第19話 子供
ワンが帰還してすぐに天使達が待ち伏せていたことを全員に話さなかったのは、恐慌に陥ってしまう可能性が高いと判断したからだろう。天使がこちら側の動きを把握しているのかも知れないのだから。
すぐに再度地上へ向かう。Cはくたくたに疲れていた。
「どうして通話しないんだ」
「盗聴される危険があるからあまり深いことが話せない」
「位置情報は?」
「アナスターシャは通話機能以外搭載していないと言っていた」
「そうか…」
だがどんなに疲れていても、真相を知るために立ち会わないわけにはいかない。ワンが留守にしている間、土人と森人が待機して警戒にあたっている。
森人は離れた位置にいても人間の有する魔力を感知することができるため、何かあればすぐに連絡できる。それで土人が天使の接近を知れば、土人のテリトリーである地中ならいくらでも対処できる。
やがてコンクリート壁に嵌め込まれた鉄のドアに行き止まる。ワンがそれをノックすると、向こうから「はーい」と間延びした返事が来た。ドアノブを捻る。
無数の電子機器が駆動する、生活感の少ないやけに白光の明るい部屋の中、一つだけ置いてある椅子にその天使は腰かけていた。
「何か分かったか?」
ワンが訊くとアナスターシャはかぶりを振った。
「何も。こんな都心に地下1キロより深く探査できる機械なんて持って来れないもの。運んでこられたとしてもすぐに知れるじゃない」
大天使の色のない虚ろな目が細められた。
「でもまあ、一番怪しいとしたらフィン君とイルゼちゃんじゃなぁい?」
「……」
「は?」
ワンは黙り込み、Cは首を傾げた。
「二人が来るまではそんなこと起きなかったんだから、普通でしょ?」
天使はピンクの舌で色の薄い唇を舐めた。するとワンは口を開く。
「体内に不純物はなかった。魔術的な影響も見られない」
「二人は主天使様の秘蔵っ子だったもの。迂闊だったのよ」
天使は悪びれることなくにへらっと笑った。ワンは眉を顰めたままだった。
「もし主天使の能力にかかっていたとして、それを解除できるか?」
「ム・リ」
「……すまない」
天使は自分より階級の高い存在には逆らえない。むしろよく情報提供をできるものだ。二人の土人を連れ去ることは、間接的に主天使の財産を奪うことに等しい。
「んま、発見することならできるわ。……多分」
Cはどんどん進んでいく話合いの確認を取る。
「お前達の知らない天使の能力が二人に使われているかもしれないってことか?」
ワンは頷くと大天使を真っ直ぐ見据えた。
「頼む。リベラに来てくれ」
「リベラ行っていいの⁉ やったぁ!」
場違いに喜ぶ大天使を横目に、Cはワンに詰め寄った。
「百パーセントそれだろ。他の可能性は殆どないってことが分かってるなら、それしかないだろ…⁉」
「まだ確定はしていない」
「どうすんだよ、フィンとイルゼを…」
こうなってしまっては他に原因は考えられない。二人がリベラにいる限り、リベラは危険に晒されてしまう。
Cが言葉を選んでいると、ワンはCが言おうとしていることを振り払うように言葉を次いだ。
「まだ何も確定していない。彼女が冗談を言っているだけということもあり得るだろう」
「……捨てるしかなくなるだろ」
Cは言葉を飾らないように正直に言った。ワンの瞳の中で何かが微かに揺らいだ。
「……最悪、隔離する」
「それが見捨てるってことだろ…」
「そのときになってから考えよう」
ワンは苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「ほら二人とも遅ぉい!」
「そんなに走ると危ないぞ。天使は夜目が効かないだろう」
ワンに注意された大天使はにっこりと笑った。
「んま、もし本当にリベラ場所がバレてたら全部終わっちゃうでしょ? 今までどこにあるかも分からなかったから下手に動けなかったけど、特定されてからは一瞬よ? 私達の国は法律が絶対だもの」
「分かっているとも」
「じゃ、走るでしょ? ワン」
天使はだっこしてくれと言わんばかりに立ち止まって手を広げた。
「……そうだな。すまないがC、先を行く」
ワンはCへとライトを手渡してから、天使の前にしゃがんだ。天使は愉悦の表情でその背中に足を乗せた。
「アナ、時間がない」
「ああんつい⁉」
アナは大人しく背負われてワンは立ち上がる。
「うふふふふふっ。おんぶされるなんて何十年ぶりかしら。ワンの筋肉すごぉい」
「舌を噛むから気を付けてくれ。それじゃあC、また後で」
「おお」
返すとワンは軽やかに跳んでいった。一瞬にしてその後ろ姿は見えなくなる。
(なんだあいつ…?)
Cはアナスターシャのことを量りかねていた。あの態度だ。もしかすると彼女が裏切ったのではないかとまで考えている。
だが一方で、そうとも見えなくなってしまうことがある。
大天使はリベラの他の住民から見つからないように、遠目から森にいる土人の少年少女を矯めつ眇めつ眺める。暴走しないように後ろ手をワンに押さえられながら。
判断を下すまでの間が酷く長く感じられる。
(……もし本当に二人が天使の能力にやられていたら、どうするんだ?)
どんな能力かはまだ分からないが、確実に位置が割れてしまうものではあるだろう。
そうなれば、二人の子供を捨てることになる。勝手な都合で拾ってきた奴らを、勝手な都合で見捨てる。
なんて迷惑な話だろう。
嫌なことばかり誰かに押し付ける。戦わせて、いらなくなれば排除する。
(もうそんなのは、やめてくれよ…)
そのとき、ついに天使が息を吸い込んだ。
「分からないから直接触らせて?」
「……呼んでこよう」
ワンはフィンとイルゼの方へと向かった。Cはアナスターシャのことを胡散臭く思い尋ねる。
「触ったら分かるのか?」
「ワタシの『預言』は特殊だから、触れればメイ以外でも言葉は届くの」
「だからなんだよ」
知られざる貴重な情報だが、それと触れることでフィンとイルゼが主天使の能力にかかっていると判明することの関係が分からない。
大天使は笑みを浮かべた。
「ええ~! Cはそんなことも分からないのぉ~⁉」
その双眸に浮かぶ軽蔑の瞳に、Cは反射的に身をすくめた。
「上の階級の能力を上書きはできないから、もしあの子達が何かの能力で支配されていればワタシの能力は効かないってこと」
だがアナスターシャは他の天使とは異なり、しっかりと返事が返ってくる。それどころか説明まで付いてくる。
「お前が全部仕組んだんじゃないか? ザドキエルの管理下にある二人の救出を提案したのはお前だ」
その真意を確かめようと、Cは問うた。だが大天使は、嗤った。
「そんなわけないでしょう? せっかく立ち上げてこんなに大きくしたリベラなのに。三年の結晶なんだから」
圧倒的、軽蔑。その口角が吊り上がっているのを見てぞっとした。Cは殆ど本能的に睨み付けた。
「それを楽しむのがお前らだろうが! 自立する力を持ち始めたから殺すんだろ…!」
「うふっ。うふふふふっ。うふふふふふふふっ」
年老いた大天使も時々こうして笑っていたのだ。それは大抵、メイが死ぬときだった。
聴衆も笑う。何も面白いことはないのに、誰かが苦しむ様を見て笑う。
「どうしたんだ?」
ワンが戻って来た。
「うふふふふふふっ、うふふふふふふふっ、なんでもないの。うふふっ」
「「――」」
ワンが連れて来たフィンとイルゼはそんな天使を見て唖然としていた。天使がいることの方に驚いているのだろうが。
Cはますますアナスターシャの考えていることが分からなくなった。口車に乗せられつい怒ってしまったのを自覚する。
大天使の言動はあえて挑発していたようにも思える。
(何がしたいんだ…?)
やがて笑い止んだ天使はようやくまともに喋る。
「ふう、アナタ達があのザドキエル様が作っていた土人ちゃんね。違和感ないわぁ」
「は?」
関心したような口ぶりだった。天使は茶目っ気たっぷりに言う。
「機人の人間クローン技術と遺伝子組み換えの応用よ。ノエルちゃんと同じ」
「……っ⁉」
Cが驚く一方で、フィンとイルゼは何を言っているのか分からずぽかんとする。
「そんなことは置いといて、少しいいかしら?」
「ひっ⁉」
大天使が歩み寄ると、イルゼは腰が抜けたように尻もちをついた。大天使は気にせず笑みを張り付けたまま近づくと、イルゼの目からは涙が溢れ出す。だが間に割って入るようにフィンが立った。
「と、止まってください…!」
震えているその肩に天使は手を乗せた。
そっと、舐めるように、耳元に口を寄せて、
「『どいて』」
吐息がかかるほどの距離で囁く。刹那、天使の中で魔力が胎動した。
「……っ⁉」
フィンは何が起きているか分からないまま、天使の手を振り払い、その場を動かないまま、天使を警戒する。
しかしそれを目撃したワンとCは何が起きたのかを理解していた。天使は肩を竦める。
「ビンゴ」
アナスターシャの能力が通じなかったということはつまり、フィンが大天使よりも上位の天使の能力の影響下に置かれているということだ。
先の作戦の失敗は、位置が天使達によって割れていた原因は、フィンだった。
「イルゼは⁉」
ワンが指摘すると、天使は怯んだフィンをかわし、イルゼの涙を拭うように頬を撫でた。
「『立って』」
「……え?」
イルゼもへたり込んだまま動かない。
「残念だけど二人とも、ザドキエル様に『支配』されているわ。今日地上に出られなかったのもきっとそのせい。二人の位置が知られているから、リベラの位置も把握されてる」
天使は唇を濡らし、冷酷に目を細めて、容赦なく言い放った。
「死ぬしかないわね」
「……っ⁉」
フィンは目を見開いた。ぎこちなくこちらを振り返る。
「Cさん…、僕…、僕は、リベラを助けたくて、ひっ…、みんなを助けたくて…、Cさん…」
フィンはやはり聡い子供だった。今の少しの話でこの大天使が何を言っているのか理解したのだろう。しかしイルゼは何が起きているのか分かっていないように茫然としている。
フィンは懇願する。
「知らなかったんです…! そんな…、僕たちが、僕たちのせいで、みんなを危険な目に合わせてしまうなんて…!」
その声は途中から泣いていた。嗚咽が入り混じり、苦しそうだった。自分に何かを求めているのだと流石のCも分かった。
「……ぁ」
だが、Cは何も言ってやることができなかった。
なんと声をかければいいか分からなかった。
こうなってしまった以上、見捨てる以外に選択肢はないのだから。
言葉を取り繕うこともできない。嘘で慰めることもできない。
死ぬしかない。
「死なない!」
「……っ⁉」
ワンが叫んでいた。
「安心しろ! 俺が二人を守る! リベラが二人を守る! 絶対に死なせない!」
無根拠で、あまりにも現実の見えていない言葉だった。Cが背後を振り返ると、
「……っ⁉」
「ワン…、お前…」
ぽつぽつと地面を濡らしながら、ワンはフィンとイルゼの元へ歩み寄る。そのあまりにも哀れな姿に、Cはワンを止めることができなかった。
「死なせない…!」
ワンは震えるフィンとイルゼを強く抱き締めていた。
「ワン…」
次郎が死んだときも、ワンはこんな風に泣いていた。
自分の無力さを認めるように、全ての残酷な運命に打ちひしがれるように、子供のように。




