術師とは最近増えてきた新興の魔術を扱う者で既存の魔術師と違い、破格の安さで仕事を請け負うので民に人気があるらしい。聖魔術の根源は聖と魔の混合。その力を使い、人々を助けている。
けれどとフェルは毛嫌いするように吐き捨てる。
「あれは単なる魔術です。それも低位の。名称をそれらしく変えただけ、中身は他と変わらない。ですが厄介なのは人柱を立て魔力の源とすること」
「人柱、それは人間を使うということ?」
「そうです。聖魔術師達をまとめている長、それが聖魔女。彼女が最近よくない手法で魔術を開発していると噂で聞いた事があります」
この世界の事をよく知らないマナは相槌を打つことしかできない。改めてフェルは物知りだと感心する。
「まぁ、とにかく、ここにいさえすればマナが変な輩に目を付けられる心配もありません。だから不安にならなくて大丈夫ですよ」
「うん」
聖紋の確認後、教わった魔法を実際に使ってみる。マナの場合、特に呪文は必要なく、念じるだけで発動できた。この世界は火風土水光闇魔、様々な属性の魔法が存在するが、その中でも光の魔法が一番使いやすいとマナは思った。
「やっぱり光のが発動させやすい。力も強いし」
「マナは女神属性なので光の魔法に秀でているようですね。反対に魔の力はあまり使えていませんね」
「そうみたい。使うと物凄く体力が削がれる」
それでも呪いや魔の力は発動するが他のと比較すると圧倒的に威力が弱かった。まぁ、その力が苦手でも他の属性魔法があるのだからあまり気にしなくてよさそうだ。
「魔力量は女神様に匹敵するほどありますので、余程の事がない限りは魔力切れになることもないでしょうしね」
こうして二人はたびたび森へ入っては魔法の練習をしていた。リトルアニアに来てからすでに二週間が経った。今日もマナ達は森で魔法の練習後、休憩がてら軽食を食べていた。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます、マナ」
今朝作ったばかりのチーズと玉子を挟んだパンを隣に座る妖精フェルに渡す。彼は基本、人間と同じようにどんな物でも食べる。本当の事をいうと食べる必要はないが、人間の食べる物に興味があるそうで、だんだんとマナの料理を口にするようになっていった。
「美味しい?」
「はい。とても。人間の食べ物は種類が沢山あって美味しいんですね。勉強になります」
瞳を輝かせて微笑む妖精はとても綺麗だった。さらに小さく切ったミートパイも渡す。
「ふふ、これもどうぞ」
「わぁ、食べます。それにしてもマナの魔法便利ですね。まったく人間の発想は面白い」
「ああ、これね」
マナのすぐそばにある空間をフェルが凝視している。よく目を凝らすとそこの空間は微妙に歪んでいた。マナは躊躇いなくそこに手を入れ、ガサゴソとその奥にあるものを取り出す。
魔法を学ぶにあたって、家にある書籍を片っ端から読んでみた。そこには魔術書や歴史書、様々な種類の本が揃っていた。魔術開発、改良の記録も残されており、それらを参考にして空間に関する魔法を色々改良してみた。
「うふふ、ちょっと便利よね。私の作った空間に荷物を入れておくの。これなら重くてかさ張る物も簡単に持ち運べるわ」
「……言っておきますが、魔法を時間を要せず改良するなんてそうそうできる事ではありません。マナは少し変わってるんですね」
ですが美味しい物を食べられるのは良いですけどと口をもごもごさせフェルが言った。
すると近くの繁みがガサガサと揺れ、そこから棘が沢山ある小動物が現れた。
「ハリネズミ?可愛い」
「!あれは魔物です。気をつけてください」
森の北は魔王城がある。そのせいか、たまに魔物が迷い込んで来ることがあるらしい。フェルは眉を寄せた。
「家と周囲の森には女神様の結界が張られているので、凶悪な魔物はそうそう近寄れません。ですが力の弱い魔物は結界が脅威と判別できず、知らずにやってきてしまうんです」
「そうなのね」
見た目はハリネズミと瓜二つで可愛らしい。近くに寄るので小さな果物をあげた。だがフェルが瞳を吊り上げる。
「もうマナ。餌付けしてどうするんですか!」
「ご、ごめんなさい。つい」
力の弱い魔物は結界を容易にすり抜ける事ができる。つまりこの魔物はマナに危害を加えない、加えられない。大丈夫という意味ではないか、だから無意識にこちらから近づいてしまった。
『ウマイ、もっとくれ』
「喋った!」
ハリネズミが顔をあげ、食べ物を催促してくる。動物、いや魔物が人間と同じように言葉を話すなんて驚きだ。フェルは観察するようにハリネズミをじっと見ていた。
「この魔物は少々知性があるようですね」
『これ向こうにいる仲間にもやる。頂戴』
「あなた、仲間がいるの?」
『こっち、ついてこい』
魔物は基本的に荒々しい性格で、個々で行動するのが普通だ。けれどそれは上級魔物に関してで、下級の魔物は弱く、中には人間に狩られ売買される事もあった。そのため一部の魔物は群れで生活しているそうだ。
「この魔物も生きるために集団で行動しているのでしょう」
「この子達も大変なのね」
ハリネズミに案内された場所には彼の同族達が沢山身を寄せあっていた。確認し目視でも数十匹はいそうだ。
近づくと何かの物体の上に乗っている事に気づく。よく見るとそこには人間の足があった。マナがしゃがんでさらに確認すると、ハリネズミ達はわらわらと散っていった。
そこには魔物ではなく、人間が倒れていた。
その人は金髪の男性で意識がなかった。
「この森に人間とは珍しい。見た所普通の人間ですが、魔力を感じます」
「それって、魔物?」
「いえ、魔力がある人間という意味です。この男、あなたほどではありませんがそれなりに魔力があるようです」
尚も男を注意深く観察するフェルにマナはそうなのと呟く。すると男が苦しげに呻きだした。土のついた上半身から血が滲んでいるのが見えて、マナは顔色を変えた。
「この人、怪我してる。とりあえず家に運ぼう」
風の魔術を発動させ、男の体を浮かばせる。非力なマナは彼の体を支えるのは難しい。こんな時、魔法は本当に役に立つ。マナ達は男を家に運んだ。