第7話 臆病者
翌朝。実際に朝なのかどうかは分からないが、ワンが朝だと言うのだから朝らしい。いつもの習慣で朝六時に起床したところにちょうどワンがやってきた。
「よく寝れたか?」
「まあまあ」
土で出来たかまくらのような部屋で、藁の上で寝るのもなかなか悪くなかった。
施設の六畳に二段ベッド二つ置かれた狭い部屋と違って、一人で一部屋使用できるのもよかった。そしてCの服装は麻のみすぼらしいものでなく、天使の纏う軽装と同じもので、施設での暮らしと比べると数段快適だった。
ワンは昨夜の広場があった方へと向かう。
「急いではいないがいずれCにも何か仕事をしてもらうことになる。大体十人くらいが炊事、十人が洗濯、八十人が畑仕事をする分担になっている。他は天使と戦うための訓練だ。俺は何をするかはCの意思で自由に決めてほしい」
訓練と言うときのワンの表情は少なくとも冴えたものではないが、戦わなくていいと言っているのはCにも分かった。
やがて通路を通り抜けると、広場では朝食の配膳が行われていた。それを受け取った人々は思い思いの場所に座ってそれらを食べている。
Cもワンに習って朝食を受け取り、適当なところに腰を下ろしてから口に運んだ。芋や豆が殆どなのは収容所とは大して変わらないが、こっちの方が豪華に見えた。
食事を終えると皿を返し、すぐにCとワンは移動を開始する。昨日リベラに到着したときには夜も遅く疲労もかなり蓄積していたために出来ず終いだったリベラの説明をCは今から聞くところだった。
広場に隣接する地下空間に移動すると、昨夜は薄暗くて全貌を見渡せなかった畑の空間に陽光が降り注いでいた。機人の開発した太陽灯の生み出す光だ。
畑には既に何人か働き始めている住人もいて、ワンに快活に挨拶をする。ワンと共に次郎も挨拶を返しているのは、食べていたときに勝手に合流してきたからだった。
「四つの空間で作物を育てていて、ここはその一つだ。大体五種類の作物を育てている」
112人の食を賄うほどの食糧なんてものがどれくらいかは分からないが、地下空間の広大さから考えてもCは納得する。確かにこの規模の畑が他に三つもあれば余裕で賄えるだろう。
そしてまた一つ横穴をくぐり抜けると、そこにはまだ背の低い木々が群生していた。本物の木を直接見たのは初めてだ。本で得た知識だが、少なくとも地下に生えるようなものではない。
「これは外から盗ってきた木の苗を植えたり、種を撒いて育てたんだ。リベラが発足してからだからもう三年目だ」
大きいもので五メートル程度、小さいものは膝丈程度。森と呼ぶにはまだまだ足りないだろうが、それでも二、三年でここまで成長するとは。
そしてもう一つ、Cにとって初めて見るものがあった。それはすらりと細い体躯で、高潔に整った顔立ちをしており、何より特徴的な長く先の尖った両耳を有している。
「森人か」
「そうだ。彼はロレンツィオ。水資源は彼の魔術に寄るところが大きい」
森人はその名の通りどこかの巨大な森に生息しているとされる種族だ。悠久的な自然に属する魔術を扱うことができるという点で土人に近しい存在であると考えられているが、その二種族の関係性は天使と悪魔のそれと似ているらしい。
水資源ということは昨日体を流した湯であったり、この地下で育てている作物、炊事等に必要な水は彼一人に寄るものということだろう。
「おはようございます、師匠!」
次郎が手を振り上げ向かっていく。するとロレンツィオは顔を顰めて逃げる。
「ロレンツィオは次郎とミア、そして他のメイにも弓を教えている。森人は弓の扱いに長けている種族なんだ」
「なるほど」
メイは天使と直接戦うことはできない。もし134のように耳を潰して『預言』を防げたとしても、天使の目を直視すると一切動けなくなってしまう。だからこその弓矢という武器で、その技術は森人に由来する。
そこでCは気付いた。
「……リベラはメイじゃなくて獣人と土人と森人の力で成り立ってるんじゃないか?」
この地下空間は土人の魔術の賜物で、ここでの生活に必要な資源は森人に依存している。住人の殆どがメイの街にも関わらず、結局無能力なメイだけでは生きてゆくことは叶わない。
(むしろ、天使から逃げるためにはただの足手まといじゃないか)
100人以上の無能力『メイ』に対して、五人程度の有能力『ヨウ』がリベラの中核を担っている。なんだか馬鹿馬鹿しく思い始めたCだが、
「それは違う」
また次の目的地へ向かって歩き出したワンが確固たる口調で否定した。
「土人も森人も、俺はハーフだが獣人も、単体では生きられない。俺達は協力し合って生きている」
「でもあいつらは、ゴンザロとロレンツィオはそうは思ってないんじゃないか? メイがいなくとも生きていけるだろ。大人数のためにわざわざ作物を育てなくても、少人数で地上から食糧を盗ってくればいい」
人手は多い方が便利でも、天使から逃れるためには数が多い方が不利だ。リベラでのメイの役割は殆どが作物を育てることで、次いでその他の雑事なわけだが、前者は減らしても構わないだろう。
「いくら土人でも穴を掘るのには限度がある。一度に持って帰れる食糧にも限りがある。頻度を高めなければいけない。けれど同じ穴から出ることは危険だ。天使に見つかったら終わりだ。だからある程度この地下で維持できるようにしなければならなかった」
「それなら…」
何か言い返そうと思ったけれど何も思いつかなかった。そう詰められても、感覚的には納得いくものではなかった。やはり少数精鋭でいた方がいいのではないかと。
「俺にもゴンザロとロレンツィオの真意は分からない。だが、二人はリベラの規模を大きくすることに同意した。三人でいるより四人でいた方が安心するだけかも知れない。仲間が多い方が安心するだろう?」
「……どうだか」
協力だとか、仲間だとか、そういうものとは殆ど無縁の暮らしをしてきたからいささか同意しかねる。人が集まっただけで仲間になるとは思えない。
「お前はそんな理由で数を増やしているのか?」
すると苦笑していたワンは少し真剣な顔をした。
「……俺は、天使に虐げられている仲間を助けたい」
そしてどこか、切実さが滲んでいる。
へえ。そうですかという感想しか出て来なかった。くれぐれも巻き込まないで欲しいものだと。ワンはふっと笑った。興味がなかったのが顔に出ていたのかもしてない。
「昨日ゴンザロはあんなことを言っていたが、Cは無理に戦わなくていい。安心してくれ」
「……どうした急に」
妙に見透かされているようで居心地が悪い。
「あと一人、メイではない種族の人間がいる。Cと同じようにほんの数か月前に来たばかりで、大きくは機人に分類される。メイを母体にした強化型クローンだ。Cと同じく最近仲間になったばかりだ」
「……機人⁉」
機人と言えば圧倒的な技術力と文明を誇る種族だが、その全容は明らかにはなっていない。誰も機人を見たことがないのだ。だからCは驚いた。
「機人と言っても、メイとの違いは俺には分からなかった。だがノエルは天使の支配能力が効かない。それとメイを遥かに上回る身体能力を持っていた。無論メイだから魔力は扱えないが、悪魔や天使よりも高い運動能力だ」
「獣人と比べたらどうなる?」
「普通の獣人と同程度だろう。だが俺は普通じゃない」
するとワンは無造作に髪をかき上げ、左目を見せてきた。その左目は小麦色の肌とよく馴染んだ向日葵色の右目とは違って、竜胆のような濃い紫色をしている。
「この左目は『魔眼』と呼ばれるものだ。どこから由来したのか、どういった仕組みになっているのか誰も分からない。元々は天使が所有していたものだ」
「聞いたことないな」
施設で得られた情報はかなり限られている。聞いたことがなくても不思議はないが、その魔眼からは魔力の胎動が感じられた。
「俺はこの力で『魔力』というものをある程度操れるようになった。天使や悪魔、土人や森人が使う力の源とされるものだ。獣人の特性と掛け合わせることで身体強化が可能になった。これが俺の力の根源だ」
そんな抽象的なことを言われても納得できるものではないが、取り敢えずそうなっているらしい。
「まあ、お前みたいなやつが沢山いたら困るけどな」
「獣人の国に行けば魔眼の力がなくとも俺より強い者はいるだろう」
「は⁉」
「獣人の国も天使の国と戦争している。最上位の天使と戦える存在がいると考えるべきだろう」
大天使をああも容易く無力化し、無数の天使達を相手にあんな立ち回りをしでかした人間がそんなに多くいてたまるかと言いたかったが、ワンの推測ももっともだった。
再び別の通路を通り抜けるとそこは今まで見てきた地下空間よりも比較的小さかった。そこには小さな山が六つほど出来ていて、その部屋の隅には一人の少女が座り込んでいる。華奢な体躯で黒髪は艶やかに、半袖半ズボンから覗く肌の色は標準的なメイと変わらない薄い橙色だ。
「ノエル。新しい仲間が来たから紹介させてほしい」
ワンは膝をついてその少女と目線の高さを合わせる。ノエルが顔を上げると、Cは息を詰めた。
「……っ」
一目で分かる美少女の面立ちだった。機人と言うからもっと機械ばったような、ねじやゼンマイで出来たサイボーグのような人間を想像していた。しかし人造人間というのも頷ける精巧な美しさで、まるで人形のようだ。
「彼の名前はC、悪魔のクオーターだ」
「シー…?」
少女は聞きなれない名前に小首をかしげる。
「ああ。仲良くしてやってほしい」
「うん」
疲れたようなやる気のない声音だが、それでも芯があって聞き取りやすい。この顔も声も全て機人によって設定されたものなのだろう。生まれながらにして自分の能力が他の誰かに決められている点において、Cは少女に同情する。
ノエルの返事を聞き届けたワンはCへ向き直る。
「俺からの紹介は以上だ。俺はこれから次の作戦を考える。Cはこの数日でリベラで何をして生きていくかを決めて欲しい。しばらくは自由に行動してくれて構わない。困ったらノエルやカミラを頼ってくれ」
「分かった」
Cも短く返すとワンは小さな部屋から去っていった。
ひとまずリベラの大枠は分かった。地下は迷宮のように無数の空間があって、その中でも一際大きいのが畑、次に広場、浴場、寝室と続く。他にもまだ知らない空間が多いだろうから探索してみるのもいいだろう。
ちらりとノエルの方を見やればまたもや膝に顔をうずめていた。しかしCが何もないその部屋を出て行こうとしたとき、ノエルは声を発した。
「シーは戦わないの?」
不意打ちだったからびっくりした。
「戦わない」
「どうして?」
そう聞いてくるノエルの黒色の大きな瞳には興味が浮かんでいた。
「お前はどうなんだ?」
「戦うよ。適材適所だから」
ノエルはさも当然のように言う。Cは取り合うのも面倒だと考えていたが、時間も十分に余っているから説明することにした。
「戦えば死ぬかもしれない、怪我をするかもしれない、またあの天使達に囚われるかもしれない。いやもう『かもしれない』なんて使わなくていい。死ぬか、怪我をするか、天使に捕まる、どれも懲り懲りだから俺は地下で安全に暮らしたいんだ」
「戦わなければ勝てないよ?」
「逃げるが勝ちとも言うだろ」
「逃げられるの?」
「そんなのやってみないと分からないけど、戦って勝つより戦わないで勝つ方がいい。戦って負けるより戦わないで負ける方がいい」
「じゃあ戦えば勝てるなら?」
「……お前は、意外と喋るんだな」
こんな何もない部屋で一人座り込んでいたから暗い奴だと思っていた。そこら辺の馬鹿よりは口が回る。ノエルはにぱっと笑った。
「ノエルは人と話すの結構好きだよ」
すると立ち上がり、近寄ってきた。
「暇だからついてってあげる」
「……勝手にしろ」
Cは気にせず歩き出した。他人の行動が自分に不利益をもたらさない限りは干渉しない。その逆も同じで、利益に繋がるなら強制する。その目には面倒そうな好奇心はあれど攻撃的な感情は宿っていないから心配はいらないだろう。
Cとノエルは小さな部屋を出て通路を行くと、
「シーはどんな力を使えるの?」
「あー、大したことはできない」
先程見た幼木の森に辿り着く。
「どんな?」
「天使の『預言』みたいなものだ」
「へえ。どうして角が一本だけなの?」
「折られた」
「痛くないの?」
「痛かった」
不思議な気分だった。こんな風に落ち着いた気持ちで誰かとどうでもいいことを話すことはこれまでの人生あまりなかった。134以外ではぱっと思い浮かばない。もっと遡ればいろいろと思い浮かぶ顔もあるだろうけれど、そのとき自分がどんな感情を持っていたかなんて覚えていない。
森人の森の壁沿いには木が植えられておらず、比較的開けている。そこからどこか畑以外へ続く穴がないかと歩いてみることにする。
「悪魔ってみんなパッチワークみたいな肌をしてるの?」
「違う。これは天使に解体された跡だ」
「痛くないの?」
「今は痛くない」
そんな一問一答をしていると、向こうの壁から走るメイの姿が見えた。ランニングトレーニングをしているのだろう、次郎やミアなどの見知った人物はいない。
「お前はここに来る前はどんな感じだったんだ?」
今度はCの方から尋ねた。ノエルは天使と戦うと言っていたが、どうしてそんな気持ちになれるのか、その背景に少し興味があった。それはノエルに限った話ではない。畑を耕すリベラの住人や今向こうから走って来る人々はどう考えているのかが少し気になった。
「ノエルは十年前の大戦で天使達が奪った培養施設で産まれて育った。元はそれを天使達の戦力にする予定だったらしいんだけど、天使達の技術じゃ機人の技術は扱えなかったんだって。それで結局手を付けられないまま成体まで大きくなった私は天使がいないうちに脱走して、ここじゃないメイの人に助けられてしばらくそこでお世話になったんだけど、結局捕まっちゃった」
「ちょっと待て。外にメイがいたのか……⁉」
話の途中だったが、Cはリベラ以外にもそんな人間がいることに衝撃を受けた。
「うん。逃げてきたんだって」
「どれくらいの期間逃げられたんだ?」
「四か月」
それはリベラと比べると短い期間だが、Cに興味を抱かせるには十分だった。
「どうやって」
「ずっと下水道にいて、必要があればマンホールから地上に出てた」
「メイって言うのは混血か?」
Cが問いかけたそのときだった。
「――臆病者」
ランニングする人々の中の一人、Cと背丈の同程度の青年がすれ違ったときにぽつりと漏らしたのだ。Cは一瞬何を言われたのか分からなかったが、それが自分に向けられている言葉だとはわかると足を止め、後方を振り返った。
青年の他にも横目に睨む者もいて、その数7人の集団のなかに4人が敵意を露わにしていた。その7人の背中はただ遠ざかっていく。
(……なんだこいつら?)
「聞き流せばいいのに」
ノエルは足を止めたCに対して飽きれたように言うが、
「……」
Cはそれを餓鬼の戯言だと割り切ることも出来なかった。
「……俺がいた収容所だと、天使の玩具にされないように仲間と組んで、一人を蹴落とすんだ」
「シーを蹴落とそうとしてるわけじゃないと思うけど」
「それでも、俺を戦わせたいならああやって煽るのは普通逆効果だって分かるだろ。……何言われても、俺は天使が怖いから地上になんて行きたくはない。それを相手が知っていようと知らなかろうと、俺が選んでいいはずだ」
ここにいるのは散々天使共に虐げられて、侵されてきた人間のはずだ。それなのに、お前達は誰かに不条理を押し付けようとするのか。
先を歩いていたノエルは戻って、袖口を引っ張ってきた。
「ちょっと何言ってるか分からないけど、人が人を蔑むのは天使がメイを蔑むのと同じことでしょ?」
「……は?」
予想外の相手に言われて、Cは一瞬フリーズした。
「人が自分のために相手の権利を侵害するのは、メイでも天使でも同じに決まってるでしょ。みんな自分が正しいって思ってる。自分が正しいって思い込めないと、生きていけないよ」
僅かにノエルの顔に影が差した。
「普通のメイはそんなに頭はよくない。相手がどんな気持ちかなんて考えない。それでも自分は相手のことを考えてるって思ってる」
「……っ」
Cは目を見張った。
(同じだ…)
天使の支配を甘受していた自分と、この世の不条理をただの不条理だと諦めていた自分と重なった。諦める対象が天使かメイかの違いでしかない。天使がいなくなって相手がメイに代わっただけで、誰かを蔑むような人間はどこにでも存在する。そんな簡単なことだった。
「お前、結構暗い奴なんだな」
そう言うとノエルはぱちぱちと目を瞬かせ、ぷっと笑った。
「ふふっ。シーは変わり者なんだね」
そう返すお前も大概だと思ったけれど、同類になるのも嫌だったから言わずに歩き出した。
「どうしてお前みたいな暗い奴が、戦おうとするんだよ」
ノエルはどうやら諦められる人間だ。天使やメイの支配をどうにかしようとするよりも、それはそれとして認めて、変えることを諦めてしまうだろう。
ノエルはどんな不足を満たすために、何を目的に生きているのか。
「ここにいる人はみんな自分が生き残るために戦ってるよ。ノエルの場合、ただのメイよりノエルが戦った方がいいと思うから」
「……」
Cはノエルの言っていることが分からなかった。どうしてそれが戦う理由になるのか、だがそれを頭の中で整理して聞き返す前に、ノエルは誤魔化すようににぱっと笑った。
「目の前の美少女ノエルちゃんはこんなことを思ってるのか、ふむふむ関心した、って思ってるでしょ?」
「いや、思ってない。戦うことは必ずしも偉いことじゃない」
結局Cは、戦おうとするノエルが理解できず、戦う理由を説明できないノエルが気に食わなかった。
「その言葉、忘れないでよ」
「ああ」
仮に人生というものだ戦う誰かのおかげで成り立つものだとしても、目の前の人間と自分は対等な関係のはずだ。戦うことを選んだにしても、戦わないことを選んだにしても、それはただその人の選んだ生き方であってそこに貴賤はない。
その日の夜。浴場で珍しいものを見る目を向けられながら一人体をゆすいで、借りている服を身に纏い、そしてこれまた貸し出されている一人部屋の藁の上で寝転んだ。ドアなんてものはなく、通路からは丸見えの部屋だが不便はない。
あれから色んな通路を探し、途中まで掘り進められている通路はいくつか見つけた。だがそれらは全部何の部屋にも繋がっていないものだった。ノエルによると、そこから地上まで穴を掘り進めていくらしい。
他には四つの畑を全部見た。本当に広い場所で、まだ使われていない耕作地もあった。拡大を続けているものの、まだリベラのキャパシティには余裕があるようだった。
だがCが思い出すのはそこで向けられた視線の数々だった。無関心と、歓迎と、軽蔑が等分くらい。悪魔の能力があって、天使と戦うことを前提に助け出した相手が戦わないことに苛立っているのだろう。好きで悪魔の混血として生まれてきたわけじゃない。
ノエルはメイも天使もそういうところはさして変わらないと言っていたが、その点だと天使よりましで、それが救いだった。
収容所ではいつ天使の気まぐれに弄ばれるかも分からなかったから常に緊張して、次の日のことを考えていつも吐き気を催していた。
差し迫った危険もなくこうして落ち着いて寝っ転がっていられることはなんて幸せなんだろう。そうして天使から逃げられたことを実感するとなんだかいい気分になってくる。
134は本当に可哀想だ。運がなかった。
(あいつだったら天使と戦うか?)
ふとそんなことを考える。
Cの知る限り、最期に天使に一矢報いようとしたメイは134しかいなかった。それくらい天使の存在はメイにとって絶対的なのだ。
だからあの瞬間を思い出すだけで変な汗が出てくる。134は勇気や意志力は人一倍持ち合わせていたんだろう。
一方であいつが長生きしてきたのは身の危険を上手く回避してきたからだ。そんな134が自ら天使のいる地上へ舞い戻る選択をするだろうか。
(……ま、あいつだったら戦うだろうな)
天使の眼球を刺して高らかに哄笑した姿が浮かぶ。あんなに楽しそうに笑う134を見たのは初めてだった。最後でもあったが。
「……」
それでも自分は嫌だ。痛いのは嫌だ。怖いのは嫌だ。
天使から逃れられたとしても、メイは嫌な役目を他人に押し付けようとする。思えば自分も施設ではそんな風に誰かに擦り付けて生きてきた。
(じゃあ、自由ってなんだよ…!)
そんなことを考えていたときだった。通路に見知った男の姿が見えた。その腕についた筋肉量や毛並みは普通のメイとは違う外見だからすぐに分かる。その男はこちらを見ると警戒心を解くように頬を緩めた。
「C、今少しいいか?」
頷くとワンは部屋に入って来て土の床に直接腰を下ろした。
「次に地上へ行くのが七日後に決まった。それまでにCにはどうするか決めて欲しいと思っている」
「いや、俺は畑で働く」
即答すると、ワンは目を丸くしてからふっと笑った。
「そうか。それなら明日からカミラに仕事を教わってくれ」
Cはワンの優しい笑みに驚いた。ワンが悪魔の力を目当てにしたからこそ自分をここに引き入れたと思っていたが、こうしてワンが笑ったのはつまり、本当にワンには強制するつもりがないということらしい。
「分かった」
どうやら、ただの偽善者でもないらしい。