第16話 協力者
もう一人の少女も目を覚まし、ようやくリベラに到着するとカミラだけが待っていた。みなとっくに寝ている時間だ。
「おかえりなさい、みんな」
カミラは顔を綻ばせた。どこか泣きそうなのはいつものことだが、前回のこともあってかなり気を揉んでいたことだろう、少しやつれている。
「新しい仲間だ。一緒に名前を決めて欲しい」
ワンが二人の土人を紹介すると、カミラは微笑んで手を差し出した。
「ええ、喜んで。私はカミラよ。よろしく」
「よ、よろしくお願いします」
少年が恥ずかしがりながらその手を握ったと思えば、隣にいた少女はカミラにがしっと抱き着いた。ぎょっとしたが、皆その少女が肩を震わせていることに気が付いた。ひっくひっくと小さな嗚咽。カミラはぎゅっと抱き締めた。
長くなりそうだから先に戻ろうとしたとき、背に声をかけられる。
「C、後で話の続きをしよう。すぐにまた声をかける」
「……っ、ああ、分かった」
話の続きと聞いて、それがワンの秘密についての話だと思い至った。ワンの情報の信頼性が確保できなかったことにCは納得いかなかったが、結果的に作戦はワンの言った通りに安全に遂行された。ワンの情報が正しかったということだ。
不安定な太陽灯の明かりを頼りに歩く。ワンの足はロレンツイオの森の方へ向かっている。
「どこに行くんだ?」
「それは、もう少ししてから話そう」
やがて通路から開けた森に出るが、ワンは歩度を緩める気配はない。
リベラの住人には話せない秘密、整い過ぎた設備、知りえない情報。Cのワンに対する疑いは頂点に達していた。
それら状況証拠から導き出されるべき結論は二つ。一つはワンが本当にひたすら駆けずり回って色々と集めたということだが、ワンは自ら秘密があると宣言した。それならもう一つの結論しかない。
「ここだ」
ワンが足を止めたのは、森の外周の壁付近、ぽっかりと空いた通路の穴の前だった。
「なんでこんなところに…」
Cは眉を顰める。ここがゴンザロの部屋へと続く通路であることは随分前から知っていたのだ。
「これから話すのはゴンザロとロレンツィオしか知らないリベラの秘密だ。誰にも口外しないで欲しい」
「分かってる」
頷くと、ワンは真っ暗な通路に入っていった。
足元も見えない暗闇をくぐりぬけると、明かりの灯るそこは他のメイの部屋と何の変わりもない部屋で、案の定ゴンザロがいた。目が合い、剣呑な沈黙が流れる前に、
「ゴンザロ、頼む」
ワンが言うと、ゴンザロが何の変哲もない壁に手を当てた。
「……っ⁉」
Cは驚く。乾いた土は分解し、砂になり、一気に崩れ落ちた。そしてそこに露わになったのが、
「隠し通路か…⁉」
誰も近寄ろうとしない土人の部屋の中に、さらに通路を隠すなどよほど厳重だ。
「ここからしばらく歩く」
ワンは足を前に進める。Cも遅れないようにそれに続いた。部屋の方から照らす光も徐々に弱くなると、ワンは手持ちのライトのスイッチを付けた。Cはただワンのもたらす情報を待つ。
「俺は近いうちに死ぬ。魔眼の力を使う度に全身が軋むんだ」
「……。……は? お前それ、リベラの奴らは知ってんのか⁉」
関係のない話だと聞き流そうとすれば、そうもいかない内容だった。ワンが死ねばこのリベラは崩壊するのだから。
先を歩くワンの表情はまたしても窺えなかった。
「リベラの仲間達は、誰も知らない」
「それより大事な話なんてないぞ⁉ なんで今まで隠してた⁉」
本題とは関係がなかったが、あまりにもあっけないカミングアウトにCは動揺を隠しきれなかった。
「皆が不安になる期間が長ければ、それだけリベラは不安定になる」
「だからそれでお前のことを疑う奴がいるんだ!」
「……全て見越して、俺はリベラが二年で天使から逃れられるように行動してきた。都市脱出計画はもう佳境に差し掛かっている。国とまではいかずとも、この都市から逃れられればひとまず安泰だ。俺はそのためなら何でもする覚悟でやってきたんだ」
ワンの説明が始まった。Cは大人しく話を聞く。話し合う前に相手のことを知らなければ、どうにもならない。
「安心して欲しい。俺が死ぬのはリベラが天使から逃れられてからだ。だが俺がいなくなれば代わりに新しいリベラのリーダーが必要になる」
話の流れが見えてきた。
「ゴンザロは荒っぽい性格だから人を纏めるのには向かない。ロレンツィオは無口でメイが苦手だからメイのリーダーにはなれない。カミラは優しいが、優しいままでいて欲しい。ユーゴは頭がいいが、力がない」
ワンが色々と秘密を話そうとする理由が分かってきた。他の仲間には話せないようなリベラの危機をべらべらと話す理由はそういうことだろう。
「この狭い世界を切り開く力がなければ仲間はついて来ない。メイが必要とするリーダーがメイだと許されない。皮肉な人間心理だ」
ワンは苦笑する風に言ってはいるが、嘆いている。
「だから俺は、Cに頼みたい」
思った通りだった。
「断る」
Cは即答する。
「理由を聞こう」
「普通に考えてどうして俺が向いていると思った」
「あのとき、本当はCを助けるつもりはなかった。Cの友達が殺されそうになっていたのを、俺達は黙って見ていた」
土人が初対面でそんなことを言ってきた。元々は収容所のメイ全員を助ける計画だったのを、悪魔の炎を露見させてしまったから計画を変更して助けざるを得なかったと。それがどう繋がってくるというのか。
「彼も凄かった。間に合わなかったが、死なすには惜しかった。それでも死なす計画だった。Cがあのとき最後まで何もしなければよかった。だが中途半端に動いたことで予想だにしなかった最悪の結果を招いた」
ワンは過大評価しているのかと思えば、しっかり事実を弁えているようだ。
「ならなおのこと俺は向いていない」
ワンは苦笑せず、穏やかな声音で言った。
「どんなに体が潰されようと途中まで黙っていたのを、最後の最期にやらかした。今まで秘密にしてきたはずのそれを、何の救いにもならないはずの最悪のタイミングで使った。とんでもない馬鹿だ」
「なら――」
「誰かのために馬鹿になれる人間はそういない」
Cは言葉を失った。違う。俺はあのとき、賢くも馬鹿にもなりきれなかった。半端野郎だ。誰も守れず、いや別に守ろうとも思ってはいなかった。ただ、気付けば。
「……いや、そんな馬鹿は、お前くらいだろ」
「似たもの同士だ」
ワンは珍しく楽しそうに笑った。Cも冗談を言おうと思ったわけではない。
「一緒にするな」
「それは悪かった」
俺はお前ほど、誰かを助けることに快感を覚えちゃいない。お前は異常だ。
「Cが戦うと言ったのもそうだ。ノエルが怪我をして、……次郎を死なせてしまった。だからだろう?」
「……お前の言いたいことは分かった。だが、大事な情報を隠して自分の好きなように推し進めていくのはどうかと思うぞ。ただのお前のエゴだ。あいつらは強い、軽視し過ぎだ」
「俺の話は遅かれ早かれ知ることになる。突然のことになってもそれに対処できるはずだ。俺が最も恐れているのは万が一のとき、俺が死にたくなくなることだ」
「……っ、そういう理由かよ」
結局誰かのためとかいう理由よりも本人の欲求を聞く方がよっぽど説得力がある。ワンの場合他者のために自らの命を擲つ異常者だが。
「……分かったよ。納得した」
Cはワンが秘密にしていたことについての言及を止める。
「それで、いつまで歩くんだよ」
来る前に少し休んだが、蓄積した疲労は生半可なものではなかった。それに狭くて代わり映えのない土穴は気分が悪くなるものだ。
「そろそろ、本題に入ろう」
ワンの声音に影が増した。
「大天使だ」
「――」
Cは最悪の予想が的中し、絶句する。
「おい…⁉」
前を歩くワンのちらりと見えた横顔は緊張を滲ませていた。
「リベラに機人の利器を与えたのも、農具を整えたのも、地上の情報をもたらしているのも全て、その大天使の協力によるものだ」
Cはそりゃあもうそれしかありえないだろうと思うと同時に辟易とした。
「相手は天使だぞ⁉ 何か企んでいるに決まってる!」
ワンはやはりCの言うことを予想していたようにひたすらに冷静に答える。
「二年前に俺を買ったのがその人だった。その人がリベラを発足させたと言っても過言ではない」
ワンを買って、ワンを解放した元飼い主。そう聞いても仲間だと信じるには無理がある。心の奥の何か邪悪な理由があるに違いない。
「天使は本能でメイを虐げるように出来ているんだぞ⁉ メイが相手を見下すのとは訳が違う!」
「この二年の付き合いで、俺は彼女、アナスターシャをある程度信頼してもいい相手だと思っている。毎度の救出作戦は全て、彼女が立案者だ」
「……っ⁉」
天使の言動全てがメイにとって毒なのは揺るぎない真実だ。天使の思想は根本的にメイと異なる。そうできている。Cはワンが既に洗脳されている可能性も考える。
「そいつの目的は知ってんのか⁉」
「彼女はメイと話すのが好きだ。詳しくは直接話し合ってほしい。俺はどう考えても、現状天使の協力は有意と判断せざるを得なかった」
それがワンの返答だった。Cはそれからずっと頭の中で情報を整理し続けた。
全部で一時間以上は歩いた。勾配のある道を登り続けた。どうやら向かっているのは天使の住んでいる地上のようだった。
そして坂道は突然終わり、コンクリート壁の小さな部屋で行き止まった。ワンはそこにある鉄のドアをぎいと開けた。
その部屋はやけに明るかった。何やら複雑に電子機器が駆動しているが、それが何かは分からない。
「――っ」
ぞわりと悪寒が駆けて、Cの肌は粟立った。
それは確かにこちらを見ていた。色のない目で、こちらを見下していた。
目を逸らしたら殺される。女が口を開く、その唇の動きがやけにゆっくりに感じられた。
「初めまして、C」
幽霊のように不気味な白い肌に、老婆のように色素の抜けた白髪。だがその女は妙齢だった。
「彼女がアナスターシャだ」
天使の協力者。
「ずっとアナタに会いたかった」
甘えるような発声で、その大天使はにやりと頬を上げた。
「何が目的なんだ…!」
Cは少しも融和的な態度はとらず、ひたすら警戒する。
天使は産まれた瞬間から憎むべき仇で、この世界で最もたちが悪い存在なのだ。メイを弄ぶためだけの種族だ。
予めリベラの協力者だと言われていなければすぐにでもこの天使を殺していた。殺される前に殺さなければならなかった。
「どうして俺達の味方をする…⁉」
こいつはリベラの発足時から支援をしてきて、今までずっとよき協力者であり続けている。もしこの天使が敵対すればリベラの情報は駄々洩れし、今頃リベラは存在していない。いつ気まぐれでそうなるとも知れない。
「ヒトを助けるのに理由なんていらないわ」
「――」
Cは馬鹿にされていることを理解する。天使はメイをヒトと見做さない。天使はどこまでも他種族の人間を嘲笑う。
大天使の女はこちらの顔を覗き込んでくると、笑った。
「なんてね、冗談。そんな怖い顔をしないで。私だって今アナタ達を目の前にして興奮してるの。ま、Cの反応は予想できてたし、本当のことを話してあげるとね、」
病的なまでに白い頬を恍惚と朱に染めて、熱い吐息を漏らす。
「私はアナタ達の生き様が好きなの。死に様よりも美しい。どんな逆境でも必死に生き残ろうとするその姿はホントに綺麗。ねえ、分からないのぉ?」
気色の悪い上擦った声だった。Cは鼻頭に皺を寄せる。
やはり天使の思考。メイのことはただ虐げて当たり前だと思っていて、他のことは全くの無関心。苦境に同情することはなく、自らの欲求の赴くがままの言動を繰り広げ、それを顧みることもない。
「どうして、名前を言わない」
ワンが先程紹介したアナスターシャという名前は明らかに偽名だ。他の国で使われる名前を引用したものだろう。
「どうして言う必要があるの?」
女は顔色一つ変えずに首を傾げた。
「名前も言わない奴が信用できるか…!」
「信用なんて必要ないでしょう」
「血族は…⁉」
「秘密」
「おい!」
Cはここにきてようやく大天使の悪辣さを思い出してきた。奴らはどこまでも支配者気取りだということをここ最近の生活に慣れきって忘れてしまっていた。
大天使はCの気持ちを見透かすように嘲る。
「安心して。私達天使は総意としてメイを殺したいわけじゃないの。殺せばいいっていうのは悪魔の考え方よ。天使はその過程に重きを置くの。それに、絶滅したら楽しみがなくなっちゃう」
Cが殺意を顕わにして睨みつけると、女は体を震わせた。
「そうゆうのがスキ」
まともに取り合っていたら気が持たないが、つまりこの天使は娯楽に一環でリベラを作り出した。ただ自らの快楽のためにリベラを計画し、監視下に置いている。そう考えれば腑に落ちる。
アナスターシャとCの掛け合いを見守っていたワンだが、真剣な表情でCへ問う。
「実際、俺達はアナスターシャの助けがなければどうにもならなかった。彼女は口ではこんなことを言ってはいるが、それ以上に有難い存在だ。だから俺は彼女を信頼してしまっている。……どう思う?」
しかしCは即答する。大天使の前で少しでも相手が付け入る隙を見せたら終わりだ。
「信じられるわけないだろ」
「いけず」
大天使は年甲斐もなく唇を尖らせる。
「アナスターシャ、次の作戦の情報をくれないか」
「はーい」
天使が机の上の書類を集めている間、ワンはCに説明する。
「通信端末だと天使の情報規制に引っかかってしまう。直接情報をもらうしかないんだ。そして彼女がそうするにも大きなリスクが伴う」
天使の国は絶対的な法、『聖典』が存在する。下位の天使ほど強く束縛されていて、それを破った者は厳重に処罰される。些細な違反でさえ死刑になることもままある。
「そうなの。どれほど私がアナタ達を大切に思ってるかってことよ」
そう言いながら大天使は紙束をワンへ手渡した。
「一枚目は獣人、二枚目は半森人、三枚目は半土人」
ワンはその資料に目を通し、顔を顰め、結論を下す。
「二枚目の森人のハーフにする」
「日にちは七日後。場所はリベラから北北東十三キロ。メイの研究施設で大天使の管轄。死体マニアのイオフィエルの血族」
あまりにも即決し過ぎている、Cは口を挟まずにはいられなかった。
「待て待て待て、今度は大天使か⁉ 主天使の施設に忍び込んだばかりだぞ⁉」
「メイを奴隷にしているのは殆どが『大天使』からだ。ヨウとなればそれ以上の階級になる。こういった場所が狙い目だ」
「……っ」
「説明を続けてくれ」
「んえぇ。もっとやっていいわよ」
女は舌なめずりして嗤う。ワンは首を横に振った。
「特異なのは『傀儡』だけど、大した脅威にはならない。種族問わず死んだ人間を使役できるだけだから。はいこれ、地図」
ワンは天使からその地図を受け取ると、
「ありがとう」
感謝を述べた。天使に感謝を述べるなど、酷く異様なことだ。
「それじゃあ仕事の話は終わり。ねえC、アナタのこれまでのコト、私に教えて欲しいの」
その女の顔には純粋な興味が浮かんでいた。訳が分からずワンを見ると表情を険しくした。
「アナ、言っただろう。やめてくれ」
「私は134のこと聞かせて欲しいの」
「アナ」
「ええ、ちょっと待ってて」
すると突然大天使は席を立った。そして半開きになった扉の方へと向かうと、そこにはもう一人の天使の姿があった。
「俺達もそろそろ帰ろう」
* * *
少女は見てしまった。息を殺して、扉の隙間から。
「……んんんんんんんんん⁉」
見てしまった瞬間、痺れるような衝撃が体の中心を突き抜けた。大声で叫びそうになったのを必死に手で押さえた。幸い向こうにいる母はこちらに気付いていない。
ついさっきまで惰性で宿題の積分をして死んだように鼓動していた胸も、寿命が縮む勢いで高鳴っている。だって、
(あの人がいる…!)
頭の中にもやがかかったように上手く思い出せないけれど、体は覚えている。あの顔、あの角、あの体、紛れもなく、運命の再開。
「はあっ、んんっ、んあっ、んっ」
体が熱い。とくに下腹部がきゅっと締め付けられるようで、もうどうしようもなくなっていた。収まりがつかない。
(触れたいっ…)
こんなのは初めてだった。なんか手がヌメッとするなあと思ったら自分の唾がべっとりとついていた。いけない涎が。でも初めてなんだから仕方がない。
(殺したいっ…)
「アナ」
「ええ、ちょっと待ってて」
悪魔の隣にいた細マッチョの男が言うと、母は立ち上がり、私が中途半端に開けたドアを全開にした。
「あ、お母さん! 私、その」
(見てる…! あの人が見てる!)
「『忘れて』」
「えっ、うん…」
あれ、どうしてこんなに興奮してるんだっけ?
「『おやすみ』」
そんな疑問を抱いた瞬間、意識は暗転した。




