第8話 孤独な条件と運命の転機
「―――はッ、反対ですッッ! 屋敷に男を連れて行くなんてッッッ!!!」
「で、でも……このままじゃ精気吸えないんだよ?」
「危険ですッ! よりにもよって、このオトコを連れ込むのは! 私が許しませんよ!」
「あ、それサーヤが言うんだ? 誰のせいでハジメテが台無しになったと思ってるのかなー?」
「うッ………!」
喧嘩始めてんな…………はぁ。もう逃げっかな。
「ね、ねぇ………っ!!!」
荷馬車の方へ足を向けた俺を、サキュバスの女―――スーは追いかけてきた。
「きっ………来てよ」
顔を赤らめ、モジモジと両手や両足を擦り合わせながら、そんな風に言う。
まるで男を部屋に誘う女だな。
いや、実際そうだったわ。
「“ハジメテ”の相手が俺で良かったのか?」
「………っ!」
ボッ、と顔が赤くなる。
「……ぉ、遅かれ早かれこうなることは分かってたし、べ、別にアンタでもいいかなって………」
初めて話した時の“妖艶なオトナの女”みたいな振る舞いはどこへいったのか。モジモジと言いにくそうに告げる様子が、まるで男子に告白する女子のようで新鮮だ。
まぁ、こちらが素なのだろう。
「よくもまあ、今さっきのことで信用されたもんだな」
「……っ、信用したわけじゃない! 勘違いしないで! アンタなんか、精気を吸ったらお役御免なんだから!」
「“一生をかけて一人の男”っていう習わしはどこにいったんだよ」
「………あっ」
? 習わしの話はコイツらからしてきた筈だ。まさか忘れていたわけではあるまい。
「いいんだぜ? お前らの鬱陶しい“習わし”とやらを守らなくたって。俺は解放されるだけだからな」
「まっ、まだそう決めたわけじゃないし!」
……まぁいい。向こうも拘束が一晩だけというつもりなのだとしたら、こちらとしても都合がいい。そうでなくても逃げ出すだけだしな。ていうかコイツ、こちらが譲歩して今の話の流れにあるっていうことを忘れてないか?
「そのことなんだが、精気を提供することについて、条件がある」
「条件!? 条件って何!?」
後出しの条件に納得していない様子のスーを背に、俺は荷馬車へ向かった。積まれた衣類の中には少女がまだ身を隠している。
「出てきていいぞ」
「………」
むくり、と大層疲れたような、不機嫌そうな顔で、頭に衣類を引っ掛けながら起きた少女。目の下にうっすらとクマができている。疲労が蓄積しているな。
「悪かったな放置して―――おい、スー」
「なに?」
「この子を―――」
「………!?」
スーは大層驚いた様子で、口元を引きつらせ目を丸くした。桃色の長い髪を振り乱す様まで幻視してしまう。
「こ―――子持ちっ!?!?」
「ち が う」
俺はスーに、簡単にだがコイツのことを話して保護の約束を取り付ける。
「ふぅん………拾った奴隷、ね………」
少女は俺の背後にヒョコ、と身を隠してしまう。
「こんなに怯えて……可哀想………」
「…………っ」
構わずスーは俺の背後に回り込み、少女の乱れた黒髪を手櫛で梳いてやったりなどしていた。触られる度に身体をビクッとさせながらも、少女は俺がスーを止めないとみるや、されるがままを受け入れたようだ。
「………………こういう子がタイプ?」
「違う。何度言わせる気だ。俺はコイツを『買った』んじゃない、『拾った』んだ」
「ほんとにぃ~~?」
「…………」
疑いの目を向けられたが、嘘をついてるわけでもないしな。
「……ま、いいケド。分かった、この子を世話すればいいのね?」
「ああ………いいのか?」
少なくとももう一つ二つの交渉を覚悟していたが、あっさりと承諾されてしまう。
「こんな種族、見たことない………なんか尻尾短いけど、サキュバスかもしれないし、放っておくのもね………」
「………」
「………な、なに」
「いや………いいヤツだな、お前」
「は、はぁっ!?!? なに急に!?」
俺がその度量の広さに感服した目を向けると、スーはとりあえず“条件”を呑んでくれるらしい。
「この子、なんていうの?」
「は?」
「名前」
「ないそうだ」
「え?」
「名前がないんだよ。言葉は分かるが声が出ない」
スーは少女の目を見ている。
「………名前、ほしくない?」
「…………っ」
少女は余計に俺の背後に隠れてしまい、俺の腰布を掴んだ。脱げるから。やめろ。
そのまま潤んだ瞳で俺を見上げてきて―――
は???? どうしろと?
「………付けてあげないの?」
「なんで俺が」
「だって………」
「………っ!」
少女の手が震えている。
なに、そんなに名前が欲しいのか?
「―――はぁ。分かった。お前の名前は、そうだな―――」
俺は足を曲げ、少女と目線を合わせた。
少女は狼狽えたようにアタフタと落ち着かなく視線をあちこちに回す。
その目―――赤い、ガラス細工のように透き通った目。
薄幸を予感させるほどに華奢な身体、色の白い肌、美しさ。その佇まいは酷く尊いもののようで―――どこか放っておけない脆さを感じさせる。
しかし、脆いかと思えば、どこか芯の強さ、厚みさえ感じて―――
見覚えがある。
俺がこの世界に来る直前、どういうわけか俺の胸に大穴を空けた、謎の女―――知っている筈もないのに、いつの間にか胸の内にあった、あの女とのおぼろげな記憶。
不思議なこともあるもんだ―――
「シア」
「~~~~っ!?!?!?」
俺は少女の目から視線を外さず、その名を告げる。
「シア。今からお前の名は、シアだ」
「~~~~~っ!!!!!!」
「―――おっと」
シアはびくんと身体を震わせ、何か感極まったように抱き着いてきた。
俺は彼女の背中と後頭部に手を回し、よしよしと撫でてやる。
シアは、その薄い胸を懸命に俺の胸に密着させ、鼓動を伝えようとでもするかのように抱きしめる腕に力を入れてくる。
ほんのりと胸に広がるコイツの体温は確かに生きている者のそれで、何とはなしに、そのことに感動している俺がいた。
思えばコイツは、ある意味では俺の恩人でもあり、契約者―――成り行きとはいえ、共にここまで来た連れではあるんだよな。
元奴隷の少女―――シアは、俺の背中に手を回している。
互いに抱き合いながらも、しかし、すりすりと、ぐりぐりと、俺の背中に回されたシアの手が何かを描き始めた。
シ―――ア―――ああ、シア、か。自分の名前を書いているのだ。
「そうだ。お前は、シアだ」
「~~~~~っ!!!!!」
俺がそう宥めてやると、シアはまたも感極まったように、俺を抱きしめる腕にいっそうの力を込めて―――痛ぇ痛ぇ。てか結構、力強ぇな、コイツ……。
初めて会った時はかなり衰弱していた印象が強かったが、今では割とピンピンしている気がする。
荷馬車の荷台の商品、干し肉でもつまんだか? そうでもなきゃ説明が付かな―――
「―――ん?」
シアは俺から少しだけ身体を離すと、俺の胸辺りをすりすりと撫で始めた。
どういう意味の行為だ、それは―――
そういえば、俺の胸には、他ならぬシアの手によって開けられた穴を塞ぐように、真っ黒の、硬質化した皮膚のようなものが張り付いている。
興奮しているわけでもないのに、俺の心臓はなぜか高鳴って―――
その感覚を自分でも驚くほど冷静に分析してみようと―――
―――そうか! 契約!
「ああ―――そういうことか」
「?」
俺の思考を読んだわけでもなかったらしく、シアは俺の胸を撫でる手を止め、首を傾げる。
俺がシアに召喚された時、“契約”が交わされた。そのことを思えば、俺と彼女との間に魔法的な回路が繋がったとしても、何ら不思議はない。
その際に真っ先に身体に生じた変調といえば、まさしく胸の傷に黒い蓋がされたようなコレだろう。
「あの~、ちょっと? 二人の世界に入らないでくれない?」
振り返ると、少し頬を膨らませて腕を組むスーの姿があった。
こうしてみると、タイプは違えどシアもスーも美人だ。似ている部分が多い。違うところといえば、頭に角があるかないかと、髪の色、尻尾の長さに身長や身体つき………あ、何もかも違うわ。
ただ、それでも一瞬似ているなと感じるのは、やはり根っこのところが女子っぽいからだろう。
「な、なに? そんなに見つめてっ………」
またモジモジしている。
「いや。それより、シアを休ませてやりたい。お前らは近くに住んでるのか?」
「………え、知らないの? 『サキュバスの谷』」
「何だそりゃ」
「ここからは少し時間がかかるかもだけど………スー達の屋敷はそこにあるの」
「案内してくれないか」
サキュバスの谷というからにはサキュバスの住む谷なんだろうが、コイツらみたいなのが住んでいるかと思えば、なんだか行ってみたくなった。
「……分かった! いいよね? サーヤ」
「わ、私は―――!」
「見てたでしょ? このオトコ、女の子がべったりだもん。悪いニンゲンじゃないよ」
「し、しかし………」
「い・い・よ・ね?」
「…………は、はい」
「はーい、決定~!」
……悪い人間じゃない、か。
評価は割とどうでもいい。コイツらの屋敷でもらうものをもらったら、俺は旅に出ようかと思っている。
シアとはそのタイミングでお別れだな。
それなりに危険も冒す予定だし、シアをコイツらに任せれば、俺も憂いなく冒険ができるというもの。
「………服、もらうか」
俺はスー達には少し待ってもらって、サーヤに殺された馬や男の死体の埋葬を済ませる。
「埋葬代だ、悪く思うな」
誰にともなくそう言って、俺は荷馬車に積まれていた衣服と食糧を、シアの分まで頂戴した。
俺もシアも、肌は多少汚れているが服装だけは王都の庶民っぽいものになる。
「―――さて、行くか」
基本的に、魔族と人間は相容れないものだ。それが種族が生き延びるための都合でもない限りは手を取り合わないし、取り合っても背後を取られないよう利用し合うのが世の常。
今さら気疲れをすることもないが、俺はスーの熱い視線とサーヤの鬱陶しい警戒を受けながら、シアを伴って森の中を抜けていく。
「―――『サキュバスの谷』、だったか?」
「本当に知らないんだねー。この辺じゃ、ニンゲンにだって結構有名だと思うんだケド」
「俺は流れ者だからな」
「そうなの?」
「ああ」
スーは探るような質問をする。しかしこちらが簡単な受け答えをすれば、深くは追及してこない。
「………おい、あの荷馬車の荷物、土産に欲しかったりするか?」
「いらなーい」
「そうか」
人間と似通った倫理観というより、単純に興味がなさそうだ。スーは独り言のように返事していた。
「下賤な人間の荷物など!」
「うるせぇよ」
「………ッ!」
過剰に反応したのはサーヤの方だ。相変わらずだな。
一々力を誇示していびる趣味はない。
それよりも、もう勇者ですらない俺が、同じ人間を殺されたことでこれだけ納得のいかない感情を抱いているのが不思議だった。
こっそり忍び込んだ荷馬車の持ち主と用心棒なんて、知り合ってすらいない、こちらが一方的に顔を認識しているだけの存在なのにな。
これからはかなり孤独な旅になると踏んで、他人への関心は抑えているつもりだが、下手すると荷馬車から逃げた二人の行方を、サーヤに尋ねそうになる。
………染みついた習慣や価値観ってのは、どこまで俺を縛るのだろうか。