第17話 好き
大天使に厄介な絡まれ方をする前にCはすぐに地上への帰路についた。
「俺はアナが『聖光』の魔法を使おうとしているのかと思った。だが実際に使ったのは『預言』だった。Cは天使の中でも特に雷の魔法を得意としている血族を知っているか?」
「……ラミエルか」
「断定はできないが、この二年間で初めて得た手がかりだった。彼女に子供がいたとは…」
ワンはどこか嬉しそうに話す。
「彼女のこと、どう思った?」
Cはワンへ胡乱げに目を向ける。
「……信用するのは危険だ。けれど、利用はできる。しなければ俺達は死ぬ、あいつは俺達の命を握っている。そうだろ?」
天使は悪辣だ。いつだって支配者気取りで差別主義者だ。だが直接話してみて、Cは内心アナスターシャが絶対悪であるとは言い切れなくなっていた。
「いざ彼女が裏切ったとしても、リベラはそれだけで沈むほどやわじゃない。だが、情報に関して彼女に依存しきっているのは事実だ」
「俺達がこの都市から離れることを話したら、あいつはきっと裏切るぞ」
彼女がリベラを作り出したのは全て娯楽の一環で、天使としての何よりの目的はメイをいたぶることだ。みすみす逃すわけがない。
「そのことに関してはずっと前から話してある。そして既に脱出作戦の組み立ては始まっている」
ワンは静謐に言う。
「恐らく彼女は本物だ。彼女はメイを虐げることより、俺達が天使に抗うことを望んでいるんだ。本気で逃がそうと考えている」
「お前…、それを信用しているって言うんだぞ」
Cは他に選択肢がないと理解していても忠告せずにはいられなかった。ワンは穏やかに、ともすれば泣きそうな表情で微笑んだ。
「ああ。俺はアナスターシャのことを、信じている。例え天使がメイの敵であっても、彼女とだけでも分かり合えたら、これ以上嬉しいことはない」
「……」
Cは毒づくことも茶化すこともなく、何も言えなかった。
ワンは知りうることの全てを話した。秘密を全て曝け出した。
Cにはワンに誠実に向き合う以外の選択肢が残っていなかった。
ようやく、ワンのことが分かった。
自分の部屋に戻ってからは死んだように眠った。途中で一度目が覚めては猛烈な眠気が襲ってきて、それに逆らうことはなかった。朝が来ても三度寝をした。
藁のベッドから身を起こすと、両足の筋肉痛と妙な虚脱感に襲われた。何か悲しい夢を見ていたような気がするが、もうその内容を忘れてしまった。よくあることだ。
「……はあ」
昨日は大変な一日だったから、それも仕方ないだろう。立ち上がり、背中に付いた藁をはたき落す。怖かった。死ぬかと思った。もう懲り懲りだ。そんなことを思い出しつつ、顔を洗うため広場へ向かった。
やけに太陽灯が眩しいと思えばもう昼食の時間にまでなっていた。住人達が思い思いの場所、思い思いのグループに分かれて食事をとっていた。ユーゴ達の姿がないのは畑の方で食べているからだろう。
「Cさん! こんにちは!」
声変わりする前の明るい声に振り返ると、自分の肘の位置に頭が来るような背丈の土人の少年がその瞳も輝かせていた。そしてその隣には短髪の土人の少女がもじもじと落ち着かない様子だった。
環境の変化は大きいだろうが、子供は適応が速いのか、それとも考えることがないだけかは知らないが、存外元気なようだ。
「ワンさんとカミラさんに名前をもらったんです! フィンって呼んでください! 勇敢な戦士って意味なんです!」
「い、イルゼです」
二人が隣に並んでいるということは、イルゼの方も戦士を目指すことに満更でもないのだろうか。フィンが高らかに戦士を謳うことに嫌そうな反応はしなかった。まあ顔は伏せがちでよく見えないのだが。
「今から昼食を頂けるらしいのですが、一緒に食べませんか?」
フィンは純真無垢な笑顔だった。子供は自分に都合が良い人間には正直だ。俺のことを命の恩人とでも思っているのだろう。失望するのは勝手に期待する奴が悪いが、勘違いは解いておいた方が良い。
「俺は一人で食べる」
「……えっ、そ、そうですか」
物わかりの良い少年は裏切られたような表情をし、泣きそうに顔を俯け、そのまま頭を下げた。
「そ、それじゃあ失礼します」
離れてゆく小さな背中に、自分は正しい判断を下したはずなのに、何故か罪悪感を覚えた。
翌日、ワンが次の作戦概要を説明した。ゴンザロの機嫌は相変わらず悪く、ロレンツィオも殆ど言葉を発さず表情を動かさず、何を考えているのか分からない。
七日後、リベラから北北東十三キロ、大天使管轄の研究施設で森人のハーフを救出する。それらの情報をワンが伝えて、施設内での移動経路を模索する。そこまでは前回と同じだったが、今回の作戦説明にはフィンとイルゼが新しく加わった。
まだ実際に作戦に参加するかどうかは決まっていないが、魔術に関しては二人ともよく学んでいて、才能も十分だったとあのゴンザロが言っていた。
二人はゴンザロから教わっているらしい。可哀そうに。
と議論を続けていたときだった。
「リーダー…!」
激情を押し殺すような、縋るような声音だ。その青年を見たワンは悲痛に目を伏せた。
「ロビン…」
またか、とCは思った。飽きもせず、よくやるものだと。
「おかしいじゃないっすか…! どうしてぽっと出の悪魔と、土人のガキは仲間にして俺は…!」
その目には涙が溜まっている。それを見るとこんな死にたがりなんだから地上に行くことをワンも許してやればいいと思う。死にたい奴は死に行けばいい。もう面倒だ。
「どうしていつまでも俺のことを認めてくれないんですか⁉ 『メイ』だからですか⁉ 俺が何も能力を持っていないからですか⁉」
「違う」
「何が⁉ 俺がメイじゃなければあんたはすぐにでも連れて行ってくれたはずだ!」
その気迫に土人の少年少女は怯え、怒声が耳を劈く度に身を竦ませる。
「違うんだ。違う。そうじゃない」
ロビンはついには溜めていた涙をこぼしながら声を張り上げた。
「俺はここの誰よりも走ってる! 弓を引いてる! ここにいる仲間のことを誰よりも思っています! 誰よりも、リベラを助けたいのに!」
ロビンには同情する。ワンの『死なせたくない』というエゴのせいで自由を奪われている。奴の人となりは馬鹿で嫌いだが、それでも同情の余地はある。
そして、ワンの気持ちも分かる。今まで過ごしてきて、どうやらワンは強いわけじゃないらしいと知った。あり得もしない理想に縋っては悲しんでいる。
「リーダーは、俺のことを、ただのメイだと、リベラに百人いる他種族の中の、なんでもない一人だと思ってるんすか…!」
いつの間にかその声は弱々しくなっていた。
「違う!」
ワンは声を張って否定した。それだけで伝わる何かがあった。
「ロビンは大切な仲間だ! 大切だから死なせたくないんだ! ロビンは次郎を尊敬していただろう。次郎が死んでから、ロビンが次郎に重なるんだ」
「そ、そんな…」
ワンの言葉が届いたからか、ロビンは膝から頽れた。そして男泣きするのをワンが介抱する。
「すまない。だが、俺はもう誰かを失いたくないんだ。ロビンは何も悪くない。悪いのは、俺だ…!」
その後二人はロビンが折れるという形で和解した。あまりにもあっけなかった。
中断していた作戦の説明が終わり、Cは立ち上がる。
「Cさん、昼食ですか?」
土人の少年、フィンだった。どこか窺うように聞いてきた。
「ああ」
「ついて行っていいですか?」
昨日あしらったはずなのに、物好きもいるものだ。それとも、鳥の雛は孵化して一番初めに見た存在を親と認識すると聞いたことがある。勘弁だが。
「……ああ」
するとフィンはぱっと顔を輝かせた。
「ありがとうございます!」
あしらってもノエルはちょっかいを出して来た。なんとなくそれに似たものを覚えてしまった。広場に向かうとイルゼもついてきた。
「お前は、悪魔って種族のことを勘違いしている。悪魔と天使は本質的には同じだ」
言ってやると、フィンは虚を突かれたような顔をした。
「で、でも、悪魔は天使の天敵じゃないですか」
「世界にはメイの数が限られているから、それを取り合って争い合うんだ。見た目が違うだけで、他に差異はない」
天使と悪魔は産まれた場所と見た目が違うだけで、幸せを奪い合うように出来ている。悪魔はどうか知らないが、天使はそのシステムのことなんてこれっぽっちも顧慮せず、自分を正当化する理由だけに執着している。
「悪魔もメイを虐げるための種族だぞ」
「ひっ…」
軽く脅すとイルゼが小さく悲鳴を上げた。子供は単純だ。自分に都合のいい妄想しかできない。大人も子供も関係ないか。
「ぼ、僕を助けてくれたのはCさんです! 僕もそんな人になりたいです!」
だが、フィンは諦めなかった。
「俺が地上に行ったのは前回が初めてだったよ」
「初めてでもです!」
「……」
少年の瞳の輝きは消えなかった。それを見て、これ以上言い訳するのはみっともなく思って止めた。何を根拠に信じきっているのか分からないが、悪い気はしなかった。
「いただきます!」「いただきます」
二人は手を合わせるとスープを啜った。カミラに教わった作法だ。
「やっぱうんまい! 食べ物ってこんなに美味しいんですね」
「うん、おいしい」
フィンはそのままかきこみ、イルゼは丸い頬に手を添える。言うほど美味くもないが、よっぽど酷い食事をさせられていたのだろう。
「うっ…⁉ ぶはっ⁉」
一気に口に入れ過ぎたフィンは喉を詰まらせ、その場で盛大にむせた。よく噛まずに食べていたものが全部地面に落ちた。
しばらく咳き込んで、ようやく落ち着いたフィンは土のべったり付いた食べかけを拾うと、口に運んだ。
「待て⁉」
「はい?」
フィンはじゃりじゃりさせながら不思議そうにこちらを見る。今までどんな生活を送ってきたのか、常識の埒外過ぎる。
「落ちたものを食べると病気になるぞ」
「え、でも勿体ないじゃないですか」
それとも土人は土食っても平気なのだろうか。少なくともそんな話は聞いたことがない。例え八種族でも食はメイとも大して変わりはないはずだ。
「なら吐きだすな。よく噛んで食べろ。噛まないと全部ケツから捨てることになる」
「はえ?」
「よく噛まないと栄養にならないでうんこになる。お前の食べ方が勿体な――」
「ぷふっ、うんこですか⁉」
フィンは突然笑い出した。やけに楽しそうに。その隣で、つられるようにイルゼまでぴくぴくと肩を震わせる。顔は真っ赤だった。
(『うんこ』で喜んでやがる…)
思ったよりも二人は子供だった。
「ごちそうさまでした! それじゃあ僕達は土魔術を習ってきます!」
よく喋るフィンはイルゼより僅かに食べ終わるのが遅かった。手を合わせて立ち上がる。
「Cさん、僕頑張ります!」
「おお、頑張れ」
「絶対に強くなって、命を助けて頂いたご恩を返します!」
「ありがとうございました!」
「おお」
どうでもいい。そんな恩を与えたつもりはない。二人のクソガキは急いで走って行った。
Cはロレンツィオの管理する小さな森で、意味もなくトレーニングを続けるロビン達を意味もなく眺めていた。そこに混じるミアは最年長で、女性は一人だけだった。
自然な動作で足を開いて、弓を構え、弦を引き、ピタリと静止したと思えば音もなく矢が放たれた。的を見ればその中心に新たに一本の矢が突き刺さっていた。その数十三本。その十三本は彼女が地上で携帯している弓の半数だ。矢筒が半分になったミアは矢を回収しに50メートル離れた的へ。
流石は森人製の弓だ。50メートルも離れていてもその軌道は真っ直ぐだった。そんな豪弓を放てるミアの膂力も凄まじい。
ミアはあまり喋るタイプではないが、その気持ちの強さは前回の作戦で思い知らされた。女は戦わなくていいというのが一般論だ。わざわざ身の危険を冒してまで、自分で戦う理由はなんだろうか。
そんなことを直接聞くつもりもない。ただそんな取り留めもないことを考えては、答えを知ることもないままぼーっと次の関心へ移る。
暇だった。
ワンはリベラの色々な作業を手伝っているらしいがそんな七面倒なことをする気もない。リベラの危機だのなんだのは自分一人にはどうしようもなく、Cには特段すべきことがなかった。
トレーニングを行う彼らに習ってこの森に来たものの、魔法の行使も特に面白みはなく、退屈で仕方がなかった。
(今みたいな時間がずっと続けばいい)
ミアの横でロビンが弓を射る。ミアには及ばないが、他の訓練生より圧倒的に洗練されている。だが、的を見据える右目には激情が見え隠れしている。おおよそ、その場の勢いでワンに泣き落されたものの、落ち着いて考えてみると色々とやるせなくなっているのだろう。
ぼんやりそんなことを考えていると、
「シー」
「……っ」
聞き馴染んだ声に振り返ると、黒髪黒瞳の少女がいた。ばっさりと髪を短くしていて、両足を失ったはずの彼女は今、車椅子に座っている。
「どうして来てくれないの」
ノエルは恨むようですらあった。
「……もうそんなに動いて大丈夫なのか?」
まだ怪我をしてから一週間も経っていない。さすがに早すぎる。傷もまだいつ悪化するか分からない。
「せめて、帰ってきたよって話にきてよ」
ノエルは怒っていた。
「……」
Cはなんと返すべきか考えて、
「あ、会う理由がなかったからだ」
誤魔化すようにそう答えた。
「どうして理由が必要なの」
「……」
なぜか徹底的に追及してくる。
「なんで、そんなことを聞くんだ」
「ノエルは、不安だったよ」
「なんで」
Cが問うと、ノエルは誤魔化さなかった。普段捻くれた理屈屋のノエルにしてはあまりにも真っ直ぐな感情をぶつけた。
「シーが好きだから」
人形のように大きな瞳をこちらに向けて逸らさない。彼女も自分が言っていることの意味を理解しているはずだ。Cは息を呑んだ。
「なんてね」
「……えっ?」
「そりゃあ誰も来ないと寂しいよ。どうせ暇なんだから、遊びに来てよ」
ノエルはつまらなそうにため息を吐くと、器用に車椅子を回転させて背を向けた。
「正直になるって、難しいや」
Cノエルが弱くなったことに気付いた。
「怖かったんだよ。馴れ合いになりそうで。悪かった。明日から、どうせ暇だから会いに行く」
「……可哀そうだから?」
「……っ」
面倒な女だと思った。
「甘えに来てるってバレたくなかったからじゃないの?」
「……どういう?」
「普通の人ならお見舞いくらい来てくれるよ。上に行く前に来てくれたんだもん。嬉しかったよ」
「……っ」
言われてみれば納得した。実際ぐうの音も出ないほど、その通りだった。
「地上で何かあったとは、考えなかったのか?」
「何が」
「何がどうなって、ノエルに会いたくなくなるの?」
「それは…」
Cは口を噤んだ。ノエルは下手に頭がいいから、こうも名推理をするのだろうか。
「……降参だ。正直になれって言いたいのか?」
「来てほしかっただけだよ。嫌なことにだけ正直なのは、なんかやだって思っただけ」
ノエルは時々論理が飛躍する。
「話したいことはあるんだ。だから、どうせ暇だから、話に行く」
「うん。じゃあ、押してってよ」
ノエルは顔だけこちらに向けた。その頬には朱が差していて、照れたように笑っていた。




