第6話 リーダー
今後土人にはなるべく関わらないようにしようと胸に誓いつつ、息が詰まりそうなほど細く暗い土穴の中を歩き始める。
「リベラには沢山の仲間がいる。今はCを入れて112人だ。俺がここのリーダーをしている」
「リーダー?」
百人を超える規模感と、それをまとめているのがこの優男だということにCは驚いた。戦闘力としては申し分ないだろうが、人として相応しくないだろうと感じたのだ。
「この組織は元々俺が天使の元から去ってゴンザロと組んだのが始まりだった。それが二年前だ。それからまずは沢山の仲間を助けた。二人だけだと手が回らなかったんだ。助けられそうな仲間を助けて、地下だけでも生きて行けるような空間を造った」
「地下だけで…? どうやって、そんなの…、道具は?」
「地上から取って来るんだ。天使は機人の道具を多く所有している。主にそういったものを盗んで来るんだ」
盗んできたと語るワンの表情には僅かな苦々しさが含まれいた。天使にしてやったという気持ちより、『良心』によるものだろう。まさかそんな感情を天使に対して抱くなんて正気じゃない。
しかしまあ、確かに機人の利器に頼ればメイであっても地下で生活することは可能かも知れない。機人は八種族の中で最も技術力の優れた種族で、他種族の追随を許さない。戦争すれば七日たらずで機人が世界を支配できるだろうと言われるほど圧倒的で、次元が違う。今のところかの種族の形成している国家は領土拡大も縮小もせず傍観者に徹しているが、他種族の警戒するところであるのだと聞いた。
そんな機人は各国と交易を行っていて、戦略的な技術の提供は行わないが、生活を豊かにするような商品であれば天使の国も大量に輸入しているらしい。
「Cはこの世界の八種族については知っているか?」
「天使、悪魔、機人、獣人、巨人、土人、森人、そしてメイだ。……話半分だったけどな。他の種族を実際に見て驚いた」
物心ついたときにはあの施設にいたから、外の世界が実際どうなっているかなんていうのは本でしか知らなかったのだ。ワンは苦笑する。
「そうか。リベラにはあと二人、普通のメイじゃない仲間がいる。きっと話す機会もあるだろう」
「……あと二人しか、いないのか?」
リベラなんていうもんだから、ただのメイでは天使に抗えないだろう。リベラには112人いると言っていたけれど、その百人以上がメイなのはあまりにも危険が大きい。
「混血はそれくらい珍しい。八種族は無能力のメイを嫌う」
「ああ」
(戦力が殆どないから俺を助けたんだろうな)
Cは一人納得する。道理で必死こいて悪魔のクオーターを助けに来た訳だ。戦う約束など一言もしていないから勝手に期待されても困るが。
「特に天使と悪魔の混血は殆ど存在しない。両方の種族とも遺伝子レベルでメイを忌み嫌っているからだ」
「じゃあ俺は無理矢理つくられたんだな」
Cは己の出自に関して全く知らなかった。ワンはふっと優しげに笑った。
「Cは頭の回転が速いな。俺もそう考えている。二種族は本能的にメイを虐げるように出来ている。だからハーフは幼少期は激しい自傷行為で死に、ある程度成長すると心の病で死ぬ。その衝動をクオーターにすることで抑え込んでいるらしい」
「らしいって?」
「天使の研究結果だ。天使自身についても同じことが言えるだろう」
「なるほど」
天使と悪魔は対になる存在だ。使える魔法も同じようなもので、基本的特徴は類似している。
「他には何か聞きたいことはあるか?」
「いや、特にない」
平穏に生きられればそれでいい。俺は戦いたくないと伝えたかったが、わざわざ話を掘り返さなくてもいいだろう。
「どれくらい歩くんだ?」
「あと二十分はかかる。傷が痛むのか?」
「大丈夫だ」
傷ならずっと痛い。けれどこの痛みもこれで最後だと思うと我慢できた。もう天使とは一生関わらないで生きると胸に決めていた。とそのとき、遠くに土人のものではない灯りが見えた。
「あれは?」
「仲間だ。普通のメイは天使と直接対峙して戦うことは難しいから二人とも弓士として後方支援を任せている」
Cは取り敢えずは胸を撫で下ろした。ステージの照明を消した弓士達だろう。しばらく歩くとその明かりは徐々に近づき、互いの顔が見えるくらいになった。
一人は若い男だった。ワンと同じくらいの年齢で、恐らく二十代後半。背に長い弓を背負い、腰に据え付けられた矢筒からはいくつか矢羽が覗いている。高身長、短髪で清潔感のある男だった。外見的特徴からも何の変哲もないメイだと分かる。
そしてもう一人は若い女性だった。男と同様の恰好をしており、歳のほどは二十前後だろうか。髪は後ろで結わえていて鋭い眼つきをしている。
「お疲れ様です。リーダー」
「おつ」
男の方が敬礼し、女の方は気の抜けた声音で軽く手を振った。ワンは二人に手を振り返しながら、
「こっちが次郎、こっちがミアだ」
「君が悪魔の混血児か。名前は?」
次郎ははきはきと聞き取りやすい声だった。Cは次郎という男がワンに対して実際に敬語を使っているのを目の当たりにして驚いていた。こちらも敬語で返すべきかとも迷ったがそれも気持ち悪くて結局、
「Cだ」
しかし次郎は土人のように機嫌を損ねることはなかった。
「そうかい。これからよろしく頼む」
「私は弓使い。よろしく」
ミアはこつんと背中の弓を叩いて見せた。男の方とは対照的にどこか気だるげだ。
「……よろしく」
Cはその言葉を絞り出した。収容所ではよろしくなんてすることがないから滅多に使う言葉じゃない。そんな会話の端々にも天使から逃げられたのだと感じられて、Cはそれを少し嬉しく思った。
「さっさと来い!」
そこへ大分先を行くゴンザロの声がかかると、足を止めていた四人は再度歩き始めた。
「君のあの炎、よかったよ。仲間を守ろうとする気持ちが伝わってきた」
道中次郎が気さくに話しかけてきた。
「え?」
「リベラにはそういう人間が必要なんだ。君が無事にここまで辿り着いてくれてよかったよ」
あれは134を守ろうとしたわけではなく殺そうとしていたのだが、それより、
「どこで、能力のことを?」
土人が言ったときは他のことで流してしまったけれどあの瞬間を見ていたというのなら、そしてすぐに弓を引くことが出来る状態にあったというのなら、かなり地上に近い危険な場所のはずだ。
次郎は一瞬虚を突かれたような顔をしたが、誤魔化すわけでもなく言った。
「君の友達を救えなくて、申し訳ない。万が一のことに備えてかなり近くで配信を見ていた」
お前が申し訳なく思う必要もないだろうし、134を救えなかったことを咎めるつもりなんて毛頭ない。むしろCはそんなに天使の近くにいるなんて正気じゃないだろうと思っていた。ただのメイの分際で毎度そんな危険を冒しているのかと。
特に何も返さないのをどう受け取ったのか、次郎は労わるように言う。
「君もかなり疲れているだろう、もうすぐの辛抱さ。リベラは天使の世界よりずっと良い所だよ。みんな協力し合って生きている。俺達は自由で、リベラって言うのはそういう意味さ」
次郎は気障ったく前を向いて話す。都合が悪いわけではないからそれで構わないが、この弓士はいくらか自分について都合の良い解釈をし過ぎている。
「……楽しみだ」
黙っている方が面倒そうだから適当な相槌を返すと、次郎はくしゃりと子供のような笑顔をつくった。
「ああ、楽しみにしていてほしい」
それからも次郎の他愛無い話を聞かされながら、代わり映えのない暗い洞穴の中を歩き続けた。内容は次郎がリベラに来る前と来た後の話だ。興味もなかったから殆ど聞き流した。
時間感覚も距離感覚も大して持っていないからどれくらい歩いたのかは分からないけれど、やがてずっと続く穴の奥に小さくほのかな光が見え始めた。穴に落ちたときと同じような光景だった。その方へワンが目を向ける。
「今奥に見えるのがリベラの基地だ。あそこで俺達112人は生活している」
すると次郎が補足する。
「きっと集落の大きさに驚くよ。あそこだけで自給自足ができるようになっているんだ」
「ああ」
ワンもそんなことを言っていたが、Cは冷静に考えて実際問題地下でそんな風に生活できるだろうかと疑問に思い始めていた。
第一に食糧。112人の命を支えるに足る食糧を地下のみで確保するのは現実的ではない。地下で家畜を育てるのは難しいだろうから、自給自足としているのであれば植物になるはず。けれどそのためには肥沃な土と水、そして日光が必要になる。そのどれもが地下で十分に得られるとは考え難い。
土に関しては土人がいるからどうにかなるのかも知れない。けれど第二に必要なのは水になる。植物を育てるために土中の水分でまかなえたとしても、そもそも人が飲むための綺麗な水が必要だ。日光に関しては全く届かないだろう。
他にも食の問題だけじゃなく、衣と住に関しても難しい。人が増えるたび服や寝床のために地上から何か盗って来なければならないだろう。
「……完全な自給自足が限界があるんじゃないか? 継続的に地上から物を盗って来ないと、いくら便利な機人の道具でも維持できない」
ぼんやりと思ったことを口にすると次郎は目を丸くした。
「驚いた。君は頭がいいんだな」
誰でもこんな風に考えることはできるだろう、
「いやそんなこと――」
ないと思ったけれど、天使によって首輪に繋げられたまま勉強する機会を与えられなかったメイもいる。字も書けないような馬鹿な人間がいることはあの施設もそうだった。問答していて次郎はあまり頭がいい方ではないとCは感じていた。
「そんなことは置いといて、実際は?」
先を歩くワンが答えた。
「Cの言う通り、リベラが色んな限界を抱えているのは事実だ。けど自給自足で言えば、半永久的に可能だ。塩には十分な貯蓄がある。機人の道具は太陽灯だけあれば済む。太陽灯には電気が必要で、その電気は地熱から持ってくることができる。そう考えると発電機も必要だな。機人の道具は基本的に太陽灯と発電機の二つで足りる。食料は畑で育てていて今はそれで充分に回っている。水や空気の循環に関しても問題はない。繊維や衣服や石鹸も十分ストックがあるから、もうしばらくは外から物資を補給する必要はないんだ」
Cは言い方に少し引っ掛かるものを覚えた。
「自給自足で言えばってのは…?」
その質問をした途端、ほんの一瞬ワンは目つきを獲物を狙う獣のように鋭くした。眉を寄せただけかも知れないが、ワンは渋って答えないまま一歩、二歩、三歩とリベラが近づく。ぼそりと言った。
「外敵だ」
「は?」
外敵、つまり――天使。
「ここも安全じゃなかったのか…⁉」
Cは動揺する。ワンも次郎も閉口した。
「安全なわけないよ。ここも天使の国の中だから」
代わりに答えたのは弓士の女、ミアだった。
「地下ならずっと潜って国の外まで逃げられないのか⁉」
「天使が土人の対策をしてないわけない。この都市の外にすら逃げられない」
「……っ」
だから自分が戦力として勝手にここまで連れて来られたのだと理解し、Cは内心舌打ちする。
勿論あの大天使から逃げられたのは良かった。もうあんなに苦痛に満ちた毎日は散々だ。常に天使に観察されていないという点ではここはユートピアだろう。
だがここまで来ても天使から完全に逃れることはできず、それどころか自分はリベラとかいう連中の身勝手な理由で天使達と戦わせられようとしている。
(何がリベラだ…!)
自分達は自由を求めておきながら他人に戦いを押し付けるだけ、とんでもない欺瞞だ。
やがて狭くじめじめとした土穴が終わりを迎えた。
すると想像以上に広く開かれた空間が露わになる。仄暗くて遠くまでは見渡せないほどの広さで、天使の建てたビルより高い天井から月明かりのように淡い光が降り注いでいる。
「……」
憤っていたCも言葉を失うほどに神秘的な光景だった。その人工的な月明りが照らしている畑が眼前一面に広がっている。
(ここが本当に地下なのか…?)
あの施設のように暗くて狭くて息の詰まりそうな住居を想像していたCにとって、それは広大過ぎる自然だった。
そしてそこには帰ってくるのを待っていたらしい二人のメイの姿があり、
「次郎!」
女性の一人が駆け寄ってきた。短髪であどけなさの残る顔立ちをした女だった。
「ベル!」
次郎は飛び込んでくるベルを受け止め、二人は固く抱き合う。『恋人』なのだろう。あの殺伐とした施設にはそんな概念は存在しなかった。
そしてそこにはベルの他にもう一人女性がいた。おろした髪は肩にかかっていて、穏やかな双眸には慈愛を湛えている。
「ワン、おかえりなさい」
豊満な胸の前に祈るように手を組んで、ワンを見上げるようにそっと体を寄せた。
「ただいま。カミラ、彼が新しい仲間のCだ」
てっきり二人も次郎とベルのように抱き合うと思っていたCは、いきなり自分のことを言及されて驚く。ゴンザロの恰幅の良い後ろ姿は既に遠くにあった。
「私はカミラよ。よろしくね、C」
「ああ、よろしく」
ワンのように穏やかな目をした女だった。そこには敵意や害意の欠片もない。
「C、今日はもう遅いから体を洗って食事をとって寝るだけだ。リベラの紹介は明日になる」
「分かった」
大人しくワンの提案に従う。
しばらく歩くと再び通路に入った。すぐに抜けるとそこは畑よりも光が明るく、天使達の用意するステージより遥かに広く、そして何よりCを驚かせたのがそこにいた無数のメイ達の存在だった。
リベラは112人いると言っていたが、きっとその全員がこの場に揃っているのだろう。数多くのメイ達が男女混じって談笑しており、その声と声とが喧噪を生み出している。収容所もかなりの人数がいたが、その誰もが怯えた表情をしていたのに対して、ここにいる人々はそうとも限らず、悲壮的な顔をした人間の方が圧倒的に少ない。
こちらに気付いた者達は老若男女手を振って来る。そんな人々が口々に呼ぶ名が『ワン』だった。そんな人々にワンは笑顔で手を振り返す。それだけリベラの中でのワンの存在は大きいのだろう。
「リーダーは俺達の憧れだよ。俺達を救い出してくれただけじゃない。この地下世界で112人まで増えたリベラを上手く指揮統制できるカリスマがあるんだ」
そう耳打ちしてくる次郎は、ワンに向かって手を振る子供と同じ顔をしていた。
「ワンって言うのは一っていう意味らしいから、俺はその次になりたくて次郎を名乗るようにしたんだ。俺達メイの国ではよくある名前らしい」
どうでもいい情報を聞き流しつつ、だがそこにあるのが歓迎する目だけではないことにCは気付いていた。
一人少女が泣き出した。一人男が眉を顰めた。二人の目が悪魔の角に向かっている。天使に囚われている間にも悪魔との間で何かあったのか、悪魔という存在を恐れている目がCには向けられていた。
(まあ、そうだよな)
分かりやすい悪意にCはどこか安心した。干渉することのない遠目からの悪意は慣れ親しんだものだったからだ。
しかしそれだけではない。ワンに反応を示す人々の中に、気まずそうに無視する者も少なからずいて、Cの目にはそれが異常に映った。
皆が皆、ワンをリーダーと崇めているわけではないのだろう。