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第9話 サキュバスの谷

 もはやお尋ね者となった“元”勇者の俺と逃亡奴隷のシアは、こっそり乗り込んでいた荷馬車がサキュバスの襲撃に遭い、彼女ら―――桃色の髪と、変わった風習を特徴とする『桃色族』サキュバスのお嬢さん・スーと、同じ種族でその従者・サーヤと出会った。

 そこからひと悶着あって、彼女らに俺の精気を提供するという口約束の下、俺とシアは彼女らの棲家があるという『サキュバスの谷』へ赴くこととなったのだが―――




●●●●●




「ねぇねぇ、どうして二人で旅なんてしてるの?」

「どうもこうも、成り行きだ」


 歩きながら、スーは次第にズケズケと色々質問をしてくるようになった。こちらの事情を深く詮索しないだけの分別はどこかにいってしまったのだろうか。


「なんか………アンタが強いのは分かったけど、だからあの子を連れているのが……意外、っていうか」

「何度も言ってるが、成り行きだ。そうでなきゃ足手まといなんぞ連れ歩かない」

「うわ、はっきり言うね………」


 俺の服の裾を掴みながら歩くシア。俯いていて、その表情はうかがい知れない。

 成り行きとはいえ、コイツを奴隷の取引場から連れ出したのは俺だ。逃亡奴隷がこの世界でどのように扱われるのかは知らないが、ロクなことにはならないだろう。

 偶然とはいえ助けられはしたのだから、最低限の義理は果たす。その上で、俺はコイツを安全と思われる場所に置いて、心おきなく旅に出ようという算段だ。


「それに、『二人旅』なんて言えるほど歩いてない。俺はコイツを今日拾ったんだ」

「う、うっそォォォ!?!?」

「なぜそんなに驚く」

「――え!? だって―――え⁉」


 名前のない少女を連れ歩いていたしな。その可能性も考えられなくはないと思うのだが―――確かに、言葉にしてみれば驚きの内容だ。この世界に来てからの一連の出来事が、二日や三日の間の出来事なんだからな。


「ほんとに………二人は出会ったばかりなの?」

「そう言ってるだろ」


 スーは俺と、俺の服の裾を掴んで離さないシアを交互に見て驚いたような、感心したような溜め息ばかり吐いている。

 ああ、スーの言いたいことが分かった。俺とシアは今日出会ったばかりで、だからこそ、それにしては懐いていると言いたいのだろう。

 何のことはない。奴隷に優しくすれば誰だってゴシュジンサマになれる、というだけの話だ。

 恐怖と緊張にさらされ続けた心が、単純に安らぎを求めただけのこと。シアは別に、俺という人間を好いて後をついて来ているわけではないのだ。


「変な格好をしてるから、何かあるとは思ってたけど―――」

「人間は原始的ですから、みなこういう格好なのでは?」

「テメェは黙ってろ」


 俺がスーと話しているだけで、時々、こういった茶々を入れてくるサーヤ。俺が睨むと、澄ました顔でスススと一・二歩分距離を離す。


「ちょっと。サーヤに意地悪しないでよ」

「口の減らねぇソイツを黙らせとけよ」


 このサーヤとかいうクソ従者は口を開けば嫌みを言う。小言ばかりの従者は主人には大切な存在かもしれないが、他人にとっては煩わしいだけだ。


「それで、どうしてその子を連れ歩こうなんて思ったの?」


 こちらを窺い見るように、スーはそう聞いてきた。俺がシアをどうするつもりだったか、これからどうするつもりなのか。それが気になって仕方ないといった様子だ。


「随分と食い下がるな……。別に珍しい話じゃないだろ。身寄りのないヤツを拾ったら、売るか手元に置くかの二択しかない」

「それでアンタは手元に置くことを選んだの?」

「拾わず、捨て置く選択肢はなかった。これも当然と言えば当然の成り行きだ」

「………不思議。アンタみたいなやつって、すぐに奴隷をお金に替えそうだもん」


 どうにも食い下がる。俺がシアを売り飛ばさなかったことが余程意外に思えるらしいな。俺の見た目か、言動か。まあ無理もないか。


 実際のところ、一応は俺と彼女との間に“契約”という繋がりがあるため、取れる手段が非常に限られるだけのことだ。


 俺にコイツをどうこうする気など毛頭ないし、俺と離れた場所で生きてくれるならもはや関係のない人物になるだろうしな。


「アンタって………不思議よね」

「なんだよ。会ったばかりで不思議も何もあるもんかよ」

「あるわよ。アンタは、不思議な―――不思議な感じがする。こんなに口が悪くてぶっきらぼうなのに………」

「悪かったな口が悪くて」


 口が悪いことと「不思議な感じ」を対比しているから、「不思議な感じ」は悪い感じではないのだろうが―――てか、うるせぇよ。


「お前は随分と俺に対して警戒を緩めているみたいだが、本当に俺みたいな素性の知れないヤツを棲家に呼んでいいのか? 信用し過ぎじゃないか? 何か魂胆があるのかもしれないぞ」

「何か魂胆があるやつがそれ聞く?」

「………」

「アンタはヘンだけど、悪いやつじゃない。今日初めて会ったってことらしいけど、アンタの後ろをずっとくっついてるその子を見てれば分かるもん」

「………」


 それは、信じる根拠として余りに乏しい気がした。

 これは………何かあるな。少なくとも、良い予感はしない。


 そう思ってスーの横顔を盗み見たが、その顔は鼻歌でも歌いそうな表情を浮かべているだけで、真意を読み取ることはできなかった。


 ………まぁ元々、これからの俺の運命に、良い予感がする展開なんて期待してないけどな。


 すると、スーがこちらを見て俺と目が合った。


「アンタが本当は何者なのか聞きたいけど………聞いてもいいの?」

「それはまた次回な」

「何それ」

「何でもないさ」


 次も何もない。別れたら、それまでだ。


 俺は情報を集めつつ動かなければならない。


 あらためて、この世界には知らないことが多すぎると思う。


 青鎧の勇者(クローディア)が俺をハメた意図も100%確定したわけではない。


 他者を信用してはいけない。


 俺はどうにかして、元の世界に帰らなければならないのだから。




●●●●●




 俺がスーとサーヤの二人組サキュバスと出会った森は『鳴かずの森』というらしい。そこから『サキュバスの谷』へ向かうとなると、かかる時間は半日以上、山一つを越える距離を移動しなければならなかった。


「ぐっすり眠ってるね」

「ああ」

「すごい気持ちよさそうだよ………」

「そうか」


 現在、俺の背中には軽く柔らかい華奢な存在が背負われていた。

 シアは時々身動(みじろ)ぎをしながら、すぅすぅと寝息を立てている。

 コイツを奴隷小屋から解放してから、もうすぐ丸一日といったところか。

 その間ずっと緊張しっぱなしだ。荷馬車でいくらか仮眠は取れたかもしれないが、疲れが溜まるのも無理はない。

 俺はまだ全然平気だがな!


「…………」

「何見てやがる」

「―――っ、な、なんでもっ」


 歩きながら、スーが呆けたように俺の方を見つめてくる。


 さっきからずっとだ。いい加減鬱陶しくなって、俺はスーを睨んだ。




●●●●●




 やがて日も高く昇り切ったところで、俺達はその日光が霞むような薄暗い霧に包まれた。

 少しだけ魔力の残滓を感じる。意味のない魔力の流れだが、何かの痕跡のようにも思えた。

 俺は少し立ち止まって、背中に背負ったシアに変化がないかつぶさに観察する。


「―――シア。シア」

「………っ………」


 身体を揺らすと、ふすと吐息が聞こえ、シアが寝ぼけ眼をこすりだしたのを確認する。


「どこか苦しくないか」

「――! ―――っ、~~~っ」


 コクコクと頷いている。ふむ、いつも通りだな。


「……心配無用だよ。これはただの霧。瘴気じゃないから」

「そうかよ」


 俺はスーの言葉に歩き出して追いついた。


「随分と辛気臭い谷だ。人気―――他のサキュバスの気配もないようだが?」

「…………それはそうだよ」


 それはそうなのか? 全くわけが分からないのだが。

 俺は警戒を緩めることなく歩を進める。


 やがて―――


「―――ほう」


 濃い霧が開け、視界が一気に広がった。


 そこにあったのは、見渡す限りの大きな谷だ。


 谷底を大きな川が流れ、両側の断崖絶壁に人が二人通れるくらいの道がある。


 その辺の壁には穴が開いていて、いかにも何かが住んでいそうなのに、全く生き物の気配を感じない。


 谷の上部から見渡せる遠くの景色を、壁のように覆う濃霧。


 霧に守られた谷里が、そこにはあった。


「スー達の家はこっち」


 俺は誰もいないのを不思議に思いつつも、彼女達について行く。


 谷の上部、落下するかという崖沿いを歩く。谷底の川で言えば川上の方向だ。橋もなく幅の広い川は、遠目に見下ろしているだけなのに、思わず流れる方向を確認したくなるほどのスケール。

 ―――思えば、こんな特異な地形に橋も渡さず、それでも集落の体を成しているのは、彼女達サキュバスが翼を持ち、自由に飛び回れる種族だからだろう。他の種族を招き入れるにしても、少なくとも人間のような種族は想定していないとみていいか。


 やはり、人影ひとつないのは気がかりだ。眼下に広がる谷の壁面の空洞はどれもただの空洞でしかない。


「この集落に、他にサキュバスはいないのか」


 俺は前を歩くスーに聞いてみた。


「お、お嬢様………」

「ううん、いいの。どうせ聞かれることだろうし」


 含みのあるやり取りのすぐ後で、事の真相はすぐに明らかになった。


「十年くらい前だけど………人間とちょっと、ね」

「戦争か」

「近くに人間の組織した大きな傭兵団があって………小さなもめ事から、戦いに発展しちゃったの」

「よくあることだ。互いのどちらかが潰れるまでやり合うほどだったんだな」

「うん。小さい子供だったのに、スーもサーヤも生き残っちゃった」

「傭兵団はどうなったんだ」

「それは―――」

「お嬢様のお母様や私の母、それに他の皆が命を賭して滅ぼしました。お嬢様は、私達『桃色族』の大事な姫ですから、何とか皆で守ろうと―――その時の傷や受けた毒が元で、皆息絶えてしまいましたが」

「………そうか」


 スーはどこか遠くを見て、何かを思い出すように。サーヤはやや淡々と、事務的に話していた。


「…………怒ってる?」

「何が」

「スー達が、人間と―――人間を、その………」

「それは怒りようがない。戦争だったんだろ。無垢なヤツが一方的に殺されたわけじゃないなら、誰かが怒るのは筋違いだ」


 戦争というのは大なり小なり無辜の民が死ぬものだ。「無力」や「無知」を罪に数えるかは別として、何もできず死んだ者がいるとしても、よく事情を知りもしないヤツが外野からとやかく言うことではないと思われた。


「それに、お前らこそ怒ってもおかしくないのに、暗い顔を浮かべてるだけだしな。こんな辛気臭い谷にいつまでもしがみついて………そんなつまんねぇ生き方を選ぶようなバカじゃあ、怒るに怒れねぇ」

「………!」


 ―――と、スーがこちらを振り返って目を見開いていた。


「気に障ったか?」

「………ううん」

「怒ったっていいんだぞ?」

「―――ふふっ」

「何笑ってやがる」


 スーは口元に手を当て、可笑しそうに笑う。


「………やっぱり優しいんじゃん」

「は????」

「―――あはははっ」


 スーは何を勘違いしたのか、そんなことを言って笑った。

 嗜虐的な笑みでも、茶番の中の愛想笑いでもない。

 隙だらけの笑みだった。

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