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第5話 “元”勇者、運命の召喚、少女の出会い! ~マッパはマッパ~

 俺は異世界にて、勇者として、他二人の異世界勇者と同時に召喚されたものの、なぜか俺だけ素っ裸だった。

 そして勇者の一人の策略によってあっけなく罠にハマり、俺はこの世界に召喚されて早々、社会的生命を絶たれ、そして命まで絶たれようとしていた。

 断頭台にて落とされる刃を待つ間―――自身の中にある生への執着、元の世界に帰って仲間に会いたい、記憶の中の美女の正体を知りたいという想いを自覚し、涙を流しながら目を閉じたところ―――


「………何コレ」


 目の前では、度々記憶に出てきた美女が幼くなったような姿をした美少女が、俺の胸に黒く硬質化させた手を突き刺していた。

 そして、なぜか俺だけじゃなく彼女の方まで目を丸くして驚いているという状況だった。

 そしてそして―――



 は????


 俺、また素っ裸????




 は????




●●●●●




 抜くのはマズい、抜くのはマズいからね~? じっとして、動かないように~?


「おい、動かすと………」

「―――っ!」


 こちらの胸に突っ込まれた手を見ながら、俺はそう言った。声をかける度、少女は怯えるようにビクッと身を震わせる。


 怯えている……?


 ああ、俺素っ裸だったわ。


 いや、それどころじゃないんだよ、手を突っ込まれた胸の傷から、血が溢れ出そうとしてるんだわ。


 不思議な感覚だ。


 もはや先程の痛みはなく、文字通り、今は胸をわし掴みにされている。


 心臓を掌握された感覚、というのがあるのか分からないが……良い表現が浮かばないな。何と形容すれば良いのか全く分からん。


 ていうかよく考えたらコレ、痛みが無いのが不思議だよな…………夢の中とも違うようで、脇腹をつねってみるとちゃんと痛いし。


 なぜなのか気になるところだが、しかし胸に手を突っ込まれているわけなので、穴の周囲の隙間から血が滲んでいるのが見える。


 ヤバい、なぜだかギロチンから逃れられたのに、今度は出血多量で死ぬ未来が見え始めたぞ。


 あ、抜くな!


 抜こうとするな!


 出血多量で死ぬだろ!


「おいおいおいおい!」

「――ッ!? ~~~~ッ!」


 ビクビク、ビクビクッと面白いくらい震えるが、やめろ、びちゃびちゃと音を立てて俺の血が抜けてくから。


「ま、まず落ち着け、な? いったん落ち着こう」

「………ッ」


 コクコクと頷く。言葉は通じるな。


「このまま手を抜かれると、俺はほら、出血多量で死んじゃうから。な? 分かるだろ?」


 コクリ、と控えめに頷かれる。


 ひとまず、互いに敵意はない……いや、話の分かるヤツで良かった。


 現状を把握するか。


 周りを見回す。ここは………どこかの小屋、か………?


 俺はさっきまで断頭台にいた筈だ。両手両足に、魔力を吸い取り続ける枷を嵌められて、ギロチン用の大枷を首に嵌められて。


 それが今は、どことも知れぬ、薄暗い小屋の中。


 オマケに素っ裸ときたもんだ。さっきは最低限、バスローブみたいな簡素なガウンは着ていたんだがな。


 状況から見て、何らかの()()()()()()のは確かなようだ。


 向こうじゃ今頃はパニックなんじゃないだろうか。断頭台からこっちに転移して、素っ裸にはなったものの、同時に首の大枷も両手両足の枷もなくなっている。


 魔力が吸われる感覚はなくなっていて―――


 魔力は………ほんのわずかに回復しつつあるか。


 色々理解してくると、疲れまで自覚し始めてしまうが、まずは胸の傷を治すところから―――というか、治癒魔法でも唱えようと思ったんだが、この少女の手を突っ込んだまま傷なんて癒えるわけないよな。大体、これは重傷に分類されるほどの傷だ、今の魔力残量では治癒は厳しい。


「おい、お前」

「―――ッ!?」


 ビクリ、と肩を震わせた。やはり臆病だな………こういう奴隷根性をしたヤツを、俺は前の世界でもたくさん見てきた。


 奴隷…………


 ん、なんだよく見たら、コイツ、片足に枷が付いてるじゃねぇか………足の枷は、この部屋の隅に打ち込まれた杭に繋がっている。


 コイツの膂力じゃ、コレをどうにかするのは無理か。枷は、俺が城でかけられていたものより随分と粗悪な出来だが、それでも魔力を吸うタイプだ。


「魔力は残ってるか」

「~~~っ」


 少女はふるふると首を横に振る。魔力が残っていない? 俺を転移させるような()()()を描いて、魔力を込めることはできたのにか?


 ……ん、()()()


 俺と少女の座る床には、何か、赤いインクのようなもので描かれた魔法陣が描かれている。


「………この魔法陣、お前が描いたのか」

「~~~!!」


 コクコクと首を縦に振っている。

 やはりか。しかし、随分と下手くそだな。形は歪んでるし。


 ………てことは、だ。


 俺は、こんな娘っこの描いた、こんなヘタクソな魔法陣に呼ばれたってことか?


 ありえない。


 曲がりなりにも―――元の世界でのこととはいえ―――俺は勇者だ。


 莫大な魔力、暴れんばかりの力さえ、ものともせず体内に蓄えてコントロールする、人間として規格外の存在。


 それが、こんな子供のラクガキみたいな魔法陣で召喚されちまうなんて………


 そしておそらく、こうして胸に手を突っ込まれているのは単なる偶然なんかじゃない。


 “掌握”……“掌握召喚”。


 召喚された対象を絶対に服従させ、眷属にするため、始めからこうして無理矢理に生殺与奪の権利を握る召喚の方法がある。


 一歩間違えば、構築しようとしている主従関係の中で信頼関係が崩壊するし、そうでなくても召喚された側の心証を考慮すれば、今後に差し障る手法だ。


 ―――つまり、それだけ切迫した状況で、あるいはそれだけ必死な思いで召喚したということ。


「お前は何者だ」


 相手がまだ怯えを滲ませているのを理解しながら、俺はその目をじっと見据えて問いを投げた。


 少女は端正な顔から力が抜けたかのように、きょとんとした、何か、未知の問いを投げられた時のような表情をしていた。


 ………まあいい。


 このままとぼけるようなら―――ここで嘘を吐くようなら、俺という力を何かに利用しようというなら。

 俺は、俺の胸に突き刺さされるコイツの手を切り落としてでも、ここをすぐに離脱するつもりだった。


 国側に信頼が置けない以上、俺は俺で、元の世界への帰還方法を模索するしかない。


 全てはここから始めないとな………


「…………」

「…………」


 少女の目を見て何分経っただろうか?


 少女は悲しそうな顔をして。


 上目遣いでこちらを見たり、目を逸らして必死に何か考えようとしたりして。


 さっきの問いへは、いっこうに返事が来ない。


 その口は何か言葉を紡ごうとして、しかし何か違うなと思ったのか、別の言葉を探すように思いとどまった。


 ………いや。


 思ったことを口に出そうとして―――口を開いて、息を吐いて、何かに絶望して、また口を閉じた。


「おい、聞いてたよな」

「―――ッ!?」


 またビクッとさせてしまう。怯えてはいるが、しかし逃げたがっているわけでもない。コクコクと頷いているところから見て、応答の意思はある。言葉も理解できている。


「……じゃあ、お前のことはひとまず置いていい、まず、ここはどこだ」

「…………ッ」


 少女は“名前”を探す時のような困惑とはまた別種の戸惑いを見せた。


 ………何となく分かっていた。


「お前…………もしかして、声が出ないのか?」

「~~~~~~っっっ!?!?」


 少女は、俺が察したことに対してなのか、それはそれは驚いたような顔をした。

 どうやら取りつく島があると分かると、必死に頷いて俺の見立てを肯定する。

 失語症、ではなく失声症。脳の言語野の損傷が主な原因の前者ではなく、心因性であることが多い後者。何らかのショックのせいで声が出ない病だ。


「声…………いつから………いや、いい…………」


 自分でも余計なことを言いそうになり、別の話をする。


「お前、名前は? 声が出なくても書けるだろ。あ、この手は引き抜くなよ」


 そう言って俺は、床を顎で示した。


 床に書いて教えろ―――その程度の指示でしかなかったが。


「…………?」


 少女は微動だにしなかった。


 ただ、俺の胸に突っ込んでいるのとは別の方の手を自身の前に持ってくる。


 そちらの手は………指先がぐちゃぐちゃになっているようだった。


 血塗れも、血塗れだった。


「………その指で。この魔法陣を描いたのと同じように、お前の名前をココに書いてみせてくれるだけでいい」


 多少の痛みは我慢しろ。後で治癒魔法をかけてやる。


 そう言ったが、少女は指先のぐちゃぐちゃになった自分の手を身体の前に持ってきただけで、そこから俺の指示内容を進めようとはしなかった。


 首を傾げ、自分のやろうとしていることに、生まれて初めて疑問を抱いたような。


 まさか。


「字が分からないか?」


 首を左右に振られる。これは分かっていたことだが、一応だ。


 やはり、まさか。


「お前…………まさか、自分の名前が分からないのか?」


 少女はゆっくりと、微妙そうに首を傾げる。


 いや、ということは、そのまさかのまさかか。


「…………」


 そうか。

 名前が―――


「名前が、ないんだな?」

「…………!」


 少女はそのことで怒られるとでも思ったのか、恐る恐るといった様子で―――


「…………っ」


 こちらの顔色を窺いながら、控えめに首肯した。




●●●●●




 まず俺は、少女に名前を聞いた。


 ところが少女は答えをあれこれ迷った。


 正直に言うにせよ偽るにせよ、こちらの質問に答える意思はあった。


 では名前がダメなら適当な質問をしようとしたが、しかし、そこで少女は声が出せないことが判明する。


 声が出ないなら筆談でということで、俺は名前を書いて教えるように指示する。


 しかし、少女はいっこうに書く素振りを見せなかった。


 俺は少女に()()()()()()()()()()()のかと尋ねる。


 微妙な反応だ。正直、この時点で絞れてくる。


 今度は、俺は少女に()()()()()()()()のかと尋ねた。


 それが、答えだった。


「お前………名前がなかったんだな」

「…………」


 少女は神妙な様子で頷く。


 名前がないことは分かったが、その時の気まずそうな様子。

 この世界では名前がないことは恥ずかしいことなのか、名前がないことを責める文化があるのか、名前がないことで決まる処遇があるのか。



「…………俺は、ソウジっていうんだ」



 ともかく俺は、なぜか自分の名前を教えておこうと思った。

 教えておくべきだと思った。



「………ッ」


 コクリ、と頷いて、少女は『ソウジ』の文字を、俺の目の前で書いてみせた。

 必死になって………

 指先の血を使った血文字なもんだから、かなりおどろおどろしいな。

 ダイイングメッセージかよ。


「―――フッ」

「………?」


 俺が笑みをこぼしたことを不思議に思ったのか、少女はこちらを見上げて首を傾げる。

 何でこんなことで笑えたのかも分からない。俺は照れ隠しで少女の頭に手を伸ばし、わしゃわしゃと撫でた。


「―――ッ!? ………??」


 手を伸ばした時は怯えられたが、俺に突然に頭を撫でられたものだから、少女はかなり戸惑っている様子だった。


 そうか、まず「何者か」聞いたのが間違いだったのだ。


 この少女は今、「何者でもない」部類の人間だ。



 俺はひとまず、状況の打開策を提案することにした。



 少女は―――歪ながら、召喚の儀式魔法陣を一人で描き上げたわけだから、そのことから何らかの契約を、召喚したものと結ぶ予定だったことが考えられる。


 まずこちらからの契約の破棄というか中止についてだが―――少女を殺せば当然ながら可能だろう。

 しかし………こうなってしまうと、俺にそんな手段を取るつもりはなかった。


 それはなぜかって………なぜ、か………。


 はて?


 いや、少女の見た目が人間に近すぎるからだろう。そうに違いない。魔族の特性も受け継いでいるようだが、かなり半人半魔の気配を感じる。見た目が人間に近すぎて、魔族と戦争をする時みたいな正当化ができないだけだ。


 ………ひとまず、契約の方法だけでも聞いておくか。


「オラ、手を貸せ。治癒魔法をかけてやる―――【ヒール】」


 流石に痛々しいのが我慢ならなくなってきて、俺は血文字に使用され過ぎた少女の指に治癒魔法をかけた。俺の胸から滴る血はまだ乾いていない。今からの筆談にはそれを使用させればいい。


「…………!!!」


 傷が治るのを、自身の身をもって、目の前でまざまざと見せつけられ、少女は大層驚いた様子を見せた。


 感動したように、キラキラとした目で見てくる。


「なんだ、治癒魔法は初めてか?」

「―――っ!」


 少女はコクコクと激しく頷く。


「文字を書くには俺の血を使え」


 俺がそう言うと少女は、床に零れていた俺の血を指ですくい、そのまま床に『治癒ヒール』と書いて見せた。


「―――っ!?」


 そして「合ってるか」と言わんばかりに、輝く目で見つめてくる。


「―――ほう」


 俺は首肯しつつ、感心した。


 特殊な発音・発声を伴う魔法言語を聞き取って、コイツはすぐさま文字に表した。初めて聞いたらしいにもかかわらず、一度で、だ。

 本来なら、初級の魔法とはいえ、習得にはそれなりの時間を要するもの。


 これはおそらく天賦の才ってやつだろう。


 そんなヤツが、こんな初級もいいとこの魔法で感動している。


 大きな傷を癒すでもない、なんでもない魔法だ。


 もしかしたら、治癒されたのも、いや魔法すら初めて見たのかもしれない。


 少女の輝く無垢な目と、血文字のおどろおどろしい召喚魔法陣がなんともアンバランスで、あぁ、半人半魔ハーフっぽいなと呑気にも思ってしまった。




●●●●●




「『契約』? 『ルーン』、『刻む』?」


 少女は俺が契約の方法を聞くと、そんな文字を床に書いて見せた。


 ……ここにきて思ったんだが、そういえば、世界が違うと文字や言語も違うよな? こうして理解できてるのって不思議だよな。テレパシーなんか使ってるわけじゃない筈なのに………これが魔力・魔法の存在する世界特有の現象ってことなんだろう。ぶっちゃけ、前の世界でも不思議に思うことはあった。その時は、それ以上余り深く考えることさえなかった気がするが。


 少女は床に書いた文字に書き忘れを見つけたのか、慌てて新たな一語をつけ足した。


「なになに……『契約』、『ルーン』、『刻む』……ああ『心臓』、か。なるほど」


 何となく分かるのがミソだな。


 要はこうして、召喚された者に絶対服従を強要する“掌握召喚”には、彼女の場合は対象の心臓を掌握している必要がある、というわけだ。どうやら俺の推測は当たっていたらしい。前の世界の知識に感謝だな。


 それにしても………内容的には、まるで心臓に直接ルーンを刻むかのような書きぶりじゃねえか。


「………」

「………おいまさか」


 え、まさか、な?


 まさかだよな?


 人体にルーンを刻むってのは、その、刺青いれずみの超痛い版というか、普通は推奨されないやつで、要は魔力を流し込みながら印を焼き付ける技術だから………しかも、それが人体の内側ともなれば―――


 控えめに言って、地獄だろう。


 …………。




「―――いいぜ」


「…………?」




 俺がそんなにも潔い返答をしたのが意外だったのか、少女は思い切り目を丸くして、驚いたのだった。


「はっ、どうした? 早く刻めよ、それが契約の条件なんだろ?」

「…………っ」


 なぜここにきて躊躇する。


 俺はもう覚悟を決めた。


 契約破棄のために少女を殺すことは、俺にはできない。


 認めよう。非情になり切れないのは、“勇者”という名の使徒だった頃からの俺の欠陥だった。


 しかし、それはもういい。


 契約してしまえば全てそれで丸く収まる。


 どうせ失う筈だった命。


 元の世界へ帰る道も水泡に帰して、一から全て自分で探さなきゃならない。


 なら、ここでこうすることは、全くの悪いことばかりでもない筈だ。




 ………正直に言えば、少女の腕を俺の胸から引き抜かないことには、何も始まらないと思っただけだった。今の俺に、この重傷を塞ぐ魔法を使うだけの力はまだない。

 格好つけてごめんなさい。

 だが、もう少しだけ格好つけてやろうと思う。




「契約を結んでやるよ」


 俺は素っ裸で、手に胸を突き刺され心臓を握られたままの格好だというのに、そんな風に言い放った。


「偶然とはいえ、俺はお前に召喚された。なら、これはお前の権利だ」


 諭すような柔らかい声音から、相手を試すように語気を強める。


「さあ刻め! 心臓に刻まれた契約の限り、お前に力を貸そう」

「―――ッ!?」


 覚悟を決めた俺は促す。


 台詞が、まるで、対価として人間の魂を要求する悪魔との契約みたいになっちまったな。種族的には逆の役割の筈なんだが。


「~~~っ!!」


 少女はやはり、乗ってきた。


 思い切ったように。


 差し伸べられた心臓()に、運命に、身を投じるように。


 祈るように―――俺の心臓を握った。


 そうだ、それでいい。


 心持ちとして、普通は逆だと言われるだろう。


 心臓を握られた俺は、覚悟する。


 心臓を握る少女は、祈る。


 だが―――この“契約”では、それが正しい。


「―――ぐっ!?」


 途端、身体中に電撃が走ったような感覚がして、胸部を中心に激しい痛みに襲われる。


「ぎゃああああ!?!?!?!?」


 覚悟を決めても、痛いもんは痛い。


 バリバリと心臓の表面を電撃がはい回るようで、胸が、胴が、手足まで、まるで無数の蛇に内側から食い荒らされるような感覚に襲われた。


 魔王クラスの強力な催眠・幻術にかかった時以来の苦痛かもしれない。


「――――ぅぅううううッ、ふっウウウウウウ!」


 大きく叫んでしまったが、何とかこれ以上は声を抑えたい。

 ここは奴隷を一時的に勾留しておくための場所だ。

 見張りが来るかもしれない。今まで誰も気付かないようなら、もしかしたらこれでも気付かないかもしれないが―――


「ぐっ……………はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……………」


 壮絶な痛みに耐えきり、俺は息を吐いた。


 ギロリ、と意図せずして少女を睨んでしまったのを、一瞬遅れて理解する。


 少女は慌てて、俺の胸から手を引き抜いた。


 ちょっ―――!? そんなことをしたら、俺の胸から血が噴き出す―――


 ヌボォ………ギュチグチグチグチ………


 しかし、意外なものを目にした。


「傷が……………塞がってんのか……………」


 少女が手を引き抜くのにわずかに遅れ、俺の胸の傷が、なぜか自然と塞がり始めたのだ。


 治癒魔法も使っていないのに。


「はぁ、はぁ、はぁ…………なんだ…………」


 こめかみから伝う汗を拭いながら、俺は胸を手でさする。


 今は痛みもなく、わずかに肌の質感が怪我の治癒後のそれになっているだけで、特段怪しい兆候は―――


「―――あ?」


 あったわ。


 胸の傷は、この前まであった歪な円の形はちょうどそのままに、傷跡が真っ黒く変色していた。触ってみると、どことなく硬質な感じがある。


 目の前の少女は、どこかポカンとした様子で、まだ心ここに在らずといった風だ。コイツが何かしたわけじゃないらしい。


「―――なら、“契約”の副産物、ってところか…………」


 人が悪魔に魂を譲り渡す“契約”に限ったことでなく、特殊な条件下で、特殊な存在と“契約”する際、それに伴って新たな力に目覚めたり、互いの能力が増すのは、無くもないことだ。どころか、むしろそれを目当てに“契約”が結ばれるといっても過言ではない。


 ただ、俺が元いた世界での話になるが、この“契約”は特殊な環境なり道具なりが必要だったり、そして国などからの許可が必要だったりする。この世界では―――俺は城でこの世界の情報をよくよく集める前に罠にハメられたから、詳しいことは分からないが、余り表沙汰にしない方が良いのは確かだ。


 今、特殊な変化が俺の身体に起こっているように、この世界での“契約”はかなり特別なもので、禁忌扱いされている可能性だってあるからな。


「―――さて、胸の傷の問題も解決した」


 俺は身体に魔力と体力が戻ってきていたのを確かめながら、立ち上がる。


 その様子を呆然と眺める少女。


 その足には枷が嵌められたままだ。


 俺は囚われの少女を見つつ、一歩、そしてまた一歩と後退あとすざる。


「…………」


 正直、“契約”を結んだからと言って、俺がコイツを助ける義理はない。


 “契約者”に対して関わらないで生きていくこともできる。“契約”ってのは、一部を除いて、完全な一蓮托生ではないからだ。


 まして相手は、声を発することができない少女で、奴隷の身分だ。


「―――、―――………」


 少女は言葉を発しないが、どことなく、寂しげだった。


 こちらへ控えめに手を伸ばす。


 行っちゃうの、とか、置いて行かないで、とか、そうした類の視線を向けて来る。


 助けたヤツにこんな視線を向けられたのは、一度や二度じゃない。


 俺が勇者だった頃は、足手まといを連れて冒険なんてできなかったからな。認め合う仲間どうしじゃなければ、パーティーができることもなかった。


 こういう視線を向けて来るヤツはいつだって、俺とは違う場所に生きるヤツだった。


 俺はまた一歩、少女から距離を取り、小屋の入り口の扉に手をかけるため、振り向こうとし―――


「―――ッ…………」

「………………っ!? はぁ!? 泣いてやがんのか、お前!?」


 こちらに手を伸ばして固まった少女の、その強張った表情から、涙が零れ滴っていた。


 涙は音もなく、一つ、また一つと床に落ちる。


 俺は慌てて駆け寄り、少女と目線を合わせた。


 少女はまだきょとんとした顔で、俺を見つめ続ける。


 自分が泣いていることにすら気付いていないんじゃないか、そんな風に思わせる。


「………解放くらいしてやる」


 俺は少女の足枷に、ピッ、と手刀での切り払いをお見舞いしてやる。


 魔力を吸うタイプながら粗悪な出来の枷は、俺の力を受けて簡単に壊れた。


 これでお別れだとばかりに立ち上がろうとするが、少女が俺の手を掴んできた。


 掴んで、そのまま離さない。


「その手を離―――いや、枷を壊しても意味はねぇな」


 人目がないところまで連れて行くくらいはわけないことだ。


 別れるのはそれからでもいいだろう。


「お前、硬質化はできるか。さっき手を硬化させたみたいに、自分の胸辺りを覆えるか」

「…………ッ」


 コクコクと頷いて、少女は自身の胸を硬質化させた。

 黒い皮膚が背中から前側に届き、その膨らみかけの胸を完全に覆ったのを、ボロい奴隷服の隙間から確認する。


「覆えたな。じゃあ一つ頼みがある。俺も裸だ、いくら何でもこのまま外を歩きたくない。下を隠したいから、お前の纏うそのボロ布の一部を貸してくれ」


 俺がそう頼むと、少女は躊躇なく上半身の布を破り去ろうとする。が―――


「………手ぇ震えてるな。無理か。ちょっと貸せ」


 俺は少女の服に手をかけ、ビリリと破り去る。字面だけ見ると事案だが、実際の風景は極めて事務的で、原始的で、少女の表情もどこか夢心地といった様子だった。


「これでよし」


 俺は自分達の格好を改めて見た。二人ともボロいスカートを履いた原始人みたいな恰好で、どちらも胸部が黒い。これでは同族の親子のようだ。俺にはコイツのような尻尾は生えていないが。


「じゃあ、ここから出るぞ」


 俺は少女の手を引いて立ち上がらせると、二人で外の世界に飛び出した。

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