夜陰の鎮状
童謡テイストの残酷な要素あります。
銀の風吹く夜空を一角獣が走り抜ける。子竜のいななきが稜線を抜けて、夜風と遊ぶ。白銀のまたたきが、滝のように流れて、水平線にたどりつく間に消えていく。草露が光れば、オカリナの音が泳ぎながらかすみに消えた。
麦畑の金色と菜の花畑の黄色が寄り添うあぜ道は青々とした草に紛れて、小さな紫の花を揺らす。
白金の汗を散らし、少女が走る。白いスカートがたなびいて、くるりと一回転すると、躍るスカートが朝顔のように花開く。
笑う少女は両手を空に掲げる。月が陰り、降りてきた一角獣が少女の前におり立った。少女は一角獣の首筋を抱きしめる。子竜が飛んできて、少女の足元におり立った。少女は子竜を見止めて、愛らしい瞳を瞬いた。
夜露に濡れた草地を踏む音が近づいてくる。
少女が顔をあげると、子竜が飛び去る。その先に、男がゆっくりと歩いてきた。黒装束に、朱の髪が揺れる。月のような、黄みがかった白い瞳は優し気で、少女は誰だろうと小首をかしぐ。
「お嬢さん。そんな恰好では、春の夜は寒くないかい」
男はオカリナを片手に、軽い足取りで近づいてくる。
「寒くないよ」
「そう? 夜は長いよ。夜風は体の芯を冷やすよ。体が冷たいと心も冷えないか心配だ」
少女は丸い目をぱちぱちとまたたかせる。
「お兄さんはやさしいね」
男はははっと笑った。
「ありがとう。あなたのような少女には、私は時におじさんと言われてしまうから、尚更うれしいよ」
「お兄さんが?」
「そうそう」
「じゃあ、おじさん。おじさんは誰?」
「ひどいな。まあ、いいさ。私は、星の使いだよ」
男と少女は向き合った。
凪ぐ朱の髪を揺らす男の色味のない瞳は柔らかい。黒装束の身なりも整っている。とても、そこらの村人には見えなかった。
片や少女は白い服装。まるで眠りにつく前に、家を飛び出してきたかの装いだ。
「星の使い」
「迎えに行くのがお仕事さ」
「誰を」
「お嬢さんを」
「それは、人さらいじゃない」
「違う、違う。一緒に、歩こうよ。あなたの目的地ももうすぐそこだろう」
男は歩き出し、少女はその横を歩く。少女からは男は見上げる程に高かった。
子竜は男の頭上を飛んでついてくる。
一角獣は、少女の横につく。男からは少しばかり距離をとっている。
「私に目的地なんてないわよ」
「そうだね。目的地を忘れてしまったんだよね」
「忘れたの? 本当? それなら私は忘れたことも、忘れているわ」
「あはは、それは困ったね」
「そうかしら」
「困っていることも、忘れてしまえば、助けも呼べないよね」
「私、助けてほしそうに見えるの」
「どうだろう」
少女は一角獣の首筋を撫でて、叩いて、慈しむ。
「その子についていってはいけないよ」
「どうして」
「行ってはいけない場所もあるんだ。知らずに足を踏み入れてはいけない」
「踏み込んではいけない場所があるの?」
「そうだよ。特に君のようなお嬢さんは気をつけないとね」
「かわいいから」
「うん、かわいいからだね」
男は一角獣に目を向ける。一角獣は足を止めた。
「どうしたの」
少女は問いながら、足を止めた。
一角獣は頭を振った。前足で土をかく。それ以上は進めないようだった。
男は一角獣を見つめ、呟く。
「ごめんね。これは私の依頼だから」
一角獣は首を大きく振った。鬣を揺らし、両前足で地をかいた。
「ねえ、どうして、一角獣はこっちにこれないの」
少女は男を見上げた。
「それはね。迷っているからだよ」
男は笑んで、あぜ道を歩き始める。少女は彼の後を追う。ちらりと後ろへ視線を流せば、一角獣は置物のようにじっとしている。
「目的地ってどこなの」
子竜が足元をすり抜ける。駆け抜けて、振り向くと、その背景に一軒の家があった。煌々と光る赤いランタンが、家の軒下に均等に並んで、光っている。
立てられた旗が夜風にたなびき、ゆれている。
室内も明るく、人の話し声と泣き声が、風にのって飛んでくる。
「お葬式かしら」
「そうだね」
「だれが亡くなったの」
「小さいお嬢さんだよ」
「小さい子。私より」
「同じぐらいかな」
「可哀そうそうね」
「うん、可哀そうだね」
男は眉と目元を歪めて笑んだ。まるで困った顔だった。
「殺されたんだ」
少女は嫌悪を浮かべる。
「いやね」
「うん。いやだよね」
「誰が殺したのかと、分かっているのかしら」
「いいや。分かっていないよ」
「これから探すの」
「探しても見つからない」
「どうして」
「彼女は、死霊に殺されたからだよ。人じゃないから、裁けない」
「怖いね」
「怖いだろ」
「死霊はそのままでいいの」
「よくないよ」
「また犠牲者がでるから?」
「それもあるし、もう三人目だから、さすがにね。ほって置けない。だから、この地を納める郷士はよんだんだ」
「誰を?」
「死霊を鎮めてほしいんだって」
「それが星の使いのお仕事?」
「うん」
子竜が足元まで寄ってきていた。少女の足に両足をのせて、少女を見上げる。
二人の頭上を飛び越えた一角獣が、お葬式最中の家に近づく。
「あの子はどうしたの?」
「お迎えだよ。間違えたんだ」
「間違えた? 何を、誰を」
「お迎え予定の少女と死霊を」
一角獣は扉もあけず、壁をすり抜けるように室内に入っていく。
「死霊は殺した少女を食べているから、一角獣は間違ったのかもね。天国に連れて行ってあげれる子はだれかって……。人を食べた死霊が、天国に行けないことはわかるだろう」
「……わかるわ」
一角獣が一人の少女を乗せて壁をすり抜け現れた。そのまま駆け出せば、空に浮き、蹄を駆って走りゆく。
一角獣は二人の頭上を走り抜ける。のせられた少女が子竜に足を抑えられた少女を見下ろした。
二人の少女はそっくりだった。
一角獣は走り抜け、月の光へ溶けていく。
「ねえ、私が、死霊なの」
「うん。三人食べた」
「私を迎えに来たの? 私って、地獄行き」
「ごめん、そこまで分からない。私は、死霊を消すしかできないから」
「どこに行くか、わからないのね」
「そうだね。でもね、ぐるっと回って還っておいで」
少女は飛び退けようとしても、足を子竜が抑えており、動けない。
「君は、体が欲しかったんだ。だから、同じぐらいの年齢の少女を狙った。
一人目は両目をえぐったね。
二人目はを足の指を引きちぎった。
三人目は両耳を引き裂いたよね。
一時は姿を模せても奪った肉は朽ちていく、新しい肉を欲する。喰い散らかすのは、もうやめようね。一時は喰べてそっくりになっても、また忘れてしまうよ。殺したことも、殺されたことも。
だから、新たな生を与えられるまで、世界に還ろう」
男はオカリナを吹く。柔らかい旋律が流れれば、死霊は足元から黒々しい煙を噴き出した。煙は天に上るごとに白くなり、灰のように風化する。
少女の肉体は、黒々しい煙になり、白い灰となり、世界のなかに消え去った。
子竜の足もとにこつんと白い物体が落ちてくる。驚く子竜は飛び立ち、男の頭上を飛び始めた。
男は、白い物体を拾い上げる。それは骨だった。骨の中央から四方に亀裂が走る。中央にはキラリと金属片が光っていた。
(この子も、誰かに殺されたんだね)
骨は語らない。奪った部位は奪われた部位だろう。彼女はただ、自分の体を求めてさ迷っていただけだ。そして、彼女を殺した誰かは……。
男は嘆息し、それを懐に入れた。懐には郷士から受け取った前金があり、骨にぶつかって、かちゃりと鳴った。
仕事を終えた男は、後払いの残金を受け取るため、葬式を続ける煌々と光る家を背にして、郷士の屋敷へ向かう。証拠を懐に忍ばせて、あぜ道を歩き始める。
麦畑の金色と菜の花畑の黄色が寄り添うあぜ道は青々とした草に紛れて、小さな紫の花を揺らす。
「殺されたことも気づかないから、助けてとも言えなかったんだね」
男のつぶやきは風に溶けて、夜に染みた。