第12話 戦え
リベラの住人が寝始める頃合い。ぼんやりとした薄暗がりのなか、通路を奥まで進んでゆく。土人や森人が普段どこにいるのかは知らないが、一番奥がワンの部屋だと聞いている。
やがてどん詰まりまで進むと、
「誰か来た」
ワンの声が聞こえた。そしてぼんやりと女の声も聞こえる。二人で部屋にいるらしい。息を潜めることも出来ず速度を緩め歩いていると、足音が聞こえてきたと思えば、服を着崩した女が部屋の入口から出てきて走り去っていった。その女はこちらを見ることはなかったが、カミラだった。
Cは入れ替わりワンの部屋へ入った。
「タイミングが悪かった」
そんな謝罪ともとれないことを言うと、ワンは苦笑した。
「いや、良かった。それより、Cはどうした?」
カミラがワンに迫ったのだろうか、どうでもいい。
「ワンと話をしに来た」
そう告げるとワンは一瞬驚いたような顔をするが、すぐに真剣な優男のものに戻して僅かに口角を上げた。何が楽しいのかは分からないが、Cは気にせず尋ねた。
「俺が聞きたいのは二つだ。リベラの成り立ちと、天使から逃げられるかだ」
「それならまずは、俺達がここで手をこまねいている理由から話そう」
さっさと本題に入ってほしいところだが、話を聞かなければ疑問を持つことすら許されないから、ここは大人しく頷いた。ワンはしばらく黙考してから口を開いた。
「……ゴンザロは十年前、軍人だった。四百人規模の一個大隊を任されていた。土人のなかでもかなり優秀な部類に入る。そんな土人一人が一日で掘り進められる地下の長さはどれくらいだと思う?」
「知らない」
「一日を十二時間の作業で二キロと百メートル。一時間で二百メートルも進めない。これは掘っても崩れないように周りの土を圧縮させなければならないからだ。この作業にはかなり手間がかかる」
「一瞬で元に戻せるのにか?」
134が死んだ日、リベラに来たときに、帰り道に土人が地下空間を崩していたが、それに手間取ることはなかった。
「圧縮した土を元に戻す方が簡単だそうだ。とは言っても全部を戻すことは大変だから一部だけになる」
「体積は?」
「無論、僅かな変化だが地盤は弱くなる。だが何年後かは分からないがそれが発覚する前に、この国の都心部からは距離を置くことになるだろう。半径およそ五十キロメートルまでこの都市が栄えているのは知っているか?」
頷く。
「そしてその端には、都市を囲うように壁が出来ている。そこには無数の兵器があるが、地上は勿論地下も隙が無い。世界は平和条約を結んでいるが、天使に限らずどの種族も武装解除には至っていない。だから特に都市の警備は厳重だ。上空は悪魔が飛べば打ち落とされる。地下は壁沿いに設置された探知機ですぐに天使の大群が押し寄せる。地上はもってのほかだ」
くどいくらいに可能性を潰す説明を要約すると、
「おい待て、それじゃ天使には最初から逃げられないってことになる」
「一点突破は不可能だ。そのために陽動する」
「陽動って、『ザフキエル』はどうする?」
ワンは驚いたように目を見張った。
「詳しいな。その通りだ。市壁の番人、主天使ザフキエルの能力は強力だ。地上からも地下からも脱出は難しい。天使は探知が働けば躊躇なく都市を閉鎖するだろう。天使ほど統率が取れた種族はいない」
「探知機を破壊するのか?」
「いや、探知が壊されれば天使も気付く」
「気付くまでの一瞬を狙えばいいだろ」
「天使もそう甘くない。天使の国防は厳密に過ぎる。俺達は最悪の事態に陥ったとき、主天使ザフキエル無力化する必要がある」
「……っ⁉ 無理に決まってるだろ⁉」
『主天使』は九つの階級の上から数えて四番目。階級の高さはそのまま戦力を表している。基本的にメイでなくともただの人間が敵う相手ではない。天使の人口の国の99%は階級が最下位の『天使』で構成されていて、『主天使』は『天使』の遥か上の存在だ。主天使よりも上位の天使の殆どは戦争に出払っているため、実質ここにいる天使の最大戦力だ。
「そのためには少しでも戦力が欲しい。そのために俺達はメイと、他の種族を集めている。いつ計画を実行に移すかは天使達の動向で決める」
「他の種族を集めたところで勝てるわけないだろ⁉」
「出来なければ死ぬだけだ」
「……っ」
Cは何も言えなかった。実際ワンの考えている策以外の方法は思いつかなかった。どう考えても八方ふさがりで、リベラなんて大層な名前がありながら俺達は袋の中の鼠に過ぎない。いよいよノエルの言葉が信憑性を帯びてくる。
「……ただのメイを集めるのはリスクが増えるだけだ。これ以上増やす必要はないだろ」
「……」
苦し紛れに訴えるとワンは沈黙した。Cは驚いて顔を上げた。
「お前、それが、全員の命を危険にさらしてるってことに、気付いてないのか」
「Cの言う通り、これ以上増やさなくてもやっていけるだろう。俺が自分を正当化する理由は沢山ある。だが何よりも」
「……っ⁉」
小麦色の目が怪しく光った。Cは寒気を感じた。ワンの瞳の奥に灯る意志の炎が強くなったの
が本能的にCを威圧したのだ。
「俺は苦しむ仲間を一人でも助けたい」
「……」
Cは呆れて物も言えなかった。たちの悪いことに、ワンは自分が言ったことを理解している。自分のエゴを認めた上で行動に移しているのだろう。
「今助けたところで結局捕まれば終わりだ」
「どうした方が生存率が高まるかは、実際まだ分からない」
「活動を増やすと狙われるだろ」
「現状、俺達が逃げられる確率は極めて低い。何か行動をとらざるをえない。一週間前に天使は機人から新しく地下探知の技術を購入した。おそらく、半年も持たない」
さらりと告げられたのは驚愕の事実だった。
「おいおいおい待て! 今、なんつった…⁉」
ノエルの言っていた、リベラが崩壊するという非常事態が半年以内に発生するのなら、全く笑えない。
ワンの左目は髪で隠れていて見えないが、Cはそこで強い力が胎動したのを感じた。ワンは厳かに言葉を紡いだ。
「半年後にリベラはここには存在していない。これは確実だ」
「はあ⁉」
このリベラを組織した頭目が言った。誰よりも地上のことを知り、地下のことも知っている男が言った。
「探知は始まりつつある。運が悪ければかなり早くここが特定される。だから残された時間で足掻くしかない。そのときになったら、否が応でも脱出作戦を実行する」
「おい、そんなもん、誰も知らないぞ…⁉」
ユーゴも、カミラも、他のリベラの住人も誰もそんな危機を知らずに呑気に毎日を送っている。すると、ワンの表情が曇った。
「……不安にさせたくない。誰かが平和を疑い出せば、リベラはリベラではなくなる」
「そんなこと言ってる場合じゃない! それはお前のエゴだぞ! 『お前が思っているよりあいつらは強いだろ!』」
「……っ」
ワンは虚を突かれたように目を見張った。
「今話さないと納得できない奴もいるぞ」
ワンのことを疑っているような連中は既に出始めている。ユーゴやオスカーの顔が思い浮かぶ。そいつらの疑念は時間が経てば経つほど膨らんでいくだろう。
「……分かった。明日伝えよう。だがCへの風当たりも強くなるだろう」
危険が迫っているから戦えという声が大きくなるという意味だ。
「構わない」
「そうか」
ワンは静かに返した。天使から逃げられるかという質問についてはおおよそ完了した。これでユーゴ達とワンの話し合いは進展することだろう。
それなら次は、
「それともう一つ、リベラの成り立ちについて、教えてくれ」
「……」
ワンは押し黙る。
「ここの資材は充実し過ぎている。それなのに誰もその理由を盗ってきたとしか答えない、答えられない。怪しすぎるんだ」
「……実は俺には一つ、秘密にしていることがある。ゴンザロとロレンツィオは知っているが、他は誰も知らない」
ワンが声音を変えずに、意外にもすんなりと認めたことにCは驚く。
「……っ、なんなんだそれは」
「悪いがこれだけは、話すことができない」
「……?」
Cはワンがこの期に及んで何を言っているのか理解できなかった。
「話せよ。話して誤解を解けばいいだろ。俺達は懐疑的になるだけだぞ」
「ユーゴだろう」
「……っ、知っていたのか」
「Cにはいつか話そう。だがこれを話せば誰でももっと懐疑的になる」
「いつかっていつだ」
「リベラがピンチになる前には、絶対に」
するとワンは表情を和らげた。決して話すつもりがないことが、その穏やかな表情で見てとれた。Cは嘆息して踵を返す。
「あくまで、話すつもりはないんだな」
「俺は仲間達全員の命が一番大事だ。それだけは、約束する」
ワンがそう考えていることくらいならもう分かっている。
「……約束ってそんなもん、オカルトだぞ」
これ以上何か聞き出せそうにない。Cが部屋から出て行こうとしたそのとき、
「Cは、自分の悪魔としての種族は知っているか?」
ワンが尋ねてきた。
「悪魔は恐怖の象徴だ。天使のように厳密に規定されている訳ではないが、それぞれに象徴するものがある」
「……知らない。どうしてそんなことを聞くんだ」
自分の出自を調べようとしたことはあったが、そんな情報を天使が残しているはずもなく知らず終いだ。
「いや、何でもない。純粋に、Cの力について聞きたかっただけだ」
「炎の力とメイを言いなりにする力の二つだけだ」
もはや隠す必要もないだろうから言っておく。『甘言』と『業火』、呼ばれ方は様々だがいずれも天使の能力『預言』と『迅雷』と対比する際には一般的に用いられるらしい。
しかしワンは浮かない顔をしていた。
「……そうか」
Cはそのまま部屋を出て行った。その表情もワンと同様に浮かないものだった。
ノエルの言っていたことの裏は取れたが、ユーゴ達のワンに対する疑念は晴れることはないだろう。
(どうしろってんだ…)
聞く側が聞こうとしなければ、話す側が話そうとしなければ、どちらか一方が対話の意思を欠くだけで、俺達は一生分かり合えない。
その日はいつもと変わらなかった。ワンが天使の危険が高まっていると言ったのが嘘のように、地下は変わらず至って平穏で、リベラの住人達は各自の仕事に集中していた。
ワンがリベラの住人に今後の方針を話したのは五日前のことだった。そこにいた全員がただ受け入れるしかなかった。ユーゴもオスカーも、誰もワンよりも良い考えを提案できなかった。その他殆どはワンを信じていた。
Cはリベラが崩壊すると聞いても結局地上へ遠征に参加することはなかった。前よりは嫌ではなくなったけれど、きっかけもなく、今の生活にも慣れてきたところだった。
一日のことを思い出しながら、Cは心地よい疲労感のなか藁布団の上でまどろんでいた。上に行ったワン達がそろそろ帰って来る時間だろう。皆起きているからか今日はいつもより騒がしかった。
ぼーっと意識が沈むのを待っていたときだった。
「C!」
息を切らせてユーゴが駆け込んできた。ただならぬ様子だった。
「ノエルちゃんが怪我をしてる! 来てくれ!」
「は?」
頭が理解するのに時間がかかる。
「何があった⁉」
自分が行ったところで怪我を直せるわけでもないし、しいて言えば加減が分からない炎で焼いて止血するくらいしかできない。何故行く必要があるのかは分からないが、Cは走っていた。先を案内するユーゴについていく。
「天使にやられたんだ!」
「怪我の具合は⁉」
「足をやられた!」
すぐに混雑している通路を抜けて広場に出ると、いつもは月明り程度に調整された太陽灯が昼間のような強い光を放っていた。
畑の出入り口の近くに人が密集していて、その隙間から見えた。
「……っ⁉」
真っ赤な血だまりの中に人が寝転んでいる。血だまりは二つ、人間の七割は水分で出来ているという話を思い出した。危険な出血量だ。
Cは人垣を掻き分けてその人物の元へ行く。
「くそっ、どいてくれ!」
ようやくその姿を視認できるようになると、意識があるノエルと目が合った。口元は天使に赤黒い血液に染まっていたが、それは乾燥しているからノエルの出血ではないだろう。しかしその足元には鮮血が広がっている。
どう見ても、全身の丈が短い。
「――」
両足がなかった。膝下にきつく結ばれた布以外存在しておらず、血が滲み続けている。
(いつからだ…?)
ノエルは痛みを堪えるように顔を歪ませている。
そしてその隣に一人の男が倒れていた。首筋から絶えず血液が流れているが、処置は施されていなかった。その男を抱きとめている女が号哭している。
誰が見てもそうと分かるだろうが、Cは女に対して言わずにはいられなかった。
「おい、死んでるぞ…⁉」
周りを見れば半分が沈痛な面持ちで、もう半分は恐怖に震えている。
(俺はいつから、この現実を忘れていた⁉)
隣の奴が死んでいくのが日常で、誰も死なないことこそ非現実のはずなのに、いつのまにか非日常を享受するのに慣れてしまっていた。
死ぬ人間が目の前から消えただけで、どこかで誰かが今日も死に続けているというのに、そんな簡単なことすら自分は忘れてしまっていた。
「……っ⁉」
そしてCはその死骸が誰かを気付き、その瞬間ぞわりと総毛立った。――次郎だ。腰元にはいつか見た矢筒が引っかかっていて、その癪に障る面立ちは忘れもしない。
「うっ、おえっ、うぼぉっ、がはっ」
近くにいた名前も知らない奴が吐いた。しかしここではゲロの臭いよりも、むせ返る血の臭いの方が酷かった。
「すまない。すまない…!」
ワンがぼろぼろと涙を流して次郎の手を握る。優男の顔立ちをぐちゃぐちゃにして、何度も繰り返し謝罪する。ワンは死んだ人間を労わっているのだ。
なんて、残酷なんだろう。屍を尊ぶのは死骸を見下すよりもたちが悪い。死んでから優しくしても意味がない。悲しむくらいなら死なすなよ。
死ぬのが自分でなくて良かったと思う収容所ではあり得なかった光景、Cの理解の範疇を超えた光景に嫌悪感を覚える。
次郎の死骸を抱く血だらけの女は泣き続け、ワンは歯を食いしばり、周りの誰かも涙を流し始める。それを見ていたら気持ちが悪くなって、Cはその場を離れようとしたそのとき、次郎の女がこちらを向いて、目を見開いた。
「悪魔め! あんたが戦っていれば次郎は死ななくてよかったのに!」
「ベル落ち着いて」
「ねえどうして次郎が死なないといけなかったの⁉ 次郎はみんなのために勇敢に戦ったのに、どうして自分勝手に逃げてばかりのあんたが生きてるの⁉ ねえ!」
「C。ごめんなさい。今は少し離れていてくれないかしら」
ベルと呼ばれた女の背中をさするカミラが涙声で申し訳なさそうに言った。だが、
「地上に行けば死ぬことくらい分かっていたはずだ」
「あぁ⁉」
女は一層その顔を歪めてヒステリックに叫ぶ。
「悪魔っ! 死ね! あんたが死ねば良かった!」
Cはただその言葉を背中に浴びながら離れた。喚くベルをワンとカミラが止めようとする。
「お前が死ね」
毒吐くCの心臓の鼓動は鳴りやまない。震えを止めるように拳を握り込んだ。天使の脅威を思い出し、天使がすぐそこまで来ていることを思い知らされた。
だと言うのに天使に対抗できる戦力は減ってしまった。応急処置を済ませたとは言え、ノエルはあの足でこれからどうやって生きていくつもりだろう。足手纏い以下だ。
次郎の様には死にたくない。自分が戦っていることを偉大なことだと思うのは勝手だが、それを他人に押し付けて生きるのは天使と同じだ。そんな自己満足で死にたくない。それを信奉するベルのような人間にもなりたくない。
気持ち悪い。
ノエル、お前のせいだ。お前が俺を仲間だと思ったせいで、いっつも俺に話しかけてきたせいで、ただお前の足が切れただけでこんなにも怖くなった。
嫌いな奴が死んだのに、俺まで痛くなってくるんだ。
天使が怖くても、
「俺が戦うしかないだろ…!」
熱い涙が頬を伝った。




