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C  作者: 八瀬研
12/27

第11話 メイ

 葉っぱを一枚手に取って、異常がないのを確認して次の葉へ。一枚一枚丁寧に、かつ素早くチェックしていく。


 Cがリベラに来てから三週間経った。ここでは作物の栽培に従事している八十人近くがそれぞれ分担して畑を耕すところから、種まき、害虫や病気や生育不良がないかの確認、収穫までを行っている。

 同じ時期に四種類程度の野菜の収穫が出来るようになっていて、十人前後の班が八つ、それぞれの班が四つの畑の半分ずつ使い、全体で二十種類もの穀物と野菜を育てている。


 まだあまり仕事量は覚えられていないがこの環境にも大分慣れてきて、周囲の人間は殆ど何も言わなくなった。

 今日は珍しく日の明るいうちからワン達は外へ行っているらしい。即戦力を見つけたとかなんとか。基本的にそういった情報はリベラの中では共有されている。




 昼食の時間になるとユーゴの班員達とはなんとはなしに集まるようになっていた。


「わざわざ使えねえ混血拾ってくるなんてのはぜってえ無駄だろ。ワンは俺達の意見をこれっぽっちも聞かねえ…!」


 怒りを滲ませるその男は、前に突っかかってきた奴だが今では普通に話をするようになった。


「C、お前もそう思うだろ?」

「まあ、助けたんだから戦えって言われてもこっちとしては堪ったもんじゃない」


 正直な気持ちを答えると班員達は下品に笑った。


「俺もこの前次郎に絡まれたんだよ。飯待ってたら暇なら手伝えって、どうしてあいつらはああも自分勝手なんだろうな」


 今度は他の班員が口を開く。愉快そうに語ってはいるが悪感情は全く隠していない。


「ああいうタイプは特に押しつけがましいよねぇ。私もこないだ突然『寒くないか』って服渡されて、好きで薄着してるのにキモってなったし」


 班の紅一点すら愚痴をこぼす。

 今日は地上へ行った連中に対する不満の言い合いで盛り上がっていた。不平や非難は今に始まったことではないが、今日は特に自由だった。醜い連中で、性根の腐ったか弱い馬鹿共だが、嘲笑するつもりはない。こいつらの言うことも至極正しかった。


 ユーゴとその周りの人間と接していて分かったことがある。それは、彼らの主張は全て正しいということだった。正しい意見をぶつけることしかできないのだ。実際、リベラが天使から完全に逃れるために何が必要かは誰にも分からない。ただ、分からない状況で優先されるのは力を持つ者の意見だけだと嘆いているだけだった。

 けれどここにいる人々は自分だけでなく相手も正しいことに気付いていなかった。だから誰かが誰かを否定して、そこから悪感情が芽生える。誰も彼も実に不毛な争いを続けていた。一方的に陰口を叩いて満足するだけだった。

 かくしてCは傷の舐め合いのようなものに巻き込まれているわけだが、こうして考えるきっかけにはなるからと耳を貸していた。時々耳が腐りそうにもなるが。


「そう言えば今日の仕事は比較的早く終わりそうだよ。オスカーの方はどうだった?」


 ユーゴが唐突に関係ない話を振った。その理由をCは知っていた。


「順調だ。去年より良いのが育ちそうだ」


 オスカーの位置からは見えないが、向こうにカミラの姿があったからだ。カミラがワンのことを好いているのは誰の目にも明らかで、話によると特別な関係ではないらしいが、特別な感情は盲目的な崇拝とまで呼べるものだ。だから皆彼女の前でワンの方針に反することは言わないようにしていた。皆小賢しくその会話の流れの変化を汲み取った。


「カミラ!」


 ユーゴが手を振ると、一片の疑いもなくにこりとしたカミラは近寄ってきた。


「Cも大分馴染んだみたいで良かったわ。何の話をしてたの?」

「サツマイモの病気について、昔の話を聞いてた」

「ああ、あの時の…。本当に大変だったわよねえ」


 カミラとユーゴは顔を合わせると笑った。以前聞いた話だが、初めの頃に他の畑で野菜が全く実らなくなったことがあるらしい。そのときは他の畑で補ったが、予定していた人口増加を緩めることになったとか。土壌を丸々入れ替えて解決したらしいが、三週間も共に過ごせばCもすっかりリベラの一員だった。


 ユーゴは知識こそ持たないが頭の回転が速く、嘘を吐くのは上手かった。


「それじゃあ私、他のみんなの所も回って来るわね」

「頑張れ。ワンの代わりも大変だね」

「ううん、そんなことないわ。私もみんなの力になりたいから」


 そう言うとカミラはすぐに去っていった。


「代わりって?」


 Cは問う。彼女がよくする見回りの一環だと思ったが。

「代わりも糞もねえ。あの女はああやってここにいる全員にケツを振るのが仕事なんだよ。今のはこいつの世辞だ」


 オスカーはこいつと言って不満げにユーゴの方を顎でしゃくった。するとユーゴは人懐っこく意地の悪い笑みを浮かべて耳打ちしてきた。耳打ちと言ってもそれは周りにも聞こえる声量で、


「オスカーはカミラに気があってこんな態度をとってるだけだから」

「てめえええええええええええええ!」


 途端、隠す気がないのか馬鹿なだけなのか、オスカーは顔を真っ赤にしてユーゴに掴みかかっていた。オスカーはカミラに対しては特別つっけんどんな対応だったから本当に嫌っているのかと思っていたが、単純そうでなかなか面倒な初心男だ。




 仕事を終えて一人通路を歩きながら汗を拭ったときだった。部屋の方へ向かうには一区の畑を経由しなければいけないのだが、抜けた先の畑に丁度地上から帰還したワン達の姿があった。土人と森人が早々に去って行ったが、ワンと次郎とミアは足を止め、カミラ達から迎えを受けていた。

 それを見たCの足が止まった。


(……引き返さなくていいだろ)


 そしてそれを気にする必要はないと自分に言い聞かせて歩を進めた。不要な衝突は避けるべきだが、自分は何一つ悪いことをしていないのだからこそこそする必要はない。

 Cが一区への通路を抜けた瞬間、


「わっ!」


 不意に肩に衝撃を受けた。Cは身を固くしたが、大げさなリアクションなど出来るわけもなく。


「つまらない反応」


 見ればノエルが頬を膨らませていた。長い道のりを歩いたようで靴や足元に土汚れが付着しているものの、外傷の類は一切ない。

 あれから何度もノエルは地上へメイを救出しに向かっているが、怪我を負うことは一度もなかった。自分が思っていたよりも地上の危険は少ないのだろう。


「怖かったの?」

「は?」

「今、次郎を見て足を止めたでしょ? 怖かったの?」

「……、だから何だよ」


 Cはやはり見られていたのかと、屈辱だが図星を認めざるを得なかった。ノエルは観察眼が鋭く誤魔化しを許さない、厄介な性格だった。


「ノエル、シーのこと分かってきたよ。シーは優しいんだ」


 しかしノエルは穏やかにそんなことを言った。自分のことになるとその鋭いはずの観察眼は曇るようだった。


「そうか」


 いちいち否定してもその後が面倒だったから、思ったより無関心な返答になってしまった。


「誰かの気持ちなんて気にする必要ないのに、それに耳を貸してる。何か言われたって聞かなくていいのに、ずっと考えてる」

「……何の話だ」

「次郎がシーのところに話に行ったんでしょ」

「……」


 おそらく次郎本人が道中にでも話したのだろう。

 数日前のある日、仕事を終えて部屋で休んでいたときに次郎が訪ねてきたのだ。地上に行くように説得しにきたらしく、しばらく興味のない話をつらつらと垂れ流された。初めは次郎は気遣う素振りも見せていたが、仕方なくまともに取り合ったら次郎は怒りだした。


 次郎は人の話を聞いているようで全く聞かず、自由を尊重しているようで自分を押し付けるだけの男だった。無条件に自分を正しいと思い込み、それが相手にとっても正しいことだと信じ込み、相手に強要してくる。


「……そりゃあ、怖いだろ」


 だから次郎はリベラの中でも嫌う人間と好く人間で両極端に分かれている。同じ班員のオスカーは特に嫌っていて、しょっちゅういがみ合いを起こしているほどだ。


「次郎は怖いなんてこれっぽっちも思ってないよ。だから相手の気持ちが分からなくて敵も多い。それと比べたらCは優しいでしょ?」


 ノエルの屁理屈を聞いていると頭がおかしくなる。『その人』と種族が同じというだけでノエルは色眼鏡で評価をしているのだ。


「勝手に解釈してろ」


 どう思うかは当人の自由で本質は何も変わらない。

 ノエルの言っていることも正しく、Cはそれを否定するする術を持たなかった。背中を押されるように広場へと戻るべく歩を進める。


「うん。そうする」


 にぱっと笑ったノエルは隣に並んでくる。

 目の端で次郎達に視線を向けられているのが分かった。分かったけれど努めて無視するようにした。しかしどうしても、歩く先にいる人々の顔は目に入ってしまう。

 全員無傷で上手く回っているようだからそんな顔しなくてもいいだろう。志願しているメイは沢山いるのだからその中から選べばいい。


「ほら、その顔。最初来たときはしてなかった」

「他の奴らがしてなかったんだ。天使みたいに見下す顔を」

「天使に支配されてたときはメイも厄介だってこと、知らなかったでしょ」

「……つくづく、思い知ったよ」


 天使もメイも本質は変わらない。自分勝手な認識でしか相手を評価しないから差別をする。

 通路を抜けると、広場は仕事が終わった住民で賑わっていた。上から降り注ぐ太陽灯の光は青白く月を模していて、かがり火に似た照明が手元を照らしている。リベラの人々も顔だけなら殆ど覚えてしまった。

 不意にノエルは足を止めて口を開いた。


「上に行くたび、この地下は凄いって思うよ」

「急にどうした」


 ノエルの少し俯けた顔は真剣だ。


「でも安全じゃない。シーはワンを信頼してるの?」


 なぜここでワンの話が出てきたのかは分からないが、Cはノエルの質問に答える。


「信頼って、盲目的に信じるってことか? ……それなら、信頼していない」

「シーは天使のこともこのリベラのことも知らない。どれだけ危うい状況にあるか理解していないよ。ここにいる半分も理解していない」

「お前は俺に戦えって言いたいんだな」


 面倒な前置きはいらなかった。ノエルは窺うような目でこくんと頷く。


「私達を追う天使の数が増えてる。前から少しずつ興味本位の若い天使達が私達を探すようになってきたけど、最近になって急に増えた。ワンはみんなを不安にさせないように隠してるけど、今日も天使と戦った」

「……っ」


 ノエルは右手を掲げた。その手のひらの皮が捲れているのは、何度も棍を振り回した痕跡だ。どうやら天使と遭遇したというのは本当らしい。


「それが、俺が上に行くだけで変わると思ってるのか?」

「リベラは崩壊してもCは生き残れる。そのときにシーが戦い方を知らないと、死ぬよ」

「……正気か?」


 リベラが崩壊する、そんなことあり得るのだろうか。確かにワンは外敵がどうとか言っていたが、リベラが崩壊するとまでは言及していない。


「いつ頃リベラが駄目になると考えてるんだ?」

「分からない。でもいつ天使が襲撃してきてもおかしくないよ。天使の技術力は成長を続けてる」

「……」


 Cはノエルの話を一笑に付して片付けることはできなかった。

 そう簡単に死なないことは何度も地上と地下を往復する彼らが証明している。久しく天使に遭遇していないからかも知れないが、天使に対する恐怖は薄れてきている。

 それにもし戦えばうるさい連中を黙らせることもできる。ゴンザロや、次郎、その他の顔が頭に浮かんだところで気付く。


(俺は何も知らないんだ)


 自分がどうしたいかの判断すらままならないほど、自分はリベラの置かれている状況を知らない。


 全員正しい。ゴンザロの意見も、次郎も、ユーゴも、カミラも、オスカーも、ノエルも。ただ俺達は立場が違うから見る視点が違う。自分が間違っていることを疑わないんじゃなく、自分の見えるものしか見えないから疑いようがないんだろう。

 話し合わない限り自分の視野は狭まっていくだけで、何も知らないまま逃げ続けても、正しい意見をぶつけ合っても不毛だ。


(……俺達は話合う必要がある)


「どうしたの?」


 ノエルが不思議そうにこちらを見ていた。


「ワンと話す。夜にワンの部屋に行けば確実にいるよな?」

「うん。いいんじゃない」


 ノエルは満足げににぱっと笑った。




 Cはここ数週間の暮らしで、ワンが何かを隠しているとユーゴが言っていたのはあながち間違いじゃないと感じていた。

 今、目の前に広がる豊かな光景のように、何もなかった地下空間がたった二年でここまで大きくなるものなのか。リベラには機人の太陽灯と発電機があって、電磁調理器や鍋、皿にも十分な数がある。それからこの服や鍬もそうだ。育てている野菜だって初めは種子が必要になる。

 ワンは地上から色々な物を盗ってきたと言っていたが、流石に限度があるだろう。そんなに頻繁に地上に出られるのか。農業の知識はどこからもたらされたものなのか。

 誰もが正しくて、それでもなお争いや諍いが生まれるのは誤解しているからなんだろう。目の前の相手と自分の考え方が全く同じことはありえない。誤解をなくすためには、まずは話さなければならない。


(そうすれば俺達は、分かり合えるんじゃないか?)

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