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偽物協会と妖精さんとわたし

作者: 夢野ベル子

ニコニコ静画に『偽物協会』というマンガの一話が載っている。すでに二巻ほど出ているらしい。

やわらかなタッチで、不安になると毛布になっちゃう(物理的な意味で)女の子が主人公の物語だ。

とてもメルヘンチックで、ふわふわしたセリフがとても好み。

一発で好きになってしまった。以下、ちょいネタバレになるので興味を持った方は偽物協会へGOGO!


物語は女の子の


『人間には何かなでられるものが必要だと思う』


というセリフから始まる。


偽物協会の説明とかが最初のページとしてはあるけど、それは物語的に言えば『死体を最初に転がせ』方式のいわゆる読者の興味を引くためのフックだ。

時間的な基点は、『人間には何かなでられるものが必要だと思う』のほうが先だと思われる。


このモノローグを見て、あ、この子は妖精なんだなと直観した。

精神分析の文脈で言えば、サバルタンとも呼ばれる。

斜線がはがれてしまったSを持つ主体だ。

人は去勢される。去勢というのは現実的な意味でのペニスの切除ではなく、言葉を教えられることによって、万能であった自分を棄て、ただの人間になっていく成長過程だ。万能であった主体は既にいないという意味で、Sに斜線を引いて、/Sとあらわしたりもする。人間は大多数は/Sである。したがって、妖精=サバルタンは図式的にはSである。


しかし、そんなことはあるのだろうかと思うだろう。


現に、主人公はモノローグを呟いている。言葉を扱っている。であるならば、Sではなく/Sなのでは?

この疑問はもっともなことであるが、理屈としては次のようなものである。まず、去勢というのは解剖学的な少女の場合、曖昧に進む。男であれば、ペニスのあるなしという二項対立があるため、母親は自分ではないということが明らかになり、いつか自分のペニスが切り落とされてしまうのではないかというトラウマが生じる。そのトラウマが克服されるという形で行われるため、去勢が鮮明なのである。しかし、他方で、少女の場合はどうかというと、母親との差異がなく、男の場合のようなトラウマの克服というような明確なイベントがない。よって、去勢のされ方は緩やかで曖昧に進むとなる。


つまり、少女は未去勢主体ではあるが、定型発達な部分も有するというのが実情だ。

彼女たちはリアルの世界に適合するために人一倍努力を有する。人一倍と書いたが、本当は人百倍くらいかもしれない。

だから、曖昧に語るだろう。


語る根拠はなにか?

すなわち、彼女たちが人間たちの世界にすがりつこうとするのは何によってか。

対象аによってである。

対象аとは何か。欠如である。存在に開いた穴のことである。


彼女たちの対象аは、去勢済主体に比べて小さくてたよりない。


通常、去勢済み主体は、Sに/がついたことによって、対象аを真実であると誤信しながら追い求める。幻想というフィルターにかけられ加工された対象аは去勢済主体にとっては光り輝いて見えるはずだ。しかし、少女は、対象аを懐疑しながら追い求めることになるだろう。


主人公の話に戻る。『人間にはなでられるものが必要』というのは、人間が社会に定着適合するには対象аが必要だということである。しかし、斜線が壊れてしまったSは対象аをかろうじてつかむことしかできない。それは心的映像としては、まさにすがりつくという言葉が妥当であると思われる。


次に主人公がモノローグで呟くのは、『猫』を飼いたいというものだった。それはなんでもいい。

ライナスは毛布だった。二階堂奥歯はぬいぐるみだった。

ちなみにわたしはオフトゥンだったな。

幼い頃にオフトゥンをつまんでた。

布団つまみと呼称してて安心してた。

人によって、それは異なるけれども、だいたいは柔らかくて暖かいものになるだろうか。


そして、『頼りない私に飼われるのは、きっと不幸』と、主人公は論を進める。

斜線がないわたしというのは、寄る辺がない子どもである。したがって、頼りないとなる。飼われるというのは移行対象になるということである。つまりすがりつくということだ。要するに、Sが対象аを求める場合は、対象аに依存してしまう。ギリギリのところを社会につなぎとめるためのくびきとしてしまう。それは猫というものに主体性があれば重いだろうと主人公は直観している。


主人公の持つ不安は明らかだ。

斜線がないことである。

普通の人間はSに斜線をつけてくらしている。

自分には斜線がない。

人間社会にきちんと参入していない感覚。


したがって、わたしは人間の偽物なんじゃないかというのが不安の源泉にある。


ざっくり直観で進めると、主人公は偽物協会のアヤシイ会長に拾われているんだけど、この会長に淡い恋心を抱いているように思えるんだよな。

恋は重力なので、妖精は落下する。つまり、人間になるので、主人公は毛布状態から人間に戻ったんじゃないか?


最後に会長さんの顔を覆う布になるというのは、受け止め包みこむ、去勢されない自分がいると思いながらも女になることを受け入れるということではないかと思い至り。


多少、去勢へ向かっているのではないかという印象がある。


その証左として、最後のモノローグ。


『たとえば猫をなでる時、人間の心は猫に撫でられているかもしれない』


これは鏡像段階を思わせる。去勢の一段階だ。


鏡像段階とは他者の言葉をインストールし、他者という鏡を通して自己像を得るということである。


猫を撫でて、猫に撫でられるというのはまさに鏡合わせであり、他者に承認されて、会長に君はいてもいいと認められて、彼女は少しだけ人間になれたのである。

わたしは妖精を捕まえたかった。

屋上から身を乗り出して飛び立とうする彼女の背中を捕まえたかった。

けれどそれは妖精を殺すことだと知っていた。

一瞬のためらい。人間のエゴ。罪悪感。呼吸の停止。

ひきとめることができなくて、彼女は月夜の中へ溶けていった。

彼女は妖精として生き、人間として死んだのだ。

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