第15話 タイプ
やがて階段を昇る。一歩ずつ着実に足を前に出す。路を進むと不意にワンが言った。
「いる。メイではない三人だ」
「……っ⁉」
驚いて咄嗟に足を止めた。ワンが指し示すのはさきほどのガラス張りの部屋とも違う、まるで中の見えない部屋だった。
「天使は…⁉」
「いない。いないが、この扉には何か仕掛けがあるかも知れない。少なくとも、ここにいる者達は何らかの方法で管理されているだろう。これが一回きりのチャンスになる」
メイであれば天使は完全に操ることができる。しかしメイでなければ天使の『預言』の能力は効かないため、ゴンザロの場合は首輪で管理されていたと言っていた。それはただの情報発信器だったらしくすぐに壊せたようだが、三年前の話だ。今はどうかも分からない。
「やるのか?」
「やる」
ワンは即答した。
「扉を開ければすぐに救出し、地下に潜る。息をつく暇はないから覚悟してくれ」
その辺の話は作戦会議の段階で済ませてある。見つかることは前提で、あとはスピード勝負だと。ミアがイヤーモニターを押し込んだのを見習って、外部の音が直接耳に入らないようにする。天使の『預言』はこの機械を通して聞く分には無効になる。備えはしておくに越したことはない。
ワンが扉に手をかけて捻ると、扉が開いた。警報音の類はないがその部屋の中に入る光量は少なく、監視カメラがあるとも分からない。息が詰まるような静寂の中、ミアがライトを付けて部屋を照らした。
「――」
円柱状の水槽。無色の溶液の中に浮かぶ裸体の人間。年端もいかない少年少女ばかりだ。種族を示すような外見的特徴はない、と思えばいささか背丈が短い。
「……土人か」
種族を呟いた。その光景はあまりにも冒涜的で、Cには助ける気なんて起こらなかった。血がつながっているのか、どの土人も顔かたちが似ている。
「生きている」
ワンが言った。
「ここと、そこと、向こうの三人は生きている」
ワンは指さした。十人以上いて、その中で生きているのが三人だけ。一人は少女、二人は少年だった。
「どうするんだ? 助けられるのか?」
「……分からないが、やる。まずは一人」
ワンは水槽に置いていた手をそっと離した。どんな原理で水中で生きているのか分からない上に液体から外に出ても生きられる保証もない。
「そうか」
まあ生きていてもどうせろくな目にあわないだろうから、ここで仲間になるか死ぬかだ。こいつらの事情なんて知ったことはない。
ワンは両腕を引くと、ガラスを突き破って水槽の中に突っ込んだ。がしゃりと盛大な音とともにガラスはバラバラに砕け、水は決壊した。ぐたりと動かない少女を担ぐワンの表情は冴えない。
「他は?」
「足音が近づいている。ミア」
ワンはミアを呼び、その裸体の少女を引き渡した。そして他の水槽へと近付いた。
「もう一人」
流れ的に俺がそのもう一人を持つことになるだろう。ワンなら天使の一人や二人は圧倒できる。ワンは水槽に浮かぶ二人の少年のうち、近い方を選んだ。選ばれた方が良いのか悪いのかは俺には分からない。
そいつを受け取ると濡れていて不快だった。起きる気配はないが、しばらく口内から液体を垂れ流した後、呼吸を始めた。重い。だがこれがリベラの今後に繋がるなら甘んじて受け入れよう。
「地点Aだ。とにかく走る。恐らく階段で接敵するが、問題ない。俺がどうにかする」
不気味なその部屋を出て、ワンの先導に従って駆けた。
(速っ⁉)
人一人抱えているにも関わらず、ミアは普段から鍛えているだけあって俊敏に駆ける。自分は四分の一が悪魔の血だから運動能力も普通のメイよりは高いはずだが、ミアとの距離が開かないようにするので精一杯だった。
足音なんて気にしている余裕はなかった。ワンから支給された運動靴の音を響かせて、必死に走った。と、ワンが跳んだ。
あのとき、初めてワンが眼前に現れたときのように、目にも止まらぬ速さで跳躍した。廊下の一番の奥の壁まで一直線、跳弾するように階段の方へ姿を消した。
その方へ追いつくと、
「……っ⁉」
陶器のように白い肌、生気のないメイを迫害するためだけの種族、一人の天使が仰向けに倒れていた。ただこのときは逃げることだけを考えるべきだとは心得ていたCは見ぬ振りをして走った。
「ゴンザロ。地点Aだ」
『了解』
イヤーモニターからため息をつくようなしゃがれた声が響いた。
階段を駆け下りて、真っ直ぐ目的の場所へ。A地点はこの施設に侵入するときに利用した穴のことだ。もうすぐだ。もうすぐ帰れる。ワンが何も警告しないのは、危険がない証拠だ。
A地点の部屋の扉をワンは躊躇なく開いた。もちろんそこには誰もいない。リノリウムの地面がむくりと膨れて、真っ黒な口を開けた。ミアがライトを付け、道なりに歩く。後方の穴は勝手に閉口した。
「はっ、はっ、はっ」
自分達が目標を達成したのだと、いよいよ実感する。まだ緊張の糸は張り詰めたままだが死なずに済んだことは有難い。
「しばらく歩いて地下十メートル以上離れられればそこで休憩しよう」
「分かった」
重い荷物を担ぐのももう少しの辛抱だ。すぐに向こうに明かりが見えた。矮躯寸胴の男だ。ゴンザロの方もこちらへ歩いて来ていた。
「てめえ…」
そのままゴンザロはワンの胸倉を掴み上げた。
「こんなクソガキども持ってきたところで意味ねえだろうが!」
恒例の気が短い恫喝のようだ。Cはゴンザロが癇癪持ちなのだろうと嘆息した。
土人同士同族なんだから別にいいだろ。過ぎたことで文句ばかり言ってもどうにもならない。
「運が悪かっただけだ。たまたま一番最初に見つけたのが子供だっただけだろ」
Cが意趣返しの意味を含めて口を挟むと、土人は鋭い眼光で睨んできた。だがいつまでも態度だけがでかいこいつの好きにさせるわけにもいかない。睨み返すと土人はワンからは手を離した。
「こいつは少し離れていても人間の体内の魔力量が分かる。こいつは、こいつらがガキだと分かった上で持って来やがった!」
「……え?」
「そこまで詳しいことは分からない。遠目には彼らが十分な魔力を持っているように見えた」
「言い訳はいらねえ! てめえは愚図を連れてきた!」
だがワンは毅然と答えて見せた。自分の行いに間違いの一つもなかったというように。後悔しないように。
「土人は重要な戦力になるはずだ」
確かに事前に優先目標は土人だと話してはいた。土人がいれば市壁の外へ素早く抜けられると。子供というのはなかなか困り者だが。
いずれにせよCの目には二人の言い合いは非常に不毛に映った。
「まだ何も分からないだろ。使えるか使えないか分かってからにしろ」
分からないものをぶつけ合ったって何も好転しない。するとワンは軽く目を見開き、ゴンザロは憤怒の形相で詰め寄ってきた。
「使えなかったてめえが抜かすんじゃねえよ!」
Cは反射的に身を固くした。そりゃあ怖い。無駄なことを喚きたがるこいつが怖い。押し付けたがる性根が怖い。だが、逃げても損するのは俺で、こいつはデカい顔をし続けるから、戦わなければならないんだ。――逃げられないのなら、戦う以外の選択肢はない。
Cはこの土人のことが分かるようになってきていた。譲れば譲るだけ蔓延る。いい加減一度しっかり言っておかなければならない。
「次郎みたいな奴かも知れないだろ! どうしようもないことばっか嘆いていてもどうにもならねえんだよ! 誰かのせいにして気持ちよくなろうとすんじゃねえ! 勝手に無駄に突っかかろうとすんなよ!」
土人は青筋を顔中に張り巡らせていた。
「てめえ…! 殺――」
「『いいからしばらく黙ってろよ!』」
叫ぶと、土人はありありと双眸に殺意を浮かべて殴るモーションに入った。不穏な力が胎動しているのが分かる。大戦の生き残りだからこんなに荒っぽい性格なんだろう。荒っぽいから衝動的に人を殴る。
後悔はしていない。俺達はどっちも正しくて、正しくない。何を自己の価値観とするか、利益とするか、立場が異なるからこそ争う。
結果として、強い方が勝つ。
「……殺す!」
Cは吠えた。助け出した土人の少年を放って、右手を前に突き出して、力を、暴力を爆発させる。
「やめろ!」
視界の端でワンの姿が霞と消え、突き出したはずのCの右腕が弾かれた。そしてそれと同じ瞬間に、ゴンザロの拳はワンの頬骨を強かに捉えた。
「……っ⁉」
ゴンザロは確かに能力を使おうとしていたはずだったが、ただの打擲に変わっていた。ゴンザロの体内を巡っていた力が突如動きを止めていた。
ゴンザロはしばし打ち付けられたワンを見下ろしていたが、舌打ち一つで再び歩き出した。口端から血を流しながらワンも起き上がる。
そして誰も言葉を発さないまま、全員リベラの帰路へと戻った。
落とした少年を背負い直して歩く。かなり衝撃を感じたはずだが、目は覚まさなかった。重い。ワン曰く死んではいないようだが。
ぼうっと歩いていると、思い出す。
「C、今大丈夫かな?」
およそ死ぬ二週間前、就寝しようと思っていたところに次郎が部屋を訪ねてきた。リベラに来た日以来、次郎と話すことはあまりなかったから驚いた。
「……どうした?」
思い当たるところと言えば、オスカー達が声高らかに次郎に対する愚痴を言っていたことだが、まさかそれを咎めに来たわけでもないだろう。次郎は敵も味方も多い人物だった。
「リベラに来て二週間が経ったろう。調子はどうだい?」
「まあまあ」
「それだけかい?」
「ああ」
無駄話をしにきたわけではないだろう。次郎は苦笑した。
「最初のうちはどうなるかとはらはらしたけど、上手くやれているようでなによりだよ」
何に対する苦笑いか知らないが愉快なことはなにもない。
「でも君はやっぱり俺達と一緒に戦うべきだ」
「は?」
「力を持つ者こそ戦うべきだ。人には誰にも向いていることとそうでないことがあるから、それなら向いている人がした方が効率がいいし、リベラにとって最善の選択だ」
『最善』という言葉はワンの受け売りだろう。次郎は熱弁を振るう。
「君がつらいのも分かる。天使は恐ろしい存在だ。沢山の同胞を殺してきた。君も散々に痛めつけられただろう。でもそれは俺も同じだ。能力がない分もっと怖く感じる。怖いのはみんな同じさ。でも俺は死力を尽くして頑張っている。君には俺と違って能力があるじゃないか!」
ここら辺で次郎が嫌われている理由が分かった。
「勇気を出してくれC。君が戦わなくちゃいけないんだ。もうこれ以上逃げるな。目を逸らすな。あのときの炎を思い出してくれ!」
次郎の言っていることは正しい。お前が正しいことを言うだけで俺が間違っているわけじゃないのに、こいつは俺が正しくないと言う。見下しているから自分だけが頑張っていて相手が頑張っていないと思うんだろう。
「……断る」
「一緒に生き抜こう! 仲間を救おう! 天使に支配されたままでいいのか? よくないだろう! 天使に一泡吹かせてやろうじゃないか!」
「だから、断る!」
強い拒絶を示すと、次郎は貼りつけていた笑みを消した。
「つらいのは君だけじゃない! 能力がない俺でも戦っているんだ! できるのに何もしないつもりか⁉」
このあとも散々嫌なことを言われたが、内容は思い出したくもない。
それはお前の論理なんだ。お前の考え方なんだ。そんなもの押し付けられてもどうしようもない。自分論理は正しいに決まっているが、それが相手にとって正しいこととは限らない。
そうやって自分論を押し付けるならせめて何が正しいかを定義付けてくれよ。漠然とした根拠で自分の欲望ばかり主張するから議論にすらならない。
この六日後にノエルが戦うことを促してきて、その五日後に次郎が死んで、そして四日後の今に至った。
結局戦う理由は天使を殺すためでも、メイを助けるためでもない。ただ怖かったから。このまま何もしなければ施設にいたときと同じ。天使達に殺されてゆくだけだ。
決められた何かに従うのはもう止めるべきだ。
地下十数メートル地点で休憩してしばらく経った頃、土人の少年が呻いた。
「う、うぅ…」
「ワン」
Cはワンに少年が意識があることを伝え、足を止めて少年を寝かした。
「大丈夫か?」
メイならば十五歳前後だろう。土人の特徴で同年代のメイよりも身長が短い。少年はぱちりと目を開けると、後頭部をさすった。
「い、痛い…」
「お前、名前は?」
尋ねると少年はこちらに気付いて目を丸くした。
「……あく、ま?」
怯える様子はない。
「名前は?」
「……ない」
「そうか」
「あなたが、ぼくを助けてくれたんですか?」
少年は敬語を使った。Cは不快に感じながらもその問いに答えた。
「俺達が、な」
すると土人の少年はぐるりと周りを見渡して、ある一点に視線を留める。
「あの子は…?」
「面識はないのか。お前の近くにいた。まだ目を覚ましていない」
同じ施設にいても必ずしも仲間とは限らない。それは少年も同じだろう。ワンが声をかける。
「歩けるか?」
少年は身をおこそうと肘をつき、その体に上手く力の入っていない様子を見たワンは、
「少し、休んでいこう」
と提案した。
「ありがとう、ございます」
少年は大人しく寝転がった。年齢はいくつかは分からないが、よくできた子供という印象をCは覚えた。
「ありがとうございます。ありがとうございます」
見れば、少年の目からぽろぽろと零れ落ちるものがあった。
「まだ完全に逃げられたわけじゃない」
Cは釘を刺しておく。天使から逃げても地下に移動しただけで、まだ安全とは言いきれない。
「それでも、全然嬉しいんです…! 僕は自由になれた!」
土人の少年は歓喜の涙を流しているようだった。自分が自由だと思っているなんて、呑気な奴だ。
「ありがとうございます…! やっぱり悪魔はいたんですね…!」
どうしてこんなに単純なのか。悪魔だとか、天使だとか、それらしい型に嵌めて考えて、勝手に期待する。もうそういったのはやめてくれ。
「悪魔なら、天使に勝てる!」
「お前は魔術は使えるのか?」
だがそんな鬱憤を何も知らない子供に懇願したところで意味がないのは分かっていた。
「少しなら使えます」
「そうか」
なんにせよ魔術は術だ。訓練次第でいかようにでも上達するだろう。ゴンザロがその術理を上手く教えられれば受け継ぐことができる。大きな戦力になるだろう。
「それならお前にも天使と戦ってもらうぞ」
Cは少年を試すように言った。
「……っ⁉ 僕でも戦えるんですか⁉」
いつか見たように目を輝かせていた。
「……」
おめでとう次郎、こいつはお前の好きなタイプの人間だ。




