第5話 リベラ
「悪魔ってえのは何考えてるかよく分かんねえ種族だな。見た目もゾンビみてえだ。こりゃ何の角だ?」
土人はCのつぎはぎで血色の悪い皮膚に眉を顰め、頭に生えた小さな角に嫌悪感を示す。Cは土人は不躾な種族なんだなと思いつつ、しかし天使から助けてくれた恩人ではあるし、不興を買って敵対するのもよくないと判断する。
「彼はクオーターだ。殆どメイと変わらない」
獣人は土人を止めるようにそう言って、Cに手を差し出した。
「一人で歩けるか?」
「……ああ」
Cは逡巡してからその手を重ねた。獣人は深い意味を持ってそれをしているわけではないだろう。
土人はすぐに興味を失ったように壁に埋め込まれた灯りを回収し始める。
「こっちだ」
獣人が先頭を歩き、Cも水滴を垂らしながら続く。
見たところ何の変哲もない地下空間だ。ただ穴を掘って土を固めただけで、何の飾り気もない、湿った土の臭う土の中だった。
細い道に入ると獣人は足を止めて後ろを振りむいた。
「俺の名前はワン。獣人のハーフだ」
「ワン…?」
「天使がそう名付けたんだ。でもこの名前は意外と気に入っている」
Cは天使に付けられた名前を気に入るなんて珍しい奴もいるものだと思ったが口にはしなかった。
「メイの国じゃ犬はワンと鳴くらしい。犬は知っているか?」
「……ああ」
Cは直接には犬を見たことはないが本で見たことがあった。その鳴き声がガフガフやバウワウなど国によって違うとも書いてあった。するとワンは苦笑した。
「俺は虎族なんだがな。メイの血が半分でも入っていれば十分に天使の差別対象になる」
(半分…)
あの尋常ではない強さからてっきり純粋な獣人だと思っていた。本物はもっと獣っぽくなるのだろうか。Cは天使のことはあらゆる手段を用いて調べ尽くしたが、他種族については詳しくない。
「それで彼が土人のゴンザロだ」
「ハーフか?」
遠くで歩く男もワンと同じように半分はメイなのかと尋ねると、ワンは否定した。
「いや、彼は純土人だ。十年前の戦争で天使の捕虜にされてから実験体として囚われていた」
Cは眉をひそめた。終戦して半年も経たないうちに捕虜は故郷へ帰ったと本で読んだ。
「捕虜は送還されたってのは?」
「国際法が適用されない捕虜もいる。死んだと発表されるんだ」
「なるほど」
天使の悪辣さを考えればそんなことが横行していてもおかしくない。天使と土人も決して相いれない間柄だ。ただ、天使とメイ以外の種族は対等な関係にあることから、土人を虐げることを目的としているのではなく、次の戦争に備えた研究のためだろう。土人の能力や人体構造を知り尽くせば土人に対して有効な殺し方が分かる。
土人は一つ手に持っている灯り以外を消して荷物にしまった。土人のただでさえ横に広い体よりも大きなリュックサックだ。そして次に地面に手をつくと、その瞬間暗い地下空間の土壁が崩れ始めた。その規模は地下への穴が開いたときの比ではなく、空間全体が緩やかに崩壊してゆく。
(土人の魔術はここまでできるのか…!)
土人は物質を操る『魔術』を使える。天使や悪魔が扱うのは『魔法』であり、『魔術』とは異なる。天使には階級により使える術が生まれつき決まっているのに対して、土人という種族には固定された位階が存在せず才能と努力によっていかようにでも新しい術の習得が可能だ。魔術には他個体にも理解可能な術理が備わっている。
土人の力によって土壁は水を吸うスポンジの様にゆるやかにその体積を肥大化させ、すると津波のような勢いでどっと溢れた。
「……っ⁉」
離れた場所にいてもCがその轟音に身の危険を感じた一方で、ワンは穏やかにそれを待つ。
そして土砂が土人の目前まで迫った瞬間に、その動きをピタリと止めた。土は意思を持って蠢き、そこで固まると新たな土壁を作った。明かりを持つゴンザロは待っている二人を追い越しざまに悪態をついた。
「おいおい悪魔ってのは敬語も使えねえのか。最低限の礼儀だろうが」
「いやいい。難しいことはあとにして今はリベラに戻るべきだ」
Cは大人しくワンについていく。土人の強力な魔術を目にしたあとでは、ここが土人のテリトリーであり、ここでは全く自分に分がないと悟った。
とは言え敬語が最低限の礼儀だという話には驚いた。メイが天使への服従を示す言葉なのだと思っていた。
「お前の名前はどうする?」
ワンにそう聞かれ、Cはしばし考える。ワン達は色々とこちらの素性を知っているらしいとは、その質問の仕方で分かった。Cとはただの符号であり、Cというのはあの収容所での三番目の混血という意味だった。
何か代替する名前を考えてみるけれど、特にこれといったものは浮かばない。身近な名前は殆ど数字だったし、そもそもたかが名前には頓着がなかった。
「……Cだ」
「そうか、これからよろしく頼む」
粗っぽい土人に対してワンは友好的だった。
「それで今俺達が向かっているのはリベラの中心になる。他のメンバーはそこで生活している。何か聞きたいことはあるか?」
「俺は、これからどうなる?」
敬語を使うか使わないか迷ったけれど、天使に向かって使う言葉には抵抗があった。
「自由だ。どこに行っても構わないが、きっとリベラで暮らすことに――」「違うだろうが」
土人ワンの説明に割って入る。その言葉には不機嫌さが滲んでいる。
「C、お前は戦うんだよ。お前は悪魔の炎を使える。だから俺達は助けた。俺達がリスクを冒してまでお前を助けたのはお前に価値があったからだ。だからな、お前は戦わねえとただのゴミなんだよ」
「戦う…?」
Cの背筋を冷たい汗が伝った。
「ゴンザロ」
「ワン、お前もお前だ。甘やかしてもロクなことにならねえってのはお前もよく知ってんだろ。適当なことを言うより最初から本当のことを話した方がいい」
ゴンザロはワンを制すと足を止め、Cにずいと身を寄せた。厳めしい髭面が眼前に現れる。
「いいかC、他のメイが死んでお前だけが生きているのはお前が戦力になると判断したからだ。お前が大衆の前で悪魔の力を見せちまったから前々から組んでいた計画をおじゃんにしてまで助けねえといけなくなった。あの収容所の仲間を助けることができなくなっちまった。その意味がお前には分かるか?」
「……」
話が早すぎてついていけなかった。
整理すると、もともとあの施設のメイ全員を助ける計画を組んでいたが、自分が悪魔の力を曝してしまったことで、その計画を白紙にしてまで助けることになった。そしてその理由が、自分が悪魔として天使と戦う戦力になるから。
あのままだと天使に殺されていて、それがこいつらにとっては勿体ないことだと判断したらしい。
「おい、俺はお前に分かるかと聞いた。今お前がするのは首を振ることだけだ」
ゴンザロは有無を言わさず迫ってきた。
「話は分かった」
けれど、百の他人の命よりもたった一つの自分の命の方が大事で、その他人の命が千でも万でも億でも変わらない。
「なら戦え」
リベラに住む人間は特殊なんだろう。少なくともあの施設では、自分のために生きられない奴から死ぬ。他の誰かを蹴落としてでも生きて行かなければならなかった。誰かのために戦う余裕なんてないし、ましてや天使を相手にするなんて、あり得ない。
(他の奴らなんてどうでもいい…!)
どうやら奴らは戦力になる自分を殺せない。それにワンという獣人は『優しい』人間のようだから、万が一の時は助けてくれるだろう。
土人の巌のような顔面より、天使の血の通っていない白い顔の方が怖い。そう言い聞かせてCは汗を拭い、震える声音でゴンザロへきっぱりと告げた。
「……戦わない、がっ⁉」
土人は途端にその腕で胸倉を掴み上げてきた。強い衝撃で息が詰まる。だが、
「ゴンザロ。手を離せ。説明の段階を飛ばし過ぎている」
ワンが腕を掴むと、土人は舌打ちをしてからその手を離し、Cは投げ出された。むせるほどではなかったけれど、息は大きく乱れた。土人はよっぽど短気な人間らしい。
「俺達の目的は戦うことじゃない。仲間を助けることと、天使から逃れることだ」
ワンの言葉を最後まで聞かずに土人は肩を怒らせ先へと進む。Cはワンの手を借りて立ち上がる。
「まだいいんだ。天使はトラウマになっているだろう? まずは新しい環境に馴染むのが先決だ」
ワンは労わるように言葉をかけた。
なんにせよせっかく天使から逃れられたというのに自らその巣窟に入り込むなんて馬鹿げている。想像するだけで足が竦む。それは死にたがりのすることで、俺は死にたくないんだ。