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引越し面接

作者: 村崎羯諦

「言いたいことが全然伝わらないんですよね。うちの区に引っ越したい理由について、もっと簡潔に話してもらえますか?」


 江戸川区役所のとある一室。しどろもどろな受け答えしかできない僕に対し、ずっと不機嫌そうに貧乏ゆすりをしていた引越し面接官が、きつい口調で詰め寄ってくる。緊張と申し訳なさで、自分の身体中から汗が吹き出してくるのがわかる。それでも、今までいくつもの区から引越し面接で不合格とされてきた僕にとって、この面接だけはどうしても落ちるわけにはいかなかった。僕は泣きそうになりながら、もう一度引越し動機を面接官に説明する。面接官が壁の時計や手元の資料へ目を通すたびに、何か変なことを言ってしまったのかという不安でいっぱいになりながら。


「もう一回説明してもらいましたけど、やっぱり言いたいことがよくわからないですね。人気のないうちの区なら簡単に引越せるだろうって思ってるんですか?」


 僕がもう一度引越し動機を説明した後、面接官が頬杖をつきながら僕にそう伝えてくる。


「私もね、嫌がらせのつもりできつく言ってるわけじゃないんです。私も江戸川区の引越し面接官として、広中さんが本当に江戸川区にふさわしい人なのかをしっかり見極める必要があるんですよ。変な人ばっかりうちの区に引っ越してくることになったら、区のブランドイメージだったり、財政や行政サービスにも影響が出てくるわけですからね。でも、広中さんの話し方じゃ、全然そこらへんが見えてこないんですよね。私の言ってること理解できますか?」

「……はい」

「じゃあ、広中さんはさっきの自分の引越し動機のどこが悪かったか説明できます?」

「それは……すみません。上手く答えられないです……」

「じゃあ、なんでさっき『はい』って答えたんですか? わかってないのにそう言ったわけ? あなたも大人なんだからもっと自分の言葉に責任を持たないとダメでしょ?」

「……はい」


 ただ隣の埼玉県から都内に引っ越したいだけなのに、どうしてこんな辛い思いをしないといけないんだろう。僕は泣きそうになりながらも、ぐっと涙を堪え、必死に面接官からの悪意のこもった質問に答え続けた。それから十分ほど圧迫面接は続き、ようやく僕は解放される。


 そして、面接から二週間後。自宅に面接の合否通知が送られてきた。結果は合格。絶対に落ちたと思っていた僕はその結果に驚きつつも、ようやく手にした合格通知に、僕はただただ安堵する。それでも、面接の時に受けた圧迫面接がフラッシュバックして、胸の奥がぎゅーっと締め付けられる感じがした。


 でも、合格の事実には変わりはない。これでようやく僕は今いる住所から、江戸川区へ引越しする権利を得ることができた。僕は早速ネットで江戸川区の物件を調べ始める。区の面接を受けている時は、正直もう引越ししなくてもいいなかと思ったりもしていたけど、実際に物件探しをしていると、心が少しずつ上向いていくのがわかった。それから、良さげな物件を見つけ、そこに書かれていた不動産屋へと電話をかける。電話に出てくれた担当者にサイトで見つけた物件について伝えると、担当者はありがとうございますと事務的な挨拶をした上で、僕にこう告げる。


「それでは、お客さまを我が不動産屋で対応するかどうかの面接を行いますので、江戸川区からの引越し許可証を持って、指定の店舗へお越しください」


 僕は言われた通り、引越し許可証をもって指定された店舗へ向かう。場所は駅前の小さな店舗で、引越し面接に来た旨を受付で伝えると、そのまま奥の個室へと案内された。ソファに座って十分ほど待っていると、面接官が資料を持ってやってくる。僕はよろしくお願いしますと挨拶を行うと、面接官はニコニコと微笑みながら僕に挨拶を返してくれた。


「まあ、面接の前に話すことじゃないんですけど、私が入ってきた時に、立ちあがろうともしませんでしたね」


 挨拶を終えた後で、面接官は笑顔を崩さずにそう言ってくる。すっかり油断していた僕の身体全体に緊張が走る。無礼なことをしてしまった、嫌われてしまった、色んなネガティブな思考が頭の中をぐるぐると回り始める。


「いえ、私は全然気にしないんですけどね、人によってはそれだけで怒っちゃう人がいるんで、広中さんのためを思って言っただけです。どうかお気になさらず」

「……はい。……申し訳ありません」

「広中さんは人と関わるのがあんまり得意じゃない性格なんですか?」

「そうですね……。昔っから大人しい性格でして……」


 それから不動産屋の引越し面接が始まる。だけど、僕は先ほどの面接官の一言がどうしても頭の中からこべりついて離れず、上手く言葉を喋ることができなかった。メンタルはボロボロだし、後半には胃痛がし始めて、早く終わってくれという気持ちがさらに僕を焦らせてしまう。


「色んな意見がありますけどね、私としては、この面接制度が始まってよかったって思ってるんですよ」


 面接終了後。これは雑談ですがと前置きをした後で、面接官がおもむろに語り出す。


「私たちの日常生活も、仕事も、結局のところ人間関係が全てな所があるじゃないですか。だけど、世の中には気に入らない人もいれば、自分とは馬が合わない人もいる。一昔前には多様性って言葉が流行りましたけど、結局みんな自分と似たような考えや性格をした人と一緒にいる方が心地がいいですし、できる限りそういう人とだけ付き合いたいって思ってるんでしょうね。だから、こうして引越しをしたり、色んなことをする前に、面接で相手がどういう人なのかを知った上でお付き合いを始める。素晴らしい仕組みだと私は思いますね」

「でも……こういう制度が結局仲間はずれを生んでしまっているみたいな話も聞いたことが……」

「まあ、色んな意見がありますからね。でも、私としたら、その意見も疑わしいですね。色んな人と知り合える現代なんだから、仲間はずれは仲間はずれ同士でくっついていれば、お互いに幸せになれると思うんですけどね」


 結果は後日メールで連絡しますと伝えられ、僕は不動産屋を後にした。それから一週間程度待っても連絡が来なかったので、勇気を振り絞って電話をかけると、そのまま口頭で不合格だと伝えられた。僕は一日落ち込んだ後で、再びサイトを巡って、他の不動産を探し始める。物件を見つけ、不動産に連絡をし、面接を受ける。区の面接と同じように不動産の面接からなかなか合格をもらえず、五件目にしてようやく、僕を受け入れてくれる不動産屋さんに巡り合うことができた。


 それから僕はマンションの内見を行い、いくつかの候補から希望物件を不動産屋さんに伝える。不動産屋さんはありがとうございますと嬉しそうに返事をした上で、僕に一枚の書類を手渡してくる。


「それでは早速、ここのマンションに入居されている方と、面接の日程について調整をしてみますね」


 僕は書類を受け取りながら、気分が落ち込むのがわかった。面接があるのはわかっていた。それでも、上手くいったとは言えないこれまでのことを振り返ると、やっぱり気持ちが沈んでしまう。誰だって、自分と気の合う人とだけ付き合いたい。だけど、僕は果たして、マンションに住む人たちにとって受け入れられる存在なのだろうか。


「このマンションに住んでる人はみんな仲良くて、すごくアットホームなマンションなんだよね。夏なんかはバーベキューをしたり、キャンプに行ったりね。だから、逆に大人しい人だったらこのマンションは合わないと思うんだよね。この面接ではさ、そういうところを見てるわけ」


 面接当日。マンションの住人を代表してやってきた大学生くらいの若い男性は、開口一番に僕にそう伝えた。アットホームなマンション。そんな言葉を聞いた瞬間、僕は反射的にこの場所は自分に合ったマンションではないと悟る。正直に自分はそんな性格ではないと言って、辞退しようか? そんな考えが思い浮かぶ。


 だけど、どんな場所なら僕を受け入れてくれるんだろう。陰気で大人しい僕と、心から一緒にいたいと思ってくれる人は本当にいるのだろうか? 自分が今まで受けてきた面接を思い返し、それから、もし自分が面接官だったらということを考えてみる。ありのままの自分を受け入れてくれる場所もひょっとしたら存在するかも知れない。だけど、それを見つけるまでに僕はどれだけしんどい思いをして、どれだけの時間をかければいいのだろうか?


 僕は覚悟を決めた。それから胃の痛みをぐっとこらえ、彼に対して返事をする。


「はい……! そういうマンションに住みたいと思ってたんです……! よろしくお願いします!」


 面接官が嬉しそうに笑顔を浮かべる。僕もまた、ぐっと自分の感情を押し殺し、彼の波長に合わせて受け答えを行った。すると今までの苦労がなんだったんだろうと思うくらいに、面接はスムーズに進んだ。時折笑いがあって、終始和やかな雰囲気が漂っていた。面接の終わりには面接官の方から手を差し出してきて、広中さんならきっと大丈夫ですよと太鼓判を押してくれる。本当かなと僕は半信半疑だったけれど、面接から三日後には引越しの合格通知が送られてきた。


 僕の歓迎会にはマンションに住んでいる人のほとんどが参加し、新しく入居する僕を心から歓迎してくれた。みんな親切で、近くの美味しいお店だったり、安いスーパーだったりを教えてくれたり、引越しの手伝いをしてあげるよと言ってくれる人さえいた。僕は彼らに合わせて精一杯明るく振る舞った。時々どうしようもなくこの場から立ち去りたいという気持ちに駆られたけど、ぐっとその衝動を堪え、僕は彼らと同じ人間であり続けた。歓迎会が終わり、自宅へ帰った時には、心身ともにへとへとだった。


 だけど、僕は不思議と嫌な気分ではなかった。ありのままの自分を受け入れてくれているわけではないけれど、孤独ではなくなったからだということに気がついた時、僕は今までの苦労を慰めるように部屋の中で一人で泣いた。


 それからも僕は、マンションの人たちと仲良く付き合いを続けた。毎年恒例のバーベキューにも参加したし、呼ばれたらできるだけ飲み会に参加した。本来の自分を押し殺すというストレスはあった。それでもこのマンションの住人でいることで、僕のことをみんなが気にかけてくれたし、声をかけてくれた。僕はそれだけで十分だった。誰からも見向きもされない自分よりも、みんなから好かれる自分の方が、僕はずっと好きになれるから。そしてそんな僕に、入居希望の人の引越し面接の依頼がやってきたのは、僕がマンションの住人となってからちょうど半年後のことだった。


「……えっと……えー、僕がこのマンションに入居したい理由としては……しょ、職場が近いということもですし、駅からも近いというのがよくて……」


 入居希望者は下を向いたまま、まるで独り言のように志望動機を語る。僕は彼の姿を見つめながら、これは少し前の自分とそっくりだと思っていた。人と付き合うのが苦手で、大人しくて、どうしようもなく自分に自信のない人間。事前に不動産屋さんから受け取った資料へと目を通す。ここに来る前に、区や不動産屋の面接で何度も落とされているこらしい。そうだろうなという気持ちと、苦労したんだなという気持ちが入り混じる。


 だけど、真っ先に僕が感じたのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だった。自分も昔はそうだったから、駄目な人間であることには同情する。だけど、だったらなおさら、自分を受け入れてもらえるように努力したり、苦労したりするべきじゃないんだろうか?


 入居希望者の男が言葉に詰まり、それから僕に媚びへつらいような表情で笑いかけてくる。僕はその表情を見た瞬間、どうしようもない嫌悪感を彼に感じた。どうでしょう? おそらく志望動機を語り終えたであろう彼が、僕に問いかけてくる。僕はぐっと怒りを抑え込む。そしてそれから、彼に対して、こんな言葉を返した。


「言いたいことが全然伝わらないんですよね。うちのマンションに引っ越したい理由について、もっと簡潔に話してもらえますか?」

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