第9話 信念
「俺が来たときにはまだワンとゴンザロさんとロレンツィオさんとカミラの五人しかいなかったよ。地下で生活を成り立たせる計画はそのときからあって、基盤みたいなものはもう出来てたから、寝る場所とトイレとだだっ広い土地があった」
やがてユーゴの一人語りが始まって、Cはそれに耳を傾けていた。
「そこで最初に育てたのはさつまいもで、収穫できるまでの半年以上はワンが持ってきた食糧を食べてた。それまでは人もあまり増えなかったけど、収穫のときになって一気に増えたんだ」
ユーゴがそこまで初期のメンバーだったことに驚く。ここでは三年目だと言っていたし、昼食の号令をかけていたが、設立間際に加わったメンバーだとは思えなかった。
「初めはここら辺の畑はゴンザロさんとロレンツィオさんの二人が始めたんだ。ゴンザロさんは土を操作できるし、ロレンツィオさんはさっき見た通り色んな魔法を使えるし。俺がリベラに来たときにはもう二人が三つの土地で100人分の食料を作り始めててさ、俺はいらないんじゃないかって思ったよ」
「……?」
Cは引っかかるものを覚えた。少なくとも、メイを助ける理由についてワンがマンパワーが必要だからと答えたことと矛盾している。ユーゴの話が本当ならメイは全く不必要だろう。
「でもいずれメイだけで作れるようにって手伝わされた。農業について色んな話を聞いたけど俺には難しくてよく分からなかった。『受粉』って言って植物に子供を作らせることとか、うーんと『輪作』って知ってる?」
ユーゴに問われ、Cは首を横に振った。
「わっかの輪につくるって書くらしいよ。一回収穫したら次はそれじゃない作物を育てた方がいいんだって、ワンが」
「ワンが?」
Cは眉を顰める。何故ワンがそんなことにまで詳しいのだろうかと。そもそも農作物を育てるためには知識が必要になるはずだが、一体どこでそんなことを学べたのか、まるで見当がつかない。
(ワンはリベラを立ち上げる前は何をしていたんだ…?)
「俺は分からなかったけど、でも言った通りにやれば初めてとは思えないほどしっかり作物は育った。そんな感じで二年目には人手も増えて安定してきたんだ。恋人をつくるメンバーも出てくるくらいに」
ユーゴは肩を竦める。それは次郎のことを言っているのか、それともワンのことか。
「リベラは順調に成長して、生活もしやすくはなった。ただ、人が増えることで起きる問題があったんだよ。なんだと思う?」
「動きにくくなるな。足手まといだ」
ユーゴは苦笑する。
「当たらずとも遠からずって感じ。俺が言いたかったのは、意見の対立だよ」
「それってどんな」
「例えば仲間を助けたいっていうのと、これ以上仲間を増やすよりもすぐに天使の国を抜け出した方がいいって考えがあって、それが発展して俺達の間にはワンに対する不信感が募ってる。助けられたときはみんな心の底から感謝してたけどさ、リベラでもワンのことを知っているのは土人と森人だけだし、二人の差別的な言動が俺達を不安にさせるんだよ」
誰の話かと思えば目の前の男の話で、Cは内心嘆息した。Cが今までのワンに持っている印象はまあまあ良い奴だ。戦う以外の選択肢を許している点で他の連中よりはましだろう。だがユーゴはそんなワンの行動に納得しきれていないことがあるらしい。
下らない。誰を信じているとか疑わしいとか、そんなことはどうでもいい。ありのままの結果だけを見定めておけばいい。信頼も期待もするだけ損だ。
Cには誰が正しいのか分からなかったが、一つ言えることがあった。
「天使のところには戻りたくないってのは、共通してるだろ」
協力だのなんだの言うつもりはなかったけれど、疑心暗鬼になってリベラ内部で面倒ないざこざを起こすくらいならどうすれば天使から逃れられるのかを考えた方がいいだろう。
「それって昨日の話?」
「は?」
今まで黙っていたノエルが突如割り込んで来た。
「一人を蹴落としてって話」
収容所では誰かを蹴落とさなければ生きられない。昨日ほんの一瞬話しただけなのによく覚えていたものだと思ったが、そもそも話が飛び過ぎてノエルが何を言おうとしているのか分からなかった。
「それと同じだよ。一つの目標のために争ってるだけ」
「同じじゃないだろ」
「ワンとかゴンザロとかロレンツィオとか、力を持つ人間が自分が助かるためだけにメイを利用してるんじゃないかって、疑ってるんだよ」
ノエルはほんの少し顔を俯けて言った。
「誰だって自分が生きることが一番なんだから」
「……」
Cは不毛だと思った。現実をどう受け止めるかなんてその人の勝手で、議論しても意味がないだろう。ワンが何を考えているか、他人が何を考えているかなんて分かるはずがない。そんなことを考えたが、今話しているのは意見の対立の善悪についてだったはずだ。ノエルの話が逸れているように感じ、次の言葉を待つ。
「こんな話があるの。二分の一が確実に助かるのと二分の一の確立で全員が生きるか死ぬかのどっちがいいかって。きっとみんな二分の一が確実に助かる方を選ぶよ。それで他人を蹴落として自分がその二分の一に入ろうとするの」
Cはようやくノエルの言いたいことを理解した。つまりノエルは疑心暗鬼になるのは仕方のないことだと言っているのだろう。リベラにおける意見の対立が善いか悪いかを言っているわけではない。
「あることないことで疑ったって無駄だろ」
「それが人の性なんだから、仕方ないよ。どうしようもないことを考えるなら他のことを考えた方が良いでしょ」
「……」
Cはノエルのなんでもそのまま受け入れてしまう性格が暗いのだと思った。しかしこのことに関してはきっとどちらの主張も正しく、どちらとも間違っているのだろうと気付いて口を噤んだ。
だがそこで口を開いたのはノエルでもCでもなく、ユーゴだった。
「一番善いのは、全員が確実に助かることで、悪いのは俺達が争えないことなんじゃないか」
「え?」
Cが聞き返すと、ユーゴは声のトーンを一つ下げて言った。
「ワンは何かを隠してる」
「それって?」
「分からない。なんとなく、そんな気がする」
「ええ…」
Cは呆れた。そんな適当に人を疑っていたらきりがないだろう。ノエルもそうだが、ユーゴも大概、ここにいる人間はあの施設のメイよりも悲観的だ。収容所の奴らの方がまだ図太かったように思える。一時的とは言え自由を得た途端に懐疑的になる。
(そうか、ノエルが昨日言っていたことか)
疑う相手が天使からメイに変わっただけだった。本質的に差異はないのだろうか、そんなことを考えていると、ユーゴが立ち上がった。
「俺ちょっとトイレ行ってくる」
Cはユーゴを見届けて、ノエルに問う。
「お前は、ワンのこと、どう思ってるんだ?」
「ノエルはどっちでもいい。好きでも嫌いでもないよ」
「そうなのか」
「でもまあ、ワンには何か話せないことがあるから、ユーゴみたいに思う人が出てきてるんだと思うよ」
「は?」
Cが聞き返したそのときだった。
「おい。お前、なんでこんなところにいるんだよ」
振り向けば先程まで隣の区画で作業していた男達が五人、皆一様に強い敵意で睨んでいる。ユーゴがいなくなった隙を狙ったのだろう。
「お前には俺達と違って力がある、能力がある。それなのになんたってここで畑なんて耕してんだよ…」
辺りを見渡せば、少し離れたところにいる他のメイ達は黙ってこちらを注視していた。中には同様に敵意を滲ませている者もいる。
(これのどこか仕方ないんだ?)
明らかに理不尽な言いがかりだと思った。だがそれはCだけで、他の連中はこれが正しいと思っていることだろう。言い返した方がいいのか。それとも黙っているべきなのか。
男は恫喝するようにぎらついた目で訴えた。
「俺達はお前が魔法を使えるってことを知ってる。お前は悪魔の力を使えるんだ。その角は飾りもんじゃない。それなら、戦わないといけないだろ…!」
「……っ」
そこでCは気付いた。
(これが今まで俺がしてきたことだったんだ…!)
目の前の奴らが間違っていると同時に、自分が間違っていたことに気付く。疑心暗鬼になっていたのは自分の方だった。だから蹴落とした。そしてそれがこいつらのしていることと同じで、そしてそれは、
(天使と同じだ…)
今度は他の男が口を開く。
「なあ、何か言ってくれよ。ワンは危険を冒してまでお前を助けた。お前の力が必要だからだ」
懇願するように押し付ける。
「俺達だって心強い味方が来たってな。期待してるんだよ。リベラの全員このいつまで持つかも分からねえ地下生活から抜け出したい。だからさあ、頼むから俺達を失望させないでくれ。天使を根絶やしにしてくれよ。頼むから」
無責任に責任を押し付ける。こいつらは自分がしていることが天使と同じだと気付いていない。これじゃあ埒が明かない。そう結論付けたCが口を開こうとしたそのときだった。
「天使は殺さないよ。天使を殺したら血眼になってノエル達を探すと思うから」
ノエルが口を挟んだ。庇おうとしているわけではなく、嘘を嫌う性格からだろう。すると男は動揺を見せた。この連中にとってノエルとはどのような存在なのだろう。
「……あ、ああ、分かってる。例えだ例え。俺達は臆病風に吹かれたこいつを奮い立たせてやろうと――」
「キミ達が戦えばいい。ただ傍観してるだけなのに他人に嫌なことばかり押し付けて――」
「お前らみたいな力があれば戦ったさ! でも俺達は無力なんだよ! 天使の言葉を聞いただけで何にもできなくなっちまうんだ! けどお前達は違う! 羨ましいよ!」
唾がかかる勢いで捲し立てられ、ノエルは男を睨んだ。
「次郎やミアは戦ってる」
仕方ないと諦めていたノエルが反論するとは思っていなかったCはあっけにとられる。すると別の男が口を開いた。まだ成人していないだろう。
「あいつらは馬鹿って言うんだ! お前ら新参者が来る前に俺達の仲間は五人死んでんだぞ!」
「悪魔の力が使えても死ぬでしょ!」
「俺達よりは死なねえだろ!」
「オスカー」
存外穏やかな声がかけられた。ユーゴだった。静かに、ゆっくりと首を振ると、取り囲んでいた五人の男達はそれぞれ憎々しげに舌打ちをしたり顔をゆがめたり、それだけで戻っていった。
(……なんなんだこいつら)
議論は平行線で、結局は無意味なものだった。ただ悪態をついて、互いに嫌な思いをしただけだった。
ユーゴは苦笑する。
「ごめん、めっちゃ出た」
耕す。午前で限界を迎えたと思った腕は昼休憩で休ませたおかげか意外とよく動いた。さくっと土を割って、重さと一緒にそれを引き抜き、そして一つ汗を拭う。
「この穴の中は風通しが悪いから息が詰まる。狭いから外が見えない。だから怖くてすぐに見つ
かる何かのせいにして安心したがるんだって、ワンが言ってたよ」
「……」
ワンのことを疑っているユーゴはそのワンの言葉を借りた。
「本当はあいつらもCを責めたところで意味があるとは思ってないよ、きっと」
ユーゴの振るう鍬はCよりも速くて丁寧だった。
そりゃあ誰だってつらい思いをして他人を助けるより、楽な思いをして他人に助けられた方がいいに決まっている。
(けど、奴らは自分の主張が正しいと思い込んでいる)
怖いとCは思った。
(奴らは自分も醜い人間だってことに気付いていない)
自分が正義で、お前は悪だと言い切るなんてこと、なんの根拠もないのに信じきって、下手な宗教よりたちが悪い。天使は神を信じている。それと同じだ。
怖いよ。
このリベラすら天使の理が支配している。
そう気づくと堪らなく恐ろしく、怒りすら湧いてきた。
9話10話は少しCがうざいですが、どうか最後までお付き合いください。




