私の中にもう一人…
〝ガチャ〟
「お待たせしました…あっ…。」
真面目な顔をして向かい合う私たちに気づくと、店員はうつむいたままテーブルにカルピスを置いてそそくさと扉を閉めて出て行った。
〝チュウチュウ〟
待ちわびたように届いたカルピスをストローで2口飲んでから先輩は続きを話し始める。
「仲間の一人が〝彼〟を探していた事は聞いてた。
その仲間は日本に来て〝彼〟に助けられた事や教えてもらった情報をとても恩に感じてて、
〝彼自身の為にも探さなければいけないんだ。それが彼の答えに近づく近道だから〟
他の周回者仲間にそう言ってたみたい。
外国人留学生で日本語は得意じゃなかったけど、とても優しくて熱い心を持った聡明な人だったわ。
真実を知るのが怖くて〝彼〟を見捨てたあたしとは違う。
あたしは知らないフリをして日常に没頭する事で忘れようとしてた。
仲間達と連絡を取らなくなって2年くらいかな。
やっと気持ちが少し落ち着いてきたとこだった。
あの日の事ははっきり覚えてる。
〝チリリリン、チリリリン〟
久しぶりの休みなのに大雨が降ってた。
予定もキャンセルになって朝からリビングの模様替えをしてたら、2年前に替えた留守電機能の無い、鳴かずの黒電話が鳴った。
仲間から〝彼を見つけた〟と突然電話があったの。
やっとの思いで普通の日常を取り戻せていたのもあって凄く動揺したし、なんでそんな蒸し返すような事をするのかと憤りすら感じたのを覚えてるわ。
でも、〝やっぱり会いたい〟そして〝真実を知りたい〟その気持ちが抑えられずに
〝今から行く〟
と伝えて一方的に電話を切った。
気づいたら凄いどしゃ降りの雨の中に飛び込んでた。
タクシーを呼ばないで近くの大通りまでタクシーを捕まえる為に走ったわ。
1秒でも早く向かいたかったから…
大通りに出てすぐに、ずぶ濡れで困ってる私をタクシーが拾ってくれたから急いで〝溜まり場〟に向かった。
〝バラバラバラバラ…〟
タクシーの屋根に飛び込んでくる凄い雨の音があたしのモヤモヤを膨らませていく。
憂鬱が窓を流れる雨とため息でどんどん膨らんで、溺れている様に息苦しくなってく。
やっと到着して見上げると〝溜まり場〟の部屋に明かりが着いてる。
あたしは階段を駆け上がって玄関の前に立ち、一度深呼吸して〝扉〟を見つめた。
雨のせいか輝きを失った〝扉〟は違う世界の入り口の様に感じた。
〝彼〟を迎えに行った最後の日とは全く違う気持ちで、あたしは〝溜まり場〟の扉を開いた。
昔と変わらない〝定位置〟に仲間達は座ってた。
久しぶりに顔を合わせた仲間達はずいぶんやつれていたけど、前と変わらず優しく迎えてくれ何も聞かずに黙ってコーヒーをいれてくれた。
一人で塞ぎ込んで自分だけが不幸になったつもりでいた。手を差し伸べてくれる人たちの気持ちまで考えれなかった。
あたしと同じ〝ひな鳥〟だった彼らも、唯一の情報源を無くし途方に暮れてたのに…
散らかり放題の〝溜まり場〟を整理しながら淡い期待を胸に彼の事を聞いてみた。
でも…その返答に私の望む希望は無かった…
仲間が彼を見つけたのはある都市の繁華街。
お酒が好きだった彼が情報収集を名目に男仲間とちょくちょく飲みに出かけてた街。
一体何の情報を集めていたのか知らないけど、たまに一緒に街に行くと、有名人のようであちこちで挨拶されて恥ずかしかったのを覚えてる。
仲間が見つけた時、〝彼〟はその街でお店を経営していた。でも、やっぱり探しに行った仲間の事は全く覚えていなかったらしいわ。初対面の挨拶をしてきたと言ってた…
仲間は何度かそのお店に通って様子を見ていたみたいだけど思い出す事は無かったみたい。
ただ、本当に別人のようだったけど気さくで優しい彼のままだったんだって…
記憶が戻るキッカケになるんではないかと、探しに行った仲間は彼のお店で働くことにしたらしいの。
探しに行った仲間は〝溜まり場〟にもしばらく顔を出さず大変そうに働いていたけど、新しい彼ともなんだか気が合ったみたいで、違う仲間が覗きに行ったら楽しそうに働いていたんだって。
でも、1年が過ぎた頃、
〝一緒に働いていたお店が無くなった…〟
探しに行ってた仲間が溜まり場に報告に来たらしいの。
そして仲間は彼に対して結論を出した。
それは、記憶が無くなった訳ではなくて完全に彼じゃないって事。
経歴も経験も彼と全く同じ話をするんだけど
性格も違うし本当に別人で間違いないと断言したんだって…。もう一緒にいる理由は無くなったはずなのに、
〝私が居ないと彼は困るし、必要だと誘われている〟
そう言って〝もう1人の彼〟と一緒にお店を始めて、母国に帰るまでの数年間は側に居たみたい。
それでも昔の〝彼〟を見る事はなかったって言ってた。
不思議よね。全く同じ経歴や経験を話すのに、周回者としての記憶や周回者の事だけ忘れるなんて考えられる?
〝チュ〜ウッ〟
少し興奮した様にカルピスを口一杯に含むと、〝ゴクン〟と音を出して飲み込んでから続けて話す。
あたしはどうしても信じられなかった…
留学期間が終わって母国に帰る日、新しい〝彼〟とも絆ができて深い友人になれたと嬉しそうに話していたと聞いた。
あたしは少し複雑だった。
いつか元の彼に戻るんじゃないかという淡い期待…
その可能性は無かったみたい。
その後は結婚して子供も授かって普通の生活をしてたそうよ。あたしは気にしないようにしてた。
時間は費やしたけどなんとか理解して、その後は仲間と情報収集の為に奔走したわ。
数年後、母国で成功して日本に帰ってきた仲間がその店に行くとすでに彼は居なくて売りに出されていたそうよ。
彼の手がかりはもう無くなってしまった。
買い手の決まってない売られているそのお店を帰ってきた仲間が買い取って、今もそのお店をその人の家族が守っている。あんたも知ってるお店よ。サリムは本当に律儀な外国人だったわ…」
ドキン!?
目の前にいる吉塚先輩にではない。
〝サリム…〟
その名前を聞いた私はそれまで何も感じてなかったのになぜだか胸が苦しくなる。
サリム……、〝何か恩返しをさせて下さい〟と、
前世の私と共に〝マハラジャ〟を創った留学生と同じ名前だ…。
〝まさかそんなはずがない!そんな偶然がこんな身近で起こるなんてありえない!〟
しかし、信じられない気持ちはあまりに多い共通点によってすぐにかき消され、現実とは思えない先輩の話と自分の前世が繋がっている事を受け止めようとしている。
先輩の印象も大人っぽい中学生から大人の女性としての認識に変わる。
〝出会いは全て偶然では無いのか…?
それがもし偶然で無いならば間違いなく目の前の女性と私は前世で繋がっている…〟
そう思って顔を上げると目の前の女性は反応を見る様に私を見つめている。
〝この女性の言う〝彼〟は私であるということか!?
もしそうだとしたら、私は本当に自分の創った〝輪〟によって周回したのだろうか…。
その〝彼〟の繋げた〝輪〟のおかげで私は周回しているのではないのか?〟
周回者という存在をやっと受け入れても増え続ける謎。
目の前の女性は私が〝彼〟である可能性になぜ気づいたのか。いや、確信は無いはずだ。
自分の事をここまで話すリスクは目の前にいる女性の方が高い。そこまでして何を知りたいのだろうか。
〝彼〟とサリムの話を聞いて、私は誰かの為にそこまでできる人間なのか思い返してみた。
私自身もそうであるが、薄情で不条理な事の多いこの世界において繋がりとは一体なんなんだろう…
私はせっかく出会う事ができてもほとんどの人を忘れてしまう…前世でもそうだった。
すでに現世でも忘れている人は大勢いる。
はっきり記憶しているのは小学校高学年時代の友達くらいで、低学年時代の友達はほぼ思い出せない。幼稚園の時に仲がよかった友達なんてほとんど忘れている。
というより今まで思い出そうとする事すら無かった。
近所の人も、学校の先生も、たまに行くお店の店員さんも、遠い親戚の人も、ご恩のある人も…
私は歳をとるにつれて忘れていってしまう。
身近になった人以外はほとんどが記憶にもない。
それでもずっと繋がっている。繋がりとは記憶が無くなっても切れる事はないという事なのか…
〝私はもっと他人を大切に思えなければ、人の繋がりなど理解できないのかもしれない…〟
前世で経験した生涯の後悔が頭をよぎる。
私の懺悔を聞いてほしい…
生まれ変わって他人として前世の私を振り返ると、薄情な人間であったと思う。
いくつか懺悔するべき事のうち、生涯背負ったものがある。とてもご恩のある方が困っている時、生活にゆとりのない事を理由にして助ける事をしなかったのだ。
その時の状況は、本当に自分の家族を犠牲にしないと助けられる状況では無かった。
その方は考えつく事は全てやり尽くした上で最後の頼みの綱として私に連絡したようだ。
私にしてくれた事を恩に着せて頼むわけでもなく、その方は最後まで私を責めなかった…
家族には苦労をかけるが、財産のほとんどを投げ捨てて手を貸せば命だけは助けられたかもしれない…
私は家族を選んでしまった…
電話があった3日後に、その方は最後まで手放さなかった愛車の中で遺体で発見された…
私たち元従業員がみんなで出し合ってプレゼントした車だった。
しかし、その方の遺書には恨みなど微塵も書いておらず、感謝とお詫びの言葉だけが書かれていた。
あの日どれほどの想いで私に連絡をくれたのだろうか。
その方の〝最後の寝顔〟を見ていると、気づいたら大きな声で泣いていた。何度生まれ変わろうとも忘れる事はない後悔だ。
そんな私とサリムや吉塚先輩の慕う〝彼〟が同一人物とは思えない。
それに私は前世で通った学生時代の記憶もあるし、成人式の記憶もある。焼肉屋でバイトした記憶だって…この記憶は一体なんなんだ?
誰のものだと言うんだ?造られたものなのか?
そんなはずはない!
新しく知る真実は情報の少ない私にはあまりにも現実的ではなく、衝撃すぎて整理できないが、新たに増えた疑問を受け入れるしかなかった。
しばらく沈黙が続いたのと何から聞けばいいのか分からなくなったのとで黙って下を向いたまま考え込んでいると、
「ごめんね、関係ない話しちゃったね。」
無理に笑顔で取り繕う吉塚先輩の笑顔を見て、気のせいだが初めて一緒に時間を過ごしている気がしない。
「ねぇ、なんか歌ってもいい?」
少し恥ずかしそうに聞くと、私の返事を待たずに曲をいれた。音の調節をしながらしんみりと無音だった部屋にメロディが流れる。
選曲は〝木蘭の涙〟だった。
歌い始めるとすごく歌が上手でとても綺麗な声。
まるで歌手なんじゃないかと思うくらい…
その歌を聴きながら私は思いを巡らせる。
〝初めて会ったはずなのに初めて会った気がしない人や、初対面からそりが合わない人は前世で何らかの繋がりがあった人である可能性が高いのでは無いか。〟
〝ずっと同じ繋がりのある人や土地で、生まれ変わって記憶を忘れる事によって繰り返しているのではないか?〟
〝決まった繋がりの中で私たちは出会いを繰り返しているのでは無いか?〟
〝遺伝子は変わって環境も変わるが、人の繋がりや輪だけは変わらずに残っているのではないか?〟
〝私は自分の育ったこの街が大好きだったけど、この地元愛はずっと蓄積されてきたものなのかもしれない〟
そしてさっき言ってた先輩の言葉が頭に浮かぶ…
〝自分が繋げた出会いが自分に返ってくる事〟
その意味はあまり理解できてない。
我に戻ってカラオケの画面を見ると
ちょうどサビを歌っている
〝いつまでもいつまでもそばにいると言ってた
あなたは嘘つきだね私を置き去りに〟
歌が上手くて感動して先輩を見ると、
目に涙が浮かんでいる…
何度周回しようと、人間の感情は癒えない。
大切な人を失う気持ちがどれほどのものか。
納得するしかなくて理解しているだけ。
何度経験しても受け入れられるものでないはずだ。
前世の〝体の同居人〟であったかもしれない〝彼〟は、今は吉塚先輩である彼女にとってこれほどの存在だったのだ。
同じ体で人生を共有していた〝彼〟を私はこれっぽっちも知らない。だが、存在を知らなかった〝彼〟に劣等感を感じている。
歌詞の内容が〝彼〟の影と重なって複雑な気持ちで歌っている先輩を見てた。
歌い終わって少しスッキリしたのか、先輩から話を続けてくれた。
「ごめんね、しんみりしたね。話し飛んじゃったけどなんで前世の周回者仲間と繋がりを切ったのかよね?」
そう言ってストローでぐるぐる混ぜた後、
〝チュウ〟と音を立ててカルピスを飲んだ。
そして続ける。
「他人だと思っていても前世で繋がっている人は結構いる。ほとんど周回者か子孫との繋がりが多いけど、あたしが気づいていないだけで前世の家族や友人の生まれ変わりも当然いると思う。
あたしが知ってる限りでは、基本的には最後死ぬ時に居た場所か思い入れがある土地で生まれ変わる事が多いみたい。
だから、何度も同じ所に転生しちゃうと繋がりのある周回者にどうしても出会ってしまう事があるの。
1周目の人ならこちらが打ち明けなければバレることはないんだけど、周回者同士では話は別。
前世と大体同じような事やってるし、染みついたその人らしさは抜けない。
相手があたしを知らなくてもあたしが気づいてしまうとまるで時限爆弾の様な関係になる。
そして相手があたしに気づいた時、
〝渦の中〟へと戻され別の人になる。
その事を話では聞いていたけど、あたしのせいで仲間を1人失った時、初めてそれが真実だとわかった。
そして〝彼〟が別人になった理由も…
別人になるというより、あたしたちが転生するために犠牲になった元々の人格なのかもしれない…
その人格には周回者としての記憶だけが無くなってしまうの。
3周目を迎えた時に感じたのは孤独だった。
どんなに仲良くなった友達でも疎遠になる。
3週目では幼い頃からちょっと特別な世界で生きてたから、凄く孤独を感じて寂しくて、昔の仲間との暖かい思い出にすがりたくなったの。
一瞬でいいから昔の仲間を感じたかった。
まだ少ししか記憶が戻ってない子供のあたしは、気付かれないと思って近づきすぎてしまった…
溜まり場に行くとまだ生きてる仲間が1人いた。
60歳を過ぎても一人で運命と闘いながら、仲間と作った〝溜まり場〟を一人きりで守ってくれていた。
あたしは近所の子どものフリをして近づいて仲良くなったけど、町内の夏祭りに一緒に行った時に気づかれてしまったの…
あたしに気づいた時、その人は渦の中に帰るというのに満面の笑みでこう言った。
〝俺は消えてしまうけど気にする事はない。
実はもう疲れてたんだ。俺は仕事でたまたま繋がっただけで結局あまり解明できなかった。
君が残った方がいい。最後に会いに来てくれてありがとう…〟
そう言うと子供のあたしを置いて一人で帰ってしまった。
その後、その人は2度と溜まり場には来る事はなかった。
数年後、街でたまたま見かけたその人は拡声器を持って数人でデモ活動をしていた。
内容があまりにも理不尽で過激だったから少し怖かったけど、勇気を出して話しかけてみた。
でも、やっぱりあたしの事は覚えてないし完全に別人だった。
話し方や顔は一緒なのに、話す内容は全然違う人。
双子の兄弟なのかと思ってしまうほど気味が悪かった。
立ち去るあたしを引き止める事もなく拡声器で訴え続けていた。
本当に1人ぼっちになったんだとわかると孤独という恐怖が襲ってきた。あたし1人では何もできない…そしてあたしが仲間の命を奪ってしまった事を悟った。
人の命を奪う恐怖はあまりにも大きかった…
だから辛いほど孤独でも2度と前世の繋がりを探してはいけないと心に決めたの……。
でも…あたしはほんと弱い人間だわ…」
先輩は指ですくうように涙を拭いて私の方を見つめてそう言うと、心が苦しくなるほど純粋で屈託の無い笑顔を見せた。
私は先輩の笑顔を見て激しく胸が高鳴るのを感じる。
前世の私ではなく、今世の私が彼女を守って救いたいと思っている。半分子供の私は正義感からなのか、それとも女性として護りたいのか、はっきりした動機はないがほっとけないという気持ちが芽生えた。
そんな事を考えながら先輩をじっと見ていたら私の視線に気づいたのか最後にこう言った。
〝あんたはどちらかを選んで生きなさい…沁みるような声とあんたの心の声…。人類の答えなのか人生の答えなのか…。
あんたの好きにしていいと思う。制限の中でも自由はある。次回を望まなければ普通の人間として生きられる。あたし達はそういう存在〟
〝チュウ、ズズズー〟
カルピスを飲み干して先輩は荷物を持って
〝今日はもう帰ろっか〟
そう言うと伝票を持って先に部屋を出ていった。