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第7話 “箱入りサキュバス”との出会い

 荷馬車はあっけなくも、壁の大門をくぐって王都の外へ出てしまった。


 その際、行商人達の物品が詳しく調べられることはなかった。ただ、関所と通行人とのやり取りが―――


「顔をもう少しこちらの方に向けてください」

「おい、なんだいなんだい」

「………いいです。いえ、お通りください」


 というように、関所の衛兵は通行人の簡単な身分確認ついでに、顔を念入りに見ていた。まさかとは思うが………


 俺達は荷台に隠れたままだったので、残念ながら衛兵達がどんな人相書きと通行人を照らし合わせていたのかまでは分からない。


 早くも出回った俺の似顔絵か、そうでないのか―――


 あの時の状況的には、俺が突然に消えたわけだからな。転移によるものだと分かれば、王都中、いや国中を捜索されるだろう。不可思議な儀式や怪しい失踪、神隠し―――何かの実験のサンプルなりで俺の肉体に用があるなら、もしかしたら生死を問わぬ捜索がかけられてもおかしくない。賞金首、となれば国を越えて探されることもあるだろう。

 ただ、今は、一度この王都を出る必要があったし、ぶっちゃけ、こうして出てしまえばなるようにしかならない。これからは日陰者として、隠密に活動することも考えなければならないか………。


 衣類の隙間から顔を少し出して、荷台の帆の隙間から周囲の様子を見る。


 この荷馬車は人通りもそこそこの、踏み均された地面の街道を進んでいる。見える範囲に魔物などの姿はなく、皆が用心棒を伴う程度で歩ける道なのが分かった。

 見渡す限り、だだっ広い平原が広がっている。畑などは壁の中にあるからか、こちらの野は多少荒れている。荒れてはいるが、やはり魔物はいない。ということは、野山の動物などと同じで、魔物は人が完全に駆逐したか、人を恐れて出てこないかだろう。魔物が世界に存在しない線を除いているのは、おそらく、そのようなことはありえないからだ。


 ふと、積まれた衣類の中で俺の手を握る華奢な手が震えているのが分かった。

 俺は何となく優しく握り返してやり、その震えを止めてやる。


「(―――大丈夫だ)」


 そう小さく声をかけてやると、もう一方の手を差し出された。そちらも仕方なく握り込んでやる。衣類の海に埋もれて少女の顔は見えなくなっているが、息はしているようだな。心細いだけなら問題ない。


 お尋ね者で居場所がない俺も、誰も俺を知らないところでなら自由になれる。コイツとももう少しでお別れだ。連れ出しておいて薄情なようだが、今の俺にコイツを連れて旅するつもりはない。




●●●●●




 荷馬車は、人通りのある街道から全く人通りのない道に入っている。


 だいぶ進むな………


 半日ほどかけて、夕方が近くなるまで荷馬車はかなりの距離を進んでいた。


 やがて、薄暗い森に入る手前で、いったん停止する。


「それではここで野営ですか」


 行商人の青年らしき声がそう提案するが、用心棒は二人とも異を唱える。


「ここは突っ切りましょうや。ここの森のこっち側――王都側の入り口は、野党が出るってんで有名なんでさ」

「そうですか? お二人ならワケないでしょう?」

「む、無論ですよ。でも面倒事は避けるに越したこたぁねぇでしょう? 向こうの山に野党のアジトがあるって噂で」

「国は盗賊を討伐してくれないんでしょうか……」

「山は険しくて誰も近寄りやせん、国も手を焼いてるほどです。ともかくそいつらは、夜にこの辺を通りかかるヤツを狙うらしいんでさ。ここで野宿なんてした日にゃ、もう」

「俺達の間じゃあ注意喚起がされたばかりですわ。ま、長居しなけりゃいいんです、ここを抜けるのに半日もかかりませんし。ちょうど夜になった頃には森ぃ抜けてるんで」

「そうですか……分かりました。お二人がそう言うなら」

「すいやせんね、生意気で」

「何を言いますか。私が王都の外を知らないのは事実ですから。一人でいいと言ってはいましたが、甘かったようです」

「大体あのお父さんが、坊ちゃん一人で行かせるわけねぇでしょう?」

「……それもそうでした。街に着いたら乾杯しましょう、頼りにしてますよ、お二人」

「「へい!」」


 どうやらここで野宿はしないらしい。森の中へ進むのか―――


 俺は例によって荷馬車の荷台の帆の隙間から周囲を見る。


 荷馬車の足元の道は、この先の薄暗い森の中へ続いている。大丈夫か、これ………何か隠れてそうだ。野党はいなくても、魔物なりがいそうな……人が通るなら討伐もされているだろうか。

 昼からこっち、人通りのない道を進んでいるとは思ったが……。

 森の手前だろうが森の中だろうが、この用心棒のナリじゃあ、無理そうだわな。腕が立つならともかく、そうでもない上に剣と少しのアイテムじゃあ、どうしたって一定以上の相手や魔物には歯が立たない。数で囲まれたらいよいよ一巻の終わりだ。二人程度というのもまずい、できることなんてたかが知れている。まぁ、そんな強い魔物や群れ、大規模な盗賊団なら国の方でも放っておかないだろうが。

 荷馬車はそのまま森の中を進む。


「「「…………」」」


 外から見たら薄暗い森も、中に入れば夜のように暗いことが分かる。時刻はもう夕方になるというところだろうから、進む足は自然と早まるし、嫌でも緊張が高まる。御者台の用心棒の一人が松明を点けた。森の中を明かりが照らし、木々と草花の影を揺らす。

 松明の灯りによって、御者台の三人の後ろ姿が影絵となって前方の帆に映る。


 ―――(シュルリ)


 至近距離で、しかもよく耳を澄ませなければ聞こえない衣擦れの音。


 これまで大人しく、荷台に積まれた衣類の中で眠っていた少女が起きたようだった。

 彼女は慌てながら衣類の山を少しかき分けるようにし、何かを探してか必死にあちこちで隙間を空けている。


 既に辺りは暗く、荷馬車の荷台などいよいよ真っ暗闇だが―――緊張感を高めた御者台の三人に音が聞こえるとまずい。コイツが今は声が出せないことはラッキーだったが、他の物音は別。

 仕方なく、俺は衣類の中から身体を出して少女の近くに這い寄り、見下ろした。


 ほどなくして、闇の中で赤く光る二つの双眸が俺を捉えた。それにしても綺麗だな。宝石みたいだ。


「―――っ! ~~~~っ………」


 俺の姿を見つけて、何かほっとしたように息を吐いて目を細めた。おずおずと手を伸ばしてきたので、それを軽く握る―――そっと優しい加減で力を入れ、握り込む。


 ……いやいや、何をしているんだ俺は。


 少女はよく懐いている。余り懐かれても困るんだがな。


 俺は頃合いを見てこの荷馬車から降りるつもりだ。できれば、次の街なり村に着いてから降りたい。関所を越えるのはこの行商人に任せることにして、できればその後で降りたい。


「(――――シー)」


 この合図が通じるかは分からないが、俺は少女に静かにするよう、いくつかのジェスチャーも交えて指示する。

 少女はコクコクと頷いていた。




●●●●●




「も、もう夜になっちゃいました」

「馬がちょっと遅いんですわ」

「あちゃー。荷物の重さ、考えとくんでしたね。馬三頭でも足りねぇか」

「ど、どうします」

「このまま突っ切りましょう。森の中もよろしくないんでね」


 焦る青年を宥める用心棒二人。正直、森を荷馬車が移動するのがそもそも論外だ。


「真っ暗でちょっと怖いな………」

「見てください坊ちゃん、真っ暗じゃないですよ。深い森でも月光が差す場所ならひとまず安心でしょ」

「―――ほんとだ! あの開けたところでいったん馬を休ませましょう」

「そんなに長い時間は休ませられやせんよ」

「分かっています―――わ、結構明るい、一安心だ」


 暗い森の中。頭上を覆うようだった木々がなくなり、開けた場所に出た。月光が差し、松明も要らないほど明るいスポット。荷台の中も、帆がいくらか月光を透かして明るくなる。



 ―――ガタンッッッ



「―――っ!?」


 大きな振動と共に、荷馬車が突然にして止まる。

 随分と乱暴な止め方だ。

 まさか、荷台の違和感にようやく気付いたとか―――!?


 ………そんなわけがなかった。どうも、それどころでもないらしいな。

 荷馬車の周囲から漂うのは異様な気配。


 荷台を覆う帆の前に映る影。

 松明を持っていた用心棒の一人の影が―――影の、首が。

 音もなく斜め下に滑り落ち、ゴトッ、と御者台で音を立てた。


「――――ヒィッ!?」


 悲鳴を上げたのは、行商人の青年だ。


「走れ!!」


 異常事態だ。

 残った用心棒の男が声を上げ、青年のシルエットはもたつきながら馬の手綱を張った。


 ピシッ、と張って、しかし青年のシルエットが一瞬だけ硬直する。斜めだったシルエットはさらに斜めになり、何かに気付いてから放り投げるように手綱を手放した。


「う、馬が動かな―――ぇ? ぅうわあああアァァァァッ!」


 そんな声と共に、青年は御者台から降りたようだった。


 馬が逝ったことに気付いたのだろう。


「坊ちゃん!! クソッ、なんだってんだ!」


 用心棒の男もわけが分からず、しかしパニックになった青年を追いかけるべく、腰の剣を抜きながら御者台を降りた。


「(―――シッ。いいか、俺がいいと言うまで絶対に顔を出すな)」


 衣類の海から慌てて出ようともがいた少女。俺は握っていた手をグイと引いて、静かに息を殺すよう言い含める。彼女は顔以外が衣類の海に埋もれた状態のまま、コクコクと頷く。


 少女が顔まで衣類に埋もれたのを確認し、俺は荷台の帆の隙間から外を見た。


 襲撃者は―――近い。


 やがてバサバサとうるさい羽音が、上空から急降下して来るのが分かる。


「あーっ、誰も殺さないでって言ったのにー! 馬も死んでるしー!」

「も、申し訳ありませんお嬢様。しかし、逃げられないようにするため、足を潰すのは定石でして。こうすれば人間は、散り散りになるということなのです。この方法はあらゆる―――」

「もう、サーヤうるさい! 早く追いかけて! 逃げられちゃう!」

「か、かしこまりました」


 バサ、バサ、バサ―――


 森の隙間に差す月光を背に浮かぶ影―――。


 荷馬車の前方上、飛びながらその場にとどまる女が一人。ソイツは従者らしき女を追い払うと、「全くもう、ドジなんだから」と頬を膨らませ、豊かな胸を押し上げるように腕を組んだ。格好は胸部と股間に黒い下着をつけただけのような姿。露出が多く、艶めかしい肢体を月明かりに惜しげもなくさらしている。

 ただ、格好もそうだが、何よりも目を引くのは人間と違うその身体のカタチ、シルエットだろう。


 腕の長さほどの翼。

 桃色の長い髪。

 頭から突き出す二本の巻角。

 そして、細長い尻尾―――その先端部分は、尖った方を外に向けた「♥」の形状。


 尻尾がそんなハートの形をしていても、呑気な気配は全くしない。


 なぜならアレは、毒袋の膨らみと、毒針を合わせた形である、というだけだからだ。


 おそらく、アイツは―――


「―――んもう! 今度こそ「スーちゃん華々しいデビュー」だったのにぃ! はぁ、これじゃサキュバスじゃなくて野党だよぉ~!」


 まあ、サキュバスだよな。知ってた。


 俺は荷馬車の中で帆から離れ、息を殺す、気配を殺す。


 バサ、バサ、バサ―――


「んー?」


 うるさい羽音が近づいてくると、荷馬車のちょうど手前で止まった。地面に降りたんだろう。


「んー……ゲッ。ぺっ、ぺっ」


 そして御者台の方で何かピチャピチャ音を立てると、ペッペッと何かを吐き出した。


「うわ~サイアク。よくこんなの飲めるよね、吸血鬼ヴァンパイアは」


 どうやら人か馬の血でも舐めたらしい。


「んー?」


 それで終わってくれ、荷台の方には用はないだろと思ったが、ソイツは何を思ったのか、荷馬車の周りをグルグル回り始めた。


「んんー???」


 鬱陶しい奴だ、早く従者の方にでも行け。


 めくるな、帆はめくるな。


 お前が用があるのは逃げた男達の方だろ―――


 ―――しかし、願い、届かず。


「………どゆコト?」


 そんな呟きと共にバサアッと帆はめくられ―――


「隠れてないで出てきなよ」


 そんな冷たい声が響き渡る。


「「………」」

「いるんでしょ、分かってるよ。悪いようにはしないからサ」


 悪いようにはしない、なんて言葉を信じたわけじゃない。


 俺は衣類の海の中でこちらの手を引っ張る少女の手を軽く握り、押し返す。


 ピクッ、と彼女が驚くような感触が返ってきたのを見てから、俺は衣類の海からバサバサァと姿を現す。


「わお」


 荷台を覗いていた女は、驚いたような顔を見せた。

 そしてニヤリと笑う。


「“オトコ”はっけ~ん♥」


 ニヤリ、としてから、ニヤァ、と笑みを深める。


「しかもぉ、いいニオ~イ♥♥」


 香水などつけていない。最後に風呂に入ってからだいぶ経っている。

 つまり、くせぇってか。ニオうってか。俺が。

 体臭はそんなにキツくねぇ筈だ。


「コレって、熟れたオトコのニオイってやつ~?♥♥」


 まだ19だし。ふざけんな。


「あれぇ? でもぉ、中からしたのには別のニオイだと思ったケドぉ~? おかしいな~?」


 正直、仕草全てがあざと――わざとらし過ぎるため分かりにくいが、少なくとも荷台に隠れている少女のニオイに確信があるわけではないらしい。


「気配を消した俺に気付くとはな」

「あはぁ♥ ニオイ、強くなったぁ~♥♥♥」


 先ほどの従者とのやり取りから、コイツはまだ男の精気を吸ったことがないのか? 少女の気配を、俺の消しきれなかった気配ということにする今のやり取り。向こうが少し騙されている感はある。ちょうどいい。俺は「やれやれ」なんて言いながら、荷台から地面に降り立った。


「……なに見てやがる」

「~~♥♥」


 ニヤァ、とヤツはまた目を細める。俺の全身を隈なく観察されているなと思ったら、俺、まだ素っ裸………に限りなく近い格好だったわ。


 連れの少女から剥ぎ取った奴隷服の一部を、腰布にして纏っているだけの格好。


「なんかぁ、聞いてたよりずっと刺激的ぃ~~!!♥♥♥」


 そのまま睨み合いが続くと思ったが、しびれを切らした向こうが身をよじり、モジモジとし始める。

 スハー、スハーと鼻と口で呼吸を繰り返し、何だか危険な印象だ。

 黒く際どい下着をつけたように見える股間の辺りから内ももへ、ツゥと水が垂れて月光を受けてキラリと光った。


「君ぃ、“オトコ”だよねぇ~~?♥ アタシに吸われてみなぁ~い?♥♥」

「生憎と女は間に合ってるんでな」

「んもう、ツレない~! 今、ちょっとだけならいいでしょ?♥ ちょっとだけ♥ 先っちょだけでいいの♥ せーき(精気)ちょーだい♥」

「………」


 正直、その容姿、声色、台詞にぐらっときている自分がいるのも事実だ。だが、それと誘惑にノるかとはまた別問題。

 断じて、俺に魅了が効いているわけではない。

 サキュバスってヤツらは、本当にああいうことを言わせると右に出る種族はいないだろう。あと個人的に、サキュバスという種族そのものが、人間の女性より誘い方が上手くないと、既に絶滅していそうな種族だと思う。人間の男がパートナーを差し置いて懸想するくらいじゃないといけないからな。


 さて、どうやってコレを切り抜けるか。


「求めてもらって男としては光栄だが、素直に吸われるわけにはいかないな」

「じゃあ、どうしたらい~い?♥」

「…………」


 俺にとって意外だったのは、コイツが素直に話を聞く素振りを見せたことだ。

 決して弱くはなさそうだから―――相手の力量を見る目があるのか、それとも強制的に精気を吸うことが、向こうに何らかのデメリットをもたらすのか。

 ここは一つ、事実確認を兼ねて、ハッタリをかますか。


「まさか、箱入りのサキュバスがいるなんてな。男の味も知らないクセに、一丁前に誘惑か?」

「…………は?」


 ―――カチンときた、と言ったところか。


 こんな風に分かりやすく怒るヤツ、いるんだな。


「じゃあさ………スーにも教えてよ、“オトコ”の味ッ――――!!」

「うおっ―――!?」


 全く躊躇せず、背中の翼で風をまき起こしながらギュンと飛んでくる。結構な速さだ。

 我を忘れて向かってくるサキュバスの女を、俺は片手でいなす。

 相手がすれ違いざまに突き刺そうとする尻尾―――やはり毒針有りか―――をかわそうかと思ったが、敢えて受けることにした。


 ヂクッ、と腕に刺さる針。ほんの少しの痛みの後で、患部がジンと痺れる感覚がした。

 俺は腕を折り曲げて力を込める。痺れはすぐに引いていく。


「―――アハハ♥ すぐに動けなくしてあげ―――あれ?」

「毒は効かないんだ」

「で、でも確かに、スーは刺したよ……?」


 振り向いた女は自身の目を疑っているようだったが―――


 仮にも俺は元勇者。

 状態異常への対処など慣れっこだ。オマケに俺の身体は特別製。


 自分で言うことではないが―――


 ほんのいくつかの魔法を除けば、俺の魔法なんざ一般人が到達できる領域でしかない。ただ―――


 魔力は有り余ってるし、その使い方も工夫して、俺は元の世界で最強になった。


「―――【魔装体術マジックアーツ】」


 魔力を血に乗せ、血行を促進させるイメージを展開する。

 魔法の才能が“勇者” 格になかった俺が得た、俺を最強の勇者たらしめた要素の一つ。


「―――ッ、なになに!? どゆコト!?」


 サキュバスの女は瞠目した。


「さっきまでの威勢はどうしたんだ。ここからだぜ」


 身体中にみなぎる力。当然だ、俺は身体中の全てを魔力で満たした。俺の身体は今この瞬間に、かつて最強だった勇者のものとなる。


「こいよ」

「―――ッ、調子に乗らないでよねっ!」


 女が跳躍した。一瞬で手の爪が少しだけ長く伸びた。皮膚など表層組織を変化させるサキュバスの特性か。

 ただ、あくまでこちらを殺すつもりはないのか、狙いは手足に集中している。人間の手足をどうこうできる威力はある―――先程、荷馬車の馬や男の首が切られたのも、あの類の力だろう。


 ひとまず脅威度は下げるか。


「【魔力の魔弾化(マジックバレット)】、【装填チャージ】―――」


 俺は右手で人差し指と親指を伸ばし、銃の形を作って相手に向ける。

 元の世界では俺の愛武器・銃剣ドゥームが常に手元にあったので、こういうポーズも実は久々だったりする。


「【非殺傷ノンリーサル気絶スタン】」


 自身の作り出した魔弾に、俺流の補助魔法で、相手を殺さないという制限をかける。

 時間が間延びする感覚。こちらへと飛びかかる女の動きがスローになり、俺はソイツの額へと、狙いを定めた。


「―――【発砲バン】!」




●●●●●




「うわああああああああああん!!!」

「お、お嬢様! 大丈夫ですか! お嬢様!」

「あいつがスーを『箱入り』って! 『男の味も知らないクセに』って! スー、気絶してっ、()()()()()()()っ………うぇええええん!」

「―――なんてことを! キッ!」

「………」


 今駆け付けたばかりの従者の女は主人に駆け寄り、こちらを睨んでくるが、光景が光景なだけに緊張感がない。しょんべん漏らして泣き喚くサキュバスに、従者と思われる別のサキュバスが付き添っている。従者というより保護者じゃねぇの?

 念のため【魔装体術】は解かないでいるが、あの程度なら必要なかったな。


「ちょ、ちょっと、そこの、あ、あ、あなた! オトコ! 自分が何をしたか、分かっているのですかッ!?」

「さあ、知らねぇなぁ。流石によそ様の()()()()は見きれねぇよ」

「う―――う―――うわああああああん!」

「あなた!」

「ハハッ、悪かったよ言い過ぎた」


 面白いな。


 従者は俺に構うことよりも、『スー』とかいうあの女を世話することの方が優先らしい。もちろん警戒しながら。良い従者―――従者というより、母親か姉のようだ。


 実際、似ているしな。


 二人は同じ桃色の髪をしていて、同じヘアースタイル。格好まで同じで、違うのは身長や身体つき、顔つきくらいだ。

 これで主人と従者か………世界にはまだ知らぬ謎が多いな。


 女は従者に付き添われてもまだ泣き止まず、桃色の長い髪を揺らして内股で座り込み、イヤイヤと泣いている。まるでいじめられた子供か襲われた女―――え、違うよな?

 襲われたのは俺だ。返り討ちに遭ったのは向こう。それだけ。事実はただそれだけ。


「おい、女。分かったら俺に構わずこの場を去れ。俺もお前らに用があるわけじゃないんだ」

「あなた達を見逃せとッ―――!?」

「見逃すだぁ? 勘違いすんじゃねぇよ。見逃してやるっつってるのは俺の方だ。お前らは今、慈悲をかけられてんだよ」

「!? ―――くッ!?」


 俺が全身にみなぎらせた魔力を、さらに強める。


 向こうは何か強風にでもあったかのように自身の肩を抱きしめ、汗を流しながら震えている。


 だから言っただろうが。


「今度こそ分かったろ。従者の女、ソイツを連れて行け。今なら俺も追わない」


 もともとどうなろうと追撃する気などない。ただ面倒だから大人しく引いてほしいだけだ。


 従者の方は物分かりが良いようで、泣く女を連れてその場を去ろうとする。

 ところが、泣く女の方は手を引かれても立ち上がる素振りすら見せず、腰を抜かしたまま、自分の尿でびしゃびしゃに足を濡らしながら吠えた。


「―――イヤっ! ここまでバカにされて……っ、初めて男を見つけたと思ったのに、台無しにされて………っ!」


 いや、そんな全部が俺のせいみたいに言われても……。

 台無しになったのは主にそっちのポンコツ従者のせいだと思うが………あ、ほら、目を逸らした。テメェ!


「―――絶対に帰らない! 納得いかないっ!」

「―――だ、そうだぞ。従者の女。お前の方は実戦経験もありそうだ。俺の力量が測れないわけじゃあるまい? 殺されたくないなら無理矢理にでもソイツを連れて逃げた方がいいぞ?」

「―――ッ!!!」


 従者の女は一瞬だけこちらを睨むが、しかし大人しく帰ることにしたようで―――しかし、手を引いても立ち上がってくれない主人に、またオロオロとしだす。


 また同じことの繰り返し。


 ―――はぁ。


「―――分かった」


「―――ギャフッ!?」


 さっきと同じ魔弾を作り出し、さっきと同じように発砲する。


 ただし、標的は今度は従者の方。ソイツは魔弾を額に食らって、また一瞬で気絶する。今度は泣く女の方より少し速い弾だ。実戦経験がありそうだったんでな。


「―――う………そ……………」


 女は泣くのをやめ、自身の傍らで目を回して伸びている従者を見た。弾を目で追えないコイツにとって、戦闘力の面では信頼できる人物であったことが窺える。


 俺が近寄ったことで、森の隙間に差す月光を遮り、女の上に影が落ちた。


「――――ひっ!?!?」


 俺は女の両手首を掴み上げ、押し倒す。

 地面の上に、じゃりとした音を立てて。


「…………あ………あ…………」


 しょわわ、と女の股間からまたしみ出てきた。よく漏らすヤツだ。本当にサキュバスか? 俺の知っているサキュバスと随分違う。

 ……少しやり過ぎてるか?

 だがこれは、あくまで俺が人間として立ち回っているからこその暴挙なのだ。

 話が分からないわけではないであろう存在への、お仕置きの側面もある。


「―――なにも、殺すことはなかったんじゃないか?」

「―――へ?」


 ガクガクと震えながら、女は何を言われているのか分からないという表情を浮かべる。


「お前らサキュバスには、人間の狩りをして楽しむ趣味でもあるのか? 首でも持ち帰るか?」

「―――ち、違う!」


 おお、と今度はこちらが面食らってしまう。


 何か、怒ったように。


 ここまで女が必死になるとは思っていなかった。


「人間を殺したいわけじゃない!!」

「…………」


 意外だ。こんな純粋な目で心からの主張をされるとは。


「それはお前の意思か? お前の従者はどうやら軽はずみでヤっちまうようだけどなあ」

「さ、サーヤは分かんないけど………」


 そう、目を伏せる。


 なるほどな。


「そうだな。大事な搾取対象だ、人間の男に死なれたら勿体ないもんな」

「―――そうじゃない!」

「おおっと」


 暴れ出さんばかりの力がその手足に込められていた。


「スー達は………スー達は、一人しか選べないの! 初めてで………選ぶ時は、ちゃんとじっくり、しなきゃいけなくて………! お願い! 大切なことなの!」

「………」


 いまいち言っている意味が分からないが、何か特別なしきたりでもあるのかもしれない。成人の儀式か何かか? 何にせよ、俺の常識が通じない部分が立ち現れる。


「ぐすっ………」


 手を離して、身体の上からどいてやると、女は次から次へと溢れる涙を手で拭っては嗚咽を漏らす。


 …………。


 ……悪かったよ。


 ―――え。


 俺、今謝ったか? 


 謝ってないよな??


 なんで罪悪感なんて感じてるんだ?


「―――う、うぅ………スー……様………」


 俺の魔弾を食らって伸びていた従者の女が行きを吹き返した。


「……! サーヤ!!」


 腰が抜け、震える身体に鞭打って、スーと呼ばれた女がサーヤと呼ばれた女へ這うように近づいた。


 ふむ、スーとサーヤか………。


「お嬢様、お逃げ、ください………あの“オトコ”は、少々、普通とは違うようです………」

「気付くのが遅ぇよ」


 俺は二人の元へ歩み寄る。


「………悪かったよ」


「「…………!?」」


 俺はむず痒さを感じ、頭を掻きながら謝る。


 二人のサキュバスが、呆然とした表情でこちらを見ていた。

 とはいえ、それはあくまで泣いている女の方へ向けた謝罪であって、従者の方への感情を俺は保留とすることにした。


「………精気くらいくれてやるよ。有り余ってるしな。ただし、条件がある」

「え、ホントっ!? くれるの!? やたっ♥♥」

「お待ちくださいお嬢様。そ、その、条件とは」


 主人であるスーの身を守るように、従者サーヤは座ったまま、俺とスーの間に割り込んだ。


「お前らの話を聞かせろ」


 俺はそう、かなり語気を弱めて、努めて優しく言った。


「「…………」」


 スーとサーヤは、先程よりも驚いたのか、無防備できょとんとした表情をして、二人で顔を見合わせていた。




●●●●●




 さて、話を聞いた結果だが―――

 まさかこの世界で初めて見たサキュバスであるコイツらが本当に箱入りだとは。気に入った男を見つけるまでお預けとは、どんな教育なんだ? どうなってるんだ、身体のつくりは。ちょっと間違っただけで孕むとかだろうか? いや、軽はずみな妊娠を避けるような人間の倫理が通じるとは思えない。


「まさか本当に箱入りだとは………」

「し、仕方ないじゃん! スーたち『桃色族』は、そうするのが習わしなの!」


 どうやら、『サキュバス』と一口に言っても、様々な派閥というか、サキュバスの中にも様々なサキュバス族がいるようだ。


 コイツらはその中でも、髪が桃色なことを特徴とする『桃色族』のサキュバス。

 「これだ」と思う人間の男を“一人だけ”見繕い、その選んだ対象が生きる限り、一生をかけて対象から精気を搾り続ける種族、ということだ。サキュバスである以上は、どういうわけか女子しか生まれないらしいが、そんなことよりも、意外過ぎるサキュバスの生態に俺は驚いて言葉が出ない。


 人間の男を“一人だけ”選び、ソイツが生きている限り、一生をかけて精気を搾り取る。


 それは、字面だけなら“寄生”とも取れるが―――


 まさか、まさか、あの、サキュバスが。


 見ようによっては“一途”とも言える習わしの中で生きているなんて。


「………」

「―――っ」

「―――ッ、な、なんですか! 無礼ですよ!」


 顔を近づけ、近くでまじまじと見ても、こうして動揺してしまうくらい()()()、ということだ。どうにもコイツらの態度が演技であるようにも見えない。


 うーん………美人だ。そうとしか言いようがない。

 整った眉、ぱっちりと開いた目はまつ毛が長く、そうした目鼻立ちはくっきりとしているのに、口元の運動がどうにも悪戯っぽくて妖艶で、これだけでも男を魅了するに足るものだが、パーツだけでなく全体の印象として、こう、男がオトコであることをくすぐるような、そんな不思議な魅力がある。大人の女性の魅力、そして少女の無邪気さが同居しているとでもいうのか、非常に―――いやいや。

 俺に【魅了】なんざ効かねぇんだよ!


「お前らの種族は、みんなお前らのように()()なのか?」

「―――っ!?」

「な、なんですかあなたは! な、馴れ馴れしい………ッ!」


 素直に気になったことを尋ねただけなんだが、二人はボッ、と顔を赤くする。

 自身の肩を抱き、身を守るように少し身を引いた。


 うーん………。


「ま、いいさ。面白い話も聞けたし。ほらよ」


 俺はどうせコイツらに俺をどうこうできる筈もないと確信できたので、その身を差し出して精気を提供することにする。

 この世界でのサキュバスがどのようなものか、という好奇心もあった。


「「…………」」


 ところがどっこい、こちらが両腕を広げその身を差し出す意思を示しても、二人はポカンとしているだけだ。


 は???? 俺の精気は要らねぇってか。


「………なんだ、要らないのか」

「―――えっ。う、ううん、もらう………」

「…………それでは、頂きますが………」


 二人は座り込んだまま、俺の胸板や腹をペタペタと触る。

 そうして俺の傍らにちょこんと座ってみたり、俺の身体のニオイを嗅いだり、俺の周りをぐるぐる歩き回ったりする。


 何やってんの?


「おい、いい加減に―――」

「わ、分かってる。い、いくよ―――っ!」

「あぁお嬢様ッ! なんと大胆な―――!!」


 そう言ってスーは、身体を丸めた猫のような姿勢で、俺の隣にゴロンと寝転んだ。


「サーヤも!」

「よ、よろしいのでしょうか………」

「もちろんだよ! ねっ、いいよねっ?」

「―――え? あ、あぁ………」


 なんか知らんが許可を求められたので、許可してやる。


 急に茶番が始まった。おままごとか?


 荷馬車の後方、月光の差し込む森の開けた場所。

 俺は両側にサキュバスの女を伴って、川の字で地面に寝転がっている。


 なにコレ?


「―――ていうの」

「は?」

「名前! なんていうの……?」

「………。ソウジだ」

「ソウジ………ソウジ! スーは、スー! そっちはサーヤ! よろしくねっ!」

「よ、よろしくお願いします………」

「………ああ」


 寝転んで、まるで初めて野宿する新米冒険者のように目を輝かせて、スーとサーヤは俺を見つめてよろしくと言ってきた。


 なんだこれ????


「…………あのさ、一つ聞きたいんだが、これも『桃色族』の習わしなのか……?」

「「?」」

「いや………精気を吸う前に、寝転んで自己紹介とか」

「「???」」


 なんか認識にすれ違いがないか?


 二人とも、もう目を閉じてるんだが……!?


「………お前ら、精気を吸うんじゃなかったのか?」

「「?」」


 通じてない、だと……!?


「吸ってるじゃない」

「吸っていますよ」


 は???? 吸われてないが????


 体力も魔力も一切減っていない。


「―――あのな。それでどうやって俺の精気を吸うつもりだ? 寝込みでも襲うのか? そういうプレイか? こっちは急ぎなんだよ、早くしろ」

「………え? 一晩床を同じくすれば、精気を吸い取れるんじゃないの?」

「……………………は????」


 え、マジで。何言ってんのコイツ。


「お嬢様、お待ちください。『睦言を交わす』が抜けていますよ」

「は????」


 お前も何言ってるんだ?


「―――もしかしてッ!? ち、違うのですか!?」


 違和感に気付いたサーヤ。


「………あのな。そんなんで精気が吸えるわけねぇだろ。なんで添い寝しただけで精気が吸えると思うんだよ。ガキじゃねぇんだからよ………」

「…………ッ!!」

「じゃあさ、じゃあさ、どうやるの?」

「―――は????」


 それ、知らないの?

 それ、俺に聞くの?


「あのな、人間のオスとメスがするように、○○○○するに決まってるだろ」

「「…………っッ!?」」


 お、おい、二人とも顔を赤くして驚くんじゃない。


 そんな責めるような目で俺を見るな、サキュバスのクセに。


 やめろ。

 メスガキ属性も萌えられる。逆転もアリだし、そのままでもヨシ。逆転か、ストレートか―――

 試合かな?

 対戦よろしくお願いします。

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