第50話 A級探索者『毒虫』グレゴール・ザムザ
ある朝、グレゴール・ザムザが悪夢から覚めると、自分が毒虫になっていることに気づいた。
◇
――ドイツのある町での話である。
とある家族の住む家が、ダンジョンと化した。
それだけならよくある話だ。その建築物は協会によって保全され、代わりに住民の衣食住は協会から保障され、徹底的に支援される。
ただ。グレゴール・ザムザにとって不運だったのは、自分以外の家族がモンスターと化したことだろう。
モンスターとなれば、もう元には戻らない。場合によっては理性すらも消失する。不運なことに、彼女の家族は理性を失っていた。
『グレゴォォォォル!!!』
奇妙にねじくれた廊下と、何の意味もない配置の家具。そして、淡い橙色の明りが灯った暗闇の屋敷の中に、赤く燦爛と燃える眼を持った大男が1人。
理性の欠片も存在しない目つきとは裏腹に、その服装はそれなりに仕立ての良い服装である。
彼こそ、グレゴールの父親であり、今はA級指定の危険モンスター『ザ・ファーザー』だ。
「父さん……母さんと妹はもう逝ったよ。次はあなたの番だ」
グレゴールはすでに『ザ・マザー』及び『ザ・リトルシスター』を葬っている。
母親は大量の家具をポルターガイストとして操り、破壊の嵐を巻き起こす能力。
妹は下僕を召喚し、とにかく数で押す人海戦術。
いずれもグレゴールが人生で出会ったこともない強敵だった……だが殺した。
A級探索者、グレゴール・ザムザ。屋敷が、家族がモンスターと化した時、彼女のみが協会から派遣された探索者によって救助された。
それ以来、彼女はこのダンジョン『変身の家』の攻略に身をささげていた。それが気づけば、A級に上り詰めていた。
だが、そんな肩書に思い入れなどない。
重要なのは、今ここで最後の肉親の凶行を終わらすことだけだ。
「あなたをこの拳で葬る」
長身であるが痩躯。
お淑やかな令嬢の如き外見の裏には、激情が煮え滾っている。
その構えは総合格闘技、立ち技を得意とする典型的なストライカー・スタイルだ。
「行くぞッ!」
『グレゴール……グレゴォォォォル!!!』
グレゴールが風のような速さで肉薄する。
A級ともなると、一般人が目で追うことは不可能になる。1匹でも軍隊を壊滅するモンスターの群れすら単騎で殺し尽くしかねない、それがA級探索者だ。
「はぁっ!!!」
グレゴールの貫手が、ファーザーを貫かんと迫る。
この必殺の貫手によって、グレゴールは母親と妹を真っ二つに両断していた。
その方法は単純。とにかく速く肉薄し、一撃で殺す。それだけだ。
『ヴォオオオオ!!!』
「なっ」
だがファーザーはそれを驚くべき速度で避けた。
技もギミックも存在しない、純粋な速度。母親も妹どころか、屋敷のほぼ全てのモンスターが屋敷内のギミックを活用するタイプだったせいもあり、グレゴールは一瞬だけ気を取られた。
「速い……が、動きは単調だな」
『ガッ!?』
だが、それも一瞬のみ。
並の探索者なら命取りとなるような隙でも、グレゴールは背後に回り込んだファーザーに裏拳を叩き込んでみせた。
「さあ、これで終わりだ」
『グ……グレゴォォォォル!!!』
一撃一撃が必殺の威力を秘めた連打が繰り出される。
全てがファーザーの急所を狙い、絶対に逃しはしないという執念が籠められていた。
それを受けてもなお、戦闘可能な程度には無事なファーザーは、恐るべきモンスターだと認識できる。
だが、ファーザーは元人間とはいえモンスター。痛みと死の恐怖を無視し、その右腕をグレゴールの脇腹に押し当てた。
腕がギャリ、と展開する。そう、ファーザーは義手だったのだ。
『アプフェェェェッッッ!!!』
「がっ――」
義手から放たれたのは、リンゴ。
ゼロ距離から発射されたリンゴは、グレゴールの肉体を破って脇腹に食い込んだ。
「と、父さんは義手だったな……だが、その判断が命取りだったな」
身体に異物が侵入する未知の激痛に耐えながら、グレゴールはファーザーの腕を掴んだ。
いつでも切り離せる義手ではなく、生身の部分を。無茶苦茶に暴れるファーザーによって傷を受けながらも、彼女は安らかに笑った。
「ありがとう、父さん。そして、さようなら」
グレゴールの回し蹴りが、ファーザーを両断した。
生命活動に必要な部位を破壊されたファーザーは、今際の際に正気を取り戻した。
『アアァァ……ああ、す、まなか……った……愛しきグレゴ………ル……』
父親は消滅し、後には静粛と、狂った屋敷のみが残った。
「終わった、か……」
グレゴールは狂った家族を終わらせるためだけに生きてきた。
そのために探索者となり、『変身の家』の攻略に人生を費やした。
彼女は燃え尽きていた。もう、彼女に生きる気力は残されていないのだろう。
静かに目を閉じようとしたその時、屋敷全体が揺れる。
最初は小さかったそれは、次第に大きくなり、やがては家具が床に落ち、砕け散るまでになった。
「ダンジョンの崩壊……か……フフフ、私から、この屋敷まで奪おうというのだな……」
攻略されたダンジョンには、崩壊するものとそうでないものがある。今回は、運悪く前者だった。
グレゴールの元には、もはや家族との思い出以外何一つとして残っていない。残ったのは見た目のみとはいえど、育った生家。だが、それすら崩壊によって奪われてしまった。
「そうだな……来世は……虫になりたい。毒を持った虫に……皆から忌み嫌われれば、こんな思いなど……こんな思いなど……」
もう疲れ切った、生きる気力など、悲しむ力すらも残っていない。彼女は今度こそ目を閉じた。
――揺れの振動で、一冊の本が落ちてくる。魔法陣の書かれたそれは、グレゴールから放たれる強大な魔力によって起動し、彼女を亜空の彼方へと飛ばした……
◇
「……まだ私を眠らせてはくれないのか」
グレゴールが夢すら見えない眠りから覚めると、自分が洞窟のような場所にいるのに気づいた。
「ここは、ダンジョンか?」
探索者になってからというもの、『変身の家』以外のダンジョンに入ったことのないグレゴールには、ここがどこなのか分からなかった。
ただ、魔力の残滓からしてダンジョンであること以外、全く分からないのだ。
「ひとまず進むか……ぐっ!?」
めり込んだリンゴが、彼女に激痛を与える。
これでは満足には動けないだろう。切り札を使えば何とでもなるが、あまり使いたい類のものではない。
だからと言って抜き出す気にもなれない。彼女は激痛をこらえて進むことにした。
「ハァ……どこなんだ」
どこまで行っても洞窟。
時折、壁に描かれたマークをたどっても、広い場所に出るのみ。
だが、何分か、何時間か……歩いていると変化は訪れた。
「グゴッグゴッ」
「ゴフッゴフッ」
「ブフーッ」
「ほう、オークか……」
ダンジョンの情報に疎いグレゴールでも、流石にオークなどのメジャーなモンスターは知っていた。
まあ、知っていたからどうしたという話なのだが。
「グゴッ――」
「ぐっ……」
オーク達は、即座にグレゴールへ襲いかかったが、瞬時に首を刎ねられ死亡した。
絶不調のコンディションといえど、ぎこちない動きであろうとも、ソロA級探索者のグレゴールがそう簡単に負けることはない。数の差など、簡単に覆される世界に彼女は生きている。
あるいは、死に損なったとも言うべきか。
「カハァ……なんという激痛だ。だが今はこの痛みが心地良い」
痛みは今の彼女にとっては気つけのようなものだ。
夢か現か分からない、夢遊病のように曖昧な意識の混濁から、現実へと引き戻してくれる。
そして、痛みによって感覚はより鋭敏になり、暗い洞窟内でも敵を感知できるようになる。
「ほう……雑兵共が雁首揃えてやってくるかと思えば……」
擦れあう金属音、さらに地面に接触するような音からして重装だ。
強気で自信に満ち溢れており、他にも多数の足音がすることから、リーダー格、あるいはボスである可能性が高い。
「総大将のお出ましか」
現れたのは、全身鎧を身に着けた巨大なオーク。
豪華な装飾は、一見して見栄え重視の実戦では役に立たないものに見える。
しかし、グレゴールの感知能力からすれば、その華美な飾り付けは魔力を上昇させたり、何らかの魔法が込められたものであることは明白だ。
そして、一目見ただけでも分かるほど、狂ったように分厚い装甲。
人間が、生命体が着ることを一切想定していないようなそれを、かのオークは着こなしている。
『ゴガァァァァ!!!』
「オークに、リビングアーマー……ふむ、合体モンスターというわけか。どちらが本体なのだろうな?」
グレゴールの高い感知能力は、目の前の怪物から、オークとリビングアーマー両方の意思を感じ取っていた。
他のオークやリビングアーマーとは隔絶した力量と魔力。今のグレゴールでは、真正面から戦えば勝てるか怪しい。
(切り札の使い時か)
が、そんな隙を見逃してくれる相手か。
負傷したグレゴールでは……その切り札すら使えるまでに時間がかかる。
本来なら、一瞬……今や永遠か。しかし、その一瞬をもたらしてくれる乱入者の存在を、彼女はすでに感知していた。
『ゴガァァァァ!!!』
「……」
やがて、通路の奥から複数の人物が姿を現す。
それは、チューブトップとハイレグのパンツだけという過激な衣装の少女と、コモドドラゴン、軽薄そうな金髪の男、全身プロテクターの大男という異様なメンバーだった。
一瞬、他者の助けに期待した自分を呪ったが、そんなことお構い無しに彼らは話をしていた。
「あ、あれはまさか、A級探索者『毒虫』グレゴール・ザムザ!? ドイツにいるはずじゃ!?」
「なにっ!? A級探索者!?」
グレゴールがA級探索者だという情報を持つ者は少ない。
彼女は徹底してメディア露出を避け、協会もそれをサポートしていた。
市販の探索者名鑑にも、掲載はNGである。
そんな彼女のことを知るというのは、かなりの情報通なのだろう。
故に、彼女は優雅にカーテシーをしながら、笑みを浮かべて自己紹介した。
「お初にお目にかかります。私はグレゴール・ザムザ……少し、時間を稼いでくれると助かる」
巨大な鎧オークの背後から、オークとリビングアーマーの軍勢が現れる。
1体では雑兵に過ぎないが、これほどの数がそろえばちょっとした町を落とすことも可能だろう。
「な、何かよう分からんけどやるぞ!」
「ここでザムザに会えるたぁ……やっぱ奇縁ってやつだな!」
彼らは、困惑しながらも協力してくれた。
ならば、その時間を最大限、有意義に使って応えるだけだ。
◇
「オラァッ!!!」
鋼の魔人が、幾多ものオークやリビングアーマーを引き裂きながら進む。
その姿は、さながら小さな人型重戦車のようだ。超高性能の生体兵器が相手では、歩兵に勝てる道理はない。
「ほぉ、バケモンみたいやな……いやモンスターやけど」
『ゴグゥゥゥゥ!!!』
雑兵をかき分けて進んだ先には、巨大な鎧のオーク。
成人男性を優に超えた、肉厚な刀身の大剣を構えて少女……ソラを睨んでいる。
「一騎打ちで勝負や!」
『ゴガァァァァ!!!』
ソラが、弾丸のような速度でオークへと迫る。
鉄片と血で濡れたその拳は、たった今モンスターを屠り去った鉄拳。
だからこそ、鎧のオークは油断なく行動した。
『ゴガッ』
「チィッ! けど腹ががら空きや!」
大剣のリーチを生かした戦法。
巨体、大剣の長さがあれば、小柄なソラを完封することがっできた。
しかし、ソラは懐に潜り込むことで突破を試みた。
『ゴッ』
「なっ……なにぃぃぃぃ!?」
だが、オークは刃の下……鍔に近い根本の部分をソラの腕に叩きつけることに成功した。
そして、驚異の芸当はここからだった。
「う、ウチの腕が切られた!?」
ソラの左腕が、肘あたりまでなくなっている。
これは硬化ごと斬られたわけではない。刀身が硬化した腕を滑ることにより、肘の部分で引っかかり、そのまま切断されたのだ。
普通、剣とは押し当てるだけでは斬れず、引かなければ斬れない。だというのに、このオークはただ強引に押し当てただけで、強靭なソラの腕を切断してみせた。恐るべき怪力である。
『ゴガァァァァッ!!!』
好機とばかりにオークが攻める。
腕を失うということは、手数が半減するということ。痛みで防ぐこともできず、痛みで動きも鈍るだろう。
だが、ソラは違う。
「これでも喰らえや」
『ガッ――』
ガァン! 洞窟内に響く轟音。
ソラが右太もものレッグホルスターから引き抜いた、ダブルバレル・ソードオフ・ショットガンが火を吹いた。
片手だけで反動を完全に殺し、狙いは迫りくる大剣。
あまりの衝撃に、大剣が弾かれる。
これこそソラが狙った状況、パリィである。
「この弾高いんやぞ!!!」
『ゴグゥ!』
ソラは【触手】を使い、オークをぶん殴った。
しかし、鎧が思いのほか頑丈だったのと、左腕がなくバランスを崩したのが原因で、さしたる損傷は与えられなかった。
だが、それで十分。すでに時間稼ぎは終了したのだから。
「マーベラス……実に素晴らしい。後は私にお任せあれ。死に体の身ではあるが、獲物の横取りくらいはできるというもの。まあ、同じ死肉漁りでも私は蛆虫なのだがね」
彼女は皮肉を吐きながら、淑女のように――危険な毒虫のように構える。
「お見せしよう……忌むべき毒虫の力を」
彼女の腰にベルトが現れる。
毒々しい、まるで生物をそのままベルトの形に押し込めたような禍々しいデザイン。
彼女はその中心をそっと撫でる。
『AWAKEN』
かつて、グレゴールが悪夢から目覚めると、自身が毒虫へと変貌を遂げていることに気づいた。
覚醒。無機質で機械じみた、その重低な音声によって。
「変身」
軽快なBGMと、ド派手な音声が鳴り響く。
ベルトから展開したのは、超高性能の天然装甲バイオ・タクティカル・アーマー。生物的組織で作られているにも関わらず、衝撃はおろか火や電撃にも高い耐性を誇る。
彼女の筋肉は今や、超人の力をもたらすバイオアラミドマッスル・ゼノファイバーと融合を果たしていた。
強固なバイオ筋肉をさらに補強するのは、超強化外骨格、スカルキラー・ビオメタルフレームJ。
無機質な、複眼のような超レーダー・アイが周囲を睨み、全てを噛み砕くデス・シャッターが開閉する。
紫の装甲、虫のようなデザイン。
まるでスーパーヒーローにも、悪の怪人にも見えるその毒虫は――
『henshin! Henshin!! HENSHIN!!! GREGOOOOR=THE=ZAMZAAAA!!!』『DIE VERWANDLUNG!!!』『Yeahhhhhhhh!!! HAHAHAHAHAHA!!!!』
「我が名はザムザ……名乗らせていただこう、グレゴール・ザムザと!」
グレゴール・ザムザ見参!!!