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第1話 勇者、死す?

 力ある者が勇者なんじゃない。

 勇気ある者が勇者なんだ。

 力で全てを解決するのは、覇者でしかない。


 力で成り上がる覇者などより、選ばれる勇者こそが、真に力を持つ者だ。


 そう思っていた。


 そう思いつつ、だが、力が欲しかった。


 もっと、力があれば。


 そう願ったことは少なくない。


 まさに今、そう願っているところだ。


「ユフィ!」


 仲間が。


「グランツ!」


 一人一人。


「エレン!」


 倒れていく。


「チクショウ! クソッ! なんで―――」


 俺は自分の非力さを呪った。


 何が勇者だ。


 何が最強だ。


 全然そんなことはない。


 魔王を束ねる“統一魔王”を倒した後に出てきた―――召喚された、“真なる魔王”に勝てない。


 目の前の敵は、強大すぎる存在だった。


 赤とも紫ともつかない、ドロドロとした巨大な粘体の中に、ヒト型の核を内包する、異形の王。


 スライムが強い種族だなんて分かり切ったことだったが、魔王格ともなれば規格外もいいところだ。


 触手などとして繰り出される攻撃は、今まで出会ったどの敵よりも素早く、時に硬く、時に柔軟に形を変える。


 ただ、いくら強くても弱点はある筈だ。おそらく、核と思われるあの真っ黒なシルエットに攻撃がかすりでもすればいい。核と、粘体を繋げる“何か”さえ断ち切ることができれば。


 だったら今すぐにでも―――と、そう上手くいくわけがない。


 粘体が大口を開けた。実際には口ではないのかもしれないが、中央に巨大な凹部ができる。


 ヒト型の核への粘体の厚みが減る。今なら攻撃が届きそうだ。


 しかし―――


 ガアアアァァァァァ…………


「―――くっ!?」


 ヒト型から凹部にかけて、その核を起点とした光が集束し始める。それは既に、その段階で桁違いの熱を帯びていた。俺は咄嗟に防御姿勢をとった。


 こちらが構える、“龍魔石”と呼ばれる特殊な素材でコーティングを施した、特別な武器。


 持ち主の魔力を駆動エネルギーとし弾薬ともする、半永久的に使用可能な銃剣『ドゥーム』。見た目はナイフの付いたマスケット銃だが、仕様はアサルトライフルと変わらない。しかも全射程対応という優れもの……否、反則モノだ。下手な魔法より遥かに高い、桁違い・規格外の火力が出る。


 あらゆる魔物に屈さなかった俺の、相棒、愛銃ともいえる存在。


 “ガンナー”という、典型的な後衛職である俺が、最前線で最強の攻撃役から最硬の壁役までこなせる理由。


 それが―――


「おいおいマジかよ―――!」


 ヤツの攻撃の前段階の光で、既に熱を持っていた。防御のために構え持ったままじゃ、武器が赤くなるほどじゃないが、あと少し温度が上がれば俺でもコイツを持っていられなくなる。


 強烈な熱と光で目が眩みそうだ。目を庇いながらのため前方の様子が見づらくて仕方ないが、こちらの張る魔法障壁マジックバリアが限界に近いのは確かだ。


 多分、いや絶対に、周辺の景色を変えるどころか、周辺を消失させる光線が飛んでくる。


 一帯の地図が変わる。それほどの威力は持っている。


「―――のヤロ!」


 一か八か、こちらも魔力の波を発散しながら、熱波をガキンと弾くようにして振り払う。


「【アンロック/シフト】!!」


 一時的にフリーになった状況で、俺はドゥームの禁断のロックを解除し、先から剣の部分をスライドさせ引っ込めて、銃形態とし、完全な射撃体勢に入る。


 光の集束を穿つように、ドゥームに質・量ともに最上級の魔力を込める。


 全て一瞬の出来事―――時が、まるで永遠のように感じられる瞬間を迎えた。


 光の集束の余波の大部分は一時的に振り払ったとて、わずかに身体に達していた熱波が腕の表面を焼きつつも、俺の攻撃を絶対に通すべく、狙いを定めて魔力充填に集中する。


 巨大でド派手な幾何学模様の魔法陣が、ドゥームの銃身を起点として幾重にも重なった状態で空中に展開される。


 これもこの武器の良いところで、好きな魔力を魔法陣と身の丈に合った分だけ込められることだ。


 俺は意識の俎上で把握済みの魔法理論を展開し、そこから得るべき結果を無意識下からイメージとして、即座に構築する。あとはそれを、漠然としながらもしっかりと情報・エネルギーのある魔力として体内で練り上げ、自身の持つ銃へと、さながら身体の一部へ血を送るかのような意識を持ってして、魔力を流す。


 内訳は、【魔弾化】(魔力を弾丸のような飛翔体へと、効率よく形と性質を変えること)、【指向化】(任意の方向に魔力の流れを規定する)、【超強化】(自壊しないように魔弾などの強度をかなり上げる)、【ディスペル】(魔法阻害。任意の設定した対象の魔法を相殺する。効果は込められた魔力に依存する)、【貫通】(運動量増加と貫通強化)、【貫通】、【貫通】、あと【貫通】と、【貫通】と【貫通】と【貫通】と【貫通】と、そして【貫通】。あと【貫通】と…【(略)。


 アホみたいに火力を上げる。反応されたとして、分厚い防御を張られたとして、その防御すら貫通できるように。


 これが俺のオリジナル奥義の一つにして最もコスパの良い(?)、戦いの中で最も進化してきたワザだ。


 込められた魔力で自壊しないだけの耐久を誇る出力器、そして自分で言うのもなんだが、アホみたいに莫大な魔力があって、初めて成り立つ芸当。


「散らす! ―――【因果の裁定ドゥームズ・アポカリプス】!」


 俺は引き金を引く。


 それらは銃身へと吸い込まれるように一瞬で集束し、ドゥームに込められた魔力の全てが一瞬で吐き出された。


 指が千切れるかと思う程硬い引き金だった、今までで一番………


 キイイイイイイイイィィィィィィィィン………――ドッッッッッッゴオオオオオオオ!!!


 巨体をやや見上げるように俺が放った魔弾は、ヤツの攻撃の前兆を破る。集束していた光は魔弾に巻き込まれるようにして方向を変えつつ、遅れて凄まじい爆風を発生させながら霧散した。

 空に浮かぶ分厚い雲に大穴を穿ち、それでもなお俺の魔弾は彼方へ進み続ける。地上に向けては絶対に撃てないやつ。


『クギャァァァァアアアアアアアアア!』


 俺の攻撃が余程効いたのか、自身の爆風でやられたか。おそらく両方だろう。周辺の地形を(大して)変えることなく、粘体のみが、その体積の三割ほどを消失させた。ヤツは一体どこから出しているのか分からない悲鳴を上げながら、ウネウネと巨体を奇妙に動かす。


「……チッ!!」


 ヤロー……魔弾を食らってる中で致命傷を避けやがった。馬鹿にできないだけの知性を持ってるし、反応速度もその辺の魔王なんぞより桁違いに良いな。チクショウが。


 ………………………………実は魔王クラスでも一撃必殺の技だったりするが、目の前の粘体には内緒だ。


 もちろん、これでひと段落、となる筈もない。俺は銃形態のドゥームを即座に銃剣形態へと戻す。


『ギュアアアアアアアアアアアアアア!』


 痛がる素振りも一瞬で、再び触手を振り回し攻撃を開始した波打つ粘体。その間隙、ランダムに厚みを変える部分が、核に重なる時―――ヒト型の核の部分の粘体層が薄くなるタイミングを見計らって―――再び撃つ。

 攻撃を捌きながら敵の隙を突くといったシビアなタイミングだ。先程と同じように緻密な(?)魔弾は構成できない。


 結果は―――弾かれる。


 タイミングを見るのに集中したとはいえ、魔力自体は先程の射撃と遜色ない分を込めたつもりだ。


「あーそうかよ!」


 形を変えている時は柔らかくても、何かを察知すれば必要な部分はすぐに動きを止め、硬度を変える。不定形、万能の鎧ってわけだ。反応速度が、わずかにこちらの攻撃速度の上を行っている。足りない部分は技術で補うしかない。先程のように大きな隙、こちらがじっくりと魔弾を練り上げる隙がなければ、敵をゴッソリ削るのは難しい。


 気付いていたことだが、ソイツ自体の見た目は、攻防の時、硬くなった部分の色が分かりやすく変わってくれるとか、そんな親切な設計はしていないようだ。動いているかそうでないかの違い。硬度が変化しているかどうかは、そこで判断するしかない。


 もちろん、そんな充実した防御を誇る相手が防戦一方なわけがない。今こうしている間も、襲い来る触手を俺は捌き続ける。


 攻防の中で生じるわずかなエラーが、俺に傷をつけ、疲労を積み重ねさせて、パフォーマンスを低下させる。


 自分でも分かっている。このままだと、その内致命的な一撃をもらってしまう。


「ッ()ぇーな、お返しだ! そうら!」


 迫りくる触手の、小さくヒダのあるポイントを狙って、ドゥームで斬撃を繰り出した。


『ヒュギャッ!』


 粘体が短く鳴いた。俺はかすり傷を負いながらも、痛みを与えることに成功した。敵の体積がまたわずかに減っている。


「これであらかた法則は確認したが……っ!」


 時間が経てばこちらの体力は減ってくるが、敵の情報は蓄積されてくる。


 あの粘体、全体に神経でも通っているのか、核以外の部分への攻撃でも、必ず一度は防御しようとしていた。先ほどまでは、捨て身の攻撃を積極的にしようとはしていなかった。こちらが有効打を与えられるのは相打ちのタイミングだけ、ってことになるから厄介だ―――そう思ったが。


「―――っ! ………チィッ!」

『ギュォアア!』


 しかし、それを俺が察したことに向こうも気付いて、今度は相打ちのタイミングをいとわなくなった。


 残された体力―――俺は血液に魔力にスタミナと、向こうは体積といったところか。それらの残量を比べれば雲泥の差だ。もちろん、こっちが不利目。


 このままじゃジリ貧。いよいよピンチってことだ。一部を除き、あらゆる魔物に対して俺のドゥームは相性が良い………スライムも、もちろん例外じゃない筈なんだがな。


 強すぎる相手だが、手も足も出ないわけじゃない、しかし、あと一押しが致命的に足りていない。


 仲間が倒れた今、俺が倒れたら、全てが終わる。


 俺一人では、ヤツを倒す一押しを得られない。


 このままじゃ負ける。


 後ろには、倒れた仲間達が。瀕死だが、死んではいない仲間達がいる。


 そう、まだ死んでいない。俺が、俺の全てにかけて、死なせなかったからだ。


 だから俺が倒れたら、本当に全て終わりだ。


 俺がヤツに食われて、仲間がヤツに食われて全て終わりだ。


 それはイヤだ。


 だというのに、どうすることもできない。


 クソッ、クソッ、チクショウ……………


 

 …………………………………………………力が、欲しい。



 ―――チカラガ、ホシイ。


 ―――力が、欲しい。


 ―――チカラガ、ホシイカ。


 ―――そうだ、力が欲しい―――


 ―――チカラヲ、サズケヨウ―――


「―――ッ!?」


 俺の欲求とは別に、脳内に響くかのような声が聞こえていた。


 目の前の“真なる魔王”じゃなく。


 聞いた覚えがない。誰の声だ? 幻聴か? よりにもよって、こんな時に!


 一人の声かと思ったが、無数の群衆のざわめきにも聞こえる。そんな不思議な声が、ずっと―――


「……………チクショウが」


 俺は無我夢中だったし、ヤケクソだったと思う。粘体から繰り出される触手を捌きつつ、反撃にと振り抜いた銃剣が、敵をわずかに傷つける。そんなことをいくら繰り返したか分からない。


 俺が倒れたら、俺は死ぬ。


 俺が死んだら、次は仲間だ。


 だが、目の前の敵は倒せない。


 こんな時こそ、仲間の援護があれば―――なんてな。


 俺の仲間の援護が、どれだけ強力だったか分かる。仲間が倒れると、それだけで秒とかからず劣勢になったからな。魔王戦の直後だったのも、かなり響いた。


 いつもは俺が助けられてるんだ、だから俺は、仲間を命に代えても守らなきゃいけない―――


 思えばもう既に、俺は正気じゃなかっただろう。縋ってはいけないものに、縋ろうとするほどに。


 ―――チカラガ、ホシイカ。


 ―――力が欲しい!


 ―――チカラヲ、サズケヨウ―――


「力を―――寄越せ!」


 それは、頭に響く幻聴を振り払うために、自己暗示のように言った台詞だった………筈だ。


 ヴォォォォォォォォォォ


 空気を細かく振動させる、不思議な風と黒い光が、愛銃ドゥームを覆った。


 驚くべきことに、銃剣であるドゥームの先端のナイフが不思議な風を纏って、ヤツの触手すら寄せ付けないようだった。


「―――!?」


 驚きつつも、俺はドゥームを構え、引き金を引いた。


 それは予感だった。今そうすれば、敵を倒せる。


 だから、そうした。


 ソウシタカッタカラ。


『ゲショアァ………』


 粘体のくせに怯むかのような動きを見せたソイツに俺は狙いを定め、いつになく軽い引き金を引いた。


 そう。狙った位置に、引き金を引く。


 それだけで、銃から放たれる黒く輝く弾丸が、面白いくらい簡単に粘体層を押しのけて、その巨体に穴を穿った。


『グギョアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!』


 けたたましい、おぞましい“声”が鳴り響く。


 ヒト型の核と粘体とをつなぐ“何か”を断ち切るため、俺はヒト型にギリギリ当たらない周囲の部分を狙って、都合何度も引き金を引いた。


『ギシュアッ』


『フシャアァッ』


『グシュアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!』


 引けば引く程軽くなる引き金。


 必要な分だけ撃った後で、まるで痙攣でもするように引き金を引き続けようとする指を……()()()()()()()()()を、俺は無理矢理引き金から剥がした。


 …………変な、嫌な感じだ。


 目の前の“真なる魔王”、ヒト型の核を内包した粘体は、その核を残して、ドロドロと、不定形の形をさらに崩していく。重力に引かれ落ちていき、意味のない、水とも油ともつかない液体へと姿を変え、地面に広がる。


 思った通り、核は破壊しなくても良かったみたいだな。粘体と核が別物ってのも不思議な話だが、スライムにヒト型の核なんて聞いたことがなかったというのもある。


 加減して俺が死んだら笑えない………いや、そもそも加減できてたかは分からんな。


 油断せず、“真なる魔王”が崩れていく様から目を離さず、背後の仲間達にスクロール(魔法を記録した特殊な紙)で極回復(エクストリームヒール)をかけてやる。専門職の魔法には及ばないが、とにかくあいつらの傷さえ癒えていれば問題ない。残念ながら、気絶はただの睡眠へと変わるだけで、強制的に目を覚ます効能はないけどな。


「―――っと、出てきたな」


 ゴポリと音を立て、ヒト型の核が空気中に露出し、その具体的な形を表そうとしていた。黒いシルエットだったのは単なる影じゃなく、実際にこのヒト型が黒色だったのもある。全身が、まるで墨でも被ったように真っ黒だった。


 そういえば、コイツの核が何かも、誰かも分からないうちに戦いが始まったんだったな。魔王の中の魔王、魔王を統べる魔王である“統一魔王”より強いなんて、何者だ―――


 俺は動かなくなっても銃を放そうとしない右腕がだらりと下がって持ち上がらないのを感じながら、ソイツに近づく。


 見たところ女……だな。真っ黒いシルエットだが、よく見てみれば、身体つきは紛うことなき女のもの。その身体を覆う真黒な膜のようなものは身体の線に忠実で、まるで、長い髪の毛の一本一本まで丁寧に包んでいるようだ。


 身体の黒色が身体を覆う膜だと分かるのは、それ自体が緻密に練り上げられた魔法により構成されるものだと感じられるからだ。念のためにもう少し補足しておくと、これは生物の進化の過程で獲得するようなもので、魔族の中にはこういった特殊能力を持つ者達がいる。


「裸……? スライムの中だったから……なのか?」


 一糸まとわぬ姿、粘液まみれというのは、俺を含め一部の男を喜ばせそうだが、生憎と今の俺は満身創痍。とてもそんな気分じゃない。大体、女の姿は真っ黒で輪郭以外何にも分からないからな。


 それどころか、色んな疑問が噴出してくるところだ。


 コイツは誰だ? 何者だ?


 いや、そもそも見覚えがあるような、ないような………


 ………いや、いやいや、身体の線だけで見覚えがあるも何もないだろう、何を考えてるんだ俺は。


 粘液が完全に身体から落ちきるまで眺めていようか、顔を見るまでは確信が持てない。なんかケツから尻尾生えてんな。先が少し膨らんだような、不思議な形状………コイツ、サキュバスか? それにしては尻尾が短い気もする。俺の前腕の長さくらいしかない。


 待てよ、やっぱり見覚えが……? いやいや、魔族の知り合いにこんなヤツいたか―――?


 コイツの顔を見るというのは気がはやるが、怖い気もするし、俺は疲れてるし、腕は重いし。


 あー………頭の中もぐちゃぐちゃだ。


 いい、ちょっと歩いてひっくり返すだけだ。顔を見るために俺はそいつに近づいた。真っ黒とはいえ、凹凸を見れば顔つきくらいは確認できる。


「………」


 俺はひざまずくようにしながら、女の身体をひっくり返す。


 身体を覆う黒い膜は思いの外、こちらの手を滑らせた。どことなく冷たく、何より硬く、それなりの硬度や耐性を持っていると思われた。


「―――お」


 女の身体をひっくり返すと、元々は粘体を形成していた、今となっては意味を失った液体が、その身体から地面に滑り落ちた。それとタイミングを完全に同じくして、身体を覆っていた黒い膜が、背中側へと引いていく。まるで、役目を果たしたかのように。


「……なるほどな。自分を守ってたのか」


 やはりというか、どうやら、先程まで身体を覆っていた黒い膜は、コイツに備わる防衛能力の一部だったみたいだな。引き際も、トカゲの脱皮不全みたいになることはなく、身体の隅々から綺麗に引いているから、このまま背中のホクロの一つにでもなるんだろう。大したものだ。魔族……特に悪魔などとも呼ばれる純血の魔族達の中には、戦闘中に必要に応じて身体を“硬化”させる能力を持つヤツらがいる。あれと非常によく似た―――いや、同じものだ。


 黒い膜が背中側へ完全に引き切り、女の肢体が、まだ老いを知らぬといった白肌が露わになった。


 ……ふむ、不健康なほど真っ青で真っ白なペイルブルー肌ってわけじゃないなら、純血の魔族ってことはないんだろうが。


「おい、生きてるか」


 生きていると分かった上で、俺はソイツの頬を叩く。それから首に手を添え、脈をとる。


「眠ってるな……」

「ん…………」


 女がむずがるように声を上げた。


 黒く長い髪がさらりと揺れ、その顔がこちらを向く。その端正な顔立ち―――見惚れるような器量ってやつに、一瞬だけ時間を忘れそうになる。


 形の良い眉、目鼻立ち。閉じられた目はまつ毛が長く、時々ピクリと動いた。眠っている表情の中に(うれ)いを浮かべ、悪夢にでもうなされているみたいだ。


 口元がわずかに開いて、薄紅の唇の隙間からわずかに吐息をもらす。人間と魔族のハーフ―――半人半魔とみられるため、人間に比べて少々、いや結構発達した二本の牙がのぞく。


「………」


 まだ夢の中というのを幸いに、俺は女を抱き起こし、その顔を至近距離で観察する。


「…………はて、なーんか、見たことあるか………?」


 俺の記憶力はそこまで悪くない筈だ。


「んぅ~~~」


 うなされる女の顔。


 ドクン。


 至近距離で眺めたからか、なぜなのか。


 ドクン。


 心臓が、跳ねた。


「ん~~♡」


 すると、女は俺に抱き寄せられたまま、瞳を閉じたまま、こちらの胸に、気持ちよさそうに顔をこすりつけて来る。


 起きているのか。


「おい、」


 いつだ? いつ目覚めた? それとも最初から? いや、寝ぼけてるだけなのか?


「お前、起きて―――」

「わぁ、()()()だねぇ♡♡♡」


 な、何を!?


「ア……ッ、ガッ………」


 突然コイツは俺にがっしりと抱き着き拘束した。


 やめろ、何をする!


「―――ガ、ア―――」


 …………ん? 声が!? 声が、出ない!?!?


 喋ろうとすると、喉が内側から押さえつけられでもするかのように、苦しさを覚えた。


 女は、特段何かをした様子もない。


「もう離さ~ないっ♡♡」


 ひし、と抱き着かれる。


 突然の出来事だ。



 ―――突然ついでに。突然だが、俺は全ての男に問いを投げたい。



 こんな風に、見目麗しくスタイルの良い、絶世の美女と言っても過言ではない女性に迫られたら、どう思うか。


 答えは―――



 ―――困惑する、だ。



 当たり前だ。脈絡ってものが、なさすぎる。


 それとも俺が思い至っていないだけなんだろうか。


 そもそも俺はコイツのことを知らない。その顔をよく見ても―――


「シ………アッ…………」

「あーっ、思い出してくれたぁ?♡ アタシだよ♡ ア・タ・シ♡」


 そうだ。俺はコイツのことを知っている。


 シア。


 そう、名前はシアだ。


「ソ♡ウ♡ジ♡ ………ぁ、様付けした方がいーい?」

「な………で………お………れ……名……ッ」

「もう♡ 一目で気付いてくれないなんて、酷いんだー♡ こっちは一目一嗅ぎで気付いたよぉ♡」


 そう言うけれどもシアは、こっちの記憶なんぞお構いなしって風だけどな。

 まだ俺も、よく事態が呑み込めていない。

 何で俺は、コイツのことを忘れてた……いや、名前だけ知ってるんだ?

 確かに知って………いや、良くは知らない。そもそも何で俺の名を知って―――いやそれは不思議じゃないか、俺勇者だもんな。あーダメだ、頭の中がぐちゃぐちゃだ!


「お仕置きしちゃうんだからねー♡♡♡」


 そう言ってシアは、俺の目にもブレるほどの速度で何かを突き刺そうとする。


「―――ッ!!」


 俺は反射的に、それをドゥームで受け止めた。やはり、俺の相棒は世界一の硬さと強さを誇る―――


「なッ―――!?」


 ところが、シアの手は、何か、物体の境目をなくすみたいに、ズブズブとドゥームを貫通し始めた。

 溶かされている……? いや、そういうわけでもない。今の、この重い腕では十分な力が―――


 バチッ


「おぉっとぉ」


 ドゥームが黒い光を纏うと、一時的にシアの手が弾かれる。


「だよねー、やっぱり邪魔ー、それ没収ーぅ♡」


 そう言って、シアが右手を払う。


 俺が確かに手に握り込んでいた筈の愛銃が、遠くへ弾き飛ばされてしまう。


 は????


 色々とおかしい。


 ドゥームが身体から離れると、途端に力が抜けていく。


 腕一本と満足に動かせない。


 は????


 なぜだ? 何が起こっている?


「キャハハ、もうフラフラぁ~♡ 弱ぁ~い♡」


 ぐらつく俺の上体を、今度はシアが抱き寄せるように支えた。


 そして、ニヤアァ、と、今一番の笑顔を浮かべる。


 この状況、武器を取られ、弱り果てた状況にされた上で。


 しかし、彼女のそんな顔すらどこか憎めないような―――


 いや待て。俺に【魅了】なんぞ効かねぇんだよ!


 パリィン、と、音にならない音が聞こえた気がした。俺が自らにかけた事前防御の魔法【プロテクション】。それが何らかの魔法を無効化した。普通なら聴覚的にも無音で、いや、あらゆる感覚的に無感で弾き返すところだ。


「あーあ♡ かけ直し~♡ 一回で終わりなんて、よわよわ~♡」


 は????


 習得者できるヤツがそもそも稀な強くて便利な魔法で、練度を極限まで上げた筈の、俺の【プロテクション】。一回で効果切れ? それはおかしい、結構な耐久と持続時間のため、相当な魔力を込めて張っておいたヤツだぞ?


 もしかして俺今、えげつない強さの魅了かけられてた? そして現在進行形で、かけられてる?

 自慢するわけじゃないぞ事実を言うぞ。俺は仮にも、曲がりなりにも暫定ではるけれども“人類最強”を誇る勇者だ。魔王クラスでもなきゃ催眠の類なんぞ効かない。というか魔王クラスでも効かない。蚊に差されて尚且つ患部が腫れあがらないくらい、大したことのない、問題にもならない些事だ。


「うふふ♡ やっぱりダメだったぁ♡」


 は????


 【プロテクション】は破られたものの、そもそも俺自身に効かないようだった。やはり強力な魅了の類だったか。


 ………ほっとしてるのが情けねぇな。


 っつーか、蠱惑的な笑顔を浮かべながら、やってることエグくね?


 だが俺は、どうやらコイツのエグさってやつを、まだまだ見切れていなかったらしい。


「もう絶対に離さないんだからぁ♡♡♡♡」


「―――は????」



 そう言って。


 彼女は。


 俺の胸に、自らの手を突き刺した。




「シ………ア…………?」


 反撃はおろか、防御もできなかった。


 そしてなぜだか、それらを俺が望まないという、精神的な混乱をきたすというオマケ付きだ。とどめには、痛みを感じないという。痛みが閾値を超え、神経がショートでも起こしたのか、痛覚が麻痺している?


 文字通り、心臓が握られたようだった。握られた心臓がどうなったのかは………想像したくもないところだ。


 ……………いくらなんでも、胸を刺されたヤツの考えることじゃねぇな。


「えへへぇ~、美味しい♡」


 ぼんやりと、かすかだが時間をかけて着実に暗くなっていく視界の中に映ったのは、彼女の―――シアの、緩みきった笑顔と、血まみれの手を舐める姿。その妖艶な姿を眺めながら思う。あぁ―――勇者としての生命力のせいで、死に際まで長いのかよ。


 ところで、胸部にこぶし大の穴が開いたら、吐血くらいするものだと思ったんだが、俺の口は混乱に恐怖に、緊急事態を迎え冷静であろうとする思考とで震えるばかりで、血液どころか唾液すら垂らす気配はない。


 俺が頑丈だから―――ってわけでもないんだろうが、理屈も何も分からない。


「―――んっ!?」

「んむぅ~~♡ むふふふふ~♡ 好きぃ♡♡ 大好きぃ♡♡♡」


 俺の思考でも読んだのか、ただの衝動か。


 シアは俺の口に、自らの口で蓋をする。


 俺の血を舐めたばかりの口だ、生臭く、鉄臭く、何とも言えない感覚に陥る。


 俺は遠のく意識を繋ぎ止めるのに必死だってのに、コイツは―――


「ねぇ~♡ ベロぉ、舌ぁ、使ってよぉ~♡」


 それは―――はっきりと言うまでもない。


 キスもキス、ディープキスというやつだ。


 ―――ん? キス????


「―――ぷはぁっ♡ 美味しい~♡」


 唇を奪われたとか、初手で舌を絡めるなとか、ツッコみたいことは色々と湧き出て来るんだが、それよりも。




 ()()()()()()―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()




 そうだ。そのキスという行為についての認識を、知ってるヤツがいるなんておかしいんだ。


 だって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 コイツ、シア、本当に何者―――


 いや待て、それよりも、だ。思い出すまでもなく、遥か後方には、まだ目を覚まさない仲間達がいる。それこそ、この世界で誰よりも頼りになる、守らなきゃならないヤツらが。


 これ……俺がこのまま死んだらヤバいんじゃないか?


 何がヤバいってさぁ、そりゃあ……ねぇ?


 あれぇ? 分かんねーな………何がヤバいんだっけ…………


(だめだ………思考力………意識……が……………)


 あ、そろそろ限界かも。


 彼女の胸で、俺は息絶えてしまうのか。


 シアは、ペロペロと、名残惜しそうに………束の間の何かを味わうように、自らの手を舐めていた。


 そして、少しだけ綺麗になった手を、今度は俺の胸の傷口に添えて。


「また………またね、」


 笑いながらも、どこか寂しそうに。


「また会おーね」


 そう言ったのだった。

読んでくださりありがとうございます!

これであなたのおヒマを潰せたのならサイコーです!

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