〝輪〟とカルピス…
次の日の朝は寝坊してしまった。
すごく長い夢を見ていた気がする…
時計を見たら待ち合わせまで1時間もなく慌てて起き、朝風呂してからドタバタと着替えて下に降りた。
母は起きてるが父はまだ寝ている。
キッチンにいる母に先輩と遊ぶのでお小遣いが欲しいとせがむが、なかなか財布の紐が固くもっと詳しく説明しろと言ってくる。
先輩との約束まで40分しかないんだ!
ちゃんといい子にしてるのに疑ってるのか?
時間も無いし疑われているような気がして少しムッとして、
「いい加減にしてよ!」
と言うと、
私の目を見つめながらにっこり笑って、
「冗談よ、冗談。女の子と行くって聞いてちょっとヤキモチ焼いたのかな。本当あっという間に大きくなっていくわね。母さんなんだか寂しいけど、本当は嬉しいのよ」
そう言って私の手を両手でギュッと握ってきた。
母の指はカサカサで所々ヒビ割れして硬くなってしまっている。久し振りに間近で見る母が少し縮んだような気がした。
あと少しで母の身長を越えそうだ。
「母さんより素敵な女性はいないよ。僕にとって母さんはずっと1番大好きな人だから心配しないで。いつも感謝してる。大人になったら絶対親孝行するから」
そう言って照れ臭いけど2人きりだったし私も抱きついた。
とても大好きな甘い匂いがする。
目を閉じて母に吸い込まれそうなほど安心する。
ハッ!となって時計を見ると15分経ってる
慌ててしんみりした空気をかき消し、緩くなった母の財布からお小遣いをもらって急いで家を出た。
家を出て駐輪場に相棒を迎えに行く。サドルに触れると火傷しそうなほど熱くなってる。
もうすぐ9月になるというのに真夏のように暑い。
〝ミーーンミンミンミン〟
夏も最後だと言わんばかりにセミが最後の力を振り絞って大合唱している。
すごい鳴き声で余計に暑く感じる。サドルに触れないように相棒にまたがり、立ちこぎのままセミの大合唱を抜け出して待ち合わせの駅前マックへと急行した。
市街地を抜けて川沿いまで出ると後はまっすぐ行くだけ。駅まで最短で1番の近道だ。
市街地では先の見えないカーブがいくつかある。
昨日までは猛スピードで体を倒して曲がっていたカーブを、今日はスピードを落としてハンドル操作で曲がった。
最悪の事態を想定して怖くなったのだ。
無謀な事に恐怖を感じるようになっている。
市街地を抜けると横幅が2メートルも無いアスファルトで舗装された川沿いの道へ入る。ウォーキングしている老夫婦が狭い道を横に並んで塞いで歩いる為、この幅では横を通過することはできない。
時間もないし〝チリンチリン〟でびっくりさせたくなかったので、舗装された道から草の生えてる脇道に飛び出て追い越し通り過ぎようと判断した。
進路を草の道へ方向転換すると土がぬかるんでいてタイヤが滑ってしまい、おじいさんにぶつかりそうになった。
「危ないだろうが!ぶつかったらどうするんだ!そんなとこ自転車で走るな!」
と凄い剣幕で怒られた。
隣でなだめる様子も無く、おばあさんも不愉快そうに立ち止まってこちらを向いてる。
ぶつかりはしなかった。道を塞いでいたから避けてあげようと思った気持ちがあったので納得はできないが、
「すいません…」
と謝った。
老人とはいえ子供に対する大人の理不尽な態度に情けなさを感じた。
川沿いの道を抜けてようやく街に出る。
大きなビルが隙間なく建ち、空が狭くなってきた。
駅前に出ると空気は悪く、今までと建物に対しての捉え方が変わっている。
大人になったら一度は入ってみたいと夢見ていた雲に届きそうなほど大きく見えたタワーも、中の構造が頭でイメージできて雲になんて届かないのがわかる。
駅前で人気の食べてみたかったあんかけパスタ屋の味も明確に想像できる。
一度も食べたことは無いうなぎ屋さんの看板を見てカウンターとうな重が頭に浮かび舌舐めずりしてしまう。
私は県外に出張する事が多く、よくこの駅に来ていた。
子供の自分と大人の自分が混ざってしまい、なんでもわかるようになった気がしている。子供の体のまま大人になっている事にワクワクしてくる。
自転車置き場を探して自転車を置くとマックまで猛ダッシュした。
体の軽さや動きやすさが爽快で地面を蹴る感覚がさらに私を高揚させた。
なんだか空気も全然違うものに変わったように感じる。ここは排気ガスの臭いがしていい空気とは言えないが若返った爽快さが優っていた。
マックに着くとほぼ満席の店内に先輩はもう居た。
私に気づいた先輩が手を振ってくれている。
時計を見ると10時55分。
慌てて先輩が座ってる席に向かうと、とても大人びた格好をしてバッチリメイクしている。
中学生には見えない先輩に
「すいません、遅くなりました!とても綺麗ですね」
と謝りながら席に着くと、
「ありがと。あたしも今着いたとこ。それにあたし待つのは嫌いじゃないから気にしないで」
と、特別な反応もせず大人の対応でいなされた。
綺麗ですねなんて普通に言ってしまった事が気まずくて顔が熱い。しばらくするとコーヒーを飲み終わって席を立つ先輩が話しかけてきた。
「じゃ、ここじゃ話せないしカラオケ行こうか」
空になったコップをゴミ箱に捨ててマックを出て行く先輩を追ってカラオケに向かった。
夏休みとはいえ週末の駅前はサラリーマンやOL、旅行客などで溢れてごった返している。目を離せば見失いそうになるが気にせず先輩は突き進む。私も軽くなった体で軽快に後を追う。
いくつか横断歩道を渡るとビルが丸ごとカラオケになってるテナントがある。ガラス張りになっているドアが開き先輩が先に中へ入っていく。
どうやらここが目的地のようだ。
先輩が受付をして4人部屋に2人で入った。
個室で2人きりと言うのは何もなくてもドキドキしてしまうものだ。そんな私を見透かしたかのように先輩はじっと私を見てる。
恥ずかしくなって席を立ち、インターホンの近くに行って先輩に聞いた。
「ドリンク決まってますか?何頼みます?」
先輩はメニューを見ながら私の方を見ずに
「ウーロン茶お願い」
私はすぐ受話器を取り2人分のドリンクを注文した。しばらくの間沈黙が続き、先輩から誘ってくれたのにカラオケを入れようともしない。
〝ガチャ〟
「お待たせ致しました」
ドリンクが届いたのをキッカケに、先輩の前にウーロン茶を差し出して私は質問を始めた。
「いくつか引っかかっている事があるんですが、特に自分が理解出来ない事は〝輪〟についてです。〝輪〟とは一体なんのことなんですか?」
吉塚先輩を見つめて私が質問すると、
吉塚先輩はこう答える。
「そうねぇ、それについては申し訳ないけど正直なところあたしもはっきり分かってないの。きっと世界中の周回者がそれぞれ自分なりの答えを持っていて、その答えが〝輪〟に繋がっている。
けど、あたしは3周目の鐘が鳴った時に自分の答えが間違えではない気がしたの。」
ストローでウーロン茶を飲んで一息ついてから続けて話し始める。
「あまり詳しくは話せないけど1回目はたまたま。これは多分あんたも一緒だよね?ほとんどの人がそう。
2回目は出会いが良く数人の仲間と情報を共有していた。
〝輪〟について仲間の1人に核心まで迫った人が居て、その人の情報が私の知識として役に立っている。その情報を元にみんなで模索して繋いでいった。それと…必ず近くにいる前世の繋がりを断腸の思いで断ち切った…
そしたら3周目を迎えた。
あたしなりの答えは核心に近づいたと思ったわ。
それは、自分が繋げた出会いが自分に返ってくる事だと思ってる。それもできるだけ大きな規模で平和的に…」
そう言ってウーロン茶をストローで吸う。
私は正直、さっぱりわからなかった…
理解できたのは、〝輪〟とは人の輪ということでわないかという事。
そして仲間がいたという事。
私は他にも聞きたいがまず仲間について尋ねた。
「周回者同士なら情報交換しても問題ないんですか?」
「前世で共に居た周回者の仲間達は今世では会う事はできないのですか?」
「そしてなぜ前世の縁を断ち切ったのですか?」
黙っている先輩に一気に質問してしまった。
吉塚先輩は少しの間うつむいた後もう一度ウーロン茶をストローで一口飲んで語り始める。
「周回者同士なら内容が前世の自分を直接特定できる情報や、前世で作った輪の仕組みでない限り、情報を交換しても歴史に残る事に繋がらないらしい。
要は制限される事に触れないって事みたいなの。
周回者同士が来世で出会ってもお互いが前世での繋がりに気付かなければ特に問題はないと思う。
ただ、どちらも思い出してしまった時…その時だけは片方だけ〝渦の中〟に戻る事になる。
だから基本的に関わり合おうとはしない。
あたしも来世ではあなたと親しくなれないわ。
あの渦の中には絶対に戻りたくないからね…
まぁ…、その前にまず見つけられないわよ。」
そう言った後、ウーロン茶の入ったグラスを回してストローで氷をツンツンしている。
〝チュウチュウ〟
ストローでもう一口飲んで話を続ける。
「それよりも知っておいて欲しい事があるの。
それは周回している謎の真実に迫りすぎてはいけないという事。
もしくはその真実を伝えてはいけないのかもしれない。
さっき話した前世で一緒に謎を解き明かそうとした人はある日突然、前世の事や私たちの事まで全て忘れて別人になったわ。
まるで一度も面識がないかのように…」
「その人は仲間のリーダー的な存在で、情報収集の為世界中を飛び回っていたわ。情報収集して知った事をあたし達仲間に教えてくれていた。
あたし達はひな鳥。
一方的に教えて貰うばかりだった。
日本では最先端の情報を持ってたと思う。
仕事以外の時間はずっと仲間と過ごしていた。
彼は今の私よりも多い5周目だった。
ある日、〝どうしても合わなければいけない人が居る〟
と言って、半年間のアメリカとメキシコ滞在から帰ってきてすぐに行き先を言わずに旅立った。
心配で気になってもその当時は携帯なんて無くてこちらからは連絡したくても取れなかった。
モヤモヤする日々を送っていると半年くらい経って彼から手紙が届いた。
〝大変な事を知ってしまった…もうすぐ核心に手が届くかもしれない。君たちの事は忘れてもずっと繋がっている〟
訳のわからないメッセージでその時は誰も意味がわからなかった。
旅立って10ヶ月が過ぎた頃にあたしに連絡が入った。
仕事が忙しく残業して帰ったら暗い部屋で留守電を知らせる赤い光が点滅してた。真っ暗なまま留守電を再生すると彼からのものだった。
震えた声で何か言ってるんだけど、ノイズが凄くて全然聞き取れない。
何度も聞いて聞こえる範囲で紙に書いたわ。
「俺たち…は…………無く自我を与え……、
俺たちの脳……大半…信…能を…ている。
俺は…友人……。明日の14時着中部国際空…、」
留守電の最後で彼が乗る飛行機の便は聞き取れた。
帰ってくると連絡があった事を仲間に伝え、私たちは空港に迎えに行く事にした。
到着予定時刻より30分くらい待っていると彼を見つけた。
私は嬉しくなって急いで駆け寄って、
〝お帰り〟
そう言って目の前に立ち
荷物を受け取ろうとするあたしに、
〝ちよっと、なんですか?〟
冗談じゃなく本気で全く知らない人を見るようにあたしを見てた。仲間にも反応は同じだった。
不振な人を見るような顔をして何も言わずにあたし達の横を通り過ぎて、違う人達のとこに向かって行った。
何度呼んでもまるで変人扱い。
あたし達とは別の迎えに来ていたグループと、楽しそうに話しながら振り返ることも無く歩いて行ってしまう。あたし達が誰かも知らないその人達と…昔からの付き合いがあるように馴染んで溶け込んでいた。
何年も私たちと過ごしていて、一度も紹介された事もないし、行く直前まであたし達と居たのに…あたし達が知らないその人達も違和感なく彼を受け入れていた。
まるで古い友人が帰って来たかのように…不思議な感じだった。
その後、あたしは〝彼〟と会う事は一度もなかったわ…
不気味な体験をしたせいで、あたしたちの巻き込まれているこの世界が現実なのかどうかすらも信じられなくなって…
しばらくは仲間に対しても人間不振になって私は引きこもってしまったの…そのせいで仲間が…」
そう言ってウーロン茶をストローで飲み干したので、私がウーロン茶を注文しようと受話器を取ったら
「次はカルピスお願いしていい?」
と言ってきたのでカルピスを注文した。
そして先輩は話を続ける。
「あたしを元気づける為に仲間の一人が〝彼〟を探し出して会いに行ってしまった…」