第5話 コモド島の勇壮なる若き竜
毛深く肉厚な身体、捕食に適した凶悪な牙、全てを引き裂かんとする剛爪。
その肉体を構成する全ての要素は、自然界における頂点捕食者の証だ。本来、自分の種族ですら真っ向勝負は悪手どころの話ではないほどに。
「ガアアアア!!!」
――一体何故、自分がこのような恐ろしい捕食者と相対し、あまつさえ争っているのだろうか。
『ドン』と名付けられたコモドドラゴンはそう思い、しかし果敢に立ち向かう。
◇
ドンは、インドネシアのコモド島で暮らしていた若きコモドオオトカゲだった。
他の個体よりも大きく、そして強かった。獲物が取れずに飢えることはあれど、今まで生き残ってきた。
後は番を見つけて子孫を残すだけ……そう思っていた矢先、足元に魔法陣が現れ、気づいた時には見知らぬ場所にいた。
「コモドドラゴンやんけ!!!」
それが、ドンの主人である諸星蛸羅……ソラとの出会いだった。
彼女と出会ってからは、様々な生物を狩った。
緑色の猿、動く水の塊、うるさい鳥、巨大な蝶、大きな亀……極めつけには、狩りの対象。
いずれも、尋常の生命体ではない。必要もないのに相手を殺そうとする、非効率的な者達だ。
ソラは、そんな生物達から石のようなものを取り出し、嬉しそうにしていた。
残った身体は好きにしていいと言われたので、食べることにした。味については、悪くはないといったところだろう。
そして、ここに来てからだが、ドンの身体に明確な変化が訪れていた。端的に言えば、消化が早くなった。
コモドドラゴンは燃費がいい。食事も1週間に1キロの肉で十分と言われるほどだ。満腹になれば、それこそ1ヵ月程度は何も食べなくてすむ。(勿論、それ相応のデメリットも存在する)
では、消化が早くなったからといって、ドンの燃費が悪くなったのか?
答えはNOだ。
ダンジョンの影響か、スキルの効果か。ドンは燃費の良さをそのままに、消化だけ早くなったのだ。
そして、その栄養は全て肉体の強化に費やされている。
走力、筋力、持久力、毒性、賢さ……どれをとっても、コモド島史上最強のコモドドラゴンだろう。
だからこそ――
「ガアアアア!!!」
「ジャラアアアア!!!」
獰猛な捕食者、クマとも戦えるのだ。
「ジャラァッ!!!」
「ガアッ!?」
勿論、真正面から殴り合うなどということはしない。なぜなら、純粋な力比べでは向こうに分があるからだ。
だからこそドンは後ろに回り込み、張り付いたのだ……ソラが吹き飛ばされた隙に。
「ジャララララァッッッ!!!」
ドンにしては珍しく怒っていた。
元々、同種族の子どもさえ食らうコモドドラゴンであるが、ドンはソラに対しては仲間意識を持っていた。
そこソラが、倒れた人間を助けようとしている。ならば、ソラの仲間として協力するのは当然である。
「ジャッ!!!」
「ガアッ!!!」
背中に組み付いたドン。スタニング・ベアーはクマなので、背中に手が届かない。
ゴロゴロと転がったり、壁に背中をなすりつけたりするが、ドンは絶対に離さない。今離れることは死を意味するからだ。
「ガアアアア!?」
そんな苦境の中でも、爬虫類の冷徹さを持つドンは冷静だった。
ドンは頑張って首を伸ばし、気絶グマの耳を齧り取ったのだ。
「ガアッ!!!」
「ジャッ……!?」
だが、それはドンにとっても諸刃の剣となる。
耳を食いちぎったは良いが、その一瞬の隙を突かれ、頭部に気絶グマの爪が炸裂した。
「ガアアアアァァァァッ!!!」
「ジィ……!!!」
そして、引き剥がされる。
厄介なことに、スタニング・ベアーの指はクマというよりはパンダに近く、物を掴むのに適していた。
だからこそ、ドンの首を掴んで持ち上げることができるのだ。
「ジャァァァァ……!」
――しくじった!
首を掴まれ、吊るされたドンはそう思った。
「ガッ!」
「じ、ジャァッ!?」
耳を食われた腹いせに、甚振って殺すようだ。
空いた方の手で、何度もドンを引っ掻く。
「グルルルル……」
「し、ジャアァァァァ……!!!」
傷だらけになったドンを嘲笑うかのように唸り声を上げる気絶グマ。
しかし、ドンは決して目を逸らさなかった。
諦めなければチャンスはやってくる。さもなくば、状況を打破する方法を考え実行するまでだ。
それが、ドンが野生で学んだことである。だからこそドンは、賭けに出た。
「ジャアッ!!」
「ガアッ?」
下半身を何とか揺らし、尻尾を気絶グマの顔に叩きつける。
「ガア? ……ガッ!」
何の痛痒も与えられない。だが、気絶グマは尻尾に興味を示した。
そう、耳をやられた腹いせに、ドンの尻尾を食いちぎろうとしたのである。
「ジャ゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ッ!」
激痛に耐えるドン。
だが、これは賭けだ。命、そして運命という大きな流れを全てベットした賭け。
――食事の際は、生物が最も無防備な状態の1つである。
ソラの前で獲物を食らっていたドンは、実は彼女に気を許していたのだ。
「ガウウ……」
結局、気絶グマは最後の最後で詰めが甘い……爪が甘かった。
その凶悪な爪でさっさとドンを引き裂いていれば、あるいは反応できただろう。
……ドンには、クッションが見えていた。金属光沢を放つクッションが。
スタニング・ベアーは、その爪で吹き飛ばしたソラを一瞥もしなかった。
そして、ドンの尻尾を食っている最中であるからこそ、咄嗟に動けなかった。
――直前で気付いたのに、予想外の事態に身体がまるで反応しなかった。
「うああああぁぁぁぁッッッ!!!」
「ガアッ!?」
背後から、鉄のように鈍く光る腕を振りかざし、迫りくるソラに。
◇
「う、うぅ……」
気絶グマに切り裂かれ、吹き飛ばされたソラの容態は酷いものだった。腹部にざっくりと傷が入っている。出血も多い。
上位の探索者でもなければ、動くこともままならない大怪我。普通なら死を待つのみだ。
だが、ソラは幸運だったかもしれない。
本来なら壁に叩きつけられるところを、偶然とあるモンスターがクッションとなったのだから。
「ピギー!?」
「あぁ……?」
薄らと目を開けたソラの前から消え去るモンスター。金属光沢の美しい球体のそれは、『メタル・メッキ・スライム』という『ユニークモンスター』。
しかもこの個体は、前にソラが取り逃した個体と同一の存在であった。彼女に恐れをなし、この階層まで逃げてきたのである。
――このメタル・メッキ・スライムは、E級、D級の探索者の攻撃で傷つくような硬さではない。しかも、ゴムのような材質である程度の衝撃は吸収してしまう。もしこれを一撃で倒そうとするならば、自動車の正面衝突のような衝撃が必要である。
では、なぜソラがそんなモンスターを倒すことができたのか。
「何ちゅう威力や……う、ウチは何で生きとる……こ、これは!?」
そう、ソラが飛んできた速度は、自動車の正面衝突に匹敵する威力だったのだ。ぶつかった衝撃でメタルボディが大きく歪曲し、内部の核が粉砕された。
だからこそ、ソラのあずかり知らぬところでメタル・メッキ・スライムは死んだ……ソラの手に、ドロップ品である『スキルジュエル』を残して。
「スキルジュエル……何でや!?」
ソラは自分がレアモンスターを倒したなどとは思っていない。いきなり自分の手に貴重品が握られている事実に困惑している。
だが、この幸運を利用しないわけがなかった。
「いや、何でもええ……何でもええからあのクマを倒すスキルを……!」
ソラが顔を向けた先では気絶グマがドンを掴み、攻撃を加えているところだった。
スキルから出てきたとはいえ、ドンは大切な仲間である。ソラに見捨てるという選択肢はない。
「来いッ!!!」
何のスキルなのかも確認せず、スキルジュエルを握り潰すソラ。
その瞬間、彼女は突き動かされるように、気絶グマへと突撃した。
「うああああぁぁぁぁッッッ!!!」
気絶グマの背中に迫った時、ソラは鉄のように鈍く光る腕を振りかざし、その肉厚の身体に叩きつけた――