第6話 決別と復讐対象(ターミナル・リスト)
俺が少女に召喚されたのは奴隷を繋いでおく小屋だった。
外に出て周囲を確認したところ、俺達の現在地は奴隷市場の裏手にある一区画。長屋のようにいくつもの小屋が連なっていて、土の地面が踏み固められた道の両側を挟むように、向かい側にも同じような並びの小屋があった。土に染み込んでいるのは何のニオイなのか、ムワリと香り、ツンと鼻を刺す空気。
人気はあるのに、人目が気にならない、不思議な場所だ。先程、俺が少女と契約を交わした時に一瞬だけ悲鳴が漏れてしまったと思ったが、誰もこの周辺を気にする者は見えない。俺が解放した少女の両隣の小屋は留守のようだった。周辺の小屋にも奴隷がいるようだが、どれも気配が弱々しい。遠くに奴隷商人や用心棒と見られる男達が行きかっていた。
ここは奴隷の取引場みたいなもんだな。
街………といっていいのかは微妙だが、仮にも、奴隷は出品されるまで、あるいは買い手が付くまで数日は繋がれている筈だ。ずらりと並ぶあばら家はそのためのもの。ただ、奴隷用の小屋ばかりでもなく、おそらく奴隷商人用だろう、素朴な看板を道に出す宿もある。
こうした区画だから、奴隷街、といってもいいかもしれない。耳を澄ませば、道の先をずっと行ったところから喧騒が聞こえてくる。絶賛、競り………奴隷オークションの真っ最中なんだろう。
今は用のある場所でもないので早々に立ち去る。
「どうした、早く来い」
「…………ッ」
元は奴隷を繋いでおく小屋だったのか、朽ちた廃墟があった。誰も寄り付かないので良い遮蔽物だ。ここを回り込んで奴隷街をすぐに抜けられるルートを見つけた。少女がノロノロと追ってくる。俺はじれったく感じて、彼女の手を引く。そのまま潜伏と逃避行を続けた。治癒もかけたし、どこか怪我しているわけでもない筈だ。なら、精神的なものか、飢餓だろう。
飢餓ならまずい、どこかで食糧に衣類、金を調達する必要がある。
たまたまだが、街並みが割れたように一本の細い視界が通って、遠くの方に大きな城が見えた。
あれは俺がこの世界に最初に召喚された城だ。
近づかないでおこう。城は国の、王都の中心にある。あれから離れるように移動すれば、この王都から出られる筈。
逃避行、というのも大袈裟じゃない。
脱走奴隷にお尋ね者の召喚勇者。未来はなさそうな組み合わせだった。
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あれからどれくらい潜み、走っただろうか。裏通りや人のいない道を選んでいるとはいえ、人通りや並ぶ家の見た目は変化していく様は見ることができ、そしてそびえ立つ壁が見えてきた。王都の端の方まではきているようだ。この王都は外敵から守る壁で周囲を囲まれているようだったので、分かりやすいな。
壁に大きな門がある個所は、おそらく関所。そこに立つ衛兵の格好をした二人組により、通行人の身分の確認が行われている。馬車などの荷は簡単に確認されるようで、幸いなことに、その場で税を納めるような制度でもなさそうだ。
俺達が物陰に隠れながら周囲の様子を窺うと、近くに停めてあった一台の大きな荷馬車を見つけた。
荷台にはこの王都の衣類や酒、燻製にした肉などが積まれているようで、物品の確認を終えた行商人が帆を下ろしているところだった。やがて、用心棒と思われる二人組の男がやってきて、行商人の青年と何事か話す。そうして三人で御者台に乗り込んだ。
……どうやらこれから王都を出るらしいな。行商人が御者よろしく手綱を握ると馬が歩き出す。
これで俺達は、難なく王都外へと出ることが叶いそうだ。とはいえ、コイツの手を引いたまま乗り込めるかは微妙……いや無理だろう。
「抱えるぞ」
「~~~~ッ!?」
俺は少女にアイコンタクトすらせずその華奢な身体を抱えた。お姫様抱っこというやつだが、軽いな。羽根のようだ。かなり驚いたのか、少女が俺の顔の方を見たまま身体を硬直させている。高所が苦手な犬が抱えられて、同じように身体を固まらせていたのを思い出す。
周囲に人が少なくなるタイミングで物陰から飛び出した俺は、荷馬車の帆をめくり、素早く荷台へ乗り込んだ。極力神経を使って乗り込んだので気付かれてはいない。御者台の三人は呑気にも何事か話し合っていて一喜一憂している。
分かってはいたが安堵して少女を見る。まだ俺の顔を見つめていた。なに見てやがる。そりゃ見るか。
抱えたままだったので少女を下ろし、このまま隠れているよう指示した。商品である衣類の海に呑まれて、その心地よさに少女は驚いた。驚いてばかりだな。それもそうか。俺も同じように衣類の海に身体を潜り込ませつつ、積まれたタルや酒瓶の隙間、そして荷馬車の荷台の帆の隙間から周囲を見ていた。
俺達を柔らかく包む衣服はどう見ても貴族用ではないが、少なくとも俺達が着ているボロより格段に仕立ては良さそうだ。それもそうか。
後で失敬して着替えるか。着替えも含めて二着ずつくらい―――
―――ん。
今、俺はこの商品を盗むつもりでいるのか?
…………。
堕ちるところまで堕ちたな。
俺はどうしようもなくなった。冤罪で殺されそうだったくらいには、謂れのない疑いで心も身体もすり減っていたし、それから―――これから、謂れのない憎しみを抱かれることにもなるかもしれない。
勇者だって人間だ、困れば、なりふり構わず何でもやるさ―――
―――いや、そうじゃない。
そうじゃなかった。
俺はもう、勇者じゃない。
それが全てだ。
盗みを働こうが何しようが、勇者としての俺はとうに終わった。
人間ってのは簡単に裏切るし、人の話は聞かないし、簡単に利用する。
嫌なことを思い出した。
前の世界でも、大なり小なり似たことはあった。
勝手に期待し、勝手に失望し、勝手に陥れようとする。
もしかしたら、見ないようにしていただけかもしれない。
勝手な期待はしないことだ。
金だぁ? 知るかそんなもん。
俺はもう勇者でも、聖人君子でもねぇ。
ただの流れ者だ。
命まで取られないことをありがたく思いやがれ………
「…………」
そこまで考えて、昔の仲間の顔が思い出された。
その迷いのない、信じ切った笑顔に、胸がズキッと痛む。
俺はその痛みを無視した。
今は、それどころじゃないんだよ。
クローディア。
おそらく、王国の上層部と結託して俺を陥れようとした、俺と同時に召喚された勇者。
アイツへの憎悪があった。
なぜ自身が陥れられたのか、なぜよりにもよって、この俺なのか。その理由もよくは分からない。
ただ、今はもう、なぜ、だとか、その詳しい理由を知りたいとは思わない。
俺はもう、王国と手を取り合って元の世界に帰還することは叶わなくなった。
それどころか、―――金鎧の勇者レイの言うことを信じるなら、王国の側にも初めから俺を帰還させる意図はなかったのだろうと思われる。
最初から―――俺が帰る道なんて、なかった。
その絶望が濃くなるほど、王国の裁判所大法廷で、俺をハメるのに成功したと確信した、アイツの嗤った顔が思い出される。長い前髪の隙間からいやらしく歪む目を覗かせ、口元で喜びの形を作り、笑みの形に結ぶ、青鎧の勇者クローディア。
澄ました顔で、侮蔑を込めた表情まで作って、さも悪を裁く側の人間であるかのような顔をする、厚い面の皮を被った老王ヨーゼフ。
ソイツらの顔が今はメラメラと、燃える写真のように、しかし決して燃え尽きることもなく、脳裏にこびりついている。
復讐だ。
アイツは、アイツらは、殺す。
俺の中に初めて、対象者が生まれた。
俺は元の世界には絶対に帰るつもりだが―――なぜだかそれは、俺が元の世界に帰る前にやることのように思われた。
不思議な感じだ。
勇者だった頃の俺には考えられない、自分勝手な怒り、憎しみ。利己的過ぎる動機、衝動。
勇者という“格”を自ら手放したことで、戒めが解かれたのか。
アイツらを殺したくて、苦しめたくてしょうがない。
元々の俺の醜い部分が、強調されるように意識の表層へドロドロとあふれ出るのか。
頭の中に、憎むべき敵の顔と名前が浮かんでくる。その中に、クローディアの名前と、ヨーゼフの名前が載っている。
さしずめそれは、復讐対象とでもいったところか。
どこかで聞いたことがある気もするが、ああ、確かに良い響きだ。
―――ドウセ、カエレナイナラ。
―――ドウセ、ナカマニアエナイナラ。
―――スベテ、ホロボシテシマエ―――
………待て待て。まだ元の世界に帰れないと決まったわけじゃない。仲間に会えないと決まったわけじゃない。
全てを滅ぼしたいわけでもない。
絶対に帰るし、仲間にも会うさ。
何を言ってる、俺の心の声。
なぜか―――“契約”の後遺症か?
胸の傷が今更にズキズキと痛む。
胸に手を当てると、自分でも驚くほど鼓動が速くなっているのが分かった。
大丈夫、俺は俺だ。
多少汚れようと一線は越えないし、外道に堕ちることもない。
俺は、俺だ。
勇者になる前だって、そうだったじゃないか―――
握り込む華奢な手から温かさが伝わってくると、不思議と胸の動悸が収まっていく。
………は? 華奢な手?
「…………」
衣類の山から手を出す少女の、その華奢な手だ。
同じく衣類の山に隠れる俺と、服の間の隙間を通じて目が合う。
綺麗な―――赤いガラス細工のような虹彩の目。
怯えた目。
怯えていて、弱々しくて、揺れている―――しかし、どこか優しく、強い想いを秘めた目だ。
(―――いやいや)
少女の目に何をみているんだ、俺は。
かつての仲間の目を見た時のような感覚―――とは少し違うが。
なんだか、コイツの目にかつての仲間のそれを重ねそうになっていたのかもしれない。
色も眼差しも違うのにな。全然頼もしいわけでもないのに。
違うが、似ている。似ているが、違う。不思議なものを、いつの間にか心に植え付けられてでもいるのかもしれない。
そういや俺は、心臓を握られてルーンを刻まれたんだったな。
いや、そんなのは比喩だし、関係ない。そうまでしてこの感覚を認めたくない自分がいるだけだ。
(…………はっ。らしくねぇ)
自分でも自分が情けなくて、少し笑ってしまった。
いつの間にか胸の鼓動は、いつも通り落ち着いていた。