噛み切れなかったパム、噛み締めたパン
お腹が空いた。
目がかすむ。
まっすぐ歩けない。
そんな状況がここ三日続いていた。
気が付けばどこかの町に到着したみたいだけど、醜い私の姿を見て人々は避けていく。
ボロボロの帽子を耳がかぶさるほど深くかぶり、服ももはや原型をとどめていないほどに穴だらけ。
何日も食べ物を口にしていないから、いっそのことこの場で倒れて楽になろうかとも思った。
くんくん。
思わず何か良い香りに反応して鼻を動かした。
穀物を焼いた香り。
それだけじゃない。そこに何か混ざり合って、その香りがさらに膨れ上がっている。
「おい嬢ちゃん。そんなじっと見てどうしたんだ?」
気が付けば私は目の前のお店をじっと見て立っていたらしい。
「その身なりから察するにどこかの村から出てきて住処を失ったんだな。可哀そうに、まだ子供じゃねえか」
目の前の大人の男はふうっとため息をつき、そして店の扉を開けた。
「入れ。ここで出会ったのも何かの縁だろう」
「あ……う……」
言葉が出ない。もう何日も食べ物を口に入れてないから声を出す力も無い。
「その服だと客によっては不快にさせるかもな。しょうがない、こっちに来い」
手を引っ張られて部屋の奥に連れられた。
☆
皿の上には細くて焼かれた何かが山になって置かれた。
隣にはきれいな水だろうか。
「これはパンの切れ端だ。商品にならないものだからいくらでも食え」
「おかね……ない……」
「はっはっは!」
男は大きく笑った。その声に思わず驚き、一歩引き下がる。
「ああ、すまんすまん。初めての会話が『お金がない』と来たからな。いや、こっちとしてもこれしかあげれねえが、食べてくれるか?」
「どう……して?」
「これは切れ端というだけで店に並ばず、そのままだと捨てられてしまう。俺としては誰かに食べてもらう方がうれしい」
「……水」
「んなもん井戸に行けばいくらでも取れる」
「私……何をすれば良い?」
何かを与えられたら何かを返さなければいけない。今私が一番欲しいものは食べ物であり、それを与えられたら、相手がたとえ奴隷になれと言ってきたら従う。
「良いから食え。それが俺の頼みだ」
「……!」
男は細いパンの切れ端とやらを私の口の中に入れてきた。
入れた瞬間、ふわりと広がる香りがして、一瞬目の前が真っ白になりかけた。
「ご……ごほっ!」
パサパサ部分が喉に詰まった。そして少し固くて噛み切れない。
「ははは! ほれ、切れ端だけだとむせるだろう。水を飲め」
「ん!」
そして勢いよく水を飲む。綺麗な水を飲むのは久しぶりだった。
「はあ、はあ、おいしい……」
「おお? そうか。それは良かった。今度は自分で食べるんだな」
「……うん」
そう言って一つ。また一つと口に入れる。久しぶりの食べ物に私は何も考えられなかった。
と、次の瞬間。
耳までかぶっていた帽子がパタリと床に落ちてしまった。
「ん……お前、その頭」
「はっ!」
手に持っていたパンの切れ端を落とした。
とがった耳。そして頭の上には小さな角。この世界ではかなり希少な種類として何千の人間が捕まえようと追っている『竜族』の証である。
「お前、その角」
「あ……いや……」
私は腰が抜けた状態で後ろに下がった。
奴隷商人に竜族の小娘を売れば一生過ごせる金貨が手に入る。
本来成長するまで群れで行動する竜族だが、親を殺されてしまい孤立した竜族の子供が捕まるという事も稀にあるらしい。
「うら……ないで……」
売られた竜族の子供は何をされるかわからない。驚異的な力が将来宿ると約束されている以上、それを我が物とする人間はごまんと存在する。
「確かにお前さんを奴隷商人に売れば大きな金が手に入る。が、俺もパン屋を営んでいる以上、物の価値くらいはわかる」
そう言って男は私に向ってゆっくり手を向けてきた。
捕まる? それともぶたれる?
色々頭の中がグルグルと回る中、男の手は。
私の頭を撫でていた……?
「言ったろう。物の価値はわかる。人の価値ってのはどんな人でもどれくらい金を出そうが計れねえ。これも何かの縁だ。お嬢ちゃん行く当てがないならしばらくここに居ろ。外は嫌だろう?」
その言葉を聞いた瞬間、私の心は溶けていくように砕け、そして気を失ってしまった。
☆
翌朝。
目を覚ますと、また良い香りがした。
気が付けば服も子供用の服に着替えさせられていた。
いつも頭に何か巻いていないの怖いので、私のボロボロの布を頭に巻く。
そして良い香りを辿っていくと、そこには沢山の食べ物が並んでいた。
「お、起きたか。昨日は焦ったぜ」
「お……おはようございます」
「挨拶ができて偉いな。っと、その布はちょっと汚れているな。洗ってやるからこっちにしろ」
そう言って男は大きめの帽子を渡してきた。
「これなら良いだろう?」
「ありがとう」
「おう」
と、そんな話をしていると、扉が開く音が聞こえた。
「いらっしゃい。おや、隣の宿の店主じゃねえか」
「こんにちは! ちょっと朝食が足りなくなったので調達しに来ました!」
男は店主って言ってるけど、青い髪をした子供にしか見えない。もしかしてこの子は人間ではなくドワーフとかなのかな?
「おや? この子は?」
「ん? ああ、ちょっと預かってるんだ。名前は……」
あ、そうだ。名前を言ってなかった。
「私はパティ……です。初めまして」
「はい初めまして。ワタチは隣の宿屋の店主です」
私は名乗ったのにこの人は名乗らないんだ。
「はは。パティって言うのか」
「え、ブレン様、預かっているのに知らなかったのですか?」
「あー、ちょっと色々あってな。ほら、宿屋の店主さんが本名を秘密にしているのと一緒で、こっちも秘密があるんだよ」
「それを言われると言い返せませんね。ふふ、可愛い店員さんの登場にパンが沢山売れそうですね」
名乗らない理由はそこにあるのか。この世界は色々な人もいるし、私のような迷い人もいる。今更驚くことでもないか。
「あー、別に店員にするつもりじゃ……」
男は苦笑している。
私はこの男……ブレンに命を救ってもらった。
何かしたい。
「今日から店員……やる!」
「え! いや、別に無理してやらなくても」
「やっ! やる!」
「あはは、わかったわかった。じゃあ最初の接客だ。このお客様を頼む」
そして私は宿屋の店主さんを見た。
「い、いらっしゃいませ!」
「ふふ、最初の接客がワタチとはとても光栄ですね。ではその記念に今日のおすすめを購入しましょう」
「全部おすすめ! 美味しい!」
「ちょっと待ってください。それズルくないですか!?」
「全商品お買い上げアリガトウゴザイマシター」
☆
その後の店は大盛り上がり。私の不慣れな接客はお客様から好評らしい。とはいえ、失敗してパンを落とすわけにもいかないし、気を付けるべきことは気を付けなければならない。
ちなみに宿屋の店主さんは凄く交渉して五種類買っていった。それでも結構多いってブレンは言っていた。
「おつかれさん」
そう言ってブレンは私の頭に手をぽふっと置く。それがとても心地よい。
「私……役に立った?」
「ああ。助かった。俺はパンを焼くか会計しかできないから客と話せねえ。強いて言えば朝一人目くらいとしか話せないな」
「良かった」
「はは。初めて会った時と比べるとずいぶん話すようになったな」
「それは……」
「いや、俺もうれしい。俺は家族もいねえからこうして話し相手がいるだけで楽しくなるんだ」
「そう……なんだ」
なんだか照れ臭く思う。
と、突然扉が強く開けられた。
「何だ!」
「しつれーしますわ!」
長い茶髪の少女がキラキラな服を着て店の中に入ってきた。
「ガルフ商店の娘……? 一体何しに」
「ここがこの王国で一番美味しくて手軽に持ち運べる食べ物があるって聞いたの。味見をしても?」
「え、まあ」
そう言って棚にある商品をひょいっと取ってそれを口に入れる。
「ナニコレ。ぱさぱさしてて美味しくないわね」
なっ!
「……すみません。お気に召さない物で」
「残念だわ。噂はただの噂。これから長い旅に持っていこうと思ったけれど、これじゃあ焚火の火種にしかならないわ」
込み上げてくる怒りの感情。私はこの少女を……。
一歩前に出た瞬間、ブレンが私の頭を撫でた。
「ここにある商品はどれもこの国の人に合った物です。明日またお越しくだされば、お嬢様のお気に召すパンを用意します」
「へえ。まあ良いわ。じゃあまた明日」
そう言ってパンをポイっと捨てて去って行った。私は床に落ちたパンを拾い、それをじっと眺めた。
「どうして怒らなかったの?」
私は震えた声で質問した。
「怒りたかった。けど、あの人を怒らせればこの店は無くなる。我慢が必要な時だってあるんだ」
大人の世界はわからない。相手は子供だけど……。
「どうするの?」
「作るしかない。あのお嬢様のお気に召すパンを……」
☆
そしてブレンは色々なパンを作った。
私からすればどれも美味しい。でもあの子は絶対に認めない。
ブレンは焼いては首を横に振り、焼いてはまた首を横に振った。
「肉を使ったパンは駄目だ。かといって野菜も駄目。全体的に具は無いパン……だと同じだ」
悩むブレンに私は何かできないだろうか。
鳥の卵を割り、またかき混ぜようとするブレン。
「ま、待って!」
私の声にブレンは止まった。
「どうした?」
「どうして卵を全部かき混ぜるの?」
「そりゃ、卵だから……」
「そうじゃない。卵を全部まとめてかき混ぜたらさっきと一緒。この透明なとろっとした部分だけかき混ぜたらどうなるの?」
「は? そりゃ……わからねえ」
ジッと卵を見つめるブレンと私。
私は卵の黄身だけを取り、透明な部分だけを残す。
「おい、そんな透明な部分をかき混ぜたって、何も変わらないだろう」
「本当にそうなの?」
ジッと見つめるブレン。そして。
「いや、俺は経験から来る推測で話している。もしかしたらお前のような好奇心からのみ生まれる物もあるだろうな。ほれ、かき混ぜる道具が必要だろ?」
「いらない。私は私のできることを精一杯やる! 『風球』!」
私の手からは魔術で生成した風の塊りがグルグルと唸って発生した。
「へへ……まあ、魔術くらいは使えるだろうな」
「知ってたの?」
「逆に竜族ができないと思う方が不自然だろ? だが、今は時間がねえ。卵はどうなってる?」
「よくわからない。ただグルグルと回っているだけ……」
「駄目か……」
あきらめかけたその時だった。
「おい、パティ! なんだか……白くなってねえか!?」
「え!?」
卵の白身は徐々に白く、そして……だんだん液体から固体に変わってきた。
「なっ……なにこれ!?」
突然の変化に驚きを隠せない。その個体は混ぜれば混ぜるほど形がしっかりと残っていく。よく見ると小さな泡になっていた。
「おいパティ! それ、もう一度作れるか?」
「え、う、うん。でもどうして?」
「おそらくそれは味が無いだろう? なら最初に甘い調味料を加えてから混ぜれば『甘い雲』の完成だ!」
「甘い……雲……」
聞いたことのない単語。
でも。
「わかった! がんばるね!」
☆
「さあ出しなさい。ワタクシの口に合うパンを」
「こちらです」
そう言ってブレンは丸いパンを出した。
「昨日と同じじゃない。これのどこが?」
「一口。食べてください」
「ふーん。まあ食べてから文句を言わないと筋は通らないものね。どれ……」
一口かじる。すると少女は。
「なにこれ……今までに無い食べ物じゃない……」
パンをじっと見つめる。そこには白いふわふわな具……とも表現できない何かが入っていた。
「何よこれ……甘いけど……食べて大丈夫なものなの?」
「はい。元々は鶏卵から作った物で、まったく問題ありません」
「卵から? 一体どうやって」
「それは企業秘密です」
そう言ってブレンは私を見て笑った。
「へえ。面白い。これを父上に言ってこのパンの商品を大陸中に広めたいとは思わない?」
人間の事情はよく分からないけど、きっとこの話はとても良い話だろう。
「手に余る嬉しい提案ですが、今はお断りしても?」
「どうして?」
「これを一つ作るのにかなり時間がかかるのです。お嬢様がまたこの国へ来られた際に沢山作れるようになっていたら、そのお話をもう一度させてくれませんか?」
「ふーん。まあ良いわ。それまでに忘れていない事を祈るばかりね」
そう言って、パンを一つ食べきった。残りのパンは箱に入れた。
「なかなか面白いお店だったわ。食べたことの無いパン。そして『竜族の娘』がいる店なんてね」
「なっ!」
え、帽子はかぶっていたのに、何故バレていたの!?
「その、お願いします。このことは内密に……」
「どうかしら。私は商人の娘。情報も売っているのよ?」
彼女の目は本気だった。そして私は……絶望に満ちていた。
「お……俺もパンを売る商人だ。もしこいつの事が世間に知られたら、そのパンの作り方は永遠に消える」
ブレンは私を引っ張って、背中に隠した。震える私の手をぐっと握ってくれた。
「ふふ、それくらいの覚悟があるなら、戻ってくる頃にはこのパンが沢山作れるようになっているかしら?」
「……善処します。これは特別なパンなので」
「はあ、わかったわよ。負けたわよ。こんな美味しくて生涯お金に困らないパンと、竜族の情報を天秤になんてかけるほうが馬鹿よね」
「お嬢様……ありがとうございます」
「あ、ありがとうございます!」
ペコリと頭を下げる。
「でも竜族なんて危険な種族……いつ生活が破壊されても知らないわよ?」
ぐっと近づいて話しかけてきた。
「はっはっは! 心配しないでください」
「え?」
「すでにつまらない生活を破壊されました。お嬢様が昨日食べられたパンと今日食べたパンがその証拠ですよ」
「ふふ、面白いわね。すっごく気に入った。また来るから最後にこのパンの名前を教えてくれないかしら?」
名前……。
そう言えばとにかくパンを作るのに夢中で、名前何て決めてなかった。
パン……パン……パム……。
「これはパムレット。中に雲を入れた夢のパンよ!」
「パムレット。面白い名前ね。全く意味が分からないし、全く予想がつかない。だからこそ忘れないであげる」
そう言って少女は店を出て行った。
「こ……こわかったああああああ!」
「俺もだあああああああああああ!」
私が泣くのはわかるけど、大人の男が泣くのはどうかと思う。でも、今はそれすら楽しいと思えた。
「ふふ、どうやら嵐は去ったようですね」
「宿屋の店主さん!」
いつの間にか店に入ってきた宿屋の店主さん。
「ワタチの宿のお客様だったので、窓から見えた時は心配でした。ワタチの店でも大変だったので」
「そうか。まあ、ご覧の通りだ」
「ふふ、どうやら竜族のお嬢様のお力のおかげでしょうか?」
「え! 宿屋の店主さんにもバレていたの?」
「ワタチは宿屋の店主。幾千のお客様を見ていれば、これくらいわかりますよ」
なにそれ怖い!
「まあその……店主さん、このことは内緒で」
「ご近所付き合いは基本です。ワタチはお客様の秘密は絶対に守りますよ」
ニコッと笑う笑顔。それに嘘は感じなかった。
「さて、嵐も去った。今日も店を頑張るぞパティ!」
「うん!」
いつの間にか徐々に私は口数が多くなっていた。
信じることができなかった人間が、今では普通に話すことができる。
きっかけは小さなパンの切れ端だったけど、そこから私の生きる道は大きく変わったと思う。
「ということで今日もワタチが正式なお客様一号ですね。おすすめはなんですか?」
そして今日も、それから明日も。
私は生きていく。
手を差し伸べてくれた人間に、今度は私がお返しをするんだ!
「おすすめは、新発売の『パムレット』です!」
こんにちは!いとです!
今回は架空のパン《パムレット》というお菓子を作るという物語に加えて、とにかく優しい世界を描いてみました!
もしも絶望の淵に立たされた少女の前に一筋の光が差し込んだら、誰しも幸せを願うのは私だけでしょうか。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです!
では!




