第63話 末路
暗闇と静寂の中で、ソラは自分が地面へと叩きつけられたことを感じていた。
ただ、冷たさだけが彼女の背中を打ち付ける。矮躯に刻まれた無数傷から、止めどなく血があふれ出る。
自分は今、何をしているのか。暗く冷たい意識の中、彼女は自問した。
(ウチは……何のために戦っとるんや?)
スキルを封印され、四肢を失い、視覚と聴覚を失い、今や命も失われようとしている。
それは何故か。人類の絶滅が目的だなどとほざくベーゼの喧嘩を買ったからだ。様々なギミックやアイテムを持つベーゼに翻弄され、撤退を余儀なくされた。
ブロワーマン、マコト、ガーランド、グレゴール。
彼らが力を合わせ、知り合いの協力を得て仇討ちをしてくれた。
だが、A級モンスターという切り札を2体も失ったことで、仲間たちはベーゼ側の物量に押されつつある。
思考している間にも、地面に広がる鉄の水たまりは彼女の肉体をじくじくと苛む。
大量のリビングアーマーを溶かし、飽和状態となった強酸性スライムの死骸だ。わずかに残った酸でも、彼女の人体を溶解するには十分な濃度を秘めていた。
砕かれた魔石が、液体金属となったスライムが右腕の傷口を蝕む。
包帯が取れ、未だ治らない傷口からはジュウジュウと煙が上がる。
動けない彼女は溶けて混ざり合い、液体金属と一つになるだろう。
そこまでされて、そこまでして。何故ベーゼに執着するのか。
「ムカつくからや」
それが全てだ。
彼女の意思に呼応し、液体金属が脈動する。
スキルの『進化』が始まる。
――スキルの『進化』とは、一般的に知られた現象だ。
【毒】というスキルが、死線を潜り抜けたことで【猛毒】というスキルに進化する。
ありふれた、実にありふれた現象である。
ソラは数々の戦いを経て、その領域への切符を手にしていた。
必要だったのは、きっかけである。彼女の場合は、怒りだった。
「お前を殴る」
酷く怯えた様子のベーゼを前にしても、ソラの心には怒りが燃え上がるだけだった。
彼女は、躊躇いなく鉄拳を振り下ろした。
◇
「ソラああああぁぁぁぁ!!!」
ドタバタとブロワーマンが走ってくる。
ボロボロと巨大な鉄拳が崩れ落ちると同時に、ソラも倒れ伏した。
それぞれの方法でリビングアーマーの津波をしのぎ切った彼らがソラの元へ集う中で、ベーゼの残骸の一つがモゾモゾと動き出した。
「う……うぅ……逃げなければ……」
それは、手甲のみになったベーゼだった。
ベーゼは、無様な姿になっても生き延びることを諦めなかった。
「幸い奴らは気づいていない……このまま――」
「――どこへ行くってんだ?」
「えっ」
手甲のみの状態で地面を這いずるベーゼの前に、男達が立ちはだかる。
彼らは鉱山で働く鉱夫。その手に採掘の道具……ツルハシはシャベルを持っていた。
「ずいぶんやてくれたな、俺らにも生活があるってのに」
「こんなクソみたいな仕事場だがな、俺らはこれでおまんま食ってんだぞ。どうしてくれる」
鉱夫達は怒っている。
確かに劣悪な環境だったかもしれない。だが、それでも彼らの生活を支えるための仕事場なのだ。
ここがなくなれば、行く当てもないという者もいる。だからこそ怒っている。
「う……ああ……」
「さっきの戦いを見てたが……お前、めちゃくちゃ硬いんだな。じゃあこれで叩き潰してやるよ」
一番前に立っていた鉱夫、諸星凱郎がそれを取り出す。
それ、とは。一抱えもある、黒い岩石の塊だった。
「そ……それはぁぁぁぁ!?」
「ああ、クソ硬い石だ」
彼らがクソ硬い石と呼ぶそれは、彼らがツルハシを全力で振るっても、爆薬を使っても傷一つつかなかったものだ。
「そ、それは伝説のアダマンタイト!?」
「伝説? 道理で硬いと思ったぜ。ま、デカいのはこれしかないし後は細かいのだけだがな。俺らにはクソ硬い石ってだけよ」
そう、伝説であろうと何であろうと。
彼らの生活を救ってはくれなかった。彼らにとっては何の価値もない硬い石である。
それを聞いたベーゼは、怒りをあらわにする。
「こんの……! モノの価値も分からんド低能どもがぁぁぁぁ!!!」
「手伝うぜ諸星! 御託はいいから死ねやぁぁぁぁ!!!」
ゴシャッ。
金属同士がぶつかり合う音と共に、ベーゼが叩き潰された。
硬い地面とアダマンタイトに圧し潰され……死んだのだ。
そこへ、ブロワーマンがやってくる。
「まだ生きてやがったのか鎧マン……よし、もう死んだな。皆さん、ご協力に感謝します」
「いや、助けてもらったのはこっちさ。それより、あいつの持ってた剣を何とかすれば、娘は助かるんだろ?」
凱郎が、地面に突き刺さっている魔剣『シェルブリンガー』を指さす。
鍔の辺りに存在する目が、ギョロギョロとせわしなく動く。ブロワーマンは、明らかに意識を持ったそれに勇み足で近づく。
「そうだ! あんだけボロボロだったらオレでもやれるぜ。風の恐ろしさを思い知らせてや――」
「一体何の騒ぎだ」
だが、ブロワーマンが魔剣に近づくよりも早く、何者かがやってきた。
太った身体、薄い頭髪、下卑た顔。その人物は――
「げっ、社長だ……」
「戻ってきやがったのか、屑山の野郎……」
そう、『迷宮町第一資源鉱山』を採掘する会社『マキシマ・マテリアル』の社長、屑山だ。
「お前達、何をしてる。さっさと仕事に戻らんか……うん? 何だこれは?」
「あ」
社長……屑山が、シェルブリンガーを引き抜いてしまう。
「これは……」
「それを返していただけませんかね?」
「ああ? 何だお前は?」
品定めするようにシェルブリンガーを眺める屑山に、ブロワーマンが話しかける。
屑山はそれに対し、不快だという表情を隠しもせずに返事をした。
「それを壊さなきゃ、仲間が死ぬんですよ」
「何を言って……いや、待て。私はこのような剣に見覚えがある。これは魔剣だな?」
「そうだと言ったら?」
ブロワーマンの返事に、屑山がニヤリと笑う。
「それを聞いて誰が返すんだ! この剣はもう私の物だ! ダンジョンの品は拾った者に所有権がある……この鉱山でもそれは適用される! 社長であるこの私に対してはな!」
「そ、そんな……」
凱郎が焦りの表情を見せた。
だが、ブロワーマンはなおも無表情のままだ。
「た、頼んます! それがなけりゃ、娘が死んじまう! よしんば生きてても、一人じゃ動けねぇ!」
頭を下げ、必死に懇願する凱郎。
それを目にした屑山は不愉快そうに鼻を鳴らし……
「ふん、くだらん。お前の娘如きよりも、私の金の方が大事なのだ」
「そんな……じゃあ娘は……」
「喜べ、私の会社に一銭の金も落とさないお前の娘より、お前の方が価値があるということだ」
「……」
そのあまりにも人道を無視した言葉に、凱郎はうつむいてしまった。
「お前は? まさか私から力づくでこれを奪うとは言わんよな? 探索者が、一般人から、奪うなどと言わんな?」
「……」
一触即発。
無表情のブロワーマンが何を考えているのか分からない。何をするつもりなのかも。
だがそこへ、意外な人物が登場した。
「うっス。ここからは私が話を引き継ぐっスよ」
「受付嬢か」
「何者だ!?」
受付嬢だった。
あまりに唐突な登場に、屑山が警戒する。
「安心してくださいっス、探索者協会から裁定を仰せつかった……受付嬢と申す者っス」
「そ、そうか……なら話は速い。この剣は私が拾った。なら私の物だろう?」
その質問に、受付嬢はニコリと笑った。
「うっス。別に法律に何も反してないのであなたの物っス」
「ふん! 当然だな!」
「そ、そんな……」
それを聞いて、凱郎や話を聞いていたマコト達が絶望する。
「あなたは何も間違っちゃいないっスよぉ」
「そうだろうそうだろう!」
「それにこんな魔剣……しかも生きている武器っス。オークションにかけたら数億円は固いっスね」
「お、億!?」
「しかもこれは個人的に拾った物。会社の金じゃないっスよ」
屑山は億単位の利益を夢想する。
まだ、捕らぬ狸の皮算用であるというのに。
それを見た受付嬢は満足そうに頷き、話を続けた。
「自分、オークション会場とコネ持ってるんスよ。良かったら紹介してあげるっスよ?」
「いいのか!? 是非!」
「そうこなくっちゃ」
受付嬢は紙とペンを取り出すと、自分の胸を下敷き代わりにしてサラサラと文章をしたためる。
屑山は、豊満は胸を見るいやらしい視線を隠そうともしない。そして、受付嬢がそれを見て邪悪に嗤っていることに気づかない。
「できたっス」
紹介状を封筒に入れると、チュッと軽くキスをして屑山に差し出した。
「オークションは明日っス! 急ぐっスよ! 今日中に持ち込めば大丈夫っス! 何なら協会の車で送ってくっス」
「おおおお急げッ」
太った体のどこにそんな力があるのか、屑山はシェルブリンガーを持って大急ぎで駆けだした。
やがてその姿が見えなくなると、受付嬢は笑みを崩して疲れたような表情をする。
「はぁーっ……マキシマ系列の連中ってあんなんばっかっスね」
「お疲れさん。まあ、マキシマだからな。オレも極力関わらないようにしてるよ」
「そうっスよね!? いやもう何であんなクソ企業が世界的大企業なんスかね」
先ほどとは打って変わり、にこやかに笑い合うブロワーマンと受付嬢。
マコトはその様子に対し、疑問をぶつけた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 魔剣は持ってかれちゃったんですよ! どうやって諸星さんを助けるんですか!?」
「うん、それはご尤もな質問っス。でも安心するっスよ」
受付嬢は、その場にいる者達にタブレットを見せた。
それを全員が覗き込もうとするが……狭かったので口頭で伝えることにした。
「あの魔剣は探索者協会に未登録っス。未登録の魔剣は……破壊っス!」
「え……えぇぇぇぇ!?」
驚くマコト達を尻目に、受付嬢は携帯を取り出した。
「もしもし、自分っスよ。実は未登録の魔剣がオークションに流れてて……あ、場所は分かってるっス」
◇
「……はぁ? 未登録の魔剣、それも生き武器が? オークションに?」
電話口で、マツリが呆れたような声を出した。
何を言っているのか本気で理解に苦しんでいるような、まるで下等生物の戯言に意味を見出そうとしているような……
とにかく。マツリが、受けた報告の内容を飲み込むには数秒の時間がかかった。
「バカバカしい。そのような愚行を、防衛司令官たるこの私が許すとでも?」
マツリが、片手でパソコンのキーボードを操作する。
探索者協会の技術の粋を集めた……彼女の自作PCだ。事実上のスーパーコンピューターなので、フリーズとは無縁である。
セキュリティも完璧なので、いかなるウイルスは即座に死滅する。それをいいことに、彼女は多くのフリーゲームをダウンロードしていた。
そんな夢のようなパソコンで、彼女は一通のメールを送信した。
「魔剣というものは我々によって全て登録されてるんですよ。オークションを潰すいい機会かもしれませんね」
コーヒーをグビッと飲み干す。
「たった一つの指令を下します。魔剣を破壊せよ」
数秒も経たない内に返された返信は。
『了解』
ただそれのみだった。
◇
オークション会場。
ここではモンスターの素材や、ダンジョン産の道具などが取引されている。
もちろん、探索者協会は目を光らせており……いつでも潰せる状態にある。
中でもここは、探索者協会の引いた一線を越え、調子に乗ったオークション会場だった。
バレなければいい、面従腹背していれば大丈夫だ。バックには大物もついている。
そんな浅知恵を、探索者協会が把握していないはずもないというのに。
「さあ、今回の目玉商品! これはさるダンジョンで産出された魔剣であり、しかも生きている! スキルは【封印】、その効力は折り紙付きで――」
魔剣シェルブリンガーが運ばれてくる。
力なく目玉を動かす姿には、哀愁を漂わせている。
だが、加熱した会場の客たちはそんなことに気づかない。
「まずは1億からになります!」
「2億!」
「3億!」
「5億!」
一体、どれほどの値打ちになるのだろうか。
誰もがその行方を見守っていた。興味がないのはシェルブリンガー自身。そして――
ガァン!
「えっ」
何かが、シェルブリンガーの刀身に命中する。
たったそれだけで、シェルブリンガーのひび割れた刀身は砕け散った。
シェルブリンガーは、静かに瞳を閉じ、その生を終えた。
「ま、魔剣が――」
目玉商品が破壊されたことで、主催者のみならず誰もが呆然とする。
勘の鋭い者は逃げ出そうとしたが、それも叶わなかった。
「開けろ! ダンジョン・フォースだ!」
「全員逮捕だ!」
探索者協会、五賢将であるマツリの直属部隊、『ダンジョン・フォース』が会場の全てを包囲する。
客の中には高位の探索者もいたが、高い練度を誇るダンジョン・フォースには手も足も出ず、あえなくお縄についた。
その光景を、冷めた目で見る者がいる。
「特殊部隊……すげぇ。いい装備つかってんなー」
『任務完了』
「あ、待ってくれよー! 置いてくな!」
スナイパーライフルを担いだ影は、興味がないとばかりに去って行く。
オークション会場のアングラな暗闇に、赤い眼が光った。
【ボルトスパイダー】
・A級ダンジョン『不思議のジャングル』などに出現する大型のクモ型モンスター。
糸を巻き付けた対象に高圧電流を流す能力を持っており、多くの探索者が被害にあった。
別名『金属殺し』、『鎧殺し』とも呼ばれ、絶縁体装備無しでは高い脅威度を誇っている凶悪モンスター。
【強酸性スライム】
・全身が強酸でできたスライム。
彼らが出現するダンジョンでは金属系のモンスターが出現するため、身を守るために酸を身につけたのではと考えられている。
金属を容易に溶かし尽くす半面、強アルカリ性の物質で中和されてしまうと手も足も出ずにやられてしまう。
【サドン】
・爬虫類のような顔を持つ、刺々しい全身と、鞭のような両腕を持ったモンスター。
対象を殺すたびに急速に強くなっていく特性を持ち、多くを殺したサドンはS級モンスターにも匹敵する。そのため、定期的な間引きが必要である。
対となるモンスター【マゾン】が存在し、この二種を相対させると大人しくなる。
【パンツァー・ベーゼ】
・邪悪なるリビングアーマー。
人類の絶滅を目的とし、ダンジョン内に私兵となるリビングアーマーの軍団を集めていた。
彼が何故、人類の滅亡を企てたのか。その目的は今となっては不明である。
ただ一つ分かることは、彼が根っからのモンスターだということである。
【攻殻の魔剣『シェルブリンガー』】
・刀身が生物の甲殻のように不規則な、異形の魔剣。
その見た目に違わず頑丈であり、鈍重ながらも高度な自己判断を可能とする。
スキルは【封印】
傷を与えた対象のスキルを一つ封印する。
魔剣には見えている。
自身の終わりが。歪なる生命の終幕が。
彼はそれを受け入れる。どうなろうとも構わない。
自身という殻を打ち破ることができるなら。
少女が鉄拳を振るう瞬間を、魔剣は見届けた。




