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C  作者: 八瀬研
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第18話 異変

 朝九時。リベラを出立し、ひたすら続く真っ暗な坂道を登る。


 作戦決行時刻は昼の十二時となった。夜半忍び込むより、日中の方が隙が多いとアナスターシャが判断したからだった。


「ここらへんの土は三日前に僕達が固めたんですよ」


 フィンとイルゼも同行している。ゴンザロが連れて来たのだが、かなり緊張しているらしく自慢するその声ですら震えている。地中にいるだけなんだから肩肘張る必要もないだろう。

 Cは世辞でも誰かを褒めるような殊勝な性格ではない。


「やるじゃん」


 代わりにミアがぱしっとフィンの背中を叩いた。子供には優しい性分らしい。

 土を踏む足音と呼気が響く穴の中で、ふとワンが足を止めた。


「おい、どうした」


 問うとワンはライトを取り落とし、片膝をついた。先を歩いていたゴンザロもそれに気付いて足を止めた。ゴンザロにライトを向けられたワンの体には玉のような汗が浮かんでいて、その息は荒い。


「はっ、はっ、はっ…」

「ワン⁉」


 ミアは焦ったようにしゃがんでワンの様子を窺う。


「よくある、発作だ…。はっ…、珍しいことじゃ、ない」


 ワンはそう言うが、普段から弱みの一つも見せないリベラのリーダーがここまで憔悴しているとなると、皆この事態が尋常でないと理解せざるを得なかった。

 Cはワンがもう長くはないと言っていたことを思い出す。だが、まさかもうここまで酷い状態になっているとは思わなかった。少し前までは何ともなかったはずだ。


「ワン⁉ 何が、起きてるの⁉」


 長い付き合いからか、ミアはその場の誰よりも狼狽えていた。本当に何も知らないようだ。するとロレンツィオが近づいた。


「魔力の暴走が起きている」


 森人はワンの肩に手を置く。周りも誰も何もできないまま、しばらくするとロレンツィオは手を離した。ワンの呼吸は落ち着き、感謝を告げる。


「あぁ、助かった。ありがとう」

「お前、どれくらいもつんだ」


 Cが問うとワンは苦々しげに顔を顰めた。


「……」

「三週間」


 代わりにロレンツィオが答えた。ゴンザロが喉をうならせた。


「てめえ、これを知っていたのか…?」

「……」


 ロレンツィオは目を合わせようとせず、だんまりを決め込む。


「無視すんじゃねえ!」


 ゴンザロは胴間声を荒げた。狭い空間に響いた大音声にイルゼが小さく悲鳴を上げた。フィンも同様に身をすくめた。


「どうして黙っていた! こいつはとんでもない事態だ! リベラは終わるぞ!」

「話していただろう。俺は元々二年程度だと」


 ゴンザロはワンの胸倉を掴み上げた。


「三週間は短すぎんだ! もう少し事前に話せたろうが! お前はリベラの要だぞ⁉ 自覚あんのか⁉」

「そ――」


「お前が消えればリベラも消える!」


 ゴンザロは鬼のような形相で吠えた。Cは初めてゴンザロの言い分に同意する。リベラに来て一か月、ワンの調整でここの共同生活が成り立っていることはよく知っていた。皆ワンに助けられ、ワンに協力することを誓う。悩みがあればワンは親身になって相談に乗る。誰よりも他者を大切にする。それがワンという男だった。

 ワンには圧倒的なカリスマがある。他に相応しい人間などいない。


「後任はCに任せてある」

「は?」


 突如引き合いに出される自分の名前。


「……っ⁉」


 ミアは信じられないと言わんばかりに振り返り、ゴンザロは言うまでもない。


「こんな人望のねえ奴が纏められるわけねえだろ⁉」


 腹立たしいが、全くその通りだった。人に何かを望むことも望まれることも無い。


「少なくとも、カミラとユーゴは協力する。俺に不信感を抱いていた仲間であってもCになら協力できる」


 Cはこれ以上ワンに言わせないように反論する。


「ワン、俺は断った。それを言うならベルやルイーズやロビンの反感を買うだろ」


 ベルは次郎の彼女で、次郎が死んだのを自分が戦わなかったからだと思い込んで恨んでいる。ルイーズは直接話したことは一度も無いが最初から嫌っていて、ロビンも勝手にずっと敵視している。

 だがワンは話を聞き入れない。


「それはCが戦わなかったことに起因するものだったが、今や利害は一致している。利害さえ一致していれば、心の問題はいずれ――」


「それよりてめえだ! その目ん玉ほじくり出せば治んのか⁉ あ⁉」


 ゴンザロがワンによって変えられた話題を元に戻す。怒り心頭に発している相手に対しても、ワンは冷静にどうにもならない現実を答える。


「無理だ。今はとっくに限界を迎えた体を魔力が動かしている状態だ。魔眼を失えば、俺は死ぬだろう」


 我が身の変わりなどいくらでもあると、まるで頓着しない。


「魔力にそんなことはできねえ! 万能じゃねえんだ!」


 ゴンザロに揺さぶられるワンの、魔眼のあるはずの左目は長い前髪がかかって見えない。


「魔眼を構成しているのは魔術じゃない。魔法だ」


 魔術には理が存在するが、魔法は原理が解明されていないという意味だろう。ワンは正面からゴンザロを見据え、潤んだ瞳で訴えた。


「話さなかったことは謝る。不安にさせたくなかったんだ」

「てめえの気持ちはどうでもいいんだよ! 一人の判断で俺達の命はどうとでもなんだよ! 情報の伝達は基本だろうが!」


 ゴンザロに胸倉を掴まれ、睨まれたまま、言い返しも弁明もせず、ワンは強い意志のこもった瞳で受け止める。


「仲間でしょ…?」


 呆然とミアが呟いた。その声も狭い通路の中ではやけに大きく響き、ワンは目を逸らした。


「……そうだな」


 罪悪感か悲壮感か。ゴンザロは掴んでいたワンの胸倉を放った。


「カミラはどうするの」


 ミアは縋るように問いかける。


「……」


「リベラはどうするの…?」


 ワンは顔を上げると、その陽の色をした右目に確かな強さを湛える。


「助けるよ。必ず」


「……っ」


 それきり、誰も言葉を発することはなかった。

 やがて誰からともなく再び歩き出したが、沈黙は続いた。




 歩き続けて半刻が過ぎたところでロレンツィオがふと何かに気付いたように言った。


「待て」

「どうした?」


 足を止め、ワンが振り返る。


「数が多い」


(地上にいる天使の人数のことか…?)


 森人はそういった気配に敏感な種族だ。昼間だから数が多いのも仕方ないことだろうが。


「不自然だ」

「進路にいるのか?」


 ワンが問うと森人は頷いた。


「何人だ?」

「二十人以上」

「ひっ…」


 イルゼが小さく悲鳴を上げる。


「向こうは気付いているか?」

「分からない。土人も二人いる」

「……」


 話を聞いたワンは黙考する。

 Cは眉を顰める。普段から何を考えているか分からない森人だが、こんなところで意味のない嘘は吐かない。それどころか発言の少ないロレンツィオがわざわざ忠告するのだから、よっぽどのことなのだろう。


「こちらの動向に気付いているのは明らかだ。急いでここから離れよう」


 ワンはそう判断する。

 ワンの決めたことに逆らう者はいなかった。フィンとイルゼを除いて皆、異常事態が起きているという認識だったからだ。事後天使達が集まることはあっても、事前に準備しておくことなんて不可能なはずだ。


「ゴンザロ、穴も崩そう。なるべく痕跡は残さないようにして欲しい」


 ワンは原因の解明より逃げることを指示する。


「ああ」


 ゴンザロは不満げだが反駁はせずに壁に両手を突っ込んだ。すると粘土質で固まっているはずの土壁は液体になったように土人の手にまとわりついた。

土人は刮目する。


「おいおい向こうから掘って来てやがるぞ!」


「は⁉」「……っ⁉」

「走れ!」


 咄嗟のワンの合図で、誰も正確な状況が掴めないまま走り出した。先頭のミアが道を照らし、背後で土壁が盛大に決壊する音が聞こえた。土砂が雪崩となって流れてくるのを全員巻き込まれないように必死に走る。

 一番足が遅いゴンザロはワンが軽々抱えて走っている。


「止まれ! まだ崩す!」


 魔術を行使するゴンザロとワンを背に残して他のメンバーは足手纏いにならないよう必死に走る。子供のフィンとイルゼは特に足が遅く、ひいひい言っている。


「きゃあっ⁉」


 イルゼが足をもつれさせ、地面に顔面を激突させる、その寸前、ミアが咄嗟に切り返してその体を支えた。


「大丈夫⁉」

「うんっ⁉」


 イルゼはぼたぼたと涙をこぼしているが、泣いている時間はない。再びドガンッと尋常ではない破裂音が通路に響き、押しつぶさんばかりに土砂が流れてくる。ミアはイルゼを右脇に抱えて足場の悪い通路を駆けた。




 土穴を崩すことを五回繰り返して、壁に手を突っ込んだ土人が叫んだ。


「奴ら諦めたぞ!」


 ミアが足を止めたのを見て、Cは壁に手をついて過呼吸気味の息を整え、フィンは躓いて寝ころんだ。


「ロレンツィオ! どうだ⁉」

「離れていく」

「……っ、そうか」


 森人の確認を取れたワンも一息つく。


「念のため、いつも以上に丁寧に壁を戻してくれ」


 今度は土人の操る土壁は風船のようにもくもくと膨らんで、穴を塞いでいった。


「ううっ、ひっく、こわ、かったぁ…、ひっく」


 目を真っ赤に腫らしてしゃくりあげるイルゼをミアが両手でそっと包む。


「まだ安全と決まったわけじゃない。もう少し歩こう」


 ミアはイルゼをおぶり、フィンも立ち上がる。


「ワン、どうして向こうは俺達の居場所が分かったんだ」


 まだ若干息の乱れたCだが、降りてくるワンに対して疑問を投げかけた。


「分からない。レーダーの性能が上がったのかも知れない。だが、ここまで脅威が速く拡大しているとは思わなかった」


 Cはミアとフィン達から距離をとるようにして、小声で尋ねる。


「ラミエルは…⁉」

「何か緊急事態が起きれば連絡してくるはずだ」


 するとワンはポケットから親指程度の小さなキューブ状の物を取り出した。


「すぐにでも連絡はつくようになっている」

「あいつが裏切ったってことはないのか⁉」

「だがそれなら直接リベラに攻めてくるだろう。出待ちする理由はないはずだ」

「……そうか」

「リベラに着いたらアナスターシャの所へ向かおう。取り敢えず今はカミラに連絡を付ける」


 ワンの持っていたキューブが広がった。あり得ない体積の展開の仕方だ。間違いなく機人の技術だろう。


「カミラ」


 ワンが名前を呼んでしばらくすると、向こうから声が聞こえてきた。


『ワン? どうしたの…⁉ 無事⁉』


 焦燥した声音だったが、


「ああ。そっちに何か異変はないか?」


『よ、よかったぁ…』


 キューブ越しに消え入るように脱力する。


『ええ。こっちは何も起きていないわ。何があったの?』


「着いてから話すが、待ち伏せされていたんだ」


『そ、そんな…⁉』


「無事を確認できて良かった」


『え、ええ。待ってるわ。無事で帰って来てね』


「ああ」


 それで通話は終了した。ワンは大きく息をついた。


「よかった…!」


 それは安堵のため息だった。心の底からリベラを大切に思っている。だがすぐに気を引き締めなおして森人へ問う。


「ロレンツィオ、天使は全員最下位の『天使』だったか?」

「一人だけ違った」

「どう違った?」

「魔力量が桁外れだった」


 恐らくそれが大天使だろう。


「待ち伏せされていたことに心あたりはあるか?」

「ない」


 尋ねてもなかなか要領を得ない森人に対するワンの聴き取りは続いた。

 Cの背筋を冷や汗がなぞった。これは異常事態だ、非常事態だ、緊急事態だ。天使が待ち伏せをしていたとしか考えられない。天使が待ち伏せをしていたということはつまり、


(天使がリベラの情報を知っていた…⁉)


 推測の域は出ないが、早急に原因を究明して対処しなければならない。もし天使がリベラの位置を突き詰めていたとなれば、全てが終わってしまう。




 リベラに戻ると最初に迎えたのはカミラだった。


「ワン!」


 他には誰もいない、一人だけだ。駆け寄ると心配そうにワンの全身をぺたぺたと触る。ワンは苦笑した。


「俺は無事だ」

「本当によかった…」


 ワンは三週間後に死ぬだろうという事実をカミラは知らない。ワンはそんな悲壮感を全く感じさせることなく、安堵しているカミラに伝える。


「カミラ、今日の夜、全員に話すべきことがある。天使の待ち伏せのことだ。もしかすると、大事になるかも知れない」

「……っ、ええ、分かったわ」


 その後他の住人からも歓迎を受けたが、ワンは天使の待ち伏せについてはまだ明かさなかった。

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