プロローグ
少女は映像を見ていた。
映っているのは『メイ』と呼ばれる生物。話には聞いていたがそれらを初めて目撃した少女は興奮して画面に見入っていた。
動画によると、メイは空腹状態に追い込むと共食いをするのだと言う。小さな空間にメイを放置し、水しか与えず、その横には常に新鮮なメイの死体を置いておいたのだとか。
そうして極限状態まで飢餓したメイが二週間目にしてついに同族の生肉を貪り始めたのだ。両の目からは涙を、口端からは血を流している。非常に悍ましく冒涜的な映像だけれど、それがかえって目が離せない。怖いもの見たさ、というやつだ。
高校では誰もが知っているような有名なSNSに投稿された動画だけれど、母がそういったものを見せてくれないせいで自分一人だけが話題についていけないのがずっと嫌だった。周りはみんな携帯端末を持っているのに、母は頑として買ってくれない。
そんなことをクラスメイトに話したら指をさされて爆笑された。原始人かよと。
というわけで帰宅した少女は勇気をもってこっそりと母の部屋に侵入したのだった。学校以外のインターネットを起動するのはこの歳になっても全く初めてで、心臓は鳴りっぱなしだ。
拙い操作でコンソールを動かし次の動画を見る。タイトルは『生きたメイの捌き方』、富裕層には愛好家も多いと少女も聞いたことがあった。食すわけではないが。
少女は手に汗を握りながらそれを眺める。
メイはナイフで軽くなでるだけで奇妙な鳴き声を上げて体をくねらせる。ナイフを深く差し込むと殊更大きな悲鳴を上げて体をびくびくと痙攣させた。
クラスメイトが言っていたのだけれど実はメイには知能があるらしい。それでもなお痛めつけるなんてと思ったが、実際にそれを目の当たりにしてみると体の芯を突き上げるような多幸感に絶頂しそうになった。こんな楽しいことが世の中に存在するなんて。
その動画に満足した少女はぼんやり余韻に浸っていると、勝手に次の動画が再生された。
「……っ⁉」
少女はがばっと上体を起こして、急いでブラウザを消した。流れていた動画は十年前の第三次世界大戦の映像で、その惨劇は今でも脳裏に鮮烈に焼き付いていた。トラウマだった。すぐに映像を閉じたけれど、人が吹き飛んだのを目の端で捉えてしまった。なんて胸糞が悪い。
少女は萎えた気分を盛り上げるべく、新しいブラウザでSNSを開いた。一番上に上がったのは先ほど見たメイの共食いの映像で、もう一度見たくてまた再生ボタンをクリックした。
故郷に帰ってきたような安心感を感じながら、その下に並ぶサムネイルの中に『ライブ』と書いてある動画を見つけた。
(……なにこれ?)
すると画面いっぱいに枷に繋がれて息も絶え絶えなメイ二匹の映像が広がった。二匹とも目立った外傷はないが、ちょうど片方が巨大なペンチのようなもので歯を抜かれて悶絶しているところだった。その一瞬で少女の心はつかまれる。
鮮血が口から吐き出されるたび、少女の脳から全身に多量の幸福物質が供給された。
先ほどからの情報過多で頭の働かなくなってしまった少女だが、その動画には秒数が書いてなくて、先送りも後戻しもできないことに気づいた。ライブとは生放送という意味だろうとなんとなく理解する。
すると少女はもう片方のメイが頭部に一本だけねじ曲がった角が生えていて、目の色や肌の色、背中の突起物など所々にただのメイとは異なる特徴を備えていることに気づいた。
(ハーフだ。珍しい…)
種族は八種族のうちどれか分からないけれど、純粋なメイではないことは確かだ。片方のメイが解体されてゆくのを見て愕然としている、そんなハーフのメイを眺めるのはなかなか気味が良かった。
どうやらそれは二体のメイを中心とした大々的なショーらしい。内容は途中からだけれど、推測するにハーフのメイの目の前でメイを解体し、共食いさせるつもりなのだろう。右前足がないこのメイは確実に死ぬ。
なぜ共食いさせるのだと推測したのかというと、少女にとって共食いを眺めるほど楽しいことがないからだった。それにはクラスメイト達も同意するだろうと少女は確信している。
「……」
その動画には実況がない。調理音や息遣いなどが聞こえてくるだけ。
たったそれだけにもかかわらず、同時接続者数は十万人を超えていた。自分以外にもこんなに沢山の人が見てるのかと少女は驚くが、まあ確かにこの動画は面白いものだとすぐに納得した。
『ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ』
小指を折られて白骨が露わになったメイの鳴き声が残響する。いきなり大音量が耳をつんざいたのすら心地よく、少女の口角がつり上がった。――面白い。
クラスメイト達があんなに楽しそうに話していたのはこういうことだったのかと完全に理解した。世界が開けたような経験が、かつてない高揚感が体を支配する。
すぐ死ぬだろうメイが鳴き叫ぶと泣き喚く様子もそうだけれど、少女にとってはそれ以上にハーフのメイの反応がひたすらに嗜虐心を煽るものだった。彼の反応一つ一つで胸がときめいてしまうのだ。
(や、やばっ)
開いた口から濃い涎が垂れたのをシャツの袖で拭って、一瞬たりとも見逃さないように視線をすぐに画面へ戻した。
映像では『大天使』の階級にあたる天使がさらに何本か歯を抜かせている。大天使が命令すると、メイ自らペンチを掴んで己の歯を抜いた。
(これが『預言』…!)
メイは天使の言霊に逆らうことができない生き物なのだとか。まさか自分の歯を自分で抜かせることまでできるなんて。不思議な現象を目撃した少女は期待と興奮に胸は高鳴る。しかしそれ以上に、
『あああ、ああああああ! あああああ、ああ、ああああああああああああああああ!』
歯を抜くたびに発せられる悲鳴がなんとも心地良く鼓膜に響くのだ。少女は溢れる血に垂涎する。『メイ』とは無能力という意味で、正しい学名はなんだったか少女は覚えていない。そのとき丁度コメントが流れてきて、少女は腹が捩れるほどに笑った。
『ホモ・サピエンスとは賢い人間という意味』
「ぶふっ⁉あーはっはっはっは!いーひっひっひっひ!」
(賢いってなんだ賢いって!それも人間って!)
とんだ間抜けな名前だ。まだ無能力を名乗った方が賢く見える。ホモ・サピエンスは世界最弱の種族だからこそ他の種族と分けられて『メイ』と呼ばれるようになったというのに、人間を名乗るなんて。
しばらく普通のメイが愉快な声を上げながらいじられた後、ハーフのメイにカメラの照準が移る。そして画面上に流れるコメントには、
『悪魔のクオーター。オークション五千万』
少女はぎょっと目を剥いた。これが悪魔なのかということにも驚いたが、それよりその金額が少女の常識の埒外にあった
「たっか⁉」
そもそもメイは一般市民には手が出せないほど高価ではあるけれど、さすがに五千万は桁が違う。
(五千万あれば一生遊んで暮らせるよお⁉)
少女は頭の良い方ではなかった。
『預言の効きが悪い』
「へえ…!」
少女が目を輝かせて、画面いっぱいに映し出された悪魔のクオーターを凝視する。つぎはぎに縫ったような色合いの肌に、額の右の方から太くて硬い角が伸び、時々移る背中には翼が毟り取られたような痕跡が残されている。
なんといっても魅力的なのはその顔。表情。動画を見始めてから何分経ったか分からないけれど、明らかにその表情は最初よりも悲痛そうに歪んでいるのだ。
(最っ高…!)
下腹部のあたりがぎゅんぎゅん締まるような感覚。
少女は『天使』だった。面立ちは非常に精巧に整っており、肌は発光しているのではないかとまで思えるほど真っ白い。
その少女の頭上には白金の輝きを放つ輪、エンジェルハイロウと呼ばれるものが浮かんでいる。それはメイを虐げているときや魔法を使うときに浮かび上がる『天使』特有の生理現象で、それを見れば少女の属する階級が分かる。
少女の天使の輪の光線の太さから、少女のヒエラルキーが九階級のうち第八位の『大天使』であることが分かる。
初体験の快楽に溺れているその少女は悪魔のクオーターに興味津々だった。
(なんの悪魔だろう…?)
けれど画面上で悪魔の彼が頬をハサミで切り裂かれて、大量の赤い血をまき散らしながら泣き叫んだのを見てどうでもよくなった。
絶頂した脳みそは考えることをやめていた。だがそのとき、
――ガチャリ。
それは少女の母が帰宅する音だった。
「や、やばい⁉」
少女は慌ててPCの電源を落とした。いくら絶頂した脳みそだろうと、母にだけはこれを見たことをばれてはいけないということだけは覚えていた。母の言いつけを破って、勝手に部屋に入ったことが知れれば大目玉を食らうどころの話じゃないからだ。
少女は必死に部屋を元通りの状態にし、何か抜かりはないかと見返してから部屋の明かりを消した。
少女はパソコンに履歴が残ることを知らなかった。