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第14話 霧中の憂鬱と育む温もり

 霧深い『サキュバスの谷』。

 周囲を山々に囲まれた渓谷であるこの一帯は、大きな谷の底を流れる大きな川を見下ろすことができ、谷の上部の歩ける平地の外側に森、さらにその外側を山々に囲まれるという地形で、そしてその平地も森も特殊な霧に覆われているような、天然の要害となっている。

 谷に沿って歩いて辿り着く、谷が始まる場所には大瀑布があり、大きな川が大きな谷に落ちる様には、自然の力強さと流れの激しさというものが如実に表れているようだった。時の止まった谷に存在する、ほとんど唯一の、大きな音と動きをくれるもの。そこからそれほど遠くない場所にある、サキュバスの館。二人だけの住人は双方とも屋敷と言っているし、むしろサキュバスの屋敷と言った方が良いか。

 その屋敷に宿泊している俺は、今その屋敷の主人であるサキュバスのスーという少女を探し歩いているところだ。

 俺の腕を抱え、絶対に離れない意志を示すようについて来る少女・シア。

 異世界から召喚された元勇者の俺は、来て早々に一人の勇者と国の連中にハメられ、逃亡する。自身の先行きに不穏なものを感じ、偶然とはいえ今まで同行させていた元奴隷の少女を、安全な屋敷に預けるべく今色々と画策しているところだった。


 これからの俺には、ロクな運命は待っていないだろう。


「……スーとサーヤ、良いヤツそうで良かったな」

「………っ」


 良いヤツ、ね。自分でも何を言っているんだと思うが、俺が問えば、シアはコクコクと頷く。

 黒く長い髪、赤く透き通るガラス細工のような目。血色を取り戻した色白の肌。サキュバスに似ていながら微妙に違う、先の膨らんだ形状をした、サキュバスに比べて短い尻尾。

 その尻尾は今、何やら嬉しそうにする本人の感情を表すようにピョコピョコと左右に振れている。

 嬉しそう、というか嬉しいのだろう。その表情には笑みが浮かんでおり、声が出せないながらも身体で精一杯喜びを表現している。


 無邪気なもんだ、と、俺はどこか冷めた感想を浮かべてしまう。


 同時に、俺は一体何をやっているんだと、我が身を顧みて戦慄する。


 こんなところで―――罠に嵌められ、堕ちて流れた“元”勇者が、少女達と親子ごっこか恋人ごっこでもしていて良いのか―――安らぎを感じて良いのか―――


 ―――ソンナシカクガ、オマエニアルノカ―――


 ………何だ? 何が俺の心に引っかかっている?


 スーはともかく、彼女の従者的立ち位置のサキュバス・サーヤは俺と出会った当初、人間を簡単に殺してしまう、そんなヤツだった。俺が力でねじ伏せた上で話を聞けば、それが彼女達の常識というか、過去にも人間に纏わる殺し合いの因縁があったらしいことから、人間に対し容赦しないのも仕方ないという判断を下すこともできるだろう。

 ただ、それでも俺の胸のつかえが完全に取れるわけではない。

 やはり、人間と魔族とでは違うのだろうか。

 この世界の歴史では大昔、両者の間に聞いてびっくりの共存共栄という過去があったらしい。

 ………やはり、そこまで違うことはない筈だ。手を取り合える。そんなことは、この世界の歴史では既に証明されている。

 では、この胸のつかえは何だろうか。

 サーヤは魔族ながらに、大昔にいたという『魔神』を恐れ、人間の『勇者』の冒険譚なんかに憧れる、そんな少女らしい一面を見せた。そこだけ見れば、人間と変わらない。

 それが、冷酷無比に、主人であるスーへ人間の襲い方を教えるという目的で人を殺してしまう一面を持つまでになる。

 そのことが引っかかっている、のだとしたら―――


「―――はっ。俺ってヤツは………」


 俺は元の世界で“勇者”として、敵である魔族と魔王を殺して回っていた男だ。


 “敵”とならば、魔族に魔王に、時には同族の人間さえ、殺害して回っていた男だ。


 それこそ、よりにもよってお前が違和感を訴えるのかという話だ。


 どの口が言うのだという話だ。


 俺も彼女も変わらない。


 この場合は、悪い意味で。


 認めたくはないが―――当初から彼女と相容れず、俺が彼女にキツく当たってしまったのも、もしかしたら―――もしかしなくとも、同族嫌悪、ということなのかもしれない。人間のクセに、魔族に対して()()嫌悪だなんてな。

 歴史のみならず自分自身が、人間と他種族が本質は同じである可能性をその裏側から証明してしまうというのは、何とも悲しいことだった。


「俺って………………」


 それと、俺はもう“勇者”ではない。“勇者”として活動していないから。


 民衆からの期待も、応える義務も、敵を倒す使命もないから。


 今の俺にあるのは、元の世界に帰りたいという願い、元の世界に帰るのだという覚悟。


 そして―――



 殺戮者だった、という過去だけだ。



「……………」



 シアが突然、俺の腕からぱっと離れた。


 そのままどこかへ走って行く。


 俺は歩みを止め、それを呆然と眺める。


 心が冷えていくのが分かった。


 自身が決して善人などではないことは、よく分かっていた筈だ。

 優しさに触れ、優しさに浸り、どれだけ安穏とした時間を過ごそうが、温かさは離れていくし、暗闇の中の冷たい感触はいつだって手を伸ばせば届く距離にある。そしていつだって、自分が決して幸福の中に生きるべき類の人間でないことを、現実を、突きつけてくる。


 この世界に召喚される前、元の世界ではちょうど最後の戦いを終えたところだった俺。


 もし、もしも、だ。


 あの後でこの世界に転移しなかったとしたら、俺は果たしてどのように凱旋していただろう。

 そもそも、胸を張って凱旋できていただろうか。

 世界の幸福と共に、俺自身の幸福を享受できていただろうか―――


 この世界の歴史にある、『魔神』と戦ったという『勇者』に俺自身を重ねることは容易だ。しかし、その後の人族・魔族間の決裂を見るに、それはその『勇者』本人にとって望むものだったかという疑問がよぎる。


 あるいは、敵を倒すという役割を終え、その後など知ったことではないという風に、『勇者』は元の世界に帰っただろうか。


 ―――そもそもそれは、「凱旋」だったのか。


 勇者が魔王を討伐し凱旋する、勝利を祝う、その本質的な理由は、それが世界平和の実現だからとか、人々の幸福を勝ち取る偉業だからとか、そんな理由では決してないのだ。


 勇者自身が、あるいは戦いに身を投じた者達が、その存在意義を揺るがせないため―――



 ―――その心が、報われるためなのだ。



「……………っ」

「あ?」


 その辺に生えていた黄色い花を、茎の中ほどからブチッと引きちぎって持って来るシア。

 そのまま俺に差し出してくる。


 要らねぇ。捨ててこいそんなもん。


「…………っ、………っ!」


 ―――やはりコイツ幼いじゃないかと思った行動は、しかし即座に否定される。

 違うの、違うの―――とでも言いたげな表情。花をもぎ取って持ってきたシアは、この辺一帯を指で差し、何やら驚きを湛えた目で俺を見てくる。


 何だ?


「花―――花、か。………ん?」


 そういえば、ここは霧深い谷だ。日中でも良い具合に光が遮られて、燦々と日光が降り注ぐ時間帯もないくせに、よく植物が育つものだ。スーも畑にいるという話だったし………。


 この谷は四六時中霧に包まれていて、昼間こそ真っ暗ではないが、植物の生育に十分な光量だとも思えない。


「―――ぉ」


 ぽす、と身を預けるように、横から俺に密着するシア。そしてその手で花をいじりながら、時折俺を見上げて来る。

 すごいね、珍しいね、なんて幻聴が聞こえてきたら俺もいよいよ終わりかもしれないが、そこまでいかずとも何となく、シアの態度から似たようなメッセージを感じ取っている俺がいた。


 霧深い谷に咲く花。


「たとえ光が差さずとも、か―――」


 俺は少し身を屈めて、シアの手にある花に触れる。


 花弁がしっとりとみずみずしい。霧のおかげで乾燥しないのか。だがカビにやられることもなく、決して見事とはいえないまでも、この花は花らしく咲いている。


 俺はもう少し身を屈めて、シアに目線を合わせた。


「これ、ただの花じゃないが、そんなに綺麗な花でもないな」

「………」


 シアは躊躇なく頷いて同意を示す。


「だが、すごい花だ」

「………」


 また、シアは躊躇なく頷いた。


「……………」


 何を思ったのか、ついっ、と俺の眼前に花を差し出すシア。


 やっぱり要らねぇ。


「要らねぇ」

「………っ!?」


 ガーン、と音が聞こえてきそうなほどショックを受けたシア。もしかしたら俺が受け取るとでも確信していたのかもしれない。


「あはははっ―――っと」

「…………………………」


 俺は思わず笑ってしまう。


 ―――と、シアが俺の方を、驚いたように、呆けたように見つめていた。照れくさくなって、俺は笑みを苦笑に変えた。


「…………なに見てやがる」


 そして俺は、思わずシアを抱きしめた。


「~~~~~っ!?!?」


 トクン、トクン、と、薄い胸から心臓の拍動が伝わってくる。


 俺の胸の、黒く硬くなった皮膚越しでも分かる、確かな鼓動、体温。

 華奢で柔らかくて消えてしまいそうでも、確かにそこにいる。

 存在が触れて確かめられる。

 そんなことに、酷く安堵している自分がいた。

 ふと、俺はどうしようもないヤツだとも思ったが、事実、どうしようもなくてこうして抱きしめてしまったしな。


「…………」

「~~~!?!? ~~~~~っ!?!? ……………っ」


 戸惑いこそするものの、シアはとりあえず応じてくれることにしたのか、おずおずと俺の背中に両手を回した。


 そのまましばらくシアと抱き合っていた。




●●●●●




「―――見えてきた。おーい、スー!」


 霧の中に影を見つける。気配などを消しているわけではないので位置はすぐに分かった。


「―――!」


 俺を見てビクンと肩を震わせ、彼女はそっぽを向く。

 畑の中ほどに立ち、野菜と思しき植物をぼうっと眺める、非常に心配な様子だったため、思わず早めに呼びかけてしまった。


「なっ、何の用?」

「何の用ってお前………いきなり家を飛び出したから………」

「た、ただの散歩だもん」

「そうだな、散歩だな」


 俺は適当に相槌を打って頭上など周囲を見回す。この霧、どうも先程より濃いようだ。場所によって差があるのだろうか。

 霧に魔力を込めて毒霧に変質させることができるらしいことから、おそらくサキュバスの方である程度コントロールできる仕様になっている筈だ。


「ここ、霧が濃いな。わざとか?」

「お野菜のためよ」

「そうなのか」

「………心配して来てくれたんじゃないの」


 ムスッとしてるわ。


「もちろんだ」

「もちろん………なに」

「もちろん心配してる。当然だろ」

「そ、そう………」


 真顔で目を合わせたら顔を赤らめて目を逸らされる。チョロくて助かる。

 よくよく考えたら知り合ってから二日目だ。よくもまぁここまで関係が融和したもんだな。魔族相手に―――以前なら考えられなかったことだ。


「お前が一人、野菜と話していたらと思うと居ても立っても居られなくなってな」

「何それ!? スーってそんな心配のされ方してたの!?」

「見事な畑だなー」

「ちょっと!? 誤魔化した!?」


 あらためて畑を見回した。広さとしては百坪あるかないかというくらい。結構広いな。屋敷の裏手にも同じようなのがあったし、サーヤの口ぶりだと他にも畑がある可能性もあるから、実際にはかなり広大な土地の世話をしているのだろう。

 スーがこの広さの土地で野菜を育てている……いや、育ててきた。彼女はベテラン農家の顔も持っているようだ。


「この魔力を含む霧を濃くするのは野菜のためってことらしいが、野菜にはどんな影響があるんだ?」

「魔力を一定以上含ませるためよ」

「……? お前達は食べ物に魔力が必要なのか?」

「え……? そうよ、魔族だもの。常識でしょ?」

「そ、そうだったな」


 そうなのか。

 だがそう聞けば、理屈は想像がつくな。動物が過剰な魔力の影響下にさらされ続けて、長い期間で魔物に変化してきた歴史があるように、魔族は体質的に、常に一定量の魔力を吸収する必要があるのだろう―――


 ―――ん?


 ということは、元々魔族は魔力無しで生きる存在だった、と仮定することもできるのか……?


 魔力無しでも(皆無とか全くのゼロというわけではないにしろ)存在できるのは人や動物の類だ。


 ………ということは? 魔族も元々は―――


「―――っ」

「ん?」


 背後から、俺の服の裾をシアがくいくいと引っ張っていた。目を向けると、シアは前方を指さす。その先ではスーがさっさとどこかへ歩き出していた。プリプリと怒っていらっしゃる。


「あ、おい、スー。待てよ」

「………何よ」


 なんでそんなに怒ってるんだ、なんて聞くのは鈍感のすることだ。女に理由を聞いて解決することなどほとんどない。そんなことも察せないのかと余計に怒らせるだけだ。

 ご機嫌を窺う言葉を並べても、余計に気分を害することも多い。それよりは、傍に寄り添ったり強引に舵を切ってやった方が向こうの気も紛れるものだ。ご気分のお伺いを立てるのはその後でいい。


 ただ、今回の場合は怒っている、というか彼女が感情を持て余す理由に心当たりもある。書斎で迫ってきた彼女を俺が拒絶したからだ。もっとも、時間さえ選んでくれたら別に拒絶などしなかったんだが―――。


「そうだな、この辺の畑とか案内してくれよ」

「………何でよ」

「このキャベツとか、お前が育てたものだろ。見るだけでも面白いし」

「馬鹿にしてんの!?」

「いや?」

「じゃあ、なに!」

「一緒に歩きたい気分なんだ」

「………っ」


 スーは顔を紅潮させ、わなわなと震えた。そしてそっぽを向く。怒らせたかな。


「きゅ、キューツ!」

「―――は?」

「だから、このお野菜………キャベツ? とかいうのじゃなくて、キューツっていうの!」

「…………そうなのか。勉強になる。やっぱり一緒に歩いていいか?」

「―――すっ、好きにすればっ!?」


 スーは相変わらずこちらを向かないが、人間よりも少し尖った耳先に赤みが差している。ツンケンしているところも可愛いな。やはり素は少女っぽい性格の方か。

 さっき書斎で迫られた時、あれはやっぱり発情ってことなんだろうな……。性格が豹変するほどなのか。あんな衝動がもし自分にあったらと思うと少し怖いな。所構わず、誰かれ構わず―――息子で軍隊が組織できるとしても面白くない妄想だな。流石にそこまでの繁殖力は虫か鼠かもしれない。

 あれが『桃色族』サキュバスが一生をかけて吸精する対象を見つけた故の本能だとするなら、確かめてみたい気もする。非常に興味深いな。実際に確かめるわけにはいかないだろうが。研究には文字通り「一生」かかりそうだしな。


「スー、待っ―――ンッ」


 腰の辺りをチクッと何かで刺されたので振り向く。


「…………」

「…………」


 手の人差し指を真っ黒く硬質化させたままのシアと目が合った。

 彼女は半目になって、俺をジトッと睨んでいた。

 もう一度、指先をこちらに向けてずぶし、と攻撃をしてくる。怪我はしないよう加減してくれているようだが、まあまあの威力だ。


「…………」

「…………」


 俺はシアの頭に手を載せ、ぽんぽんと軽く撫でた。

 しかし、俺の腰への攻撃は止まない。やはりジトッと睨む目付きも変わらない。

 俺は諦めて歩き出した。

 正直、腰をマッサージされているようで新鮮な感覚だったので、放っておいた。


 しかし、やがてもう片方の手の人差し指も加わった辺りで和解しておくことにした。


 言い訳をさせてもらえるなら、シアが両手指を組み、伸ばした人差し指どうしを合わせて“あの”構えを取ったからだ。人差し指の皮膚を硬質化させて貫通力が上がっている分、いくら俺でも肛門がもたないだろう。その“千年殺し”って全世界共通なの? ねぇどうなの?


 将来は男を束縛する女になりそうだ。ソイツには同情するが、是非とも肛門は大事にしてほしい。千年殺されないよう頑張るんだな。

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