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C  作者: 八瀬研
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第4話 不運

 強化ガラス諸共吹き飛ばし、爆発で何も見えなくなる。


(どうなった…⁉)


 煙と湯気と砂埃がゆらゆらと立ち昇り、その向こうにいる134と大天使の姿は見えない。趨勢を見極めようと誰も言葉を発することができない。


 だがCは背筋にちくちくと嫌なものを感じていた。火球が直撃する瞬間、134への攻撃の手を止めた大天使の周囲に眩い電撃が走るのを見て、バチバチと空気が破裂する音を聞いたのだ。


 徐々に視界は晴れて人影が露わになると、Cは戦慄した。


(無傷…⁉)


 先ほどのように異常な速さで再生したのか、それとも別の力で防いだのか、大天使は確かな足取りでこちらへ真っ直ぐ歩いてくる。これまで見たことのない鬼のような形相でこちらを睨みつけていた。


「ひっ…⁉」


 Cは体が竦んだ。Cは自分がしでかしてしまったことに気が付いた。会場は痛いくらいの沈黙に包まれていて、耳鳴りがしてくる。

 天使達の目はみな一様に外敵を見るものに変わっていて、体中から冷や汗が噴き出す。『業火』の力を見せてしまったことで、天使達は悪魔のクオーターである自分をメイではなく悪魔と認識したのだ。


(――殺される)


 今まで受けていた視線はただの悪意だった。自分よりも下等な存在を見下して嘲笑するだけだった。

 しかし天使達の中で笑っている者はもはや誰一人おらず、しんと静まり返った場内は一歩でも動けば殺されるのではないかと思えるほどに緊張が張り詰めていた。

 枷が焼け落ちて自由になったCは立ち尽くす。


 大天使の右手が青白くバチバチと弾ける、そのときだった。突然いくつかの照明が消えたと思えば、一瞬のうちに会場内を暗闇が支配した。


(なんだ…⁉)


 ひゅんと風を切る音がした方を見れば、一本の矢が月明りに照らされている。


「『誰だ』」


 大天使が問うと、舞台の真ん中に一人の男が立っていた。


(どこから現れた…⁉)


 その男は沈黙し、大天使の『預言』には答えなかった。


「……」


 肌の色は天使の無機質な白とは異なる褐色。武器の類は何一つ持っておらず、隆起する筋肉がその男の屈強さを物語る。両腕に薄らと黒い筋が走っていて、その男に生えた獣の耳と尻尾は何よりも特徴的だった。


(……これが獣人か)


 天使の『預言』が効かなかったのはそのためだろう。

 大天使がおもむろにその獣人へと指先を向けた。右手は青白くバチバチと弾け、それが何をしようとする構えなのかをCは知っていた。

 どんな天使でも行使することが出来る基本的な四つの権能がある。それは『預言』『聖光』『飛翔』、そして『迅雷』。


 『迅雷』とは天使の有する電気を操る力で、神の力を借りた稲妻は何よりも疾く駆け、一瞬にして相手の命を刈り取る。


「逃げ――」


 Cが逃げろと伝えきる前に、大天使の指先から放たれたいかづちが轟音を立てて獣人を襲った、


「――っ⁉」


 はずだった。獣人が立っていたはずのそこには、既に誰の姿も見えない。

 ゴンと鈍い衝撃音が聞こえたと思えば、そこには戦鎚の柄で辛うじて獣人の拳を防ぐ大天使の姿があった。しかし大天使は獣人の凄まじい膂力に客席まで吹き飛ばされる。


「なっ…⁉」


(獣人はあそこまで度が外れた身体能力を持つのか…⁉)


 確かに獣人はこの世界の八種族のなかで最も身体能力の高い種族とされているが、メイの限界をここまで大幅に上回っているなど信じられない。


(この獣人なら大天使を殺せる…⁉)


 そして次の瞬間にはCの腹に鈍い衝撃が走った。


「……え?」


 Cは間抜けた声を上げる。気付いたときには獣人の肩に担がれていたのだ。その獣人は壁を蹴るようにして、目に追えないような速度で駆け出した。

 Cは問いかける。


「誰だ…?」


 獣人の国も天使と敵対しているが、敵の敵だからと言って味方とは限らない。


「それは後だ」


 獣人はメイには到底不可能な機動で、ドーム状に反った外壁を手足を駆使して鉄骨を駆け上がる。足元を見ればいくつもの天使の輪が輝いていた。天使が『飛翔』の能力を使おうとしているのだろう。だがそれでも追いつけないようなスピードで獣人は駆けた。ここから逃げ出そうとしているのだと理解したCは、134の姿を探す。


 獣人が跳び上がる度に浮遊しているような錯覚を覚えながら、その一瞬に眼下に見える一つの小さな肉塊はその両足も隻腕もひしゃげていて、赤い血だまりを広げている。何人もの死に様を見てきたから134が確実に死んでいるのは分かった。


「あいつは⁉」


「死んでいる」


「……。……よかった」

「喋るな。舌を噛むぞ」


 元より殺すつもりで力を使ったのだ。死ななかった大天使が異常なだけで。


(死ねてよかったな…)


 Cは肩に担がれながら、見えなくなるまで慈しむように134の死骸を眺める。


 五年前、134は外部から連れて施設に来られたメイだった。他の天使に飼われていた父母が子作りをさせられて産まれたらしい。十年ほど育てられた後に売りに出されたと。


 昔から全く変わらない奴だった。何が面白いのか全く理解できないようなタイミングで笑い出す。134が楽観的だったのかと聞かれればそうという訳でもなく、天使に支配されているメイは例外なく皆悲観主義者だ。


 死ぬことを恐れ、生きることを恐れ、痛みを恐れている。


 だが死んでいった奴のなかでもあいつだけは違う思考回路をしていた。どんなことがあっても次の日には全て忘れたようにけろっとしていた。無論忘れたわけではなく、気持ちを切り替えたのだと言っていた。痛みを忘れることなど誰にもできないはずだ。

まともじゃない。

 いやむしろ、まともじゃないこの世界であいつだけが唯一まともだったのかも知れない。


(でもお前だって死にたくなんてなかっただろ…?)


 誰だって好きでこんな世界に産まれてくるわけがない。俺達はクソみたいな天使に苦痛を強いられて、虐げられて、自分がしたいこと全てがその苦痛から逃れることになる。けれどそれは叶わないことで、何も成しえないまま俺達はただ死んでいく。


(天使全員ぶっ殺せないまま死んで、残念だったな…)


 いくら生きることが最低でも、死にたいと思うことがあっても、俺達全員本当は死にたくなんてなかったんだ。

 こんなクソッたれた世界から決別できた134を祝う気持ちなどCには欠片もなく、死ぬべきではない人間が死んでしまったことが悲しくて、一筋の涙が頬を伝った。


 134はあの世界を変えられた唯一の人間だっただろうから。


 獣人はオープンステージから壁を跳び越えて宙へ躍り出る。

担がれたままのCは風を切るごとに頬の裂傷はひりひりと刺すように痛み、駆けるたび抜かれた奥歯が鈍痛を訴えた。

 しかし生まれて初めて収容所とステージ以外の場所を目にしたCは絶句した。


「――」


 夜の帳が降りた世界で水平線の向こうまで光の粒が天の川のように密集している。それらは無数に林立する高層ビルとずっと先まで広がる家々の見せる夜景だった。

 街灯が煌々と照る歩道は人の往来が激しく、ステージに到底収まりきらないくらい、気が遠くなるほどの天使達がそこにはいた。


 Cは背筋が凍った。この世界には何百億もの人間がいることは知っている。天使のみならば十年前の文献によるとその人口は二十億人以上と記述してあった。


(……世界は、こんなにも広かったのか)


 知らなかった。高い塀に囲まれて、光を通さない天井に覆われたあの施設が自分にとって世界の全てだったのだから。


 この国にいる天使全員、メイの敵ということだ。メイは天使には敵わない、どこにも逃げられやしない。


 それなのにこの獣人は一体どこへ行こうというのか、獣人の顔を見れば存外優男の顔をしていた。顔は体毛に覆われておらずメイと同じ褐色の肌で、一番にそのオッドアイが目を引いた。向日葵色の右目は顔の造形に馴染んでいるが、竜胆色をした左目は、アメジストのように妖しく光を放っていて違和感がある。


 などと考えた瞬間に、重力に引かれたCは自由落下。獣人は地へ向かって真っ逆さまに落ちてゆく。


(死ぬ⁉)


 周囲のビル群には及ばないとは言え、ざっと三十メートル以上ある。メイなら落ちて余裕で死ねる高さだ。凄まじい速度でコンクリートの地面へと肉薄し、がっちりと担がれたままのCは、


「どうすんだよ⁉」

「安心してくれ」


 だが激突してミンチになるのではないかと思われたそのとき、突如地面が隆起した。


(土人の魔術⁉)


 物質の形状を操る『魔術』を扱える種族、こんな芸当ができるのは土人を除いてはいないだろう。

 獣人はそのまま大口を開けた地面に飛び込んだ。暗くて殆ど見えないが、地中のずっと奥まで通路が続いているのが分かった。


 コンクリートとその下の地面は意思を持っているように口を塞ぎ、Cは浮遊感のまま落下し続ける。今度は地上の光も一切届かず、足元の見えない恐怖を抱く。


「どこに行くんだ⁉」


 だがCは落下していく遠くその先に小さな穴から光が漏れているのを見つけた。獣人が土穴の壁に爪を立てると落下速度は僅かに減速し、先に見える光は徐々に大きくなってゆく。


「ここが天使から逃れるための洞穴で、俺達はその組織、『リベラ』だ」

「天使から、逃れる…⁉」


 細く長い土穴を抜けると、広がっていたのは明かりの灯る地下空間だった。土壁に電灯が埋め込まれた味気ない場所で一つの灯りを持った人影が一つ見えた。文献で読んだ特徴と同じで、ずんぐりむっくりという言葉がピッタリの低身長かつ肥満体型。


(……土人だ)


 ふと目下を見ると水が溜まっていた。


「えっ――」


 次の瞬間ざぶん。二人は水溜まりに飛び込んでいた。Cは天使に溺れさせられた経験はあれども泳いだ経験などなかった。パニックになりながら水中で藻掻く。そうしていると獣人に手を掴まれ、なんとか浮上した。


「ぶはっ。はっ、はっ、はっ」


 引きずられるまま地面へ退避し打ち上げられる。


「大丈夫か?」

「こいつが本当に悪魔なのか?」


 心配そうに窺う獣人と、濁った太い声で訝しげな視線を向けてくる土人に囲われる。

 Cは気管に入った水を吐き出し息を整えながら、


(そうか、俺は逃げ切れたのか…⁉)


 獣人のその目を見ていよいよ自分が生き延びたことを実感する。獣人のように他人を気遣う目なんてものを見たのは何年ぶりだろう。あの施設には他人を気遣えるような奴はいない。そういう奴から死んでいくのだ。

 自分は、自分だけは天使から逃げられたんだと、堪らなく嬉しかった。産まれ堕ちてからずっとこの身を縛っていた枷がこうも一瞬にして消え失せるなんて、まるで夢みたいだ。

 虐げられ続ける日常からおさらばできた、そんな喜びが沸き上がってきたCは、


「あっはっはっはっは! あっはっはっはっは!」


 唐突に笑い出した。


(あともう少し耐えていればお前も助けられたのになあ!)


 あのとき大天使の目を潰さずに、あとほんの少しだけ痛みに耐えていれば助けが来たというのに、なんて運が悪いんだろう。


「あっはっはっはっは! あっはっはっはっは!」


 この世界で生き残ることができるのは自分のことだけを考えられる奴だ。だから、俺はただ自分が生き延びたことだけを喜べばいい。


 しかしあいつの真似をして笑ってみても、疲れるだけだった。


「あっはっはっはっ、はあ…」

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